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「ブレインツリー病院」「脳卒中祭り」2009年5月21日
片マヒ自立研究会 高橋 良三
目次

(1)ボストン旅行の目的
- 「ブレインツリー病院」「脳卒中祭り」へ「片マヒ自立研究会員」の作品出典と「驚きの頭部障害サバイバーの会」Amazing Brain Injury Survivor Support Group【代表ペギー・ロバート氏Peggi Robart】の方々との交流のため参加。
(2)日本からの展示物
| 氏名 |
作品名 |
サイズ |
展示法 |
| Akira Sato |
Chain of Folded Paper Cranes |
30cmx30cm |
Table |
| 佐藤 昭 |
折り紙の連鶴 |
| Akira Murakami |
Copper sheet Relief |
30cmx25cm |
Table |
| 邑上 晃 |
銅版の打ち出し彫刻 |
| Hiroshi Nagayama |
Photograph
Series
For Re-built of Life |
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Board |
| 長山 弘 |
| Yoshio Kidokoro |
Medal & Photograph |
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Board
&
Table |
| 城所佳夫 |
メダルとプレイの写真 |
| Mitsuyoshi Sato |
Photograph Flower of Moth Orchid |
40cmx25cm |
Board |
| 佐藤万宜 |
胡蝶蘭の写真 |
| Ryouzo Takahashi |
Photograph
Series
Walking Traveler of SHIKOKU |
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Board |
| 高橋良三 |
| Kiku Chiba |
Paint on Post Card |
ハガキ |
Board |
| 千葉 功 |
絵手紙 |
| Shiro Moriyama |
Calligraphy Meaning:Happiness Consists in the Way it is |
25cmX30cm |
Board |
| 森山志郎 |
「吾唯足知」 |
色紙 |
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(3)訪問までの経緯
- ① 2008年10月11日 アメリカ在住の社会学者「細田 満和子」氏から、
- ② 当日、ボストン近郊の頭部障害の患者会に参加してきた報告で有った。
- 会の名称は「驚きの頭部障害サバイバーの会Amazing Brain Injury
- Survivor Support Group」。
- ③ 2008年11月22日:細田氏より再度メールあり。
- ボストンのサバイバーズ・グループのリーダーであるべギー・ロバートさんにお会いしたら、彼女の通院しているリハビリ病院で5月に「脳卒中祭り」があるので、そこに展示参加する計画があるという報告を受ける。
- その「脳卒中祭り」に日本側も参加させて頂くことが決定した。
- ④

- 「ブレインツリー病院」「脳卒中祭り」2009年5月21日
- ・ ブレインツリー病院 ホームページ
- ・「脳卒中祭り」のファイルリンク

(4)細田 満和子氏の報告
- 片マヒ自立研究会の皆様
本日5月21日、ボストンのブレイントゥリー・リハビリテーション・ホスピタルにおける脳卒中啓蒙のイベントで、皆様の展示品は、訪れた方々からとても高い関心を持っていただき、「すばらしい」との賞賛を受け、大成功を収めました。
- おめでとうございます!
- 高橋さんもとてもよい時間をすごされたと思います。
- また後ほど詳しいことはご報告しますので、取り急ぎ。
細田 満和子
- *ボストン展示会の件を、「臨床作業療法」10月号の「コミュニケーション広場」というコーナーで紹介することになりました。以上の報告がありました!

(5)細田 満和子氏のプロフィール
● 1992 年、東京大学文学部社会学科卒業。
- ● 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(社会学)。
- ● 日本学術振興会特別研究員を経て,米コロンビア大学にてアソシエ
- ● 著書に「『チーム医療』の理念と現実」(日本看護協会出版会)
- 「脳卒中を生きる意味」(青海社)「チーム医療論」(医歯薬出版,共著)「医療倫理学」(中央法規、共著)などがある。
(6)第1日目(2009年5月18日)成田泊
4月の中国行きと同様、前日5月18日は成田空港近くのビジネスホテル“スカイコート”に宿泊した。
- リムジンバスで成田空港。
- そこからホテルのシャトルで夕方5時にはホテルに着いて、すぐ夕食を済ませ、翌朝ホテルを7時の出発だったので、10時には就寝。

(7)第2日目(2009年5月19日 成田~ニューヨークへ)
- 5月19日は7時のシャトルで空港へ。
- JALのグローバルクラブのカウンターでチェックイン。
- 待たずに出来るので便利。空港の移動は車いすを頼んでおいた。
まず、税関を通り、桜ラウンジへ。
- ゆっくり朝食を取りくつろいで機内に。
- 2,004年1月タイムドメインの仕事で
- ラスベガス以来のアメリカである。
- 飛行機はボーイングの新しい777であった。
- エコノミークラスはほぼ満席であったが、ビジネスは沢山空きがあった。
- 席は最後列のトイレに近い所で安心であった。
まずはニューヨークへ。
- 機内ではインフルエンザの影響で若干の人達がマスクをしていた。
- 私は持ってはいたがしませんでした。
- 落ちつくと、すぐに食事になったが、JALのラウンジでしっかり朝食を取ったので、食べなかった。12時間のフライトなので機内では装具を外した。
- トイレも近かったので問題はなかった。
- アメリカの中程にさしかかり、さすがにお腹がすいてきて、先ほど食べなかった食事を頼んだ。
- 赤ワインを飲んだ。メルローで機内のワインとしては美味しいと思った。
- 私の食事が終わると、朝食になり、今度も断った。
- わがままな客だと思ったに違いない。
- ニューヨークに近いと思ったので、靴を履いて準備をしようと思い装具を付けて、靴を履こうとしたら足がむくんだのか靴が入らない。
- えらく時間が掛かり、汗をかいてしまった。
11時頃にニューヨークJFKに着いた。
- 快晴である。
- 機外に出ると車いすが待っていた。とても寒い。10度くらいに感じた。

- 第2日目(2009年5月19日)「ニューヨーク」~「ボストン」へ
- 通常は到着空港で荷物検査を受けるのであるが、検査なしで、ボストン便に載せる手配をしてくれた。
- 車いすを押してくれた女性が、新しいシステムが今日から摘要されると言って、多少の混乱があったようだ。書類を書いたりして待たされた。
- ボストン便のターミナルまでは遠かった。車いすでよかった。
- 待ち合いラウンジに行く前に身体検査があった。
- かなり厳しかった。ラウンジに到着した時、ここに掛けて、サポートしてくれる別の人が時間には来るので待っていろと言われた。
- 既に3人目だったので4人目は何となくちゃんと来るのかなとも思ったが、やはり時間になっても来なかったので,自分で飛行機に乗り込んだ。
- 隣の席に若い東洋人の女性が座った。
- 英語で話しかけてみたら日本人の留学生だった。
- 両親が来ていてボストン,ニューヨークを観光して帰国して本人はボストンに帰るところだった。彼女も後1ヶ月で帰国する予定であった。
ボストンでPeggiさんとの出会い
- 飛行機からのボストンの眺めは綺麗であった。午後3時過ぎにボストン着。
- Peggiさんが待っていてくれた。
- これから1週間世話になる。
- 機内で隣り合った高杉さんを交え、Peggiさんと記念写真。
- PeggiさんはLEXUSに乗っていた。多分日本ではWINDAMだと思う。
- 運転には自信があると言っていた。
- 高杉さんがBoston South Stationで友人と待ち合わせているというので、
- Peggiさん宅に行く前に、駅まで彼女を送る。
- 市内を案内しようかというので、とりあえず、まず、シャワーを浴びさせて欲しいとお願いした。
- ボストン市内を抜け、郊外のNewtonを目指す。
- 春の初めで花が一斉に咲いていて緑一杯、花一杯でとても綺麗であった。
- Peggiさんは長い冬が終わって今がベストシーズンだと言っていた。
- 多分北海道の様な感じだと思う。

- 緑に囲まれたPeggiさん宅に到着。
- 早速、二階のこれから使わせて頂く部屋に通された。
- 荷物をほどいてシャワーを浴びる。
- シャワーを浴びて、階下に降りると、飲むかと言われ、白ワインを勧められた。PINOT GRIGGIOであった。大きなグラスで1杯飲んだ。

今夜は気候が良いので、庭でサーモンのグリルをしようという事に成った。
- 厳密には御主人ではないがFrankという人が連れ合いという事であった。
アメリカでは、現在はボーイフレンド、ガールフレンドは使わず、Significant Other S.O.と呼ぶらしい.
- “最も大切な連れ合い”と言うニュアンスだと思います。同性愛者のパートナーにも使うと言っていた。
- Frankが仕事から戻ってきた。彼はイタリア系である。
- とっておきの生ハムを出してくれ一緒に飲んだ。彼が料理の担当であった。
- 夕食は庭でサーモンをグリルした。
息子のGrahamも加わりみんなで夕食。
- Graham 君は優秀な高校生で、既に大学に行く為の、いくつかの奨学金を取得しています。
- 食事の前にみんなでテーブルを囲み,手をつなぎ、眼をつぶって、LOVEと言ってからスタートする。サーモンは脂が乗っていておいしかった。
外へ出る前に寒かったのでFrankから上着を借りた。
- 私には外が寒かったので、食後酒はリビングで飲んだ。
- まず、Frankのお母さんからの伝授されたリカーに漬けた梅の様な物を出してくれた。

- アメリカの健康保険事情と大学私学の授業料比較
- それからグラッパを勧められた。飲みながら、色々話をした。
- アメリカと日本の健康保険制度の違いや大学の授業料のこととか。
- アメリカの私学の授業料は年間500~600万円と聞いて驚いた。
- 彼らも日本の授業料の安いのに驚いていた。
- 日本は100~150万円で私はサラリーマンしていた時の年収の10%以上なので安いとは言わなかった。
- アメリカでは健康保険制度は日本と違って、金持ちとすごい低所得者は医療費には問題がないと言っていた。
- 金持ちと貧乏人の間の中間層の人達はしっかりした会社で働く場合は会社が50%保険料を払って、本人負担も50%で、診療を受けると診療費の20%を払うという事らしいが、保険料が高いので全ての会社が負担出来ず、保険に入ってない人は多いらしい。
- 特に、芸術家や弱小の個人事業やっている様な人達は1ヶ月15万円もする保険料なので払うのは無理で保健に入ってない人は多いということだった。
- 日本の国民健康保険の話をしたらあまりに安いので驚いていた。
- 今私が支払っている保険料は150ドル/月で収入が沢山ある人でも1ヶ月の上限は500ドルくらいと話した。
- 私も独立してから暫く1ヶ月5万円位払っていた。
- アメリカは国の保険制度がなく、保険会社がイニシアチブを取っている感があった。
- 私の現在の英語力にも問題があるのでどこまで私の話が通じて、どこまでちゃんと理解出来たかは疑問であるが、健康保険制度は日本の方が断然良く出来ていると思った。そんな話をしながらボストン第一夜は終わった。

(8)第3日目(2009年5月20日) (水)快晴
- 起床してシャワーを浴び階下へ。オウムがいた。名前はPica。
- Peggiさんは私が朝食を食べている間、自分の障害の事を話してくれた。
- 右半身に麻痺を起こしたらしいが、足を少し引きずる程度で、手と言語はほとんど問題無し。
- 7年前にシャトルバスに乗っている時に事故が起きてバスの天井が落ちて頭を直撃されたらしい。事故直後は話が出来なかったと言っていた。
- 当初は一人で発声練習をしていたが、見かねたFrankがオウムを買ってきてくれ、オウムのPica相手に言語訓練をして、お互いが話せるようになったと言っていた。当初はどもりも激しかったと言っていた。
- 良く理解出来なかったが、他の事もいろいろ実施して進歩出来たらしい。
- 言葉は問題あるとは思えない。
- 「Peggiさんは良い根性しています。事故後、医者からは回復は難しいと言われ、そんな出来ない自分に腹を立てて、リハビリを長年頑張って現在の回復が出来たそうです。」
電気刺激の画期的器具「Walk Aide」との出会い
- 昨年12月から「Walk Aide」という器機を使っていると教えてくれた。
- それまでは私と同じ装具を使っていた。
- 膝の上にある2カ所のツボに電気刺激を与えると、足頸がもちあがって、歩けると言っていた。
- ものすごく興味を持ったら、試したいかと聞かれたので即答した。
- *後日 細田満和子氏より次のような報告があった。
- 「Innovate Neurotronicsという会社の「WalkAide」という製品があります。
- ペギーさんもその製品を使っています。
- 以下がそのホームページです。
http://www.walkaide.com/products/index.html
- 医者が検査しないと装着は出来ないと言われ、早速Peggiさんの担当医のクリニックにアポを取ってくれ、金曜日の3時に行く事にした。
- 今日は市内観光をしてから夜は細田さん宅で食事を呼ばれる予定。
イタリア街を行く
- 昨日と違ってよい天気で暑かった。
- 朝食を済ませ、まず、「カプチーノ」を飲みにPeggiさん達の行きつけのイタリア人街にある店に行く。
そこから綺麗な町並みを抜けて、Prudential Towerに行き、展望室からボストンの360度のパノラマを楽しんだ。



「Fenwayスタジアム」を眼下に見ている時、細田さんから電話が入り、娘さんが高熱を出して、学校から返されてしまい、今夜の細田さん宅での食事は中止になった。
- Prudential Towerからイタリア人地区に戻り、昼食をする事にした。
- Dolce Vitaという雰囲気のあるイタリアンに行った。
- Peggiさんが車を駐車している間、Peggiさんは運転手だから飲まないと思い、私一人Pinot Griggioを頼んで飲んで待っていた。
- ところが、Peggiさんが来たら、私も飲むと言って、先に飲んでいた事を謝りました。アメリカでは自己管理でみんなが自分の限界を分かっていると言っていました。シーフードパスタを食べました。
昼食後、ハーバード大学に行こうとしましたが渋滞で諦めて帰る事にしました。
- 夜は庭でステーキのグリルでした。
- 気持よかったです。
- 赤ワインで楽しみました。
- 大きなステーキでしたが食べてしまいました。
- 食後またグラッパを頂く。

(9)第4日目(2009年5月21日)(木) 快晴

- Braintree病院へ.”Stroke Awareness Fair”の開催である。
- Peggiさんの仲間の男性が来て一緒に8時に家を出て、9時に病院へ到着。
- 病院はとても綺麗であった。
- 中庭にはテーブルや椅子が出ており、レストランの様で、とても綺麗でした。病院内もきれいで日本の病院のイメージは全くしません。

Braintree 病院の「レコードキーパー」
リハビリの患者さん達が待っている廊下を抜けた所に展示の部屋があった。
- 我々の展示スペースは部屋の中央にあり、それを囲むように、入り口付近に病院のテーブル、その上にHOPEという脳卒中の「リカバリーガイド」が多数、参加者のレコードキーパーがおいてありました。
- リハビリ器材の業者、Bioness社はWalkAideの別バージョン(www.bioness.com)、Interactive Motion Technologies社は、
- 電子式OT器材(www.interactive-motion.com)、フォーク等の障害者が日常使う小物を扱っている会社や他に2社の展示があり、それにカフェバーがありました。
- 1時間かけて、展示の準備。
- 我々のスペースの正面にPeggiさん達の“PHOTOVOICE”の展示があった。

- 私はついたてに用意したパネルを展示しました。
- 四国で歩いた道の4枚の組み写真、自己紹介と四国の400キロ踏破の英語のパネル、CD、CD “THANKS TO YOU”から英文のパネル、自転車で列島縦断した後に用意した英文の挨拶状を展示させて頂きました。

- 私の裏側のついたてには、森山さんから細田さんに日本から送られた作品が展示されました。
- 森山さんの写経、色紙、城所さんの片手でのゴルフの写真とメダル、邑上さんの銅板の布袋様の打ち出し、折り紙の蓮鶴、絵手紙、胡蝶蘭の写真等、すばらしい作品が展示されました。

- 片マヒ自立研究会の会報誌、篠原さんの会の会報誌が私のパネルの下に紹介されました。私も初めて作品を見て、俺はただ歩いただけなのに、みんなすごいなと思いました。
- 展示会は午前10時から午後2時まででした。
- 病院の患者さん達をはじめ、ストロークサバイバー達と其の家族の方々と多くの人達が来てくれました。
- 私のパネルを見て、何人かの人が“IMPRESSIVE”と言ってくれました。
- CDは売らないのかとも聞かれました。

- 細田さんが日本から送られた展示品の説明をしてくれました。
- 私の展示の右端に折り紙がおかれていたので、多くの方々が興味を持って頂いたのが分かりました。
- 昼食が用意されている部屋では脳卒中についての講習会が開かれていました。
- 昼食が終わると、リハビリの訓練室に行き、写真の「INTERACTIVE MOTION TECHNOLOGIES 社のOTの器材」を試しました。
- ゲーム感覚でも出来るし、良い訓練に成ると思いました。
- 傾斜のついた台を使っての訓練をした事があると思いますが、それの電子版という感じです。


左の製品は、病院で展示されていた
- 「Bioness社のWalk Aide L300」
- 残念ながらこれは試す事が出来なかった。
- 夢中で訓練器材を試して部屋に戻ったら、すでにほとんど片付いていました。
- 慌てて、PHOTOVOICEやリハビリ器材の人達と記念写真を撮りました。
- Peggiさんと、今回のように、障害を負った人達が、障害を克服して頑張っている事を発信出来る様な事が、さらに発展して、いろいろな世界の医療の学会や展示会で発表スペースが持てる様な事がトレンドに成れば良いのだけどという話をしました。
- Peggi宅へ戻る。Frankが生きたロブスターを2匹買ってきた。
- Grahamの友達も加わっての夕食となった。

- 夕食後、居間に行き、恒例のグラッパと話を楽しんだ。
- FrankとPeggiもくつろいでいる。


(10)第5日目(2009年5月22日)(金)快晴
1昨日Prudential Towerから見た
- John F. Kennedy ムージアムを見学。
- 入り口の花壇に赤と白の「はまなす」が植わっていた。
 
- 午後1時頃まで見学して、WALKAIDEを試着にPeggiさんの担当医のクリニックへ向かった。
- 電気刺激の画期的器具「Walk Aide」の装着
- ボストンは意外と交通事情が悪く、3時の約束にぎりぎり間に合った。
- 先生の検査を受け、問題がないということで、すぐ試した。
- 装着してすぐに歩けた。クリニックの中を端から端まで歩いた。
- アメリカでは保険が摘要されて50万円位であった。
- すぐに欲しかったが、アメリカでの保険がないので、難しいと言われ、日本で探すように言われた。
- 「大リーグの観戦と松坂投手の登板」
クリニックを後にして、細田さんの御主人と一緒に野球を見に行くため、細田家に向かう。
- もともとはFrankとPeggiが行く予定であったが、チケットを譲ってくれ、細田さんと一緒に行く事になった。
- 細田家に着くと細田さんが食事を用意してくれており、ごちそうになってから、FENWAY PARKに向かう。
- 細田さんが運転して連れて行ってくれた。

- 細田さんの御主人は素朴で人の良い感じの人であった。
- 今夜の試合は交流戦で「NY METS x BOSTON RED SOX」のカードで、「METS」はエースのサンタナが投げ、「RED SOX」は松阪であった。
- 残念ながら松坂が打たれてしまい、METSが勝った。

- 細田さんの御主人は野球が好きで、N.Y.に住んでいた頃は野球をしていて、野球にも詳しく、試合中適宜解説をしてくれた。
- 初めてのメジャーリーグ観戦は楽しかったです。

- 帰りは球場の周りは混雑するので細田さんの最寄り駅のCHESTNUT HILLまで路面電車で行った。
- 球場から路面電車の駅までは可成り歩きました。

- 細田さんが駅まで車で来てくれ、Peggi宅まで送ってもらいました。
- Grahamが待っていてくれました。

(11)第6日目(2009年5月23日)(土)くもり
- 「ケネディの生家見学と観光」
- 午前中は細田さんがKennedyの生家の見学とハーバード大学とその周辺の観光に連れて行ってくれました。


- 2時頃Peggi宅に戻ると、Frankがピザを焼いてくれ、美味しかったです。

- 其の後、海辺の“Pier4”というシーフードレストランに行きました。
- ここだけが唯一私に払わせてもらった所です。
- このレストランは、Kennedyはじめ歴代大統領や、E.テイラーの様な映画スターや有名人達が訪れたことのあるレストランでした。

- 松坂の写真も飾ってありました。我々も海が見える窓辺の席に通されました。料理も雰囲気もとてもよいわりには、価格はリーズナブルで驚きました。

- ”Pier4”からFrankは娘さんの所へ、いつも週末は一緒に過ごすという事でした。PeggiさんはFrankが生まれ育ったイタリア移民の人達が移民して住み始めた地区を案内してくれ、近くの海の見える公園に行き、たそがれのボストンを楽しみました。Peggiさん宅最後の宿泊でした。


(12)第7日目(2009年5月24日)(日) くもり時々雨
- 「ジョン万次郎記念館」や「ケープコッドのボストン郊外」への観光
- 夜中に雷が鳴り,激しい雨が降りました。
- 荷物をまとめて、Peggiさんにお礼や伝言をして出かけました。
- 今夜は空港近くのヒルトンに宿を取りました。
- 細田さんと娘さん2人とジョン万次郎記念館やケープコッドのボストン郊外への観光に行きました。



細田さんの娘さんは、2人ともとても可愛いかったです。
- ヒルトンへの帰り道雷雨に遭いました。
- 「素晴らしい人々との出会いと感動」
- 娘さんの所から帰ったFrankとPeggiが土砂降りの雨の中、ホテルにお別れに来てくれました。
- ホテルへ明日の朝の段取りを確認もしてくれました。
- 細田さんも、私に言語障害があるので確認してはいてくれたのですが。
- 私はホテルのレストランで夕食をするところでした。
- 2人ともお酒を飲んで私に付き合ってくれ、Peggiは私のステーキを細かく切ってくれました。
- 私は嚥下障害があるので食事に時間が掛かるのに2人とも、私が食べ終わるまで一緒にいてくれました。
- おまけに支払いまでしてくれ、本当に良い人達でなにかエモーショナルな感じのものがこみ上げてきました。
- お別れして、朝早いので、10時には寝ました。
“お世話になりました!”


(13)第8日目(2009年5月25日)(月) 晴
- 「帰国の途へ」
- 8時の飛行機だったので5時に起床して、準備しました。
- 手すりがあったので、風呂に入りました。
- ところが右手で手すりを掴んで上がろうとしましたが、足が滑って上がれません。15~20分は悪戦苦闘してやっとの思いで上がる事が出来ました。
- 悪戦苦闘している間電話が鳴りっぱなしで、あせりにあせりました。
- 手すりも体の右側でなく体の正面にあれば出やすかったかもしれないなと思いました。今後は滑らないようにゴムのマットを頼む事にしようと思った。
- 風呂から上がって電話を取ると細田さんからであった。
- 本当に気を使って頂き有難かったです。
- しかしながら、約束の6時に成っても誰も来ず、自分でベルキャプテンデスクに電話して車いすを頼んだ。
- ヒルトンの様なホテルでも、Peggiさんや細田さんが確認してくれているのに、正しく実行されないのには驚く。
- ホテルの部屋から飛行機に乗る所までは何の心配もないと思っていたので、ちょっと計算が違いました。
- 仕方ないので、どこまで通じるか分からないが自分で頑張ってみる事にした。時間が無かったので、ホテルの前にいたシャトルにかろうじて乗せてもらい空港に行くことにした。
- ターミナルに着いても車いすは予想通り来ていなかったので、チェックインカウンターに自力で行った。
- 長い列で混乱していたので、ヤバいと思った。
- 列を管理している職員に事情を説明して、車いすを頼み、優先してチェックインさせてもらった。
帰りはシカゴ経由だった。1時間半でシカゴに到着。
- 飛行機を降りると車いすが手配されていた。
- ここはJALの管轄で「ホット」した。
シカゴのオヘアー空港は大きい飛行場なので、ここを歩くのは大変だ。
- 東京へのチェックインをすると幸運にも「ビジネスクラス」にアップグレードしてくれた。
- 「シカゴー東京間」は快適なフライトを楽しんだ。
- 東京まで足を伸ばせて良く眠れた。
- ひさしぶりのビジネスクラスであった。
- 2,002年にアナハイムに行ったとき以来であった。

(14)第9日目(2009年5月26日)東京着
成田に着くと、インフルエンザの検疫があり、飛行機の中でかなり待たされた。
- 仕事以外で海外に行くのは4月の中国深圳に続いてだったが、素敵な人の出会いと語らいに加え、今回も沢山観光してとても楽しみました。
- 長時間フライトにも耐えられ、ホテルからボストン空港間の問題にも、自分で、英語で対処出来、自信になりました。
- 最後に、こんなにもすばらしい機会を作って頂いた「片マヒ自立研究会」の主宰である森山 志郎さんに感謝したいと思います。
- 全くアカデミックでない私が、細田さんご夫妻の様な方と知り合いになれたこと、また、
- Peggi Robartさんのような根性のあるアメリカ人と知り合い、今後もお付き合い出来るようになって、“Never Give Up!"を合い言葉に、無料テレビ電話Skypeを使って交信しています。


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