1-1:高橋良三 400キロの旅の到着です! 1-2:「アクセス全開、時速1.5km、1日8時間、400キロの旅」 1-3:到着の日の日記:平成20年6月19日 1-4:八幡浜と伊予石城の間の棚田 2 :「今回の四国横断時に配った出会い記念カードには次のようなメッセージを残しました。」 3-1:左半身まひ、四国横断400キロを完歩! 3-2:半身マヒの高橋さん、歩いて四国横断 4 :友人への手紙

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1-1 高橋良三 400キロの旅の到着です!




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1-2「アクセス全開、時速1.5㎞、1日8時間、400㎞の旅」


美しい宇和海を眺め、ゴール「宿毛」へ向かう
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1-3 到着の日の日記:平成20年6月19日
- 宿を出る前に東京の仲野から電話があって、午後から雨が本降りに成るので注意と言われた。しかしながら、朝食時には降っていなかった雨も、宿を出るときには降り出した。
- まだ小雨。これなら行ける。柏発8時40分のバスで野地橋に向かう。
- 9時30分頃野地橋着。小雨が降っていた。
- バス停で、清家さんともう一人の若い人が待っていてくれた。
- 清家さんの息子さんかと思ったが、NHKの人だった。
- 念のため、清家さんから雨具を借りて出発。出発時にはTBS系のテレビの人も撮影に加わった。歩き始めてすぐにトンネル。抜ければ宿毛市内。
- トンネルを抜けると、道の反対側で多くの人がカメラを構えていた。
- もう一つ驚いた事に、雨がやんでいた。
- テレビや新聞に撮影されながら宿毛市役所を目指した。
- 市役所に着くと市長、職員、メディアと多くの方々が出迎えてくれて、こっぱずかしい感じがした。
- 清家さんの段取りで感動的なフィナーレを迎える事が出来た。深い感謝である。
- 10時58分ゴールした。

-
- ゴール直後市役所に入ると、雨が本降りに成ったようである。清家さんと昼食に出かけるときはどしゃぶりに成った。
- 清家さんは私の東京の友人嵐柴さんの友人である。
- 昨日県境で会って軽く打ち合わせをしたが、会うのは今回が2度目である。
- 13年前、自転車で列島縦断した帰りに大分からフェリーで宿毛に来ている。
- そのようないきさつもあり、宿毛をゴールにした。
- その折、清家さんのカヌーで四万十川を10キロ程下った。
- 清家さん宅に泊めて頂き、鰹のたたきや、地元の名人が釣った立派な鮎をごちそうに成ってお世話になった。
- 温泉からの帰り道、西の空に輝く金星を今でも思い出す。
- 清家さんには、今回も感動的なゴールへの段取りをして頂き、ゴール後、松山の中村先生共々昼食をごちそうに成った。本場の鰹のたたきと刺身は絶品であった。
- 本当に、どのように感謝の気持ちを伝えたら良いのであろうか。
- 中村先生は、親切にも私を車で松山まで送る為とゴールの証人であった。
- 中村先生は6月19日が誕生日でゴールが重なってとても喜んで下さった。
- おまけに、昼食した場所が以前、先生が家族で宿泊した所で、度重なる偶然に喜んでおられた。
- 昼食後、清家さんと別れ、愛南町柏へ。しばらく、前も見えないくらいの土砂降りの中を進んだ。ところが柏に着くと同時に雨が止んだ。宿の支払いを済ませ、難所の法華津トンネルを通り、宇和島、八幡浜から夜昼トンネルを抜け大洲までのお世話頂いた方々にお礼をして、夜8時過ぎに松山に戻った。
- 忘れることのできない深い思い出と感謝の旅が終わった。
- 生きていることの素晴らしさと人間の可能性の深さを実感した。この経験を生かし、今後は、同じ病で闘っている患者さんたちに会い、励ましていきたいと切に願った。
- 友人の深い愛情と家族への感謝を胸に、400㎞の道程をいつまでも振り返っていた。

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1-4 八幡浜と伊予石城の間の棚田→
1-4 八幡浜と伊予石城の間の棚田

- 八幡浜の川亀酒造から上り道を延々5キロあまり途中歩道なしでドブ板の上の所もあり”ふざけんなよ”と心の中で叫んで歩いてやっとの思いでトンネルを抜けました。
- 橋の上でまだ上っていました。
- けっこうな傾斜が続いていた。ここが今回で一番大変な思いをした所で伊予石城まで2日掛かりました。橋の下を見ると棚田が眼下にあり、大変な思いをした後にはご褒美があるものだと思った。車では知らない限り、見落としてしまう。
1-1:高橋良三 400キロの旅の到着です! 1-2:「アクセス全開、時速1.5km、1日8時間、400キロの旅」 1-3:到着の日の日記:平成20年6月19日 1-4:八幡浜と伊予石城の間の棚田 2 :「今回の四国横断時に配った出会い記念カードには次のようなメッセージを残しました。」 3-1:左半身まひ、四国横断400キロを完歩! 3-2:半身マヒの高橋さん、歩いて四国横断 4 :友人への手紙
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2.「今回の四国横断時に配った出会い記念カードには
次のようなメッセージを残しました。」
“素敵な出逢いありがとう。”

- 只今、歩いております。
- ひたすら歩いております。
- とくべつ目的はありません。
- 只、歩けることの幸せを噛みしめて、
- 只、只、歩いております。
- 「只」という言葉には、「ひたすら」という意味があるそうです。
- 「只今」とは、「今をひたすら(生きる)」という意味があるそうです。
- だとすると、「只今帰りました」つて挨拶は、
- 「頑張って来ました」つて報告なのかもしれません。
- 「只今帰りました」っていう人生を、私は送りたい。
- つまずいたら、起き上がればいい。
- 18年前まで、私は世界中を駆け巡っていた。

- 悪夢は突然やって来た。
- ホテルのバスタブの中の、底なしの闇の中に落ちた。
- 医者は再起不能と言ったけれど、信じなかった。
- 長いリハビリを経て、ほぼ、五体満足の機能を取り戻した。
- 取り戻せなかったのは、昨日までの居場所だった。
- 新しい未来を探すために旅に出た。

- 北海道宗谷岬から九州佐多岬まで走破した。
- 多くの出逢いと経験が新しい未来を開いてくれた。
- 命を紡ぐ喜びを知った。
- 神様は、過って二度目の試練をくれた。
- 誰もが二度と立ち上がれないと思った。
- 言葉も半分失ったけれど、いま、私は歩いている。
- 12年前に残した四国を「歩破」したいと思っている。
- もう一度、新しい未来を見つけるために…

只、只、ひたすらに歩き続けた…

- 多くの取材を受けることになって、
- 非常に戸惑った。
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3-1. 左半身まひ、四国横断400キロを完歩!
- 足の痛みに耐えた毎日 東京の高橋良三さん。
- 多くの人に支えられ!
- 2度の脳内出血で左半身がまひし、歩行や会話が不自由になった高橋良三さん(61)=東京都世田谷区桜丘2丁目=が、高松市から県内を経て高知県宿毛市までの約400キロを歩き通す四国横断の旅を達成した。
- 昨年10月、四国中央市までたどり着いたが、体調不良のために一度は断念。今年4月から再挑戦し、残り約300キロを2ヵ月余で歩き切った。
- 高橋さんは「歩いている間、ずっと足の痛みに耐えなければならず、宿を出発
- する時に勇気が要った。毎日、小さな覚悟を決めて歩き通した」と笑顔を見た。(金島淑華)
- 高橋さんは電子楽器メーカーに勤めていた90年に脳内出血を起こし、一度は職場に復帰したが、05年に再び脳内出血で倒れた。滑舌が悪くなり、食べ物をのみ込めないほど、まひは重くなったが、1年半のリハビリで歩けるまでに回復した。
- 「私は2度も命拾いした。死んだと思ってやれば、何でもできる」。昨年9月、四国横断の旅をスタートさせた。しかし、連日、気温35度近い残暑に見舞われて体調を崩し、四国中央市内のJ R川之江駅でリタイア。左足を支える装具はボロボロになり、運動靴の底もすり切れていた。「もっと歩けると思っていたのに……」。
- 悔しさだけが残った。
- 4月14日、高橋さんはJR川之江駅から再び歩き始めた。体への負担を軽くするため、荷物はペットボトルの水とおにぎりだけ。替えの運動靴も用意した。ほぼ1日4~7キロのペースで歩いた。
- 大洲市の国道197号にある全長約2キロの夜昼トンネルが難所の一つだった。「車の排ガスで呼吸が苦しくなるため、一気に通り抜けなければならず、体力的につらかった」と振り返る。
- 高橋さんを支えたのは、この旅で出会った人たちだった。松山市で知り合った元教師は夜昼トンネルを一緒に歩いてくれた。宿の経営者らは昼食を持たせてくれたり、出発地まで車で送ってくれたりした。
- 6月19日、高橋さんは宿毛市役所に無事ゴールし、待ち受けていた約30人の市職員らから祝福された。「歩き切ることができたのは、多くの皆さんの支えがあったから。この経験を生かし、今後は、同じ病で寝たきりになってしまった患者さんたちに会い、励ましていきたい」と話した。
平成20年7月5日 朝日 新聞 [ マイタウン愛媛 ] より
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3-2.半身マヒの高橋さん、歩いて四国横断

ゴールの宿毛市役所に到着し中西清二市長に祝福される高橋良三さん(右)=宿毛市桜町
- 2度の脳内出血で左半身がマヒして歩行や会話が不自由ながらも、歩いて四国横断400キロの旅に挑戦していた高橋良三さん(61)=東京都世田谷区桜丘2丁目=が19日、ゴールの高知県宿毛市役所に到着した。
- 高橋さんは07年9月にも挑戦し、高松市を出発したが、体調が悪化し約90キロ歩いたJR川之江駅(愛媛県四国中央市)でいったん断念。今年4月14日に同駅から再挑戦した。ほぼ1日4~7キロのペースで歩いた。
- この日、宿毛市役所にゴールインし、中西清二市長や市職員約30人から祝福された高橋さんは、「うれしいに尽きる。歩いている間ずっと足の痛みに耐えなければならないので宿を出発する時に勇気がいる。毎日、小さな覚悟を決めて歩き通しました」と笑顔で話した。自宅で待つ家族とは毎日、携帯メールで連絡しているが、今夜、電話で「終わったぞ」と報告するという。
- 今後は、旅の途中で出会った人たちを訪ねるため、松山市や高松市などに寄って感謝の気持ちを伝えてから東京に戻るという。
平成20年6月20日 朝日 新聞 高知」掲載より
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4. 友人への手紙
- 多治見に戻りましたか?
- わたしのゴールから東京への道すがら感激した事を書きます.
- 疲労回復と癒しの為、6月19日にゴールしてから、松山市内に1泊、道後2泊、高松の女木島に1泊、広島の上下に2泊、京都に1泊、飯田に2泊して戻りました。
- 道後の「簡保の宿」の温泉で、湯の波にバランスを崩し、お湯を飲んでしまい危うかった。溺死でもしたら、洒落にならなかった。
- 広島では温泉とほたるを楽しみました。あぜ道をはさみ川と田んぼのある所に出かけ、川側から源氏ボタルそして田んぼ側から平家ボタルの乱舞をみました。初めてだったので感動しました。
- 東京への帰り道、飯田の久保田さん夫妻を訪ね、早速温泉で疲れを取り、翌日車で南木曽の山の中に出掛け、渓流の脇に車を止め、お茶づけの昼食をしました。その後、わき水でコーヒーを入れ、持ち込んだ「くずもちと近くで摘んだ木いちご」をデザートにお茶をしました。
- 渓流の音と共に、春蝉の鳴き声がせわしかったが、青空のもと、森林浴をしてその後、写真の露天風呂でチョット一杯。
- 夕方飯田に戻り、全国レベルの寿司やで夕食。(値段は東京の1/3)この日はお金をかけないで最高の贅沢が出来ました。
- 完璧。そうして東京に戻りました。
- 今日は母がショートステイから戻ります。
- これから母の介護でちょっと忙しい日々となりそうです。


1-1:高橋良三 400キロの旅の到着です! 1-2:「アクセス全開、時速1.5km、1日8時間、400キロの旅」 1-3:到着の日の日記:平成20年6月19日 1-4:八幡浜と伊予石城の間の棚田 2 :「今回の四国横断時に配った出会い記念カードには次のようなメッセージを残しました。」 3-1:左半身まひ、四国横断400キロを完歩! 3-2:半身マヒの高橋さん、歩いて四国横断 4 :友人への手紙