|

目次
9.パートⅠ「再発しても人生は、終わりではない!」 TOPへ
1)「四国横断400キロの旅」への決意とトレーニング
① トレーニング計画と出発の決意
- ・辛抱の1年が過ぎ、春を待ちました。
- 四国を歩くという事は、まず、95年に自転車で列島縦断した時に、四国には立ち寄れなかった心残りがありました。
- ・同時に2年前、2005年に左脳内出血で再入院して、死ぬのではと
- 思いました。左脳出血なのに左半身の麻痺はさらに重くなり、今まで出来ていた事が出来なくなりました。
- ・一番の損失は何年もの懸命のリハビリで獲得した“装具無し歩
- 行”が出来なくなり、装具無しでは歩けなくなりました。
- 体全体のパワーも落ち、さらに言葉の滑舌や食べ物を飲み込む事にも支障が出たが、幸運にも、右半身の運動神経はかろうじて遺って、ゆっくりではあるがバランスを取って歩く事が出来、日常生活が自立出来たのは奇跡でした。
- 「再発しても人生は、終わりではない」ことを実感出来た事は、本当に、本当に幸運でした。
- 400キロ(当初の距離の概算は、300キロでした。)歩くというのは、自分に取ってはちょっと背伸びした目標ではあるが、これが、自分が、今出来る精一杯の挑戦であり、普段の散歩の延長で無理せず楽しんで臨みたいと思いました。
- 春からトレーニングを開始して、9月中旬には出発するぞと決めました。
② トレーニングの経過(4月~8月)
- ・
桜の終わる頃から少しずつ多摩川の土手で歩行訓練を始めました。
- 初めは2キロ位の連続歩行から始めました。
- 予定としては、6月一杯で5−6キロをしっかり歩けるようにして、7月中には10キロ歩けるようにしたいと思っていました。
- ・4月上旬には4キロくらいは歩けた事もありましたが、5
- 月に入っても、2時間3キロくらいでへとへとになったこともあり、一気に体力は付かないものだと思いました。
- ・5月は、気分転換して、飯田、銚子と鴨川、高尾山に行きました。
- 飯田に行った時は新緑の南木曽で山の”気“をもらい、森の中の露天風呂を楽しみました。

- ・銚子の飯岡温泉で1泊して翌日川俣おりえさんと落ち合い、一緒に鴨川の上田一明さんの工房を

- ・9月の出発前に上田さんの工房に留めてもらい、最後の訓練をさせてもらうことにしました。
- ・新緑の高尾山も楽しんで5月は山の“気”をたくさんもらいました。
- ・6月には、調布の事務所から成城学園の6キロは確実に、歩けるようになりました。
- ・7月に入っても何度か調布-成城あるいは桜丘-狛江間6キロを試しました。
- 歩く事にも気合いを入れましたが、7月の中旬に旬のイワシを食べに銚子へ行き1泊し、銚子電鉄にも乗って、気分転換もしました。
- ・そして7月31日に初めて調布-桜丘間10キロを歩きました。
- 暑かったので汗を沢山かいて疲労の度合いはすごかったです。
- 成城からの4キロは大変でした。
- 座れる所があれば座って休みながら歩きました。
- ・成城の駅前の小路に京都宇治のお茶屋さんがありそこでは冷たいおいしいお茶が100円で飲めるので
- 何時も休憩させてもらいました。
- そこから頑張って、祖師谷大蔵駅前のバス停まで行き休憩、力を蓄えて環状8号線を越え、やっと千歳船橋駅が見えて、桜丘交番の側の公園で最後の休憩をして桜丘の家にはかろうじてたどり着いた感じです。8時間掛かりました。
- ・その後、8月6日と10日にはリュックに辞書等を入れ負荷をかけて同じ距離を歩きました。
- 10日間に3度歩きましたが、四国では毎日10キロ歩くつもりでしたので、これくらい出来なくてはと思っていました。
- ・ところが、8月10日に歩いた後、体がだるくなり熱が出ました。
- 靴擦れして出来た豆がつぶれて菌が入って紫色に腫れて足の付け根までも赤く腫れました。しばらく歩けなくなってしまいました。
- 抗生剤の服用と傷口には抗生剤の塗り薬で治療しました。
- 抗生剤の効果はすぐに出て腫れはひきましたが、豆がつぶれた所の回復に時間が必要なので、しばらく休養する事にして、新潟に温泉療養に行きました。
- ・8月の後半に、千葉の鴨川の上田さんの工房で、出発前の最終のトレーニングに2泊3日で行きまし
- た。
- 上田さんの工房は近くに大山千枚田という有名な棚田があり、森の中です。
- “フィトンチッド”(森の気—マイナスイオン)が豊富な所です。
- 森の中になだらかな抑揚のある道があり、足腰の訓練には最適です。

-
- “江戸時代、関東に行ったら波を彫るな”と言わしめた“波の伊八”の彫り物がある神社もあり、ここの急な階段も上がりました。
- ・PCのミス操作ミスでデータを失い写真(紫になった足の豆も含む)が残ってないのが残念です。
- また、夜の真っ暗な森の中の工房で酒を飲みながらの上田さんとの会話は楽しかったです。至福の時を過ごせました。
2)出発前の出来事
- ① 取材:
- 出発直前の9月11日に朝日新聞の取材を受けました。
- 寺下さんという若い可愛い女性が取材に来てくれました。

- ② 嚥下障害:
- 嚥下事故が起き、死んでしまうかと思いました。
- 梨を食べている時に、ある固まりがすーっと喉に入ってしまい喉に停まってしまい、徐々に声が出なくなりました。
- これが起きた時の3分間は窒息死するのではと慌ててしまい焦りました。
- 気道が確保出来ていたので落ちついて洗面所で咳き込んだら、首尾よく梨の固まりが出てくれました。
- こんなこともあるのだと嚥下の怖さを知りました。
- 餅だったら死んでいたかもしれません。注意、注意です。
- こういう失敗の経験は貴重です。靴擦れで大きな豆が出来たのがつぶれた所も治り歩行には問題は出ないと準備は整いました。
- ③ 母の介護:
- 7月から母親の介護は烏山の敬心苑という施設で2−3週間連続(ショートステイ)で預かって頂けるようになり、今までのヘルパーの派遣とデイサービスを組み合わせて、私の留守をお願いする事にしました。
- 次男も3男もいるので、注意を払ってもらう事にしました。
- ④ 名刺;次のような名刺を用意した。素敵な出会いのために…
- 私の名前は、高橋良三です。
“素敵な出逢いありがとう。”
- 只今、歩いております。
- ひたすら歩いております。
- とくべつ目的はありません。
- 只、歩けることの幸せを噛みしめて、 只、只、歩いております。
- 「只」という言葉には、「ひたすら」という意味があるそうです。
- 「只今」とは、「今をひたすら(生きる)」という意味があるそうです。
- だとすると、「只今帰りました」つて挨拶は、「頑張って来ました」つて報告なのかもしれません。
- 「只今帰りました」っていう人生を、私は送りたい。
- つまずいたら、起き上がればいい。
- 何も悲観することはない。
- 何度でも新しい未来を探せばいい。
3)四国へ向けて出発
① 新宿から京都へ
- ・9月13日(木)に出発しました。
- ・新宿から京都へJRバスで京都に向かいました。
- 京都で1泊してから翌朝JRのバスで高松に向かいました。
② 四国へのフェリーの中での出会い
・午後3時のフェリーで「鬼が島」で有名な女木島へ向かいました。
- フェリーに2人の子連れの夫婦がいました。
- 奥さんはしっかりして見えました。
- 御主人は遊び心一杯で2人の3、4歳の男の子達の兄貴と言った方が良いようでした。きれいな奥さんが船上でよろけている私に声をかけてくれ、写真を撮ってくれました。
15分くらいで女木島に到着。私は6キロのリユックを背負い“龍宮”という民宿へ。あと50メートルくらいの所で、暑さで力尽き、歩けなくなって荷物を投げ出しました。民宿の人に荷物を手伝ってもらいました。
- 民宿に着くと、なんと、フェリーで一緒だった夫婦がいました。奇遇でした。
- ・暑さでへとへとになり、部屋に通されてから、ビールと昼食を頼みました。
- こういう時のビールは格別ですが、嚥下障害があるので、一気飲みは出来ません。
- ビールを飲みながら、窓から外を眺めていると、フェリーで会った夫婦が目の前の海辺で遊んでいました。
- 一番遊んでいたのが御主人で子供以上に楽しんでいました。
- 奥さんは写真を撮っていました。
・昼食後、宿の奥さんに坂出辺りの宿を探してもらうことにし
- て、海辺を1キロ程散歩しました。
- 散歩の途中、朝日新聞の高松支局の中村さんから電話をもらい、9月16日に出発の予定が変わらないかを確認されました。
- その日に記事が出るという事でした。
- ・私はついでに、念のため、坂出あたりの宿を頼みました。
- 依頼後すぐに連絡があり、宇多津の宇多津グランドホテルを予約してもらいました。
- 宇多津がどこにあるかも分かりませんでしたが16日の宿は決まりました。
- ・部屋に戻り、宿の奥さんが探してくれた坂出の宿の電話番号を教えてもらい17日の宿を予約しまし
- た。入浴する前に釣りに出ていたフェリーの夫婦と少し言葉を交わしました。さよりを沢山釣って帰ってきました。私の食卓にも上りました。
- ・夕食は豪華で英気を養えました。
- 出発前に宿の前で宿の奥さん達とフェリーで会った夫婦と写真を撮りました。このときの旅の縁が来年に繋がるとは思いませんでした。
- (岸本さん、NHKのディレクターでした。)

③ 四国高松へ到着
- ・民宿の奥さんが桟橋まで車で送ってくれました。
- 9時30分くらいのフェリーで高松に行きました。
- フェリーでバランスを崩してサングラスを落とし、壊してしまいました。

- ・チェックインしてからホテルの東横インを出て、すぐ前の兵庫町のアーケードで眼鏡屋を探す事にし
- ました。

- アーケードを入ってすぐの所に“愛眼堂”という眼鏡屋さんがあり、そこに入りました。
- 店主の宇野さんという人でとても親切で無料で眼鏡を直てくれました。
- ・食事をする場所とかも教えてもらいました。
- ・昼は”千萬“というステーキ屋に行くように勧めてくれました。昼までに時間があったので三越に、小さなリュックを買いに行きました。
- 昼はお手頃価格でステーキが食べられました。出発前で力が付けられたようで良かったです。私に付いてくれたシェフの緒方さんがこれから行く道に詳しく、色々教えて頂きました。
- ・昼食後ホテルに戻り、荷物をわけて三越で買った小さなリュックに入れて朝日新聞の松山支社に送っ
- てもらう事にしました。
- 昨日女木島で500メートルくらいの距離が6キロ背負って歩けなかったので、荷物を減らす事にしたのでした。夕食前に、洗濯しました。
- 夕食は宇野さんに紹介して頂いた店で魚を食べました。
9.パートⅠ「再発しても人生は、終わりではない!」 TOPへ
4)四国横断徒歩の旅日記
① 出発の日(第1日目・9月16日)高松~宇多津
- ・9月16日 日曜日いよいよ午前9時30分出発。
- ホテルを出た頃は元気だった。公園を目指して歩いた。
- 公園の交番で道を聞いて33号を歩いた。
- ・暑くて体力の消耗が激しく疲れたので、2時間少し歩いてから沿道の店
・店を出る頃雲行きが怪しくなり、1時30分頃には雨が本降りになってきた。
- 雨宿りして地面に腰を下ろしたら、減らしたはずの荷物が重くて立ち上がれなかった。
- かろうじて立ち上がり、近くの焼肉店で昼食にする事にして雨の上がるのを待つ事にした。
・ところが雨は治まらず、この日は歩くのをやめて近くの駅までタクシ
- ーで行った。
- 香西という無人駅から宇多津駅に行く。
- 宇多津グランドホテルに着く頃は雨が土砂降りであった。
- ・ホテルは大浴場もありきれいで設備もホテルのスタッフも良かった。
- 宇多津のホテルの大浴場はスポーツクラブが経営していて、スポーツクラブの会員が900人いると聞き驚きました。
- 人口が5万人とすると、2%の人がメンバーである。
- しっかりした産業があり、余裕があるのだろう。
- 東京で当てはめたらとんでもない数である。
- ・1日目の経験でこの炎天下リュックを背負って歩くのは無理だと思い、連泊して荷物はホテルにおい
- て、ちょっと無駄だけど、体の事を考えると電車で最寄り駅まで行ったり戻ったりすることにした。
- ・しばらく宇多津グランドホテルに荷物を置いて、明日は香西から歩ける駅まで行き、そこから宇多津
- に戻ってくることにした。
- 翌日は既に宿の予約をしてあるので、ジャケットのポケットとポシェットに最低の洗面道具と薬を持って、リュックは、グランドホテルに預ける事にした。
② 2日目(9月17日)宇多津~香西~坂出
- ・2日目、9月17日は宇多津から香西まで電車で戻り、旅を開始。

- ・9月なのに相変わらず真夏の太陽の下を歩いた。
- ・鬼無という盆栽で有名な町を通った。
・食堂がまったくなく昼食に困って“タオカ”というドラッグストアーに入り、おにぎりと甘い物と飲み物を買って休ませてもらった。
- ・そこの奥さんが新聞で私の事を知っていた。
- ・なんとか端岡という駅まで歩く。7キロくらい。駅に着くとにわか雨が降ってきた。

- ・電車で、坂出まで行き、タクシーで宿のホテル“入り浜”に行く。
- 宿に着くなり汗まみれになった下着を洗濯した。
- 大きな共同風呂があり、愛媛から仕事で長期滞在されている人と話をした。
- 夕食の食堂では工事関係の人達が大勢食事をしていた。
③ 3日目(9月18日)坂出~端岡~鴨川~宇多津
- ・3日目、9月18日は、坂出のホテル“入り浜”をチェックアウトして電車で端岡に戻って、炎天下3駅ク
- ・昼は33号沿いにあったうどん屋で昼食にした。美味しくて2杯食べた。それでも、580円。
- 安くてうまい。鴨川へ夕方6時近くに着いて宇多津へ。
④ 4日目(9月19日)鴨川から八十場を経由して坂出へ
- ・4日目、9月19日も快晴で35.5度。鴨川から八十場を経由して坂出へ。あまりの暑さに頭がぼーっと
・適当な昼食をする所がなく坂出の駅に近い中華屋さんで午後4時頃に昼
- ・喉がからからで、ビールがうまかった。
・ホテルに戻り入浴後、お世話になった
- 「宇多津グランドホテル」の可愛い藤本さんと記念撮影。
- 丸亀への荷物の搬送、ホテルの予約、爪も切って貰ったり、すっかりお世話になりました。
⑤ 5日目(9月20日)坂出~宇多津~丸亀
・5日目、9月20日はグランドホテルをチェクアウトしてから電車で1駅戻り坂出駅に行き、駅から宇多津を経由して丸亀を目指しました。
- ・坂出の町を抜け宇多津へ。
- 町のローソンで買い物。
- この日も暑く、午前中なのに既に汗が噴き出しています。
- ローソンの店員の方も新聞で私の事を知っていて親切にして頂きました。
- ・小さな峠を越して宇多津に入りました。
- ・昼頃にはすでに宇多津に入っていて快調でした。
- おふくろの味的な店で昼食にしました。
- 電車の駅間距離では丸亀まで2.6キロだったのでビールも飲みました。
- ・ところが2.6キロくらい進んでも駅の気配がまったくないので、トヨタに入って道を聞いたら、駅ま
- では、まだ5キロ以上あると聞いてショックでした。
- ふらふらだったのでこれから5キロも歩くのかと思いホテルまでたどり着けるかなと思いました。
・トヨタで冷たいお茶を出してもらい一休みしてから歩き出し
- て、やっと丸亀城の見える土器川のたもとに辿り着きました。
- それでもまだ駅までは4キロの表示がありました。暑くて気が遠くなりました。
- だんだん日も暮れて、丸亀グランドホテルには8時過ぎに到着しました。
- ジャケットの上から白く塩が吹いていました。疲労困憊でした。
- 何キロ歩いたか分からない1日でした。
- ・入浴してからホテルの隣にステーキ屋があるというので行きました。
席に着くと後ろから肩を叩かれ振り向くと高松のステーキ屋でサーブして頂いた緒方さんがいました。
- 驚いて聞いたら千萬はチェーン店でスーパーバイザーとしてたまたま丸亀に来ていたという事でした。
- 奇遇。ゆっくり食事して疲労回復を計りました。
⑥ 6日目(9月21日)休み
・あまりにも疲れたので、21日は休みにしてジャケットをクリーニングに出したりしました。丸亀のアーケードの中を歩きましたが、シャッター街でした。
⑦ 7日目(9月22日)丸亀~多度津~海岸寺~丸亀
- ・9月22日も快晴で温度は高かった。
- ホテルのそばの21号線で多度津を目指した。
- 一つ目の駅の讃岐塩屋は知らない内に過ぎていました。
- 多度津までは簡単に着きました。
- 中華屋さんでビール飲んで昼食しました。
・多度津の町民会館を通リ過ぎたが、世田谷の区民会館よりも
- ずっと立派である。
- 地域の活性化にもなるのであろうが、負担も大きいと思うしアンバランスな感じがした。
・港に出て大きな会社を通リ抜けて―海岸寺の駅を目指す事にしました。4キロの道のり。
- 喫茶店で休憩して道を訪ねると裏道を教えてくれました。
- ・瀬戸内海の綺麗な海を見て、古い町並に入る前に、あまりにしんどかったので介護事業所の前の歩道に座リこんで休んでいたら、どうしたんですかと訪ねられました。
- “飲み物はいかがですか”と勧められましたが、“持っています。ただ休んでいるだけです。”と答え、海岸寺駅までの道の確認をしました。
- 施設長の福家さんから名刺を頂きました。

- ・古い町並みを歩いて行くとおばあさんに会いました。
- この先に八幡神社というのがあり、琴平さんに次ぐ神社だから寄って行けと言われ立ち寄りお参りしました。

- ・八幡神社を越えたらすぐに駅だと思ったがかなり距離があった。
- 7時過ぎに駅に着いた。海岸寺から丸亀に戻り、昨日下見していたアーケードの大きな通りに面している割烹屋さんで夕食をする事にした。
- オーナー夫婦は、10年前大きな交通事故にあって、今でも奥さんは足腰に後遺症があると話してくれました。
- それでも元気に働いていました。(鈴木さん)
⑧ 8日目(9月23日)丸亀~海岸寺~三豊市~詫間~善通寺
・9月23日出発前のスナップです。
- 左手に軍手をしています。
- 焼ける様な太陽で動きの少ない左手が焼けて痛くなるのを防ぐ為でした。
・ホテルから丸亀駅まではタクシーを乗る程でもないが、私には可成りの距離です。
- 丸亀から海岸寺へ電車で行きました。
- 昼頃駅に着いたら、サイレンが鳴りました。
- ・この日はスタートした時は薄くもりであったが、後から晴れて暑
- ・海岸寺は弘法大師が生まれたお寺だからお詣りしました。
- 門前に相撲の内掛け名人の琴が浜と大豪の像が建っていました。
- 二人も有名力士が出ているのはすごいなと思いました。


- ・詫間を目指しました。
- 5.5キロ程なので楽かと思ったら距離が違っていると思いました。
- 道は新しく綺麗で良かったけれど、行けども、行けども、詫間は出てきません。
- 食堂もコンビニも何もありません。人も歩いていません。
- 食べる物がなくてふらふらになりました。
- ・古い町並みの通リがあったので入ってみましたが店はありませんでした。
- 犬が吠えたので大きな道に戻りました。三豊市という所に入ったようでした。やっとはるか遠くに昇りの様な物が見えて食堂の様な建物が見えました。すでに6キロ以上歩いた感じでした。
- 飲み物だけ持っていて助かりました。
- なければ熱中症で倒れていたかもです。

- ・やっと食堂に着いたと思いましたが、2時で終わっていました。
- 運良く海鮮市場が開いていて、いかのゲソ天ぷらが残って売っていました。中に石田商店という乾物屋さんがありました。そこのおじさんがコーヒーを出してくれたり、お菓子を出してくれました。

- ・はたまた宿まで送ってやるから乗って行けと言われ、自分の旅の趣旨を説明してやっと分かってもら
- いました。
- それでも別れ際にお菓子と2000円まで頂いてしまいました。
- ・市場から詫間までは2キロありました。この距離は正しいと思いました。
- 今日から宿泊の善通寺のグランドホテルに着いたのは夜の8時。
- 食事はホテルの隣で済ませた。
- 宇多津と同系列のホテルだけど、規模は小さい。
⑨ 9日目(9月24日)善通寺~詫間~高瀬駅
・9月24日はホテルを10時20分頃出たが、善通寺の駅は予讃線でなく多度津で乗り換えるので詫間駅に着いたのは昼近くであった。薄くもりから時々晴の天気だった。
- 駅でタクシーの運転手さんに高瀬駅までの道を訪ねたら、8キロはあると言われた。ここは道が予讃線に沿ってないので遠回りをする様である。
- ・駅近くのローソンで買い物をしたあと、多度津の介護施設の福家さんから激励の電話を頂きました。
- 道順は単純で駅から橋まで21号で橋を左折して23号をどこまでもまっすぐという感じであった。
- ・23号に入って2時間くらい歩いた所にダイハツのショールームがありそこで道を訪ねたら、所長
- の山下さんが、親切にもお茶を出してくれたり丁寧な地図も書いてくれ、おまけに彼の持っていたオートバイの地図をくれました。

- ・信号を3つ越えた先を右折すると駅への近道だと書かれていました。
- ダイハツを出てすぐの小さな交差点を猿が横切ったのには驚きました。
・ところが、1つ目の信号が見えませんでした。
- 歩いても、歩いても、一つ目の信号は出てきません。
- その遠い事に驚きです。やっとの思いで一つ目の信号にたどり着きましたが、その先の信号もまたまったく見えません。
・信号を3つ越えてやっと駅への最終の近道にたどり着いたのは5時を過ぎていました。雨がぽつぽつ降ってきました。
・運良く高瀬駅までは本降りにならず、助かりまし
- た。
- 駅に着く頃には激しく降ってきて濡れてしまいました。
- ホームに行くのに、駅長さんが、歩道橋を渡らなくて良いように臨時の道で案内してくれました。
- ・右足に少しまめができました。右の臀筋が痛みました。
⑩ 10日目(9月25日)高瀬駅~観音寺
・9月25日は次の宿への移動日にして体調も崩れてきたので、歩行は休
- みにしました。
- 宇多津からの大きな駅ではどこでも“瀬戸の花嫁”が聞こえてきた。
- ・観音寺の簡保の宿に移動です。
- 電車の中で朝日新聞の人から電話があり、松山の人が私に会いたい旨を連絡してくれました。
- ・松山の中村さんという方から電話をもらい、親友が脳梗塞で倒れたので、松山に来たらお会いしたい
- ので宜しくお願いしますという事でした。
- 私はまだ観音寺なので今治あたりから連絡致しますという事で電話を切りました。
- ・簡保の宿に着いて、温泉に入って、のんびりしましたが、口内炎と唇が少し切れて醤油、酢、酒の時
- には沁みて痛くてあまり食事が楽しめなくなってきました。
⑪ 11日目(9月26日)高瀬~比地大~本山~観音寺
- ・9月26日は快晴でとても暑かったです。
- ・高瀬から観音寺を目指すので、体調も崩れているので無理は出来ないので念のためのSOSを準備して
- おいた。高瀬の駅のタクシーの運転手さんに道を聞いた。
・道が完全に電車の線路に沿ってないので、かなりの遠回り感が今日もあった。暑い日であった。写真で見るように、線路は道からどんどん離れて通っている。
・池に出たが、水が乾ききっている。乾いた池の向こう側に電車が走っているようだった。暑くてぼーっとして休みながら進んだが道は簡単で、13時には高瀬の次の駅の比地大の駅に着いた。
- ・観音寺の駅までは2駅6.5キロ。
- 昼食にする事にして食べる所を探すと、イタリアンがあったので入った。
- 残念ながら、その日は、食事は休みでケーキのみであったが、休みたかったので、コーヒーとケーキで昼食にした。
- ・休憩後、線路に併行している炎天下の道を進んだ。
- 距離は離れているけど電車が時たま見えるので安心感があった。
- 池の向こうの時はかろうじて電車が見える距離だった。
- 沿道の家の前で可愛い3兄弟妹が子犬を抱えて写真を撮らせてくれた。
- 疲れているので癒される。

- ・炎天下の歩行で体力の消耗が激しく、早く終わることにして、本山の駅が見える所で、朝、名刺をも
- らったタクシー会社に電話して簡保の宿に17時に帰った。本山は比地大から2.5キロ。
⑫ 12日目(9月27日)本山~観音寺
・9月27日は、本山から観音寺は4キロくらいなので、朝はゆっ
- ・川沿いを歩き始めてすぐに、観音寺市に入った。
- ・支払いした時に、お接待だと言って、お餅を頂いた。
- 私は遍路をしてるわけではないと言ったけど、頑張んなさいと言ってくれた。道を聞いて琴弾神社を目指した。神社には17時頃着いた。
- 神社の脇の川の橋を渡った所でタクシーを呼んで簡保の宿に戻った。

⑬ 13日目(9月28日)観音寺~豊浜~伊予三島
- ・9月28日、簡保の宿をチェックアウト。
- リュックは昨日伊予三島のホテルに送っておいた。
- 簡保の宿は温泉もあり、くつろげ、歩行もスローダウンしたので口内炎も多少良くなった。
・昨日タクシーに乗った地点までタクシーで戻り、21号を5.5キロ
- 先の豊浜を目指した。晴天で暑かった。
- 柞田川を越えた所にしゃれたカフェがあったので昼食にした。
- ・私は琴弾神社からは2.5キロ以上来たと思っていたが、店員は1
- キロだと言い、1キロなら直線の道なので神社が見えるはずなのにと思った。
- 電車がどこを走っているのか分からなから仕方ない。
- ・橋の標識には豊浜まで5キロとあり、どっと疲れた。
- 歩道は新しく綺麗であった。
- 歩道の脇の溝で、孫の為と言って、メダカを捕っているおじさんがいて、のどかである。

- ・日射しがものすごく強く、歩道に木陰のある所で休んだりした。
・通り掛かった高校生に道を尋ねたら、もう少し行くと、三豊病院があり。そこの側と教えてくれたがなかなか病院に近づかない。やっと混み合った町の交差点が見えてきて病院も見えた。
- ・日も暮れてきて、歩道に座って観音寺のタクシーに電話した。疲れて動けなかった。15分くらい待ってタクシーがやっと来た。
- 豊浜の駅はすぐであった。伊予三島まで電車で行く。伊予三島は大きな町である。製紙工場もあって大きな煙が煙突から上がっている。
⑭ 14日目(9月29日は休み。)
⑮ 15日目(9月30日)伊予三島~箕浦
・9月30日は2日か連続で休みたくなかったので、初めて雨具を付けて杖をついて小雨の中を歩いた。
- 豊浜から21号が11号に合流した。
- 11号は予讃線に沿っていた。
- 大平正芳の出身地らしい。
- 「大平記念通リ」とある。
・雨も上がり、温度的に今日は楽であった。石の彫り物を売っている所で昼食にした。お遍路の方も入っていた。
- 海岸線にあるおんぼろコンテナの駅舎の箕浦駅に16時頃着く。
- 工場の煙で空気が悪かった。
⑯ 16日目(10月1日)箕浦~川之江~伊予三島
- ・10月1日は部屋の空きがなく、連泊出来なかったのでホテルをマイルドという所に移動する事になっ
- た。歩いてから移動することにした。
- 起きた時は昨夜の雨の為、道が濡れていた。徐々に晴れてきた。
- ・箕浦から歩いてすぐ香川に別れを告げ、愛媛県に入った。
- 歩道が狭い上、家への出入り口が多く、道の高さが一定してなく歩くリズムが作れなく歩きにくか

・11号は産業道路で大きなトラックがひっきりなしに通リ、左
- 側の歩道を歩いていると後ろから来るトラックの爆風が怖くて、途中から右側の路肩を歩いた。
- ・少なくとも正面から来るトラックなら身構える事が出来るの
- ・川之江の工場の煙突が白煙を上げているのが見えてきた。
- ・海を見ながら昼食のおにぎりを食べることにした。
- ・対岸の遥か彼方に観音寺あたりが霞んで見え、“思えば、ここまでよくも歩いて来たものだ。

- ・サングラスのレンズガ無いのに気がついた。
- 右足の靴の底が見えて来ているのに驚きました。靴が限界であった。

・昼食後、歩いて行くと面白い名前のバス停があった。
- 箕浦から川之江までは8キロ。
- 大工仕事をしている人に道を聞いたら駅までは3キロと言われ、神社の所の信号を左折と言われ目指して歩いた。
・神社に着くと信号などないので近くのガソリンスタンドで道を聞いた。500メートルくらい先の信号を左折すればすぐと教えてくれた。
- 疲れていたので、ここから駅までの500メートルは本当に大変だった。
- ・駅に通じるアーケードに入ってからは50メートルおきに休まないと進めなかった。
- ・川之江から伊予三島に戻り、ホテルに預けた荷物を引き取り、ホテルマイルドに移動。
- 工事関係の人達が長期滞在しているようであった。
- マイルドの奥さんは気が合いそうな感じがした。
⑰ 17日目(10月2日)伊予三島~観音寺
- ・10月2日は歯茎も腫れて、口内炎、くちびるの出血で体も限界なので、観音寺の簡保の宿に静養に帰
- る事にして今後を考える事にした。
- マイルドの奥さんに私の名刺を是非見せたい人がいるので3枚余分に下さいと頼まれて差し上げた。
- 奥さんと娘さんと写真を撮ってお別れした。

- ・伊予三島の町自体は大きいが、駅で観音寺行きの電車を待っているとき、一時、私以外ホーム上には
- 誰もいなかった。簡保の宿の庭から瀬戸内海に沈む夕日を見たり、温泉に入り1泊したが気持の上の好転はなかった。

5)体調不良により中止の決断!
- 18日目(10月3日)観音寺~松山
・10月3日、口内炎、唇の出血で酒と食事がまったく楽しめなくなった。歯ぐきも腫れた。靴も限界、サングラスも駄目になった等を考慮して悔しいけど今回は中止にすることに決めた。
- ・今回は「パート1」で、体をオーバーホールして来年の春に「パート2」が出来るようにしようと思った。
- リタイアーしてしまい元気付けられるかどうか分からなかったが、電話を頂いた松山の中村さんに会う事にした。
- ・電話して今回は中止した旨を伝え、これから松山に行き、脳梗塞で倒れた友人の方にお会いしたいと伝えました。ものすごく喜んで頂いて、松山で待っていますという事で、到着時間が分かったら電話する事にしました。
- ・タクシーから降りた観音寺の駅前で飯田の久保田さんから電話がありました。体調不良のため、今回の旅は中止する旨を伝えました。
- ・特急の切符を買い、松山に向かいました。
- 松山駅に着くと中村さんと脳梗塞で倒れた友人の奥さんが待っていました。握手してまず昼食に行きました。
- ・昼食をしてから朝日新聞に行き、リタイアーを伝えました。
- 旅全体の事を伝えて、預けておいた荷物を東京に搬送して頂けるというのでお願いしました。
- ・朝日新聞から道後の簡保の宿に向かいました。
- ・脳梗塞で倒れた中村さんの親友は山積さんと言い、アスリートで過酷な鉄人レースに何回も参加した
- 経験のある高校の体育の教師と伺いました。
- 人間ドック等も受けていて倒れるまでは健康そのものだったようである。
- ・ましてや酒もタバコもやらない様な人が脳梗塞に倒れる様な事があるのだから不思議です。
- 私が訪ねた時に熱が出てしまい、お会い出来ませんでした。
- ・私の部屋で中村さんと山積さんの奥さんと話をしました。
- 中村さんと山積さんは共に松山の高校の体育の教師で、親友で中村さんが偶然朝日新聞の記事を見て、山積さんを勇気付けられるのは“これだ!”と思ったという事です。
- ・私が最初に倒れてからの話をして下さいと言われ、録音させて下さいとお願いされました。奥さんも
- メモを取っていらして、お二人の気持がひしひしと伝わってきて絆の強さに感動を憶えました。
- ・病気になってからの事とか、それ以来信念を持ってした事等をお話しました。色紙に何かメッセージ
- をお願いしますと言われ、座右の銘などない私は困りましたが、その時の気持だけを書く事にして、“ただ、歩く”と書きました。
- ・二人とも私の話に涙を流して喜んで頂きました。
- こんな俺でも人の役にたてる事があるんだなと、嬉しく思いました。
- 私は来年の春に再挑戦する旨を伝えてお別れしました。
- ロビーで撮ったスナップです。これが10月3日です。

6)再びの決意が…
19日目(10月4日)松山~東京
- ・温泉に入って1泊して、翌10月4日に松山から岡山を経由して新幹線で東京へ帰りました。
- ・東京駅から中央線に乗ったところに嵐柴さんから電話があり、新宿で待ち合わせる事にした。
- 嵐柴さんは私が落ち込んでいると気を使い、フォローしてくれた。
- ・宿毛の清家さんが夏の瀬戸内の気候は湿気が高く炎天下で歩けば消耗してしまうのは当然と慰めてく
- れました。私はすでにそんなには落ち込んではいなかったが、彼の気持は有難かったです。軽く飲んで、来年の春、再挑戦する事を伝えた。
- ・今度歩く時は時期を選んで、体調管理、靴の準備とか今回の反省をしっかりして望みたい等を話しま
- した。たった2週間でリタイアーしてしまったが、松山の山積さんに希望を与えられたのは良かったと思いました。
- ・私の胸に、静かなれど、確固たる再挑戦の思いを確認していた。
7)新しい未来を見つけるために…
- “神様は、過って二度目の試練をくれた。
- 誰もが二度と立ち上がれないと思った。
- 言葉も半分失ったけれど、いま、私は歩きたいと思う。
- 12年前に残した四国を「歩破」したいと思っている。
- もう一度、新しい未来を見つけるために… “

9.パートⅠ「再発しても人生は、終わりではない!」 TOPへ
|