昨日のように思われるあの頃・・・

●家族館

1.昨日のように思われるあの頃

01.JPG

1.昨日のように思われるあの頃 
2.障害者の家族になった時・・・
   ①入院中のこと   
   ②退院してからのこと
3.晏子自治会会報寄稿     
LinkIcon昨日のように思われるあの頃 TOP


←1.昨日のように思われるあの頃→

1.昨日のように思われるあの頃

片マヒ自立研究会100回記念に寄せて

森 山 晏 子

  • 横浜に引き揚げて来た日は、札幌から雪を連れてきたのではないの?と言われたほどの大雪でした。
  • 1986年3月20日のことです。しかし暖かさは札幌とは比べ物にならず、程なく消えた雪に、これで思いっきり歩いて元気になってもらえると喜びました。何よりも家族みんなが揃ったのでほっとしたのです。

    03.JPG
  • 毎日が日曜日になった退院後は、ひたすら回復を祈りながら無我夢中に過ごしましたが、夫も好意ある保健師さんのお勧めに従い、やがて障害者の仲間と共に会を作り、積極的に楽しいことを計画して活動をはじめました。

  • 私は、事務局を引き受けた夫のお手伝いをしながら10年間過ごしましたが、たくましく、明るく、今まで感じた事の無い皆様の力はとても魅力的でした。
  • 「毎日出かけてゆく場所があったら、そこへ行けば誰かに会う事が出来て寂しくならないし、張り合いが出来るのではないか」と言う意見が出て、私も市の福祉関係機関に相談にまいりました。

  • 当時 スエーデンで始まった障害者の人権運動が世界的な拡がりを持ち、日本でも1983年から10年間(1992年まで)は「国際障害者の年」と定めて障害者の人権に目が向けられるようになっていたのです。倒れた時は、正に国際障害者年の最中でしたので一縷の期待を持っていました。

04.JPG

  • でも其の意識は、理想であっても実現には程遠く、「どの様な障害でも一律に考えられ」障害者の意見を聞くのではなく、福祉とは、「健康な人が管理して与える制度である」といわれたのには、愕然としました。

  • 何時も「なんとかなるさ」とのんきに構えていた私には急に鉄の扉を「ばたん」と締められた思いがしました。 

  • リハビリテーションとは何なのだろう?
  • 障害があっても生きている限り人権は守られなければならない。
  • 私たちは、人生の途中で障害を得た方々と共に、私たちらしく「元気に豊かな生き方、を考えてゆけば良いのだ」と思いついたとき、ぽっと灯火が点った気がしました。

    05.JPG
  • その切っ掛けになったのが、私共の出版記念会なのですが、障害者になってもまだ残存能力はあることに気が付き、夫はお仲間と一緒に翻訳の仕事を完成し、そして皆様とともに片マヒ自立研究会を立ち上げたのでした。

  • (1991年)

    • ○ 個人の生活範囲から、
      • 心のリハビリ。
      • 再発しないための工夫。
    • ○ 社会へ出て行くためのバリヤーについては、街づくり等に関係のある行政の方をお
      • 招きして計画を聞き、要望を聞いていただくなど。
      • 東急の桜木町にエレベーターが付いた時は嬉しくて乗りに行ったこともあります。
    • ○ 復職の希望を持っている方の為には、経験者のお話やアドバイス、又その関係者
      • に復職状況や心得など、教えて頂きました。
    • ○ また余り知られていなかった福祉サービスについても調べ、少しでも生活の不便さ
      • を緩和させる方法をお知らせしました。

    • 06.JPG取り上げられた問題は、会員の方の提案、要望にもとづいて決められたので本当に多岐にわたっています。そして、この時々の議事は、テープに取り「元気○号」としてまとめ、会員の方や関係のあるところへお送りしました。
    • 私共も、著書やこの会の存在を通じて、全国からお手紙や電話の問い合わせを頂くようになりました。

    • 夫の講演活動は全国に広がり、障害者のリハビリ教室、大学・大学院での講義、行政の委員会にも出席するなど、忙しくも張りのある楽しい日々(で只々)感謝しました。
    • 現在は地域の方にも広く知って頂くために、住みよい地域づくりに協力したり、更に区民会議のメンバーとして福祉部会長を務めています。
    • 私も、夫の活動に付いて行きサポートしているうちに介護者の立場を語り、ついには、区内の介護者の会を立ち上げる事になり(1996年)、今年で満10年になりました。

    • 突然、思ってもみなかった障害に見舞われた時には、家族をも含めて閉鎖的で内向的になり、抜け道など皆無にも見えるものです。でも不思議に眼を外に向けて一歩踏み出す勇気があったら、明るい道が探し出せる事に気付いて欲しいのです。

    • 家族も恥ずかしい、などと閉じ篭るのではなく、共に歩く姿勢で外へ目を向けてくださったら、どんなに幸せでしょう。
    • 家族の支え方は色々ですが、とても大きな力なのです。共倒れにならないように、手抜きも、息抜きも、上手に取り込んで、賢く息長く、ご自分も大事にして欲しいですね。共に生きるために。

    • 福祉に対する社会の感覚は、ここ数年の間に随分変わり、障害者の意見も受け入れられるようになって来ています。これからは、もっと暮らしやすく良い社会になってゆく事と信じています。

      07.JPG
    • この会は、私共が悩んだ日のように、社会復帰を真剣に考え模索している方が、挫けることなく、其の方向性を見つけ、力を得て、社会の中で生き生きと暮らしてくださる事が目標だと思っています。

    • お元気になられ、出席されなくなった方のご活躍振りを、陰にでもお聞きするときはとても嬉しく喜んでいます。
    • これからも政治的な大きな権力、私欲に利用される事無く、健全な活動をして行きたいと思います。

    • 最近は看護職の方や大学の研究者にも参加希望があり、障害者の社会参加を積極的に働きかけていく意識改革もなされて来ています。病院から社会復帰までの一連のサポート体制が出来るようになると良いですね。

    • 一方、超高齢社会を迎えました現在、障害者が欲しいと思う環境はそのまま高齢者にも優しい環境でもあります。私たちが声を上げてきたこの環境作り,街作りは、奇しくも高齢者を理解して行く大切な感覚であり、先駆けの有意義な活動であったのだと少し嬉しく思っています。

    • それと同時に、少子社会を考える時、高齢者も介護予防を心がけて、積極的に社会に参加し、健康な高齢者になることが望まれるでしょう。障害を持っても、自立して生き生きと生きようというこの研究会の活動方針は、これからの高齢者にとって、とても大事な考え方なのだと思います。

    • あれから15年、遥かに見えました100回目の記念すべき研究会を今年迎える程になりました。会員皆様のお力の強さ、そして支えて頂きました沢山の方々の温かさは、大きな愛の賜物として有り難く深く感謝しています。

    • また、共に励ましあって来ながら、この日を迎えることなく故人と成られた方には、感謝と喜びの報告をしたいとしみじみ思います。

08.JPG

1.昨日のように思われるあの頃 
2.障害者の家族になった時・・・
   ①入院中のこと   
   ②退院してからのこと
3.晏子自治会会報寄稿     
LinkIcon昨日のように思われるあの頃 TOP


←2.障害者の家族になった時→

2.障害者の家族になった時

介護を考える会 アイリス泉代表

森山 晏子

  • 09.JPG

    私が夫の介護者になったのは、21年前のことです。現在とは社会意識や体制も随分変わってきておりますので、余り問題にならないこともあると思います。しかし障害者の家族になったときに、どうゆう事を感じるかは、共通するものがあると思いますので、その点をお話してみます。


←① 入院中のこと→

  • ① 入院中のこと

    • ○ 夫も申しましたが早く元通りになりたいとリハビリを焦ります。
      • それと同調して家族も焦ります。
      • これからどう生きて行けば良いか、どう付き合えばよいのか、家庭に帰っても、こんな状態ではどんな生活が出来るのか、どんなサポートをしてゆけば良いのかと凄く心配になります。ですから、早く元気になってもらいたくて、本人が焦るのに同調して私も一緒になって焦ってしまいました。

      • しかし、これは危険な事でした。
      • 強いお薬のせいもあったかもしれませんが、肝臓障害を起こして絶対安静を言い渡されたのです。そして機能はどんどん失われてしまいました。
      • その他にも色々な障害を起こす危険性を含んでいるようですから、家族は決して焦らないように、病院ではお話してあげてください。

        10.JPG
    • ○ 病院にいる間に、今後の生活の教育期間として、出来るだ
      • け詳しく発症の原因など、教えて欲しいと思います。又この病気は、再発し易いと言われますので、その不安を少しでも助けるためにも、再発防止のために注意した方が良いと思われる事を教えてください。

    • ○ 食事の管理について、特に糖尿体質のあった夫の為に栄養指導はとても有り難かっ
      • たと思っています。


←② 退院してからのこと→

  • ② 退院してからのこと

    • ○ 家族の影響力はとても大きいと思いますので、家族がしっかりと受け止めてあげて
      • 欲しいのです。11.JPGしかし、家族の態度は、「甘やかし」では支える事にはなりません。「可哀相だ」とか、「何でもしてあげる」のではなくて「共に生きていく」と言う姿勢で臨んで欲しいと思うのです。


      • 「優しさ」だけでなく「強さ」も大事で、特に「うつ」になった時は、側にいて確り支え「どうしたら『うつ』から抜け出せるか」、といろんな手を尽くすのも家族ならではのことではないかと思います。

    • ○ リハビリ・機能訓練と言うのは病院の中だけでなく、家に帰ってからが本番です。
      • 日常の生活が良くなるような目標を立て、生活して欲しいと思います。
      • リハビリの訓練はとても大変ですから、お仲間のいるリハビリ訓練室に通うのも一つの方法ですが、日常生活の中でも考えてオリジナルな訓練が出来ると良いと思います。
      • 家族も一緒になって、意欲が失われないように、「こうゆうことはどうかしら」と考えたり、工夫したり、アドバイスするのも大事なことだと思います。

        12.JPG
    • ○ このような状態にあるときは、焦って混乱に陥る
      • のではなく、本人も勿論、家族も、障害に慣れて行くつもりで時を過ごします。そして、しっかりとその障害をみつめ、どんなことが必要なのか、どんな手助けをすればその人の生活が豊かになるのか、自由度が増して行けるのか、考えて対応すると宜しいと思います。

    • ○ よく障害を持つ家族を抱えると閉鎖的になりやすく、恥ずかしいと外へ出されない
      • 方もあります。でもそうではなく、障害者であっても一人の人間として立派に生きて行って欲しい、そういう意味からも、社会への扉を閉じてはならないと思います。良くお付き合いを止めて家の中に閉じこもってしまう方も有りますが、これは一番よくないケースです。
      • 努力もしてみることです。意外と世界は狭まっていないのを実感なされ、出来れば一緒に外へ出て行き、お付き合いも絶たずに昔のようにされると良いと思います。

    • 13.JPG同じような状態にある方とのお付き合いは、色々な面で教えていただく事も多く、
      • 遠慮せず、緊張も少なくお話して行けますから、コミュニケーションの自由度を増すと共に、これが自信に繋がるのです。
      • 社会生活の第一歩として是非訪ねて欲しいと思います。地域にあるリハビリ教室や、活動団体を、情報として退院する時に教えていただけたら嬉しいと思います。

    • ○ 又、家族は、その方の為に犠牲になるのではなく、共に生きていく姿勢で努力して
      • 欲しいと思います。完全を目指さないで、少しは我慢してもらいながら、ゆっくりと到達させるつもりで。家族も工夫しながらそれぞれの生活を大事に、私も夫には申し訳ないと思いながら、不便を我慢してもらって、好きなお稽古事を続けました。その間は随分辛かっただろうと、感謝しています。

    • 14.JPG夫が障害者になった事で、それまでに考えていた生活とは随分変わってしまいまし
      • たが、今は、これもまた良いかなと思って居ます。あのまま元気でお互いを思いやることなく生きていたら今のように味わい深い人生は得られなかったでしょう。悲観的な面ばかり見ないで、真剣に物事を見たり考えたりしながら、過ごしてください、きっといい物が掴めますよ。と話してあげて欲しいのです。

    • ○ そのためにも、家族が一人で悩んだり、抱え込んで
      • 疲れ過ぎたりして、共倒れにならないように。これが一番恐ろしいのです。孤立しないで安心して相談できる場所、仲間を見つけて欲しいと思います。色々な情報を得て、希望のある自分の人生を考える努力をしてください。どうぞ「逃げないで」「恐れないで」勇気を出して社会へ目を向けられますように。これが私には一番大事な、役に立った事でした。
      • きっと充実した素晴らしい人生を送る事が出来ると信じて毎日を過ごされますように励ましてあげて欲しいと思います。

      • ご静聴有難うございました。
      • (これは、2005年に医療関係の方にお話した事です。)

←3.晏子自治会会報寄稿→

3.晏子自治会会報寄稿

  • 私達も、和泉台に住んで、23年になります。01.JPG
  • 当時溌剌とし、活気に満ちていらした方々も、退職され、家庭中心の生活になり、やがて高齢者の域に達する年月を経たと云うことです。

  • 今春は、3人目の孫が生れると云うので、久しぶりに張り切ってその援助をした積もりでした。しかし、年齢相応の体力には限界があり、4月末からは変調、そして連休中には動けなくなってしまいました。
  • 主人も障害ある体ですから無理も出来ません。でも、娘の協力で、どうにか切り抜けることができました。
  • そして何よりも、力強く感じたことは、ご近所の方が、何かにつけ声を掛けたり、訪ねて下さったり、お買い物の心配を頂いたり、様々な形でサポートして頂いたことでした。
  • この土地に住む者として、只々感謝いたしております。

    02.JPG
  • 区の、介護者サポート事業(アイリス泉)に携わって3年半になりますが、やはり、ご近所の温かな支援と関心が、とても嬉しく有り難いと、皆様云われます。今回私も、改めてしみじみと感じたのです。

  • この自治会の中にも、高齢者二人の所帯が増えて参りました。一方が倒れた時の心細さは、どんなに遠くに沢山の身内が居ても癒されるものではありません。
  • 訪ねて頂ける近くの方が、お互い少しずつ温かな関心を持ち合って、声をかけ、助け合って行けたら、素晴らしいな、と思いました。

平成12年6月9日
14班 森山晏子

03.JPG


1.昨日のように思われるあの頃 
2.障害者の家族になった時・・・
   ①入院中のこと   
   ②退院してからのこと
3.晏子自治会会報寄稿     
LinkIcon昨日のように思われるあの頃 TOP