高橋良三さん 連載記10 パートⅡ「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」(

10.パートⅡ「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」(2009/3/27)
高橋良三さん

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高橋良三さん今後の「連載記」発表計画

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パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

目次

(1)「NHKの教育テレビの福祉ネットワーク」への道
(2) 前回知り合った友人たちとの再会
(3) 四国横断再チャレンジの旅 :「67日間」の記録
(4) 400キロの四国横断徒歩の旅を終えて
(5) 400キロ四国横断の旅を振り返る
(6)「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」
(7) 私にとって生きるということ
(8) 最後に

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1)「NHKの教育テレビの福祉ネットワーク」への道


① トレーニング計画と1度目の失敗の教訓

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」2008年は1月のNHKの岸本さんからのメイルで始まりました。

    • 四国縦断徒歩の旅の続きを予定通り春に出発するならば旅の様子を30分のドキュメンタリーとして「NHKの教育テレビの福祉ネットワーク」という番組で全国放送したい旨の依頼でした。
    • 私は折り返し“予定通り”と返信しました。

  • ・ 2月に入って、岸本さんから正式に決定された
    • 旨の連絡を受けました。
    • 一度東京に打ち合わせに来ると連絡がありました。

  • ・ 私は昨年の失敗もあり、歩くタイミングを暑くなる前で梅雨に入る前にゴールしたいと思っていま
    • た。これを実現させる為には4月15日頃には歩き出すことに計画しました。

  • ・ それまでに、若干の歩行練習,3回は10キロを歩く事、前回、「がたがたになってしまった装具」
    • の補整備、靴のスペアーの用意、体調を整える事、薬の準備(血圧降下剤、口内炎にならないようビタミン剤、唇が切れた時のクリーム、靴擦れが出来た時の抗生物質、などなど)を3月末までに済ませることにしました。

② 取材と撮影

  • ・ 3月6日に岸本さんが徳島から東京に打ち合せに来ました。
    • 岸本さんは昨年夏からNHK徳島放送局でディレクターをされていますが、この番組は徳島放送局の仕事でなく、東京の仕事です。

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」昨年は私が女木島を訪れた際の思い掛けない旅の空の縁でした。
    • 2週間でリタイアーしてしまったので、まさかこのような展開になるとは全く想像もしていませんでした。

  • ・ 今後のスケジュール、番組のイメージ、撮影のスタイル等の打ち合
    • せでした。3月後半に一気の歩き込みをして靴擦れが出来てしまいました。痛みも出ましたが、出発前には治まりました。

  • ・ 4月8日に東京で撮影がありました。

  • ・ 世田谷の家での私の日常で、実際に撮影されたのは私が自分で朝食の準備をして食べた後、障害に
    • するインタビュー、三男のインタビューを経て、烏山へ移動して施設での母親への面会、仕事場の調布でPCに向かっているシーン等が撮影されました。

2)前回知り合った友人たちとの再会

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」4月10日に新宿から高速バスで京都へ岸本さんも一緒に出発しました。
    • 今回も岸本さんと知合った女木島に1泊することにしました。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • 桜が満開で綺麗でした。

  • ・ 龍宮の御主人に島中を車で案内して頂きました。奥さんも夕食後、高松の夜景が望める所に連れて行ってくれました。

  • ・ 夕食は龍宮の奥さんの弟さんが経営している“鬼旬”での食事を楽し
    • ました。最近テレビで紹介されたと言っていました。
    • 美味しかったです。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」翌日 昼頃のフェリーで岸本さんより一足早く高松に入り、半年前に知合った愛眼堂の宇野さんと
    • い、千萬で昼食して緒方さんにも会いました。

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」岸本さんとは「宇多津グランドホテル」で落ち合う事にしました。
    • 藤本さんが、エキストラチャージなしで、スイートルームを提供してくれました。

  • ・ 夕食は丸亀の鈴木さんの店に行きました。
    • 宇多津グランドホテルで1泊して翌4月13日に多度津の福家さんに会って、とても美味しいうどん屋さんに連れて行って頂きました。
    • 車で観音寺駅まで送って頂きました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 駅への途中、詫間で石田さんを訪ねました。
    • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」別れ際、石田さんがまたお菓子等を沢山くれました。

  • ・ 電車で伊予三島まで行きました。
    • ホテルで岸本さんと夕食をして前夜祭をして明日の出発に備えました。

  • ・ 出発までに前回お世話になった方々に会えて元気をもらいました。
    • 本当にみんなすてきな人達です。

  • ・ 岸本さんは福家さんと再会した時からカメラを回していました。

3)四国横断再チャレンジの旅 :「67日間」の記録


(1)再出発の日(第1日目・4月14日)川之江~中ノ庄町

  • ・ パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」4月14日(月)前回リタイアーした「川之江」から出発です。
    • 伊予三島まで川之江から駅間距離は6キロ。
    • 10時に駅を出発。

  • ・ 製紙工場に挟まれた11号を快調に歩く。
    • 空気が悪い。
    • テレビが入っているので気合いを入れて歩き出した。
    • バス停で座って昼食のおにぎりを食べた。昼食後、徐々に疲れが出てきて、道路状況も悪く体が右傾化して来ているのが分かった。

  • ・ 伊予三島駅を過ぎた所にスーパーがあり、甘い物を食べて休憩した。
    • 休憩しても疲れが取れず、どんどんひどくなった。晴天で日焼けもした。

  • ・ 三島駅から2キロ行ったあたりから疲れが限界に来て、道端のロープを掴んで歩いていたので、
    • 10キロ歩く予定だったが、8キロ地点で断念。
    • こんなに疲れるとは驚きであった。

(2)2日目(4月15日)中ノ庄町~伊予寒川駅

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」 4月15日(火)ホテルマイルドからタクシーで昨日の終了地点の中ノ庄町へ。

  • 9時半より歩き始めたが、スタート直後から体の右傾化が始まり、不調。

  • ・ 3キロ程歩いた所で挫折。11号から旧道を歩いて、伊予寒川駅へ。

  • ・ 駅に着く頃はへとへとで、こんな調子で宿毛までたどり着けるのだろうかと思った。折角、岸本さんが提案書を作って撮影してくれているのに悪いなと思った。駅から海が見えた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(3)3日目(4月16日)雨のため中止

  • ・ 4月16日(水)は雨だったので休みにした。
    • タクシーでマイルドが経営している温泉に行きリラックス。

(4)4日目(4月17日)伊予寒川駅~伊予土居駅

  • ・ 4月17日(木)は、雨の予報だったが、曇りだったので決行しました。

    • 11号は産業道路なので歩道の状況が悪く、歩道の傾斜、段差等で歩きにくく、すべて旧道を歩いた。排気ガスと車が少ないので気持よく歩けた。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」村山神社という由緒正しい神社に立ち寄り、旅の安全祈願をしました。







    パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
  • ・ この旧道沿いの家の庭には花の咲く草木を多く見かけました。
    • 春の花々を楽しんで歩きました。





  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 極めつけは、チューリップで一杯のお宅があり、声をかけたら、そこのきれいな奥さんが、偶然一昨日に伊予寒川の駅前で私を見かけて、“障害を持っても頑張っている人がいると勇気付けられた”と言ってくれました。高橋さんというお宅でした。

    • 私はへとへとの状況を見られてしまったなと思いました。

  • ・ 縁は不思議です。高橋さんはなんと、後で分かったのですが、嵐柴さんの松山の友人戸田さんの友
    • 人の友人でした。
    • 11号を横切り伊予土居駅に到着。
    • 2駅クリアーして9キロ程歩きました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 電車待ちの時間があり、駅前の松木屋という昔ながらの喫茶店でコ
    • ーヒーと甘酒を飲みました。
    • ホームにガラの悪い高校生が大勢いました。

(5)5日目~7日目(4月18日~20日)伊予土居駅~新居浜駅

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 4月18日、19日、20日 と歩き続け、伊予土居駅から新居浜駅まで19キロ歩いた。山道を歩いてショートカット出来たようである。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 多喜浜到着前に大阪の金山さんから“激励に来た”と電話があり、多喜浜駅で会うことにした。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 駅前の喫茶店で金山さんのインタビュー。
    • 金山さんはタイムドメインの仕事をした時に知り合いになりました。
    • 家族に障害を持っている人がいて、障害者に対する理解は有難いです。

  • ・ インタビューのとき、岸本さんに、私がどういう事が大変か、的を得た説明をしていました。
    • 歩道の傾斜とか段差にも苦労する等。
    • 帰りは、金山さんの車で、伊予三島のホテルマイルドまで、送ってもらいました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 18,19日は曇っていましたが、20日は晴天でした。

  • ・ 多喜浜から新居浜まで5キロ足らずの距離ですが、珍しく岸本さんも、
    • へとへとでした。日曜日で食堂が休みで、マイルドの経営する温泉に行き、そこで夕食も済ませました。

(6)8日目(4月21日)新居浜駅~中萩

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 4月21日(月)電車で新居浜へ。
    • ホテルもマイルドから新居浜ルートインへ移動。設備よく温泉の大浴場もある。駅まで送迎バスのサービスもある。
    • 岸本さんは一時徳島へ帰る事になった。
    • 今日から今治辺りまで、一人で歩く予定。

  • ・ チェックインして荷物を置き、バスで駅へ。中萩まで1駅6.5キロ歩こう
    • と、新居浜駅を昼頃出発。11号を歩き、新居浜病院のあたりから旧道に入って、曇っていたので、快調に歩いて7時半近くに到着。
    • 誰もいない駅で1時間電車を待った。温泉に入り、ホテルで夕食。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(7)9日目(4月22日)中萩~伊予西条

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 4月22日(火)中萩駅を出た所で散歩中のおばさんに会って、伊予
    • 西条駅までの旧道を教えてもらった。

  • ・ 晴天の下、人のいないのどかな田んぼ道をレンゲ、小さな花々、新
    • 緑を見ながら歩いた。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 鶯橋のたもとで、山菜の“いたどり”を採っているおばさんに写真を撮ってもらった。いたどりは南木曽の小椋さんのところで頂いた事があります。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 橋の向こうに洒落た自家焙煎のコーヒ
    • ー屋があったので、コーヒーとケーキで休憩した。

  • ・ 店の前の川に沿った道をアオイロードというアーケードを目指して
    • どこまでも真っ直ぐ歩けと伊予西条駅までの道を教えてもらった。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 真っ直ぐ歩いて行くとアオイロードは見えないが、右手の彼方に造船所が見えてきた。更に進むと街になったが、川も小さな溝の水路にいたるまで水はとてもきれいであった。流石“水の都西条”と言われるだけあると思った。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ やっとアオイロードにたどり着いた。左へ500メートルくらい行くと伊予西条の駅である。
    • 駅への歩道も綺麗であった。駅間距離で7.5キロだが実際はかなり遠回りして駅まで歩いた。17時15分駅に到着。

(8)10日目(4月23日)伊予西条~石鎚山駅

  • ・ 4月23日(水)午前中電車で新居浜から西条へ、ホテルも「西条ルートイン」へ移動。
    • ここもラジウム温泉の大浴場があって、新しくて綺麗。
    • チェックイン後、駅に戻り、2時頃から噴水のある水路を眺めながら、11号に出て、石鎚山駅に向かった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 「うちぬき」というわき水の井戸があった。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • 駅まで1.5キロくらいの地点に来たけど、駅の気配がなかった。
    • やっと線路が見えてきて、駅に近づいたあたりから雨が降ってきて駅の入り口にある鳥居の所では、ずぶぬれになった。

  • ・ そこから駅前でタクシー会社を営業しているおばさんが傘を差し
    • て、駅まで送ってくれました。ここでも誰もいない駅で1時間電車を待った。

(9)11日目~12日目(4月24日~25日)石鎚山駅~玉之江~ホテル

  • ・ 4月24日(木)は終日雨でのんびり過ごしました。
    • 翌25日は、晴天で、石鎚山駅から11号を経て旧道に入った所でおばさんからデコポンを頂く。伊予氷見駅を経て伊予小松駅へ。駅で昼食。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 遍路100回という人から金のお札を頂く。
    • 3時を過ぎていたが、玉之江駅までクリアーしようと出発。
    • 11号から今治へのルート196号へ入る。麦畑を通過
  • ・ 大きな川を越えた所に竹林があり、鷺が群れて”巣を作っていた。

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  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 東予市に入り、
    • 太陽が低くなってきて前方に電車の踏切が見えてきた。





  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ やっとの思いで 玉之江駅に7時過ぎに到着。
    • 3駅クリアーして8.2キロ歩く。ホテルには8時頃戻った。
    • 伊予西条は秋川雅史の郷土のようだ。駅前に昇りが立っている。



(10)13日目(4月26日)ルートイン西条~玉之江~伊予三芳

  • ・ 4月26日(土)ルートイン西条をチェックアウトして今治駅に電車で行く。駅で仲野純一君が待っ
    • ていてくれた。仲野君は高校大学を通しての友人である。アーバンホテル今治にチェックインして荷物を置いて、1駅戻って玉之江駅に。

  • ・ 今日から仲野君が一緒に歩いてくれるので心強い。
    • 小さな田んぼ道で鯉のぼりや麦畑を見ながら任生川を通過。
    • 更に行くと、つつじが植えてある道を通リ、川では灰色の鷺を見て、伊予三芳駅まで2駅クリアーして8キロ歩く。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 駅近くの歩道で靴が限界に来ているのに気づいた。
    • 夕食はライトアップした橋が見える“伊予水軍”という割烹屋で、美味しい魚を食べました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(11)14日目(4月27日)伊予三芳~伊予桜井

  • ・ 4月27日(日)晴天で、伊予三芳駅から少し行くと新緑と小さな花一杯の緑が萌えている綺麗なの
    • どかな道を歩き196号を目指した。
    • 196号に入る前から腹の調子が悪くなり、運良くガソリンスタンドがあり、間一髪であった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ その後初めての峠越えがあって西条市から今治市に入った。
    • 沿道の家の庭は花で一杯だった。9キロ程歩き伊予桜井駅に。
    • 桜井は漆器で有名らしい。夕食はイタリアンのファミレスに行った。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(12)15日目(4月28日)伊予桜井~今治

  • ・ 4月28日(月)晴天の下、伊予桜井駅から立派な瓦の家や立派な鯉のぼりを立てている家を見なが
    • ら歩き、国分寺の入り口で休憩。
    • タオルを売っている店でお接待を受ける。
    • アイスクリームをごちそうになった。記念のタオルまで作ってくれた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 国分寺を出て、背の高い今治タワーホテルを目安に路地を歩いて駅を目指すことにした。

    • 川を超す時はへとへとで塀や手すりに手をかけてかろうじて歩いた。今治市役所で休憩して線路際の道を駅に向かった。

  • ・ 今治駅に到達して川之江駅からの駅間距離のトータルは90キロ、実際にはショートカットより余
    • 分に歩くことが多いので、100キロ以上歩いて来たことになる。靴も駄目になるはず。

  • ・ 夕食は“磯海楽”という炉端焼きで地元料理を楽しんだ。
    • 今治名物の焼き鳥は鉄板焼きで皮を焼いたもの。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(13)16日目(4月29日)今治~波止浜~今治

  • ・ 4月29日(火)仲野君と歩ける最後の日である。
    • ホテルから裏道を通リ317号に出て波止浜駅へ。
    • 5.3キロ歩いた。晴天で暑かった。
    • 来島海峡大橋を見て、駅に到着。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 電車で今治に戻り、寿司水軍という回転寿司で昼食。腹一杯食べた。
    • 食後、タクシーで今治城に寄ってもらいホテルに帰る。
    • 仲野純一君は東京へ帰った。彼がいた間、安心感があり、歩行にも慣れてきて距離が稼げた。
    • 靴はいよいよ限界。岸本さん徳島から合流。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(14)17日目(4月30日)今治~波止浜~波方

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 4月30日(水)10時頃、松山の中村先生、ホテルに到着。半年ぶり
    • の再会。
    • 中村さんの車で伊予北条の「太田や」まで送ってもらう。
    • 夕方まで私の部屋で撮影と今後の段取りを打ち合せした。
  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 中村先生の松山-大洲間の生徒達のマラソンの話に思わず涙した。
    • 中村先生に伊予北条の駅まで送ってもらい、波止浜駅まで戻り、波方まで3.1キロ歩いた。

    • 「太田や」は遍路宿として有名で食事の内容が良かった。鯛飯は最高。

(15)18日目(5月1日)波方~大西

  • ・ 5月1日(木)今日から靴を新しいのに替えた。
    • 電車の本数が少なく波方に着いて歩き出したのが、昼近くだったので、亀山まで行けずに大西まで4.4キロが精一杯だった。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 「太田や」の夕食は、昨夜と違う炊き込みご飯だった。
    • 2種類のご飯。

  • ・ 夕食後、遍路をされている老人が、足の痛みに効くからと枇杷の葉
    • を勧めてくれた。焼酎を1杯ごちそうになる。

  • ・ きはだの木の黄色い1片を焼酎に1晩漬けて飲みなさいと頂きまし
    • た。私が足を引きずっているので歩き過ぎて痛いのではと勘違いされたようだ。

(16)19日目(5月2日)大西~松山

  • ・ 5月2日(金)中村先生の車で松山,道後の簡保の宿に移動。
    • ゴールデンウイークだったので、早くから予約して長期で部屋を確保しておいた。

  • ・ 朝食の時に話をした若い女性が、なんと経堂5丁目で桜丘小学校の後輩でびっくり!昨夜の老人か
    • ら札を頂くと住所が生田であった。
    • 小田急沿線で又奇遇でした。

  • ・ この老人の連れで高松から遍路をされている男性からお接待と言われ、1,000円頂きました。
    • 「太田や」の御主人が脳内出血で入院されているというので、松山に行く途中、奥さんと一緒に立ち寄り激励しました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 岸本さんは、簡保の宿が満室で道後のビジネスホテルに泊まった。

  • ・ 私は、簡保の宿にチェックインしてから、中村先生と山積さん宅へ行った。
    • 山積さんとは初めての対面をした。
    • 奥さんとは半年ぶりの再会。

  • ・ 兎に角、私は春に戻って来るという約束が果たせたので嬉しかった。
    • 後遺症が重いと聞いていたので、その割にはしっかりしていると思った。
    • さすが元鉄人である。5月6日に簡保の宿の庭で一緒に歩くことにした。
    • 昨年10月の約束を実行出来る。

(17)20日目~22日目(5月3日~5日)大西~大浦

  • ・ 5月3日(土)から5月5日(月)にかけて、大西駅から大浦駅まで駅間距離で15キロ歩く。
    • 簡保の宿から松山駅に出て、前日の駅に戻ると、電車の本数も少ないが、松山駅からも遠いのでどうしても歩き始めが午後になってしまい距離が伸びなかった。5キロ平均。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 3日は晴天で綺麗な瀬戸内海を眺めながら、伊予亀岡まで歩く。
    • 4日は菊間駅まで。たいした距離(4キロ)も歩いてないのに、最後の1キロは疲れた。

  • ・ 夕食は嵐柴さんの友人の戸田さんのもつ鍋屋さんに行く。
    • もつ鍋は初めてであったが,美味しかった。
    • お店は息子さんが手伝っていて繁盛していた。

  • ・ 5日は菊間から浅海まで5キロ歩く。
    • 菊間は瓦の町で、立派な瓦屋さんをのぞいたら、82歳と言っていたが驚く程若い奥さんがコーヒーとお菓子を出してくれた。
    • 別れ際、無事に帰れるようにとカエルの置物をくれました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ この奥さんの弟さんが絵描きで、現在は、脳梗塞で闘病中。
    • 浅海の駅に近い所で、針灸師の徳永さんに声をかけられる。
    • リハビリの先生もしていて脳卒中の患者への理解は深そうであった。

  • ・ これから遍路をして、今治で開業すると言っていた。

  • ・ 浅海駅で脳梗塞になった事のある老人と電車で隣あわせに座った。
    • この老人はリハビリもせずに良くなったと言っていた。
    • 見た目は健常者と変わらない。
    • 脳卒中の患者は千差万別で運次第。

(18)23日目(5月6日)浅海~大浦

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 5月6日(火)快晴の綺麗な海辺をだらだら歩いて、浅海から大浦
    • のたった3.5キロを3時間も掛かって不調でした。
    • 3時半頃、中村さんと落ち合った。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 車で海の見える高台にある北条高校の施設の様な所へ行き、山積さんに歩く場所の希望を聞いて、簡保の宿に決まった。

    • 早速、車で山積宅へ向かい、夫妻2人をピックアップして簡保の宿へ。



  • ・ 山積さんは外の景色を見て、この山道を昔は良く走ったと言っていました。今治高校に勤めて
    • いた時は北条から今治を走って通っていたと言うのだから驚きです。本当に超人的な人だったのだと思います。

  • ・ 2時間程、私の部屋で山積夫妻と中村さんとで色々話をしてから宿の玄関前で一緒に30メートル
    • 程歩きました。
    • 残念ながら、岸本さんは、撮影は出来ませんでした。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 鉄人だった山積さんが突然脳梗塞に倒れ、体の自由が奪われた気持を察すると本当に苦しかったと
    • 思います。
    • 凡人の私でも倒れた当初は後悔ばかりで病気の受容には時間が掛かりました。とりあえず、30メートルも歩いて、回復への第一ステップとして焦らず、焦って、あきらめずに進んで欲しいと思いました。

(19)24~25日目(5月7日~8日)大浦~伊予北条~柳原~粟井~光洋台

  • ・ 5月7日、8日の2日間は晴天で大浦から伊予北条—柳原—粟井を経て光洋台まで歩いた。
    • 駅間距離で10.8キロ。伊予北条は土佐礼子選手の出身地。
    • 196号を歩き、対岸に太田やの別館の見える浜で休憩して7日は早く切り上げて、太田やで夕食にした。鯛飯はうまかった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 8日の粟井から光洋台の2キロはきつかった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(20)26日目(5月9日)光洋台~松山

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・5月9日(金)は頑張って松山まで11-12キロ歩くことにした。
    • 前半のハイライト。



    • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」光洋台は山積さんの最寄り駅である。
    • 起床時は不調であった。光洋台駅を昼少し前に出発。

    • 天も味方してくれ曇り空。196号の綺麗なバイバスを歩く。

  • ・ 最初のトンネルを超し、歩道の状況が良くて、一定のリズムで歩き出したら調子が出てきた。神風が吹いたようだった。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ トンネルを2つ超して1キロに及ぶ登り坂にさしかかったとき,急に
    • 体が軽くなり、一気に坂を上れると思って、思わず岸本さんに“出来るよ”と告げて一気に登った。登りきった所で休憩。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 坂を下った所にあった和菓子屋でも休憩して坊ちゃん団子とお茶を頂く。
    • 6時半頃やっと松山城が見えてきた。
    • 残り1.5キロの所で小雨が降ってきた。
    • 8時に、ついに松山駅に到着
    • 晴れていたらこの距離は出来なかったと思う。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 歩道も良く、坂に差し掛かる前に血流が改善して体が軽くなり幸運が重なった。これで川之江を出
    • 発してから駅間距離で150キロ来た事になる。
    • 前回の倍の距離。うれしい!岸本さんとお祝い。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(21)27日目~30日目(5月10日~13日)休むこととした。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 5月10、11、12、13日まで休む事にした。
    • 10日の土曜日は夕方から岸本さんと道後温泉に行った。
    • 道後温泉の中の風呂場への階段は狭くて急であった。
    • 風呂の中も足場が悪かった。
    • 夕食は戸田さんの店に行く。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 11日の日曜日は中村さんが後輩の先生の藤堂さんとおいしい魚の店で夕食をしました。
    • 食事に行く前に
    • 駐車場で藤堂さんの3人の子供達に会った。美男美女である。春菜、明莉、翼。魚のあらを持ち帰り、藤堂宅でスープを作ってくれた。奥さんにもお会いした。
    • 帰りに翼君の作った小さな花束をもらう。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 5月12日はテレビのインタビュー。のんびり過ごす。

  • ・ 5月13日(火)は藤堂さんが有休を取って、車で松山から先の道の下見に連れて行ってくれまし
    • た。
    • 長浜、大洲、八幡浜、宇和、内子と回ってくれイメージが出来て本当に助かりました。
    • この後も、愛南柏の宿も手配して頂いたり、藤堂さんには感謝です。

(22)再始動!31日目(5月14日)松山~北伊予

  • ・ 5月14日(水)再始動。松山~宇和島間100キロへ旅立ちです。
    • JR松山駅から松山市駅を通リ、中村坂を越えた所の公園でインタビュー。
    • 岸本さんから山積夫妻からの手紙をもらい、涙が出ました。
    • 私の様の者でもお役に立てたなと思い、山積さんの引き続きの回復を祈る。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 16号で市坪から北伊予へ。炎天下7キロ歩く。岸本さんとお別れ。
    • 中村先生、山積さん夫妻、私と全員が、岸本さんを好青年と感じ、本当に人柄の良い人だと思いました。
    • 3キロの重さのカメラを持っての、毎日の撮影は大変だったと思います。ご苦労様でした。

(23)32日目~37日目(5月15日~20日)北伊予~伊予長浜

  • ・ 5月15日(木)から5月20日(火)に北伊予から伊予長浜まで駅間距離で32.8キロ歩く。
    • 18日まで毎日晴天で暑かった。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 15日は16号、23号、56号、378号を通リ、3駅クリアーして8キロ歩いて伊予市駅に着く。

    • 朝日新聞の金島さんから23号を歩いている時、電話があり、厚生年金のウエルピアで取材の打ち合せをしました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 翌16日は2週間滞在した簡保の宿から厚生年金のウエルピアに移
    • 動。簡保の宿で親切にも車を出してくれ送って頂いた。
    • チェックインして伊予市駅まで送ってもらい、向い原まで2.7キロ。
    • 昼過ぎに出発して鰹節の大手の会社が並ぶ378号を歩き、2時25分に向い原駅に到着。楽勝だった。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 17日は向い原駅から。初めての大きな2キロの峠越えをした。
    • 今治や北条の峠よりきつかったが、藤堂さんの車で下見した時は大変だと思ったが、結構景色もよく新緑を楽しみながら歩けた。

    • 大変だったのは378号から高野川駅に通じる道の傾斜がきつかった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 18日は、高野川駅から伊予上灘を経て下灘駅8.6キロ歩く。
    • 高野川の駅前に棚田があった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 朝日の金島さんに下灘駅で歩いている姿とホームで写真を撮ってもらい、ウエルピアまで車で
    • 送ってもらいました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 下灘駅の夕日は寅さんで有名。昼間晴れて暑かったが、夕方から曇って夕日は撮れなかった。
    • 19日は下灘から串を経て喜多灘まで6キロ歩く。
    • 最後の1.5キロは雨に降られずぶぬれになった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 親切な人が車を止めてくれ駅まで送ってあげると言われたが、ありがたかったけれど、お断りして
    • 駅まで歩いた。
    • 駅への階段は急であった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 20日は雨が上がり晴天になった。伊予長浜駅まで5.1キロ。
    • 向かい風ではあったが378号を気持よく歩いて2時15分に駅に着く。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 初老の男性から、朝、風呂場で声を掛けられました。
    • 天橋立から来ているすごい夫婦。御主人、悪性膵臓がんであった。
    • 奥さん、くも膜下出血・車椅子・失語症という状況の中、毎月小旅行で小さな楽しみ。
    • それにしてもすごい。感動した。

(24)38日目(5月21日)大洲のビジネスホテル太田に移動

  • ・ 5月21日(水)ウエルピアから大洲のビジネスホテル太田に移動。
    • 受付の奥さんは若くて綺麗。レストランの女性もきれいであった。
    • 昼も夜もこのレストランで食事した。

  • ・ 中村先生から電話をもらい、間近に迫った“夜昼トンネル”を一緒に歩いてもらう事をお願いした。
    • 飯田の久保田さんからも電話があり、テレビ放送が6月4日にある旨伝えました。

(25)39日目~40日目(5月22日~23日)伊予長浜~伊予大洲

  • ・ 5月22日(木)と5月23日(金)の2日間で伊予長浜から伊予大洲駅間距離で16.4キロ、
    • 実際には19.5キロ歩いた。
  • ・ 22日は伊予白滝まで2駅クリアー。
    • 山河ありという感じの肘川沿いを歩いて気持よかった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 23日は八多喜、春賀、五郎、伊予大洲の4駅クリアーして12キロ程歩いた。昨日に引き続き県道
    • 24号を歩く。肱川で筏流しがあった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 伊予大洲駅に着いた時はすでに8時を過ぎており、さすがにふらふらで
    • あった。正直、駅が見えた時は、ほっとした。

    • 大洲に着いて川之江からは200キロ以上歩いた事になり、2足目の靴もそろそろ限界なので、八幡浜に靴の替えを送ってもらう事にした。

(26)41日目(5月24日)土砂降りの雨で休息日。Good Timing.


(27)42日目(5月25日)伊予大洲~トンネル

  • ・ 5月25日(日)腹の調子が今一で出発には決心がいった。
    • 10時にホテルを出る。
    • 出発時は曇っていたが、徐々に晴れて日射しが強くなり暑かった。

  • ・ ホテルの前の56号を歩く。
    • 大洲城を見て肱川を越えて270Mのトンネルを越えて197号に入った所で道を訪ねた女性が、1080Mのトンネルに入る手前で、御主人の車で私を追いかけてくれて、八幡浜まで送りたいと言ってくれた。
    • 旅の趣旨を説明して辞退しました。それにしても親切な人がいるものだ。
    • 人の暖かい気持ちが嬉しくなりました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 1080Mのトンネルは一気に通過。あまりにも暑かったので喫茶店に入り休憩。これでもかという
    • 長い坂を1時間半かけて登りきり、500メートル先の夜昼トンネルの手前に中村先生を発見。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ トンネル入り口に17時丁度到着。
    • 7.6キロ。ものすごくきつかった。
    • ふらふらで中村先生と握手。今までで一番のきつさ。
    • 中村先生にホテルまで送って頂く。
    • 明日の打ち合せをして別れました。
    • 食堂が休みで近所のイタリアンで夕食。

(28)43日目(5月26日)トンネル~八幡浜

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 5月26日(月)いよいよ最大の難関「夜昼トンネル」である。
    • 中村先生が奥さん同伴でホテルに迎えに来てくれた。
    • 11時40分にマスクを付けてトンネルに入る。
    • 安全のため、中村先生に一緒に歩いて頂いた。
    • 2141Mを1時間24分で歩き抜いた。

  • ・ トンネルを抜けて197号を行くと、千丈の手前の道路の下の草むら
    • に狸を目撃した。枇杷の木が沢山植えてある。
    • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」八幡浜駅に18時30分着。

    • 駅前で中村先生の奥さんと娘さんに合流してホテルまで送ってもらう。
    • 疲れて夕食があまり食べられなかった。何時もの半分くらい。

(29)44日目(5月27日)八幡浜~ホテル

  • ・ 5月27日(火)さすがにこの2日間の強行軍で体がバラバラ。
    • 特に左半身に神経的な痛みが出て、ゆっくり眠れなかった。
    • 11時30分まで部屋でのんびり過ごして、ホテルの食堂で昼食を済ませ、チェックアウト。
    • ホテルの女性がみんなきれいだったので名残惜しかった。

  • ・ 大洲発13時8分の電車で八幡浜へ移動。
    • 駅から歩いて、中村先生の後輩の倉田先生に予約して頂いたホテルニュートヨへ。300円払って1週間分の洗濯をしてもらった。
    • 夕食はホテルの並びの食堂で鯵飯、中生ビール付きで1820円は、安くてうまかった。

(30)45日目(5月28日)ホテル~川亀酒造の前

  • ・ 5月28日(水)疲れが残っていたので休もうかと思ったが、10時にホテルを出て、
    • 197号、378号、25号、25号の旧道を川に沿って歩いた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 古い町並みを抜けて25号に合流した所から大粒の雨が降ってきた。
    • タイミングよく空のタクシーが通リかかったので、川亀酒造の前で歩くのを止めた。12時45分頃ホテルに戻った。
    • 雨は本降りになった。夜はファミレスへ雨の中を歩いた。

(31)46日目(5月29日)川亀酒造の前~25号

  • ・ 5月29日(紀)9時20分 川亀酒造前を出発。
    • 25号を五反田川に沿って歩いた。飲み物を買ったお店の奥さんが、川に蛍が戻って来ていると言っていた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 歩道のない右下がりの狭い路肩の所々に草が生えている不安定なドブ板の上を登って歩いた所もあり、晴れて暑かったのですごく疲れた。
    • 出発してから双岩駅まで2.5キロくらいの距離だと思うが、ずーっと登りで駅に13時に到着。4時間近く掛かった。
    • 山の中で緑がきれいであった。

  • ・ 夜昼トンネルの前日の昇り坂よりきつかった。
    • 暑さで疲れがひどく、ビールが飲みたくて店を探したが見つからず、継続する気力がなく、早めに切り上げることした。
    • 余り長時間昇り坂を歩いたので、右足の親指の付け根が痛くなった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 夜は中村先生の後輩の倉田先生に紹介して頂いた市役所の前の”高松屋“という寿司屋に行きまし
    • た。倉田先生が合流してごちそうになりました。
    • 鯵が抜群に美味しかった。所謂、関鯵と同じだが四国ではブランド化してないので手頃に食べられるという事だった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(32)47日目(5月30日)双岩~伊予石城

  • ・  5月30日(金)八幡浜駅を8時35分の電車で双岩へ。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • 9時から歩き始める。
    • 1時間半登って,やっと最初のトンネル、466M. 20分で通過。
  • ・ トンネルを抜けると橋で五反田川の源流の上に掛かっている。



    • 橋の下に棚田が見える。
    • 橋の向こう側にトンネルが見え、引き続き登っている。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ トンネルに入る直前に岸本さんから電話があった。1157Mを47分で通過。
    • トンネル中程まで登りで、足が痛くなった。曇り空で助かった。
    • 川亀酒造からこの間5キロ程ずーっと登りで大変だった。
    • “ふざけんなよ”と思った。それでも棚田の景色のご褒美があり報われた。

  • ・ 1157Mのトンネルを抜けると眼下に平野が広がり、伊予石城の駅が彼方に見えた。駅に13時着。
    • 双岩より4.5キロ歩いた。
    • 駅前のたこ焼きで昼食。
    • 夜は最初の晩に行った店で鯛飯を食べる。

(33)48日目(5月31日)雨のため休み

  • ・ 5月31日(土)雨の予報だったので休みにして疲労回復に勤め終日のんびり。
    • 鯵の味が忘れられなくて、また、高松屋に行く。奥さんは美人だ。

(34)49日目~50日目(6月1日~2日)上宇和~卯之町

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 6月1日(日)八幡浜を8時35分の電車で出発。

  • ・ 伊予石城駅の前から、昨日降りて来た山と道を撮影。



  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 9時35分から25号を歩き出すと、若い女性が、お茶でもと声をかけてくれた。
  • 若かったので、アルバイトの学生が田植えの手伝いをしているのかなと思ったら、御主人と一緒であった。
  • 晴れて気持の良い日である。


  • ・ 11時40分に上宇和駅に到着。
    • ホームで昼食して、卯之町に向けて12時56分に出発。56号に出て、卯之町駅へ近づくにつれて町並みが賑やかになって来た。

  • ・ 2時15分にに到着。2駅、5.5キロ。

  • ・ 翌2日(月)は八幡浜から今日も8時35分発の電車で卯之町駅へ。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 駅に着くと雨が降ってきたので、歩くのは中止にして、中村先生に
    • 電話してこの先の法華津トンネルの下見をする事にした。

  • ・ ホテルに戻って中村先生を待った。下見へ。
    • トンネルと中の道の状況は、歩道はなく、路肩の所々が濡れていて、暗く狭かった。東京から靴の替えが届いた。

(35)51日目(6月3日)八幡浜から宇和島へ

  • ・ 6月3日(火)八幡浜から宇和島へ電車で移動。
    • 宇和島駅で、川越君の奥さんの愛ちゃんの実家のお母さんの鈴木さんが出迎えてくれた。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 駅前の宇和島ターミナルホテルにチェックインして、宇和島藩の庭園天赦園で昼食。
    • 宇和島の鯛飯をごちそうになり、庭を散歩、しょうぶが綺麗だった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 宇和島藩は、伊達藩の分家で有名な香木の展示があると猪俣さんに聞いていたので、見に行こうと
    • したが、展示は中止になっていたので、香木の事等が載っている本を猪俣さんへのおみやげとして買った。

  • ・ 庭を見学した後、街を回って三間の鈴木さん宅へお邪魔した。
    • 大きなお宅で庭石もすばらしかった。御主人も仕事から帰ってきて、夕食までもごちそうになり、ホテルまで送って頂いた。

(36)52日目(6月4日)卯之町~立間

  • ・ 6月4日(水)鈴木さんの奥さんがホテルに来て、卯之町駅まで車で送ってもらいました。
    • 宇和島からすぐの所にすごい峠がありました。
    • 今日は難所の一つ。

  • ・ 念の為、山の中を9キロ歩けるか分からなかったので、中村先生に立間駅の手前で待機をお願いし
    • た。今日から靴を3足目に替えた。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 卯之町駅を10時に出発。
    • 1320Mの法華津トンネルは歩道がなく暗く水浸しになっている所が多かった。トンネルの中でパトカーに呼び止められて、危ないので乗りなさいと言われ、旅の趣旨を説明していたら、渋帯してしまい、なんとか辞退して行ってもらいました。

  • ・ その後、9本の短いトンネルクリアーして立間駅に16時15分着。
    • 中村先生が立間駅の手前1.5キロくらいの所で待っていてくれた。
    • 今日はきつかったけれど途中の宇和海の景色はきれいだった。
    • 難所がクリアー出来ホットした。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 夕食は角屋という郷土料理屋へ行く。
    • 美味しかった。
    • テレビが放送された。なんか恥ずかしい。

(37)53日目(6月5日)立間~宇和島まで7キロの標識の所

  • ・ 6月5日は(木)はホテルの社長の渡辺さんが立間駅まで車で送って頂いた。車の中で、私がテ
    • レビのインタビューで、健常者も同じと言ったのに共感して頂いた。
  • ・ 11時に駅から旧道を歩いてから56号に出て、伊予吉田駅を過ぎてから海辺を暫く歩いて、“魔の
    • 知永峠”へ。勾配7度。時々後ろに倒れそうになった程でここの勾配はきつかった。
    • 1.4キロの登りが続きカンカン照りの晴天の下、へとへとで峠に着いた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ ちょうど喫茶店があり、休憩した。

  • ・ 宇和島まで7キロの標識の所に渡辺社長が待っていてくれた。
    • 助かった。
    • 予定の高光駅までは行けなかった。5.5キロ。17時終了。

(38)54日目(6月6日)知永峠~宇和島

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 6月6日(金)渡辺社長に送ってもらい知永峠へ。10時出発。
    • 快調に坂を下って1時間後、私の前に軽自動車が停車して、テレビを見たと言って、お茶を頂いた。



  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 彼のお父さんが2ヶ月前に脳卒中で倒れ、現在、松山で、入院中とのこと。彼らにとって、私の存在は、希望の星と言われ嬉しかった。久保田さん。暑い日射しで疲れた。



  • ・ 宇和島に入る手前から山を破壊して高速道路を作っていた。
  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」あれほど環境破壊をして高速道路を作る意味は?
  • 石原都知事が、東京で森を沢山作ると言っている一方で広大な山が失われている。矛盾を感じて、もっと、うまく税金が使えないものかと思う。



  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 私は56号にちょっと手を加え生活道路として整備すれば問題ないの
    • ではと思う。
    • 16時15分 「宇和島駅」到着。
    • 駅前でテレビを見たという鈴木さんの友人の女性に会った。

(39)55日目(6月7日)宇和島~清水

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 6月7日(土)今日からバス路線を宿毛まで64.3キロを歩く。
    • 9時半ホテルを出発して駅前通りを経て56号に入る。
    • 5つのバス停をクリアーして清水へ。7.3キロ歩く。
    • 歩道の状態が一定してなく歩きにくかった。

  • ・ 高速道路の工事で渋滞が起きていた。清水のバス停でバス待ちし
    • ている時、釣りの帰りの藤堂さんが偶然通った。
    • 曇りだったのでさほど疲れなかった。

(40)56日目(6月8日)休息と下見

  • ・ 6月8日(日)曇りで休息と下見。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • ホテルの渡辺社長の好意で明日の松尾トンネルの下見。
    • トンネルに入る前の登りが長くきつそうであった。
    • 下見の後、海岸線を観光して頂いた。
    • 段畑で有名な遊子(ゆす)に行く。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ ここで収穫されるジャガイモはブランドになっており高く売れる。
    • 鯛、はまち、真珠の養殖が盛ん。
    • 遊子は水産研究所を自前で持っており、漁業組合の貯蓄高は日本一。
    • 夕食する“角屋”では毎晩遊子の焼酎を飲んでいます。

(41)57日目(6月9日)清水~岩松営業所

  • ・ 6月9日(月)清水のバス停を9時40分に出発。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • トンネルまで2.2キロを1時間半でクリアー。松尾トンネルの歩道は良かった。水漏れは1カ所のみ。48分で通過。
    • 今日歩いた56号の歩道は良かった。

  • ・ 岩松営業所へ14時55分到着。営業所到着前に熊のぬいぐるみを持っ
    • た夫妻がTVを見たと声を掛けてくれました。
    • 晴れて日射しは強かったが、風が気持よくそれほど汗はかかなかった。
    • 7キロ歩いた。“角屋”で61歳の誕生日を祝った。お祝いを頂く。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(42)58日目(6月10日)岩松営業所~嵐

  • ・ 6月10日(火)8時35分宇和島発のバスで岩松営業所へ。9時20分に出発。川を見ながら歩く。
    • 川から離れた所で織部さんから電話が来た。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 更に行くと、車ですれ違って私に気付き、コンビニでお茶、おにぎり3個、エネルギードリンクを買って、テレビを見て感動したと言って、差し入れしてくれました。高田さん。

  • ・ 昼頃、於泥に着いた。ここから畑地までの2.2キロがすごく長く感じられた。標識が違っているのではと思った。2時間掛かってバス停へ。
    • 疲れ果て、バス停で昼食して次の大門を目指す。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 出発時は晴れていたが、その後曇って、大門のバス停に着く頃には、雨が降ってきた。雨の様子を
    • 見る為と休憩を兼ね、紅茶を飲んだ。
    • 雨次第でバスに乗って戻ろうかと思った。
    • 小雨より強くならなかったので、次の嵐を目指し出発した。

  • ・ 小雨の中を歩き始めたら、足の痛みもなくなり,体も軽くなり、坂を上り、トンネルを一気に越え
    • て、激しくなった雨の中を嵐に16時40分到着。2度目の神風が吹いたようであった。8キロ。3日目で、22.3キロ。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(43)59日目(6月11日)愛南柏の旭屋に移動

  • ・ 6月11日(水)雨で藤堂さんが予約してくれた愛南柏の旭屋に移動した。
    • ホテルでスタッフの方々と写真を撮り、渡辺社長にバスセンターまで送ってもらう。
    • 渡辺社長には松尾トンネルの下見、度々の送迎をして頂き感謝です。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ バスセンターで宇和島交通の岩本さんに会って路線バスの停留所と距離に就いて教えてもらった。
    • 10時40分のバスで愛南柏へ。
    • 旭屋はバス停の真ん前。トイレと風呂は共同だが新しい設備で清潔。
    • 早速昼食にしてビールも飲んだ。700円なのにとても良い内容。

  • ・ 部屋で“ただ歩く”の再放送を見た。広島の伊達さんから電話が来た。
    • 昨日岸本さんから転送されてきた矢代さんに電話する。
    • 感激して泣いて喜んでくれた。風呂に入った。大浴場で気持がよい。

  • ・ 夕食は、イサキ刺身、岩牡蠣、グラタン、サラダ、イサキの煮付け、白飯、みそ汁。これに朝食と
    • 昼のおむすびが付いて7000円は安い。
    • 浜田の川神さんから電話があり、テレビを見て痛々しくて涙が出たと言っていました。

(44)60日目~61日目(6月12日~13日)嵐~愛南柏~平山

  • ・ 6月12日(木)、6月13日(金)で嵐—愛南柏—平山と5つの峠を越え16.2キロ歩く強行軍であ
    • った。12日は宿の奥さんに嵐のバス停まで送って頂く。
  • ・ 10時10分スタート時、小雨がぱらつく様な天気だったが、その後快晴になり、峠を3つも越
    • し、9キロも歩いて大変だったが、宇和海のきれいな景色を堪能して苦労も報われた。真珠の核を入れる作業所で見学もした。18時15分に旭屋に到着。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 13日は宿の前から出発。宿の脇の川を見ると、大きな蛇が泳いでいた。
    • あんなに大きい蛇を見たのは初めてだった。
    • 宿からすぐに登り坂になり、炎天下2キロの峠越えできつかった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 景色はずーっと良かった。もう一つ峠を越してやっとの思いで平山のバス停にたどり着く。
    • 16時20分。ここまで38.4キロ、半分以上来た。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(45)62日目~63日目(6月14日~15日)下見と休養

  • ・ 6月14日(土)この2日間は強行軍だったので、歩くのは休みにしてバスで宿毛まで行き、道の下
    • 見をした。

  • ・ 6月15日(日)雨で休んで完全休養日にした。

(46)64日目~66日目(6月16日~18日)平山から野地橋

  • ・ 6月16(月)、6月17日(火)、6月18日(水)の3日間で平山から野地橋の停留所まで行き、
    • ゴールまで2キロ地点に達した。

  • ・ 16日は平山を9時に出発。小雨である。
    • 路線バスは南レク御荘公園の後、旧道(町中)に入ったが、私はひたすら56号を歩き続けて、トンネルに入る前、平井さんから電話があった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 城辺トンネル(532M)と蓮乗寺トンネル(604M)をそれぞれ19分と25分で通過。両方とも登り
    • がなかったので助かった。
    • 小雨だったので体力消耗せず、8.3キロ歩き、坪の内橋に15時53分に到着。1時間20分のバス待ちには参りました。

  • ・ 17日は昨日同様、8時42分のバスで柏を出発して坪の内橋を9時30分から歩くことができました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ いきなり緩いが、登りが2キロ程続き、おまけにすごい向かい風で倒
    • れないようにするだけで精一杯で前に進まない。

  • ・ 宿毛まであと20キロ以下の所に来ているのにリタイアーなんか冗談
    • じゃないぞと気力を奮い立たせて、この2キロを2時間掛けてかろうじて歩いた。それでも最初のバス停が見つからない。風との戦いに気を取られバス路線が迂回する小道を見過ごしてしまったようだ。
    • 昼食にしておにぎりを食べ休憩した。

  • ・ 風も治まってきた。休憩して少し歩くと,遠くにバス停らしき物が見えてきた。バス停の先の道か
    • らバスが出てきた。
    • 1本松町から出てきたのである。1本松の町の中には入らず、56号を進んだ。出発時は曇っていたが、晴れて来て、疲れたのでコンビニがあったので休憩してコーヒーを飲んだ。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 1本松温泉を通過してさらに2キロ増田橋まで歩く事にした。
    • たんぼにあひるが放されていた。
    • いわゆる、合鴨農法ってやつかと思った。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 向かい風でどうなるかと思った前半だが、晴れて暑かった割には持ち直した。
    • 7キロ歩き残り10キロ。
    • 増田橋の前にクレイ射撃場の看板があった。

  • ・ 18日も増田橋を9時30分頃出発出来た。
    • 晴れて風が気持良い。
    • 県境を越えた所にオートバイで清家さんが現れて、明日の打ち合せをして写真を撮ってもらった。

  • ・ 増田川に沿って56号は通っている。川の水が実にきれいである。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • 小川を過ぎて長畑に着く手前で、テレビを見たと言って車を止めてくれた人がいた。
  • 松山の村田さん。一緒に写真を撮り合った。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 長畑に向かっていると、雲行きが怪しくなってきた。
    • 雷雨になったら困ると思い避難場所を探しながら歩いたが適当な建物が見つからず、私なりに焦って歩いてやっと長畑に着いた。

  • ・ あと野地橋まで2キロ、行くべきか迷ったが、明日の行程を考え小雨くらいでは歩ける距離の射程
    • を2キロ位にしておきたかったので、頑張って歩く事にした。ひたすら雷雨がこないように祈った。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 懸命に歩いて16時06分に野地橋のバス停に到着。

  • ・ 8キロ歩き、ゴールの宿毛市役所まで2キロ。
    • 小雨くらいなら十分行ける距離。

(47)67日目(6月19日)ゴール!宿毛市役所

  • ・ 6月19日(木)出発前に東京の仲野君から天気予報を知らせて来ました。
    • 9時40分頃野地橋に着くと、雨も小雨でなくかなり降ってきた。
    • バス停で、清家さんともう一人の男性が待ち構えていました。
    • NHKの人でした。

  • ・ TBS系の人も現れて歩き初めからカメラを回していました。
    • 雨具を清家さんから借りて歩きました。
    • トンネルを通過すると大勢の報道陣がカメラを構えていて驚きました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ TV3局(NHK , TBS系、ケーブルTV),朝日、毎日、読売、高知新聞。
    • 清家さんの段取りでした。
    • トンネルを出ると不思議と雨がやんでいました。

  • ・ 宿毛市役所までは雨に降られずゴール出来ました。
    • 市役所前には大勢の人達が待っていてくれました。
    • 中西市長、職員の方々、中村先生。
    • こっぱずかしいと言ったのが心境でした。中西市長に帽子を頂いた。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 市役所内で取材を受けた。こんなに多くの人達から一気に取材を受けたのは初めてなので、恥ずか
    • しかった。取材後、雨が土砂降りになった。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(1)「NHKの教育テレビの福祉ネットワーク」への道
(2) 前回知り合った友人たちとの再会
(3) 四国横断再チャレンジの旅 :「67日間」の記録
(4) 400キロの四国横断徒歩の旅を終えて
(5) 400キロ四国横断の旅を振り返る
(6)「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」
(7) 私にとって生きるということ
(8) 最後に

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4)400キロの四国横断徒歩の旅を終えて

① 感謝の食事会と思い出の場所巡り

  • ・ 土砂降りの中、車で鰹をたべに連れて行ってもらった。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」
    • 中村先生共々、清家さんに美味しい魚をごちそうになりました。
    • その場所は以前中村先生が家族で来たことがあった場所であった。
    • 又、6月19日は中村先生の誕生日でもあった。奇遇が重なり驚きました。

  • ・ 清家さんにはゴールの段取りをして頂き、ドラマティックなものとなりまし
    • た。

  • ・ また、中村先生共々食事までごちそうになって感謝です。
    • 食事後、清家さんと別れて、中村先生の車で土砂降りの中を、宿毛を後にしました。
    • まず、愛南柏の旭屋に行き、支払いと荷物のピックアップをしました。
    • 旭屋の外で偶然、藤堂先生のお母さんにお会いして、写真を撮りました。

  • ・ またもや不思議と,宿毛を出てしばらく前が見えない程(中村先生曰く、高知の雨は粒が大きい)
    • のものすごい土砂降りであったが、柏の手前で止みました。
    • その日の内に中村先生の車で松山に戻りました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 途中、今回の思いで深い所によってもらいました。

    • 56号を戻って、法華津トンネル、宇和島ターミナルホテル、夜昼トンネル、大洲のビジネスホテル太田、八幡浜の高松屋、八幡浜のホテルニュートヨ、高速に乗って、松山へ。
    • その晩は東横インに泊まる。
    • 夜8時頃から雨であった。

② 一路帰京の途へ

  • ・ 翌日20日に簡保の宿に移動。その日はのんびりして、夜は戸田さん
    • の所で食事。21日は戸田さんと彼女のお友達の寿司徳で昼食。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • 夜は中村先生のお仲間の先生方が踏破祝いを盛大にしてくれました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」



パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 22日は多度津に行き、福家さんと昼食してから高松へ行き、夕方のフェリーで女木島の龍宮へ。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 岸本さんと再会して鬼旬でおいしい食事を楽しみました。

  • ・ 翌日高松に戻り、千萬で昼食して宇野さんとお会いしたかったがお
    • 店が休みで会えませんでした。

  • ・ そのあと、池田美子ちゃんの仕事のお友達である花澤さん姉妹にお
    • 会いして、夕方の電車で、福山経由で府中に行き、そこでMGユースの和知さんに車で拾ってもらいMGユースへ。

  • ・ 翌日は上下の重森さんに再会して、夜はMGユースから近くの小川と田んぼの接している所に行
    • き、源氏蛍と平家蛍の乱舞を見ました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 2泊してから伊達さんに車で福山まで送ってもらい、バスで京都に行き、1泊してバスで飯田に行
    • き、温泉と山を楽しんで東京に戻り、私の四国の旅は幕と成りました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


5)400キロ四国横断の旅を振り返る

  • ・ もう一度、私なりに2007年9月からのPART 1 と2008年4月からのPART 2を振り返ってみます。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ 歩いた距離は高松から宇和島までの鉄道の駅間距離と宇和島から宿毛までの路
    • 線バスの距離を合計すると388.7キロになります。

  • ・ 通常ショートカットするより遠回りをする事の方が多いので、400キロは遥か
    • に超えた距離を実際には歩いたと思われます。

① PART 1は「暑さと戦い」負けてしまいました。

② PART 2は特に松山から宿毛までは山道でいくつもの峠を越えました。

  • この間、難所だらけで、不安とストレスを取り除く為に、中村先生に図々しく甘えさせて頂き、夜昼トンネルを一緒に歩いて頂いたり、道の下見、山中での待機等協力して頂けたので無事ゴール出来たと思います。
  • 有り難うございました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」③ 毎日・毎日にストーリーがあり、朝、宿を出発する時にはかなり覚悟がい

  • りました。
  • 5キロくらいならば問題ないがそれを過ぎると足の痛みが出て、終わるまでは耐えなくては成らないので。

④ 峠越えをしなくてはならない時や炎天下を歩くのは体力の消耗が激しく大変でした。そう言う意味で

  • は、歩くのを止める時は、痛みや疲れからは解放されるので、達成感ではないが、今日も歩き切って、“終わったー”というのはありました。そういう小さな積み重ねを3ヶ月位継続出来れば、400キロ以上も結果的には歩けてしまうのだから驚きます。

⑤ 生きるということの実感パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • 毎日一歩踏み出す勇気さえ持てれば、家に帰るまでは大変で、いろいろと困難に立ち向かっているんだと思います。
  • 健常者でもみんな同じです。
  • 生きるってことは大変な事だと思います。
  • だから、毎晩自分にお神酒をあげて、ご苦労さんをします。

⑥ 行動への贈り物

  • ・ 不思議と大変な思いをして歩いた後には、きれいな景色のご褒美があり、報われました。
    • 素敵な人にも沢山会えて、凄い人もいるもんだと感動もしました。

  • ・ 出来る事を探して挑戦した“四国400キロ横断踏破”が出来た事で、これからもお付きあいして頂き
    • たい方々と沢山知り合えて本当に幸せでした。

  • ・ 道ですれ違った小学生が礼儀正しく“おはようございます”や“今日は”と挨拶された事が度々ありま
    • した。これは気持よかったです。
    • それから今回の旅では沢山の奇遇が重なったのも不思議です。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


6)「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」

① 再発は本当にもったいないです。

  • ”Nothing is definite”を忘れてしまっていて、再発なんて夢にも考えていませんでした。確実なものなんてありません。
  • どんなに順調な時にも調子に乗る様な事はしてはいけません。
  • 恥ずかしいです。

② 1回目の発症の原因、再発の怖さ、再発を起こさぬ様な生活をどのようにするかとか、考えもしませんで

  • した。 
  • ・ 子供が小さかったのでヤルッキャないという状況で、社会復帰を目指し、社会復帰して健常者とま
    • ともに張り合って仕事をしていました。

  • ・ 特に、独立して仕事を始めた時は、どん底景気だったけれど、不況こそ自立出来るチャンスだと思
    • い行動に移しました。

  • ・ また、中国にいた2年半はほとんど飛行機に乗って世界中を飛び回っていました。あれほど不規則
    • な生活を続けていて、出張中に再発を起こさなかったのが不思議です。偶然がいくつもいくつも重なって、本当に良い状況、タイミングで再発したのは、運が良かったです。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


③ 再発して、「失ってしまった機能」

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」2度目の入院再発を起こして、再発前に比べて出来た事が、出来なくなった事です。

    • 1.車に乗れない。
    • 2.自転車に乗れない。
    • 3.歩装具無しでは外出できない。
    • 4.右手の爪が切れない。
    • 5.右腕のシャツの袖のボタンが留められない。
    • 6.手すりのない階段の登り降りが出来ない。 
    • 7.体を壁に向けて左腕をまっすぐにして左手のひらを壁に付けられない。
    • 8.ジャンプできない。

  • ・ 上記の出来なくなった事に、言語障害、嚥下障害が加わり、電車の乗り降りにも不自由を感じるよ
    • うになりました。
    • また、全てにパワーダウンして歩行速度や行動が3倍遅くなりました。
    • 装具なしで、8.7キロを2時間半で歩けたのに。

  • ・ 1から8の項目は1度目の発症当時出来なかったことで、リハビリによって、出来るようになった
    • ことです。
    • 特に2、3、7、8は退院してからリハビリを継続して何年も掛かって、出来るようになったものなので、本当にもったいないです。

④ 再発後の「障害受容」について

  • ・ 再発したからと言って、不幸を悲しんでも何の解決にもならないし、パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」ありのままを受け入れて、落
    • ち込む事も全くなく、誘眠剤なしに入院生活が過ごせました。

  • ・ いかに残存機能で生活の充実を計っていくべきかとか、以前した様
    • なハードなリハビリでなく、今の自分に合ったリハビリの目標がはっきり持てた事は幸いでした。

⑤ 残存する機能を活かすということ

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 虎ノ門病院分院に転院してからはひたすら日常生活の自立を目指して
    • リハビリをしました。まず、歩行訓練、言語訓練して簡単な料理さえ出来れば、日常生活は困らないと思いました。

  • ・ 上記の12は公共の乗り物に乗る。
    • 3は装具を付ける。4は誰かに頼む。
    • 5は着る前に袖のボタンを留めておく。
    • 6はエレベーターかエスカレーターがある所を探す。
    • 78は日常生活ではあまり必要でないので、ほとんどの事が解決します。

  • ・ 確かに、歩行速度や行動は遅くなって何事にも時間が掛かりいらだつ事もあるけれど生きているだ
    • けでも儲けものと思い、これからも生活したいです。

⑥ 再発の理由と今後の対処方法を考える

  • ・ 再発の理由は、60歳前の若い時に、2度も脳内出血するのは、先天的に血管が弱いのだろうとい
    • う事でした。

  • ・ 実験は出来ないので、推測ではあるが、一応、爆弾を抱えている認識は必要で、血圧のコント
    • ロール,睡眠時間、ストレスからの回避、冬場の温度管理、就寝前にコップ一杯の水を飲むなど血管への負担軽減を絶えず考えておく事が必要です。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


7)私にとって生きるということ

① “1日一生”は私にとってはちょっと大げさだけどそれなりに充実した毎日を送れればと思います。

② 四国横断400キロを踏破して、本当に多くの素敵な方々に出会い、多くのことを学び、素晴らしい友情

  • や愛情に触れました。パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

  • ・ これからも知らない所に旅して、良い出会いをして、惚(ぼ)ける前に惚
    • (ほ)れる様なことが起きればと思います。
    • (惚けると惚れるが同じ字とは驚きです。)

③ 再発は起こさない方が良いのですが、再発して教えられた事もあります。

  • ・ 後遺症によっては、リハビリの難しさがある事を、身を以て体験出来ました。

  • ・ 1回目の発症の後は、努力が報われて、健常者と張り合って仕事ができるような回復が出来ました
    • が、後遺症の程度によっては、それはとてもとても大変です。

  • ・ 再発してしまった私にとって、第1回目と同様の過酷なリハビリは、子供達が独立出来る見通しが
    • 立っているので必要ないと思い、今出来る事をフル活用する道を選びました。

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 車の運転が出来ない、言葉がしゃべれないので営業は出来ません。
    • かえって、ビジネスへのあきらめがつき、贅沢はなしにして、身の丈にあった生活が出来れば幸せと思いました。



④ これからの生き方

  • パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」・ 今も友人達の好意で輸入代行の様な仕事をしていますが全て受け身
    • です。
    • それでも英語が使えるので、PCを使って、惚け防止になり、少々のお金にもなります。金額が小さいのでストレスがなく、交際費と旅費の足しにはなるので、これで充分です。

  • ・ 時たま急ぎで海外に電話をしますが、いつもメイルをくれと言われちょっとがっかりですが仕方あ
    • りません。

  • ・ 爆弾を抱えている事を認識し、3回目の再発の誘因を作らず、自分のペースで自分のやりたい事を
    • り抜いて、図々しく生きて、結果的には“思いの花”くらい咲かせて、子供達からは親父は障害を持ったけれど、“人生を生き切ってる。”と思われれば良いと思います。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」


8)最後に

  • ・ 最後に、四国の旅から帰って、多治見の長山 弘さんから連絡を頂いた。
    • 脳卒中患者、団塊世代、シルバー世代の生活の再建を支援する“NPO息吹”のサイトを7月に立ち上げ、そこの“ここに人あり”のコーナーに私の四国の旅と42歳の時に発症してから現在に至るまでの私の戦いを連載して載せたいので協力してもらえませんかという依頼がありました。

  • ・ 私は、文章が苦手なので不安はありましたが、自分史にもなり、脳卒中患者に良い刺激が与え
    • れるかもしれないと思い、引き受ける事にしました。

  • ・ この様な機会が頂けて自分史が出来てしまい、本当に有り難うございました。編集やレイアウ
    • トでも長山さんと桑原直哉さんに尽力頂き有り難うございました。

パートⅡ「再発しても人生は、終わりではない!」

(1)「NHKの教育テレビの福祉ネットワーク」への道
(2) 前回知り合った友人たちとの再会
(3) 四国横断再チャレンジの旅 :「67日間」の記録
(4) 400キロの四国横断徒歩の旅を終えて
(5) 400キロ四国横断の旅を振り返る
(6)「再発への誘因の反省をふまえこれからを考える」
(7) 私にとって生きるということ
(8) 最後に

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