障害を持つ夫と生きる

●論文館

15.障害を持つ夫と生きる

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<目次>
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「障害を持つ夫と生きる」     介護を考える会 アイリス泉前会長   森山晏子.
①. 病院での付き添い生活
②. 退院してから 地域でのリハビリ生活
③. 新しい生活への転換
④. 共に生きる事を考える
⑤. 片マヒ自立研究会のこと
⑥. 地域での活動(介護者の会アイリス泉)
⑦. 老い


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  • A31.jpg今から26年前、札幌で脳梗塞に倒れた当時の夫は、会社生活のなかで最も充実した日々を送っていた時だと思います。
  • 私も二人の子供が大学を卒業し、これからは少し自分がしたいと思っていた事が出来ると、東京に帰る日を楽しみにしていました。
  • ですから将に晴天の霹靂で、定年延長になった人生を、障害を負った夫と共に送ることになろうとは、夢にも思いませんでした。

①.病院での付き添い生活

  • 今は、あまり強い障害を残される方は少ないように感じられますが、当時は未だ血栓溶解剤も開発途上でしたので、強い麻痺に悩む方も多く、症状が落ち着くまで安静にさせられた方は、筋肉が失われてしまって立ち上がる事も出来ない状態に成る方も多かったのです。
  • A32.jpg私は少しでもよくなって欲しいと思い、付き添いました。
  • そしてリハビリはなるべく早いうちに始めた方が良いとお友達から聞くと、私も一緒になって始めました。
  • しかし無理をしすぎたからか、使われたお薬のせいか肝臓障害を起こして、絶対安静で1ヶ月過ごすうちに、麻痺のある右側の筋肉は、すっかり落ちてしまい、其れを見たときの驚きは今でも忘れないほど恐ろしいものでした。
  • 命が助かっただけで感謝しよう、一生車椅子を押して生活しようと思いました。

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②.退院してから 地域でのリハビリ生活

  • A34.jpg障害者と成った夫と共に横浜に帰ってからは、毎日が日曜日、新しい生活に慣れるようにと色々工夫しながら真剣な日をおくっていましたが、少し疲れ、何か変化が欲しいと思っていた頃、保健所から保健師さんが、訪ねてこられました。
  • 保健所とは、予防注射とか、母子手帳とかの用事しか知らなかった私は、夫に何を話しに来られたのかしら?といぶかる思いでお話を聞きました。
  • それは、リハビリ教室を開こうと思っているので、おいでになりませんか?と言うお誘いだったのです。しかし夫は、全然聞こうともしないのでお断りしました。
  • 其の後、3度目に来られた時、私は折角来ていただいたのに、申し訳なくて、「お話だけでも聞いてさし上げて・・・」と頼みました。
  • すると、夫は、詳しくお聞きする前に、「行くよ」とあっさり答えるので私は、拍子抜けしてしまいました。
  • でもこれが、今までの会社生活から、一般社会の中で生きる切っ掛けになったのです。
  • 今でも「この時の保健師さんは、天使だった、」と忘れません。

③.新しい生活への転換

  • A35.jpg一般社会の中で障害者として生きる事を考えている夫を、心配しながら見ているうちに、普通の一人の人間として扱われにくい障害者の立場が、見えてきました。
  • 当初の保健所長さんでさえ、そうでしたので、私は並大抵なことではない今後の生活を覚悟する必要を感じたのです。
  • 最初のうち夫は、リハビリ教室には時々参加していましたが、その中で、障害の違い、感じ方の違い、色々な気づきの異なることを発見して、自分の考えを次々に実行し始めたのです。
  • 保健所長さんが代わられてからは、(樋口良子女医さん)良くお話を聞いてくださったので、リハビリ教室にも積極的に参加して保健師さんたちとも、意見が言い合えるようになっていきました。
  • 私は、暫くは、一緒に出席しましたが、「家族が側にいると、色々と弊害があるし、お疲れも有ると思うので、2時間はお預かりしますから、家でお休み下さい、」といわれました。
  • A36.jpgこれは私にとってとてもありがたい時間でした。
  • 新しい生活になるとは思っていましたが障害とどう付き合っていけば良いのか分らないまま、暗中模索の毎日でしたから、他の家族の方とお茶を飲み、少しリラックスしてお話を聞き、今後のアドバイスを頂いたり、沢山の介護の知恵を教えて頂きました。
  • 1年経った頃、この保健所のリハビリ教室は卒業させられることになりましたので、仲間の方達と泉睦会という自主的な活動をする会を作って積極的に活動し始めました。
  • この会の中で、夫は、其の後、人生の岐路に立つ時、いつも道標のお地蔵様のように将来の展望を開いてくださった方々にめぐり合ったことは、本当に幸せでした。
  • リハビリ教室でお世話に成ったお習字の師匠土屋朱堂先生には、後に入門して指導を受け、平成2年には、作品を区の文化祭に出展して、障害を受容するほどの自信を得たと申しておりました。その後も作品を凌雲展に出展して受賞し、終生のライフワークにもなっています。
  • 又、友愛病院の柴田先生には、生きる事を根底にした工夫を、川崎の保健課長の長原慶子さんは、後にナイチンゲール賞を受けられた方ですが、社会の中で活動していく糸口ともなったあらゆる機会を開いて下さいました。
  • 又、長原さんから、是非にとお勧めいただいた当時のリハビリの第一人者、伊豆逓信病院の大田仁史先生の講演会に参りました時、夫は、講演内容を左手でメモ書きし、会報に載せたいと原稿にして、先生にお送りしました。
  • 私は、余りにも失礼な、と思い止めましたが、聞き入れてくれませんでした。
  • 歩けた.jpgすると、すぐに真っ赤に訂正された原稿が返送されてきたのです。このときは本当に驚きました。このように誠実な対応をして頂けるとは思っても居ませんでしたので、涙が出るほど嬉しく、心から感謝しました。
  • 平成3年に夫の友人に勧められて闘病記「歩けた!手が動いた」と言う本を出しました時、私も書くようにと勧められて、仕方なく書きました。
  • 最初は恥ずかしくて困りましたが、思いがけなく書評を大田仁史先生が書いて下さり、有り難く、私も確り(しっかり)しなくては申し訳ないと、強く思いました。
  • この歩けた!手が動いた」と言う第1作をだして以来、全国保健婦研修会、看護大学、保健諸関係の方々から問い合わせや、講演依頼、などが寄せられるようになって、とても忙しくなりました。
  • これだけ多くの方が望んでいらっしゃる事に、少しでもお役に立てるのならと、其の都度原稿を書き準備をする夫の側で、私もいつの間にか一緒に考えるようになっていました。 
  • 標先生にお目にかかったのもこの頃ですが、其れから今日までの長い年月、何かとお心に掛けていただき感謝しております。講演も今回で110回になります。

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④.共に生きる事を考える 

  • 保健師さんに2時間の自由な時間を頂いた頃から、これからの事を少しずつ考える事が出来るようになりました。私で無ければ出来ない事を主体的に考えて、ゆとりの取れる生き方をしていかなければ私も倒れしまう。
  • 辛いと思う事が重なっていったら、お互いの関係もトゲトゲしたものになるような気がしたので、私の趣味もつづけ、少し自分を大事にしながら息長くこれからの生活を考えてゆこうと思いました。
  • A38.jpg先ず再発する事は出来ないので、掛かり付けのお医者様に健康管理をお願いしつつ、私は糖尿病の食事管理をいたしました。
  • そして、行動範囲が狭くならない為、本人は毎日歩行訓練をしましたが、私もペーパードライバーを返上して、中古車を求め教習を受けなおしました。
  • 50歳を過ぎてからの挑戦でしたから、少し大変でしたけど、積極的に動く事によって、「うつ」になりそうな時など、救われた点はとても大きかったと思います。
  • 神奈川県の名所100選も殆ど回りましたし、東名高速道路を使ってかなり遠くまで旅が出来るほど行動範囲を広げて楽しみ、私自身の世界が大きく広がったことも確かです。

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⑤.片マヒ自立研究会のこと

  • 夫は、区役所のリハビリ教室から独立した泉睦会の事務局を10年つづけ、地域での中途障害者の受け皿になる会に育てましたが、この活動を通じて、人生の中途で障害を受けた方が、諦めるのではなく、残された能力を使って、新しい人生を再構築し、一般社会の中で堂々と生きて欲しいとの思いから、片マヒ自立研究会を作ったのです。
  • 例会は平成17年には100回記念のお祝いを社会学者の細田満和子氏をお招きして行いましたが、今年10月には150回になりました。

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⑥.地域での活動(介護者の会アイリス泉)

  • 一方、私は、平成8年区役所の福祉課から介護者サポートネットワーク事業で、介護者の会を立ち上げるので協力して欲しいと依頼されました。
  • 私も長く介護をしながら健康に過ごすには、どのようにしたら良いかを皆様と共に考えて見たいと思ったので、お引き受けしました。
  • 当時はまだ介護保険も無く、介護者は苦しみを話すこともはばかられて、一人で思い悩んでいた方が多かったのです。また介護といってもいろいろの立場があり、感じ方があり、解決できる事は、少ないのですが、共に考えてくださる方があるという連帯感・安心感の効果は大きいと思いました。
  • この会は、当初から担当してくださった保健師さんが、代々引継ぎをして下さり、サポートしてくださったので、色々と介護者のニーズにあった問題解決の糸口を提供して行くことができ、介護保険の勉強会、施設見学に至るまで、いろいろの情報を皆様に伝える事が出来たことは本当にありがたかったと感謝しています。
  • 介護も、平成12年には、介護保険が施行され、介護を社会的にサポートしていくことになりましたので、一歩前に出る勇気を持てば、一人で抱え込まないで良いようになりました。
  • この介護サービスを自分らしく賢く利用して良い介護をして欲しいと思っています。
  • A41.jpgしかし、一方で介護保険が利用できるようになった、まだ若い中途障害の方が、社会で再び生きる事を考える前に、老人と同じような生活をされているのを見るとき、色々な事情があってこの道を選ばれたのだとは思いますが、只一度だけの人生を本当に勿体無いと思わずには居られません。
  • リハビリは、時間を限ってするものでは無い、まして心の支えは、家族の中のみならず、社会の中にもあるのが望ましい。
  • 暖かい家族、社会の目の中で障害を負っても、自分らしい人生を送って欲しいと思います。その受け皿である地域リハビリが無くなりつつあるのを寂しいと思っています。
  • この会を通じて私の世界も広くなり、介護相談員や、キャラバンメイト活動と、忙しくなった平成15年頃には、夫は食事の後片付けなど、いつの間にか黙って引き受けてくれるようになっていました。

⑦.老い

  • A42.jpg二人とも元気に助け合いながら楽しく26年間過ごしてまいりましたが、老いは其の間にも静に近づいてきていたようです。平成21年頃から少し夫の体調が悪い事に気づき検査を受けましたら、前立腺がんと胆嚢癌が相次いで見つかりました。
  • 今は、転移癌予防の抗癌剤治療をしていますので、余り過激な活動は出来ませんが、地域のサロン活動には出席して、歌を歌ったり、体操をしたり、私と一緒に地域の方々と楽しんでおります。
  • 手術の前に訓練した呼吸訓練にヒントを得て80歳になってから始めたハーモニカは、どうにか皆様の歌にあわせられるようになり、サロンでは、一緒に歌っていただきました。これも素敵ですよ。
  • 今私は、介護者の会を、若い方に引き受けていただきましたので、これからは、今までの事を知識として持ちながら、自分の老いを考えてまいりたいと思っています。
  • きっと新しい発見と、楽しみが待っているでしょう。
  • お陰様で、困難に思えた私の人生も、夫と共に川流を汲み、薪を拾いながら、恙なく終盤を迎えようとしています。
  • どうぞ皆様も将来、どんな障害にあっても、諦めてしまわないで、立ち向かう勇気を持って下さい。そしてお仕事柄、私たちが出会った本当に有りがたいお地蔵様のような方になって頂きたい。
  • 誇りを持って志を遂げていただくことを念じています。

以  上

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「障害を持つ夫と生きる」     介護を考える会 アイリス泉前会長   森山晏子.
①. 病院での付き添い生活
②. 退院してから 地域でのリハビリ生活
③. 新しい生活への転換
④. 共に生きる事を考える
⑤. 片マヒ自立研究会のこと
⑥. 地域での活動(介護者の会アイリス泉)
⑦. 老い