介護者として、妻としての立場で介護を考える

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14.介護者として、妻としての立場で介護を考える

「独立自尊と脳卒中のサバイバー」:「超リハビリについて」考える
第Ⅲ部

Ⅲ部 介護者として、妻としての立場で

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「目次」

介護を考える会 アイリス泉   森山晏子

  • 障害者となった夫と共に札幌から横浜の自宅に戻ってきたのは1986年3月20日、大雪の日でした。
  • あれからもう25年を過ぎました。

① はじめに

  • 皆様の前でお話をするようになって良く質問されることの中に、どうして夫のリハビリにこれまで尽くそうと思ったのですか?と言う事をきかれます。
  • 032.jpgこれには、即答するのに一寸困るのですが、本当は“夫にそれだけの魅力があったから”と言いたいのです。
  • でもそれは少し控えておきまして、当時、社会の障害者の人権に対する偏見にどうしても受け入れられないものを感じたから、でもあるのです。
  • 1983年から日本でも始まっていた「国際障害者の10年」では障害者の人権に目を向けられていたはずでしたのに、当時それには程遠く、「障害者の自立などとんでもない」、障害者には、「恩恵を分け与える」という考えが主流でした。
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  • ですから「有り難く受けとるように」と言うのが福祉の本体だったのです。
  • 日頃のんきに夫の元で過ごしていた私も、これを知った時は急に頭をたたかれ、目を開かされた思いがしました。
  • 会社の中でも指導的立場で過ごしてきた夫が、これだけの事で、お恵みをいただきながら命永らえることなど、本人はもとより私にも不本意な生き方だったからです。

② 新しい人生

  • 横浜に帰ってからは、掛かり付けのお医者様に健康管理についてご指導いただいた折、新しくリハビリ専門のお医者様を紹介していただいて、機能回復訓練をしながら、新しい生活を暗中模索のうちに始めました。
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  • 大きな変化でしたから、家族全員が皆一緒になって真剣な日々をすごしました。
  • 家族みんなで、写真集を作ったり、二人で共に、カルチュアセンターに通って今まで出来なかった事を学んだり、私はペーパードライバーを返上して自動車の運転を再開し、兄、姉妹にさそわれての旅、新幹線での旅行、飛行機での国内旅行と、どれも半ば冒険でしたから細心の注意をしながら行動力の回復に努めました。
  • 一方で夫は、1人の熱心な保健師さんに誘われて、保健所のリハビリ教室に通い、障害者の方たちと自主的な活動団体泉睦会を作り、積極的な活動を始めるようになりました。
  • そしてこの6年の間に、長女は結婚し、次女は自立する方針を固めましたので、私は夫と共に新しく、障害はあるけれど出来る事を探しながら、積極的な人生を歩いて行きたいと思ったのです。

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③ 飛躍のきっかけ

  • 036.jpg平成3年に夫の友人に勧められて、私たちの第一作「歩けた手が動いた」という本を発行した時、これまでの活動でお知り合いになったリハビリの第一人者、当時伊豆逓信病院にいらした太田仁史先生が書評を書いて下さいました。
  • それ以来、全国保健婦研究会、看護大学、保健所関係の方々から問い合わせや、講演依頼、ご本人からの相談などがあり、全国的に、活動するようになりました。
  • 標先生とお知り合いになったのもこの頃ですが、それ以来、いろいろな所でお世話になっております。今回、皆様にお話しするのは、108回目になります。

④ 介護の体験を話す

  • 037.jpg私は夫の活動について歩いているうちに、介護者としての立場からお話しする機会が増えてきました。
  • 最初の頃のことです、「介護は、24時間毎日の事なのでとても疲れるのです。
  • 余り疲れすぎると優しくなれない時があります。もしボランティアの方にお願いできたら少し息抜きをして下さい。」と言いましたら、「とんでもない、ボランティアにいったらラケット持って遊びに行ってしまったよ、さぼる気なんだ」との返事が返ってきて、私はもう何にも言えませんでした。
  • 私が育った頃は、家族が病気になったとき、家族が介護をするのが当たり前でした。しかし大家族の場合と違って、核家族になると一人で介護と収入面の責任を背負うのはとても苦しい、夫が障害者になると離婚して生活保護を受け、妻が働きに出るというのが、一般的になって来ていたようです。
  • 038.jpgこれも一つの切り抜けるための方法だったのでしょうけど、辛い事でも二人だったら乗り越えられる、と思っていた私には、考えられない事でした。
  • 離れて暮らして心配ではないのかしら?
  • 障害を負った方には、側にいて支えてくれる人が必要なのにそれが叶わないなんて。
  • 元のようには戻らなくとも、社会の中で、家族の中で何かの役割を探して、その人らしく、生きていくことも出来るでしょうに、努力することは考えられなかったのかしら?と考えていました。

⑤ 社会的な役割

  • 平成8年泉区の保健所で、介護者サポートネットワーク事業が始まり、介護者の会を立ち上げて欲しいとの依頼がありました。
  • 長く介護をしながら健康に過ごせるにはどのようにしたら良いのかを皆様と共に考えていきたいと思い、お引き受けする事にしました。
  • しかし、身の回りの事しか知らない私は、ここで色々の介護者の立場、思いを聞き、それぞれに悩みの対象も種類も違い戸惑いました。かえって沢山の事を学ばせていただいたのです。狭い私の知識、経験の中では、解決に至ることは難しいと思いましたが、何か心のゆとりとなるものが少しでも生まれたらと思いつつ過ごしてまいりました。
  • この間、標先生のお書きになられた「健康マイノリティの発見」のご本を拝見し、先生の温かく確かな眼差しは、今後も何らかの手が差し伸べられなければ成らない多くの問題を指摘された物だと思いました。
  • 私の活動が少し広くなって忙しく、家事が滞りがちに成った時、夫はいつの間にか食事の後かたずけを、黙って引き受けてくれるようになっていました。
  • 始めは少し抵抗がありましたが、とても嬉しく、今は有り難くお願いしています。

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⑥ 介護保険

  • 040.jpg平成12年、介護保険が施行され、介護を社会的にサポートして行くことになりましたので、相談できる窓口もでき、1歩前に出る勇気をだせば、一人で抱え込まないで良いようにと、考えられてきています。広く知られて少しでも介護が楽になるようにして頂きたいものです。
  • しかし一方で、介護保険を利用できるようになった中途障害の方が、何するでもなく老人と同じような生活をされているのを見たとき、色々事情があってこの道を選ばざるを得ないのだとは思いますが、一度しかない人生を本当に勿体無いと思わずには居られません。
  • リハビリには期限を切ること等出来ないと思います。
  • まして心の支えは、家族の中のみならず、社会の中にもあるのが望ましいので、何か制度上でも考えて行かなくてはならない面だと思います。

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⑦ 人生の出会い

  • 夫は、一人の熱心な当時の保健婦さんに誘われてリハビリ教室に出席したのを皮切りに、「泉睦会」、「片マヒ自立研究会」を作りました。
  • そしてそこから、次々に色々な方にめぐり合い、学び、導かれながら、自分の世界を発展させ、生きる姿勢を確実なものとして参りました。今も、中途障害者が社会の中で人権を損なわれる事なく、いきいきと生きて欲しいと願い活動しております。
  • 私はそのそばに居てお手伝いをしながら、自分らしく生きてきたつもりでしたが、いつの間にか育てられていた思いがしています。
  • 今までに研究会を145回、講演会を108回行ってきましたが、それぞれに思い出があり、感動があり、時に思いがけない出会いがあって、楽しい日々でした。今では辛く悲しい出来事も人生の一こまとして懐かしく感じられ、只々感謝しています。

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  • そして「あの保健師さんが(小池さん)尋ねてくださらなかったら、私たちの人生も又変わった物になっていたかも知れない。本当に有り難たかったわね」と二人で話すのです。
  • 看護師のお仕事は、このように人の人生に良い転機を与えるお仕事でもあるのです。誇りに思い、何事にも挫けず諦めず、自分の描いた人生の望みを達成して頂きたいと思うのです。

⑧ 老い

  • 043.jpgこうしているうちに、いつの間にか25年の歳月を経、老いは自然に近づいておりました。
  • 2年前頃から、夫にも何となく不調の日が続き、検査すると前立腺癌が見つかり治療しました。
  • 安定しホッとしたのも束の間、昨年の1月末、激しい腹痛がして急に入院、手術になりました。其れが胆嚢癌であったことが分り、2月にまた手術する事になりました。私も付き添いながら2ヵ月間、毎日通いました。

⑨ 希望の囁き

  • 雪が降り出したその日、早めに帰った方が良いと思っていたのですが、再手術のあとの熱が出て帰りそびれ、夜8時過ぎになっていました。
  • でも明日の事を考えるとどうしても帰りたいと思ったので、雪の降りしきる中を帰ったのです。途中で吹き付ける雪にサイドの視界はとじられ、ウインカーをふるに動かしても、目を見開いても見えにくく、道が凍結する前に帰り着きたいと思うのであせり、必死になっていました。
  • そんなに真剣になっている時なのに、ふと 私の口からは歌が出てきたのです。
  • 044.jpg思いもかけず不思議な現象でした。

  • 「天つみ使いの 声もかくやと
  • 静かに囁く(ささやく) 望みの言葉
  • 闇あたりをこめ 嵐すさめど
  • やがて日照り出で 雲も拭われん
  •  囁く(ささやく)望みの言葉
  •  憂きにも喜びあり」

  • 随分昔、まだ高校の頃に歌った「希望の囁き」と言うホーソンの歌なのです。
  • 「私は何かに護られている」という思いが強くして、安心して家に帰り着くことが出来ました。
  • 退院してから夫にこの事を話しましたら、「パンドラの箱の底には、希望と言う言葉が秘められているのだよ。」と教えてくれました。
  • どうぞ皆様も、どんなに苦しい事があっても、めげずに乗り越えて下さい。
  • その後の経過はよく、間もなく一年になりますが無事に過ごすことが出来ました。
  • 感謝しながら健康に本来の命尽きるまで共に過ごしたいと思います。

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