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『アイデンティティ生涯 発達論の展開』
への紹介依頼
広島大学大学院
教育学研究科教授
岡本祐子
もくじ
『アイデンティティ生涯 発達論の展開』 TOP
←森山志郎様 御侍史→
森山志郎様
御侍史
拝復
急に寒くなり、本格的な冬の到来が感じられるようになりました。
ご無沙汰しておりますが、その後おかわりなく、ご活躍のことと拝察申し上げます。
先日は、立派な「心が動く出会いへ」の冊子をご恵送いただき、ありがとうございました。
「人生の危機」からの回復なさったこともすばらしいことですが、このような活動を長く持続してこられたお力に、大変感銘を受けました。
今後のご発展を心より、お祈り申し上げます。
本日は、お願いがあってお手紙をさしあげました。
ミネルヴァ書房からのお薦めで、拙著『アイデンティティ生涯発達論の展開』を執筆し、まもなく脱稿となります。前著「アイデンティティ生涯発達論の射程」(岡本祐子著、ミネルヴァ書房、2002)の続編という位置付けで、今回は特に、心理臨床の分野の研究と臨床実践を中心にまとめました。
その中の第3章は、予期せぬ人生の危機の心理臨床的研究をまとめ、第2節に「人生半ばで障害を負うこと」についての実証的研究と考察を加えました。
その中で、初めて森山さんからお手紙をいただいた時に同封されておりました「体験的障害受容論」を本書に紹介させていただけませんか。
臨床心理学研究は、自然科学とは異なって、一人称の心理学、二人称の心理学、そして客観的データに基づく三人称の心理学のいずれも意味を持ち、その複合・統合の上に展開しています。その意味でも、この体験記は貴重なものであると考えています。
拙著の目次と、森山さんのことを記しました第3章第2節の1.の部分を同封しております。このような形で活字にしてもよいかどうか、お伺いさせていただきます。
ご承諾いただければ大変うれしく存じますが、もし不都合な点がございましたら、ご遠慮なくおっしゃってください。ご多用な毎日だと思いますので、ご承諾いただけますなら、ご返事は結構でございます(拙稿の返却も不要です)。
もし不都合な箇所がありましたら、12月18日(月)までに、ご連絡いただければ幸いです。拙著は、順調に運べば、来春4月下旬頃には出版の予定です。
森山さんには、ぜひご覧いただきたく、刊行の折にはお送りさせていただきます。
それでは、向寒の折柄、どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。
今後ともお元気でご活躍のこと、心よりお祈りしております。
かしこ
2006年12月7日
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「アイデンティティー生涯発達論の展開」の中に取り上げられた論文
第2節 人生半ばで障害を負うこと
本節では、人生半ばで障害を負うこととアイデンティティの問題について考えてみたい。まずはじめに、中年期に突然、重い障害を得た人の体験記から、その心の世界を内側から理解していきたいと思う。
1.半身麻庫者のアイデンティティの再構築 一森山志郎氏の「体験的障害受容論」一
- 数年前、森山志郎氏という方から、分厚い封書のお手紙をいただいた。
- この方は、56歳の時、脳梗塞のため右半身麻庫の障害者になられた。
- 懸命のリハビリによって心身ともに自立し、退職後の第二の人生は、「片マヒ自立研究会」を主宰しながら、自治会の役員、区民会議の福祉委員長、リハビリや看護、福祉に関する講演活動など、活動的な毎日を送っておられる。
- 現役時代は、企業人として戦後の我が国の復興の第一線で働き、心理学とは全く異なる道を歩んでこられたにもかかわらず、障害を得てからは、Eriksonのアイデンティティ論を勉強し、障害の受容について考えてこられた。
- しかし、この方は、人生半ばで突然身にふりかかった障害者としての自分を受容していくことは、Eriksonのいう「アイデンティティの達成」という枠組みではどうしても納得できなかったという。
- ある時、拙著「中年からのアイデンティティ発達の心理学」(岡本、1997)を読み、「アイデンティティの達成」ではなく、これまでの生き方の「修正」として、アイデンティティを再構築していけばよいのだと気づくことができたということであった。
- お手紙には、ここに至るまでの経緯がていねいに綴られ、私の「中年期のアイデンティティ再体制化」理論の理解とご自分の体験を、機関誌に発表したことのことであった。
- 森山氏自身のアイデンティティ再構築の体験については、私は何も解説する必要はない。
- それは、私の研究を正確に理解し、それをご自身の人生半ばの危機と克服に、みごとなまでに応用されたかけがえのない記録である。
- ここに、森山氏のご承諾を得て、その「体験的障害受容論」を掲載したいと思う。

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岡本理論を下敷きにした「体験的障害受容論」 森山志郎
序 岡本理論の概要
- エリクソンによる人間の発達論は、リハビリをしている私にも、老年期の課題が存在することを示して、強い精神的な支えになってくれた。
- エリクソンは、青年期の普遍的な課題として、アイデンティティの確立をあげている。
- しかし、彼の理論では、人生の中途における「挫折から立ち直る」テーマまでは読み取れなかった。その理論的空白地帯を埋める野心的研究が広島大学の岡本祐子教授の『中年からのアイデンティティ発達の心理学』である。
- 私にとって、彼女の研究は、次の3つの点で示唆的であった。
- 彼女はまず、このアイデンティティは、いったん確立された後も、人生の節目節目で、心身の変化に応じて見直され修正されると述べる。
- つまり、アイデンティティは人生の途中で幾度か見直し、そのつど、「身の丈にあったもの」に修正されるものであるとした。
- これが、岡本による「ラセン式に発達するアイデンティティ」である。
- 第二は、そのプロセスを明確にしたことである。
- 中年のアイデンティティ再体制化のプロセスは、次の4段階であることを実証した。
-
1. 心身の変化の認識にともなう危機期
-
2. 自己の再吟味と再方向づけへの模索期
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3. 軌道修正・軌道転換期
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4. アイデンティティの再確定期
- 第三は、私たちの姿勢を問題にしたことである。

- 人生の岐路に立ちながら問題と対決する時に、人がその問題に主体的に取り組むかどうかで、その後のアイデンティティの発達が変わるという。
- 主体的に取り組むことをその要諦にした理論である。
- 岡本の理論は、健康な一般の人々が中年に至り、徐々に「心身の変化」に遭遇したケースをもとにしたものである。それにも関わらず、この理論は、私のリハビリ体験とまったく合致する流れの理論であり、私たち中途障害者が自分の再出発を考えるときの共通の基盤として、貴重なものだと思う。
- 私の体験に基づいて、この岡本理論を下敷きにして、「中途障害者」固有の問題を俎上にのせて検討したい。
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←1.「心身の変化の認識にともなう危機期」と「突然の障害とその認識にともなう絶望」→
1.「心身の変化の認識にともなう危機期」と「突然の障害とその認識にともなう絶望」
(1)心身の変化の認識
- 健康な時代は加齢にともなう変化は、ゴルフに行っても飛距離が減ったことや、夜の付き合いでも疲れが残ることなど、少しずつ自覚されていた。
- ところが、突然ある日、不具合で入院すると、一晩のうちに手足が麻庫し、人間としての機能が失われる障害に襲われた。この突然の変化に、人の意識はついていけない。
- 聞くところによれば、手足を切断された人は、その失われた手足の、今はなくなっている場所に痛みを訴えるという。人の意識の不思議さである。
- これまでは、病気になっても、いつも回復してきた。

- そんな経験しか持ち合わせていないから、絶対によくなると信じてリハビリの機能訓練に汗をかく。一部では、「はい、私は障害者です」とか、「私は不具者になった」など、自分の障害を認めるように求められるが、この時期は、認めないのが健全な神経だと思う。
- なぜなら、まだ治ると信じ、治してみせると努力しているからである。
- 障害の事実すら認めるに至っていないからなのである。
- 人というものは、ひたむきに生きようとする存在なのである。
(2)認識の強制
- しかし、私は自発的な訓練を強行して、過労のために肝臓機能が悪化して、絶対安静を宣告された。「門前の狼、後門の虎」である。4週間で安静は解けたが、その結果、右半身のあらゆる筋肉が脱落し、皮膚のみが中空の袋になっている自分の体を発見したのである。

- 私は、この事実を突き付けられて、二度と人生を回復できないという絶望に支配され、男泣きに号泣した。
- 「認識する」とは、単に事実を知ることのみでなく、その「事実のもつ社会的な意味」を含めて十分に知ることである。
- そしてそれは、そのままでは私に、人生の絶望、人生の最後を通告するものでしかなかった。こんな形で「障害の事実」を私は無理やりに「認識」させられ、絶望に陥った。
(3)障害の受容ができない患者
- 「障害の受容ができない患者」…こんな言葉が、ケアする立場の方のなやみとしてもれてくる。これは、何か、勘違いをしているのではないかと思う。
- 「障害の事実を認識」することは、大事なことであり、それは、社会復帰までを展望に入れた全人格的なリハビリのスタートになる土台を認識するからである。
- 一方、私の体験した「障害の受容」には、障害をもっていても生きていける条件を模索する長い行程で、心の枠組みを組み替える「アイデンティティの修正」をする期間が必要だった。
- 価値観を見直して、アイデンティティを修正することが、障害を受容する前提にあったのである。

- 障害の事実を認識することは、リハビリの前提になるが、価値観も変わらずに、単に事実認識することは、まじめに人生と取り組んできた人ほど絶望のどん底に落ち込み希望と意欲を失い、回復に必要な取り組みができなくなる。
- この段階は、まさに人生最大の危険な時期なのである。
- 「認識する」ことは、「事実を認める」ことである。
- 一方、「障害の受容」とは、「障害をもって人生を行く自信が回復する」ことを意味する。
- したがって両者は、天と地ほどの隔たりがある。
- 「障害の受容」ということぱは、しっかりとその意味を理解しないであいまいに用いると、危険を招くことぱであると考える。
(4)絶望からの脱出
- ここで大きな問題は、絶望からの脱出という重要なプロセスが潜んでいることを提起したい。障害が元のように治らないという事実を知って、誰でも絶望の状態に陥る。
- この絶望の心が続く限り、人は次のステップに進めないのである。
- 絶望を招く事実を知ることと、明日に希望をもつこと、この相反する2つが同時に行われることが望ましい。
- 私が絶望から脱出できたのは、たくさんの要因があったと思う。
- 生育した家庭環境、妻子との家庭環境、周囲の温かい励まし、楽天的に、前向きに、積極的にと、ものごとを意識的にコントロールしようとする技術。

- 私が脱出したきっかけは、自殺の方法を考えて眠れぬ夜を過ごしたその明け方、看護師の「おはようーっ」の朗らかな一声だった。
- そして拳が動かない私に、婦長の「きっとできるよ」の一言の励ましだった。そして植物人間になりたくない思い、オリンピック選手並みに努力すれば、きっとできるということを宗兄弟に教えられたことも大きかった。
- この段階の問題は、「障害の事実を認識する」ことで、それに伴う絶望感に代わって、いかに希望をもたせるかが必要である。
- これは、二律背反の困難な作業であるが、今後の慎重な研究が望まれるところである。
←2.「自分の再吟味と再方向づけへの模索」と4段階の回復プロセス→
2.「自分の再吟味と再方向づけへの模索」と4段階の回復プロセス
- 健康な人と違って、困難な課題が山積している段階である。
- それには長い年月と倦まぬ訓練や家族のサポート体制が求められる。
- 通常、リハビリと言われている諸活動の大半は、この部分に多くを割く。
- そこで障害者の場合、この過程を私は、次の4段階に分けて考察する。
(1)残された心身の能力の確認
- 毎日少しずつ、自分に残されている能力を探して、その程度を確認していった。
- 麻庫が緩み、肉体的な能力が回復するのは時間がかかるにしても、精神的な能力の破損状態が気になった。これは、火事場の焼け跡から何か貴重なものが焼け残っていないか、必死で探す人の心境にも似ていた。
- 幸いに、精神的に活力は失われていなかったが、無意識に私は、エリクソンの説く「人格的活力」を順次、確認していた。そして、第V段階の「アイデンティティの確立」でストップした。「この心と体でこれからどう生きるか」という課題に回答を見出せなかった。
- 巨大な壁になって前途に立ち塞がっていた。
- そして、歩けない足、意味が通じない言葉、全く役立たずの右手、硬くなった関節と筋肉、これが退院した当時の私の姿だった。
- 退院して取り組んだのは、バリアに満ちた社会で移動能力を確保することと、言葉でコミュニケーションする能力を回復することであった。
- 右手の機能を代替する方法で日常生活水準を確保するというテーマが大きかった。

(2)新しく自己教育する心身能力の開発と発達
- 右手の替わりに左手を使うということは、言うのは一言であるが、左手で箸を使うにも、並々ならぬ繰り返しの訓練が必要だった。
- そうやってADLといわれる領域の能力が確保されるに従って、並行してQOLといわれる生活の質に関心が移り、目標の水準も上がり、和式トイレが使えるよう、蹲踞(そんきょ)の訓練も効果をあげた。
- 北海道に旅行して、新雪の山と麓の紅葉の写真を撮ることができたが、障害者として生きるには、工夫が必要であることを教えられた。
- 上田敏先生の著書からはリハビリについて、神谷美恵子先生からは生きる意味を、その他多くの専門家の著書からさまざまな知識を得た。
- 大学の学生時代に負けない知識の習得だった。
- しかし、これは単なる知識に留まって、私の行動を改めるところにまでは至らなかった。
- そのもやもやしていた時、大田先生との出会いがあり、「啐啄同時」とも言うべき、決定的な影響を受けた。それは、幕末から明治を生きた福沢諭吉の述懐で、環境が替われば人間には価値観や人生観を組み替えることが必要であることを教えられたのである。
- 目からうろこが落ちた。
- たまたま出会った書道の師匠から隷書の指導を受けた。
- 左手に筆を持たせて「入門五百時間訓練」という短期集中の訓練を実行して、一定水準の成果を確認した。その左手の習字の成果を、区民文化祭に出展して、これを眺めるうちに、これならやれると思った。

(3)フィードバックと繰り返しの「ならし」訓練
- そしてこれは、機能の回復がADLの水準を高め、ADLの水準が高くなると、QOLの満足に進む。またADLにフィードバックして、さらに高くなる。
- この循環、繰り返しによって、ADLは改善され、より高いQOLをめざすことができた。
- 励ます仲間がいると、つらい繰り返し「ならし」の訓練が進み、しだいに上手にものごとができるようになり、社会復帰の条件が整っていく。
- この段階での危険性は、この仲間のもつ親しみの輪の中で、社会復帰のコースに突入する勇気を失い、永遠にリハビリの「ならし運転」の循環軌道を廻り続けることになる。
- 厳しくこれを戒めて、社会復帰のコースを選択できるようにする工夫を探したい。
(4)どのような社会生活が可能かの吟味
- 区民文化祭の会場に飾られた隷書「弄花香満衣」の額を見て、生きる自信が湧いた。
- 昔の価値観が求める私に戻るのではなく、人間としての価値観が求める、人間らしく生きていく自信である。
- 右手が使えないのは仕方のないことで、左手を中心に必要な能力を開発する「自己教育」により、障害があっても全人格的に社会的有用さが回復できる自信である。
- やっと「障害の受容」ができたと感じた。両方の肩から重荷が取れた。
←3.軌道修正・軌道転換→
3.軌道修正・軌道転換
- 私は、とりあえず闘病の記録として、妻と共に「歩けた!手が動いた」を上梓した。
- 発病して6年目だった。突然の障害に悩む大勢の人に、「回復は可能です」とメッセージを送り、少しでも皆さんの力になりたいと思った。
- かつて、会社の利益のために必死で働いた世界は、もはや私には無縁の世界になった。
- 経済的には退職金とささやかな蓄えがあった。「少欲知足」ということばがある。
- 経済規模の拡大の時代には考えられないことばだったが、今は人の心を大事にしてくれる大切なことばとなった。
- 再発の防止が生活の基本になったから、食生活をはじめ生活が見直され、体質の管理が生き残った私の責務にもなった。仲間の中でのリハビリが大事と知って、自主グループ「泉睦会」の事務局長を10年、務めた。
- その後、軸足の中心を「片マヒ自立研究会」に移し、リハビリ問題の解明を志した。
「片マヒ自立研究会」の活動

←4.アイデンティティの再確認→
4.アイデンティティの再確認
- 右マヒの状態は変わっていないが、障害との付き合い方がうまくなったのと、社会の側でバリアフリー化が進み、交通機関の利用等、社会的な不利はずいぶん軽減されてきた。
- 『心が動く』を出版した時、お祝いに駆けつけてくれた古い友人は、「昔と少しも違わない」という。
- 彼とは一緒に、最悪の事業環境で難問に立ち向かっていた。
- そんな彼の目には、当時と少しも変わっていない部分が映っていたのかもしれない。
- あるいは、大きく変わった部分は、後天的に時代の影響で付け加えられたのかもしれない。案外、本来の自分が現れたのかもしれない。
- 岡本先生の本にも、カウフマンが「若い時と変わらない老人のアイデンティティ」が報告されている。
- おそらく、アイデンティティを修正したと思っていても、案外、修正できた部分は社会人になって付け加わったもので、人生にとって本質的でない部分だったのかもしれないのかとも思う。
- 現在は、片マヒ自立研究会主宰として、仲間と一緒にさまざまなリハビリにともなう問題を追い続け、各地で講習会や講演会を重ね、一般市民や学生に向けた啓蒙活動も多い。・・・
- 障害は、年をとればだれでも向き合う問題であるが、私は障害者になることで早期にその不便を体験した。そんな私には、高齢者が安全に自立した生活ができるまちづくりの推進は、大変意義の大きい、私に似合ったテーマであると考えている。
- 私に活動が許される限り、挑戦したいと思う。それは、私のためでもあり、次の世代を育てることでもあるからである。

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