
0.はじめに

この度は、片マヒ自立研究会100回目を迎えられまして、おめでとうございます。本当に100回もの研究会を行ってきたというのは、並大抵のことではありません。
- 継続してこられた皆様のご努力に敬意を表します。
- 私がこの研究会を知ったのは、2002(平成14)年12月に、森山さんとお会いしたことに端を発しています。
- 当時、病いや障害を持ちながら生きるということをテーマに、博士論文を書こうと調査しており、荘道社という出版社によるリハビリテーション研究会に参加しました。
- その時、ゲスト・スピーカーとしてお話しをなさっていらした森山さんと知己になり、この会のことをご紹介していただき、2003(平成15)年1月から6月まで、ほぼ毎月、参加させていただきました。
- 少し、自立研究会の思い出の話をします。
- 研究会で話される内容は、それぞれの近況や心に残った本の感想といったものから、復職や社会参加、会報の編纂、行事企画をテーマにした各種分科会の活動報告まで多岐に渡り、熱気にあふれる議論が繰り広げられ、いつも圧倒されておりました。
- そのような中で、ある時、私にも発表の機会が与えられたので、拙い初期の段階の草稿を発表させて頂きました。
- ところがこの発表は散々なものでした。ある会員の方からは、「細田さんは、障害者とおっしゃるけど、どういう人を指しているのですか?指が1本無ければ障害者ですか?歩けなければ障害者ですか?」と詰問され、身がすくむ思いがしました。
- しかしながら、この経験は、障害者という言葉でひとくくりにできない、ひとりひとりの個別な<生>に、それまで以上に真剣に向かわなければならないことを決意させてくれました。
- こうした経験があったからこそ、病いや障害を持ちながら生きるということをテーマにした研究が、一応の形となって、博士論文として認められ、やがて本として出版されるようになったのだと確信しております。
1. 今日お話させていただくのは、その本の一部です。

- この本の元になっているのは、「自立研究会」の皆様、こちらに来ていらっしゃる「みなとの会」の皆様、「健志会」の皆様、そしてリハビリ病院に入院中の方、あわせて27人の方々へのインタビューです。
- 皆様に、人生の途中で突然、脳卒中という病いと障害を持つようになるということについて、どんなことを思ったか、どのような過程を辿ってきたか、お聴かきかせいただきました。
- インタビューの際は、ご自宅まで押しかけていって、お話を聞かせていただいたりしました。時にはお茶やお食事をご馳走になったりもしました。また、静かに話を聴ける喫茶店、福祉センターなど公共の建物のロビーや集会場においてもインタビューをさせていただきました。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。
- それでは、「病いを得て再び<生きる>ために、変容にみちびく出会い」というテーマで、お話させていただきます。
2. 突然の発症

- 脳卒中は、ある日、突然にやってきます。ある日、突然に意識を失い、手足が不自由になる、あるいは言葉が話せなくなるのです。これは、他の病気と大きく異なる点です。
- ほとんどの人は、脳卒中になるまで、健康な体を持ち、職場や家庭で「働き盛り」として働いていました。
- 中には、高血圧や糖尿病という「持病」をもっていらっしゃる方もいましたが、それでも、自分は病気や障害を持っているという気持ちはほとんどなく、働いていました。しかも「会社人間」や「仕事人間」「企業戦士」と自他共に認めるというような働き振りでした。
- また、外で働いていなくても、家事をしたり家族の世話をしたりと働いていました。
- ところが、脳卒中を発症すると、それは激変します。体は自由に動かないし、言葉も出ない。人の世話どころか自分の世話もできず、人から助けてもらわなくては、トイレに行くことも、食事をすることもできない。会社も休まざるを得なくなるし、場合によっては辞めなくてはならなくなります。
3.これは、今までの世界が全く崩れ落ちてしまったような経験です。
- 「自分が自分でなくなるよう」
- 「自分の立っている地盤が抜け落ちるような破局」
- 「生きていても仕方がない」

- 多くの人がこのような思いを抱くようになります。 そして、多くの方々が自殺さえ考えるようになります。これは、本当に悲しいことですが、自分自身で、自分が<生きて>いる意味を見出すことができなくなり、そして、他の人もそのように思っていると思ってしまうのです。
- 「生きていても仕方がない」と<生きる>意味を失ってしまうのですが、では、人が<生きる>ということはどういうことなのでしょうか?
- これは正直申し上げまして、非常に大きな問いで、社会学に限らず、哲学や歴史学、医学や生物学、およそあらゆる学問が、人が<生きる>ということは、何かについて研究しています。むしろ、学問とは、人が<生きる>ということを研究するものであるといってもいいかもしれません。そのように大それた問いなのですが、それほどまでに人が<生きる>ということは、計り知れない奥行きと可能性を持ったものなのです。
- ここでは、<生きる>ということについて、5つの位相から見て生きたいと思います。
4.まず第一に、生物としての人が<生きる>という位相です。

- これは①生命といえるでしょう。心臓が脈打ち、栄養をとって代謝する。命を持つ者として存在しているということです。
5.次に、第二に命を持つ者が考えたり、言葉を使ったりしながら
他者と交わるという位相で

6.第三に、体の調子がいいとか悪いとか、
身体を認識したり、歩いたり座ったりといった身体
- を動かしたりする位相があります。これは身体といえるでしょう。

7.第四に、家庭生活です。

- 家族と関わりを持ちながら、あるいは一人暮らしであっても、慣れ親しんだ家で暮らすということです。
8.第五に、社会生活です。
- 仕事の仲間や地域の仲間、親しい人と社会的存在として暮らすということです。

9.脳卒中による危機
- ところが、そうした<生>の途中で、全く思いがけなく、脳卒中という病いに襲われるのです。

- 脳卒中の発症は、まず個体としての生命の存続の危機として訪れます(=①生命の危機)。
- やがて死の淵から引き戻されて、後遺症として手や足が動かなくなる、思ったとおりに話せなくなるなど、身体に障害が残ることが明らかになってきます。
- それは人々に、身体というのが、かくもままならないものであることを先鋭化した形で突きつけます。
- 後遺症が、失語症として現れると、他者とコミュニケーションをとることが難しくなったり、言葉で考えたりすることが難しくなったりします(=②コミュニケーションの危機)。
- また、後遺症が片麻痺として現れると、さまざまな痛みが押し寄せたり、寝返りを打ったり立ち上がったり、食事や排泄をしたりといった、生きてゆく上で必要な基本的な動作を行うことさえ難しくなったりします(=③身体の危機)。
- 中には、リハビリ訓練をしたりして、失語症や身体機能を一定の程度回復させ、コミュニケーションをとったり、基本的な動作を行うことができるようになったりする人も出てきますが、ほとんどの人にとって、日常生活を営むのに、さまざまな困難が伴う状態は長く続きます。元と同じように言葉を操り、動けるように回復することは、残念ですがほとんど稀なのです。
- さらに、家族の一人が脳卒中になると、看護や介護をめぐり、家族の生活に亀裂が入ることもあるし、脳卒中になった人が家計を支える人であったなら、収入を絶たれて生活の糧がなくなってしまうこともあります(=④家庭生活の危機)。
- たとえ身体がある程度回復したとしても、一人前の仕事ができないからといって会社を辞めるように促されたり、また、自らそのように考えて仕事を辞めたりすることもあります(=⑤社会生活の危機)。
- こうしたことは、人それぞれなのです。また、危機の具体的内実も、その人のそれまでの<生>のありようや、相互行為する他者との関係性によってさまざまです。
- いずれにしても、この突然の脳卒中の発症は、それまで当たり前であった身体や生活が、決して自明なものではないということを人々に知らしめることになります。
10.絶望からの試行錯誤
- 脳卒中になってからは、自分が自分でなくなってしまうように思い、<生きる>ことを否定されたような深い「絶望」を感じるようになります。
- ただし、多くの人はその中で、自分には何ができるか、どのように<生きる>べきかということを、挑戦しては失敗し、失敗してはまた挑戦するという、試行錯誤する体験を繰り返します。

- 人々は元通りの身体や生活を取り戻そうとしたり、新しい身体の状況に合わせた新たな生活を作り上げたりしようとします。
- それは、失敗を繰り返しつつも、挑戦するという試行錯誤といいうるものです。
- たとえば、リハビリ訓練や復職のための働きかけや工夫などは、多くの人が、失敗を繰り返しては、やっと成功するという長く、苦しい過程を続けていました。
11.身体の試行錯誤

- 杖を使って、体を振り回すように歩く、「ぶん回し」、椅子に座る時、腹筋を使いながらそっと座る、寝返りを打つ時は麻痺側に気をつけるなど、新しい身体の動かし方を繰り返すうちに、やがてその身体の動かし方に慣れてきたりします。
- また、失語症を持つ人の場合は、パソコンを使ったり、紙に書いたりして、新しいコミュニケーションの仕方を見出していきます。
12.復職のための試行錯誤

- 聴き取りをした限り、復職に際して会社からは、公共の交通機関を使って通勤することが条件として提示されることが多いということでした。
- そこで、多くの人が通勤の工夫をしていました。
- そこで、一生懸命に理学療法の訓練に励んだりします。
- しかし、リハビリ病院の訓練室では歩けるようになっても、実際に町に出てみると、道が狭かったり、段差があったりとさまざまな障壁に突き当たり、なかなか思うように歩くのは大変です。
- そこで、人々は、リハビリ病院を退院してから、歩いて駅まで行くことや、階段の昇降ができるように訓練したりします。
- その訓練も、始めはラッシュの時間帯を避けた昼間に行い、だんだん実際に会社に通う時間帯に近づけて行ったりします。
- その結果、一人で自宅から地下鉄に乗って会社に通えるようになり、復職を果たしたりしています。
- ただ、以前と比べて会社まで通うのに、時間がかかるようになったりします。
- また急ぐと緊張してしまい、余計に体が硬直して動かなくなってしまうの で、急ぐことができなくなったりするという人もいます。そこで、病気になる前のようなスピードで体を動かすことができないことを見越して、時間に大幅な余裕をもって家を出るようにしたりしていました。
- また、仕事の工夫としては、できないことを同僚に頼むようにしたり、やりやすい方法を考えたりしていました。
- 仕事の量を調整したりして、以前と同じ仕事を続けていくにしても、さまざまな工夫をしていました。
- 以前のように、自律性を重視し、効率よく働けることに高い価値を置く、活動主義を標榜する彼らだったら、できないことを人に頼んだり、仕事の量を減らしたり、効率の悪いやり方ですることに対して、低い評価しか与えることができなかったでしょう。
- しかし、彼らは、自律性を強硬に主張するよりも、出来ないことは誰かできる人にやってもらえば良いと考えたり、仕事量が減っても仕事そのものに意味を見出したり、効率の悪い仕事の進め方であっても、心を込めた仕事ができることに喜びを感じたりしていました。
- これは、仕事の遂行に対する新しい経験を手に入れたといえるでしょう。
- この時、人々は、やり方を変えれば、現状は危機だけではなく、いくつもの可能性に開かれていると思えるようになっています。
- 脳卒中になって身体が不自由になったとしても、働いて社会生活を送ることは可能なのだという認識を持てるようになった人々は、危機としか捉えることのできなかった<生>の位相を、可能性に開かれたものと捉え返しています。
13.新しい生活の試行錯誤
- 趣味活動、旅行、患者会家族で出かける。
- 「亭主元気で留守が良い」から、共に行動する夫婦へ。
- 「道に咲いている花が分かる」

14.支える人々
- その際には、医療専門職や同病者や家族などの他者との関係性のあり方が、決定的な影響を与えていました。
- 人々は、苦しい状況を乗り越えることができるようになったのは、例えば「家族がいたから」、「先生がいたから」、「(同じ病気の)仲間がいたから」と口々に言っていました。

- つまり、脳卒中になった人々は、自らと他者との関係性の中において、生き抜くことが可能と考えるようになるといえます。
- ここでは、家族や医療専門職や同病者が、互いに互いを必要としあう関係となります。それを、わたしは「出会い」と言いたいと思います。
- 「出会い」というのは、単に人と人が会うことや、同じ場所で行為することとは異なります。
- だから、例えば医療専門職と相互行為をするといっても、症状を見て、検査値を読み取り、診断を下すというだけ、あるいは、清拭をして、体位交換をするだけ、訓練をするだけという形式的なものであったなら、それは「出会い」とはいえません。
- また、同じ病気や障害を持つ者同士にしても、同じ部屋に割り振られたり、一緒に訓練したりするだけでは、まだ「出会い」は生じていません。
- 家族も、彼らが入院している時は見舞いに来たり、退院してからは介護をしたりするが、それが家族だから世話をすべきという規範に同調していたり、病院からの要請を受けて義務として行われたりしている時、「出会い」は生じていません。
- 「出会い」とは、<生>をかたどる各位相が危機に陥ってばらばらになるという新しい状況に直面した人と、支える他者が共に、互いを必要としつつ支え合うという関係性が築かれることなのです。
15.「出会い」と「変容」
- 「出会い」:互いに相手を必要としながら支えあう関係性。
- 人は、病いや障害を持つようになって、<生>をかたどる各位相が危機に陥って、ばらばらになるという新しい状況に直面します。
- そうした人と支える人が、互いに互いを必要としつつ支え合う、という関係性を築き上げることがあります。

- この、病いの後を<生きる>ために、各位相を再び統合させてゆく営みを、「出会い」と定義しました。
- 「変容」:「出会い」を契機に、それまでとは全く異なる主体となること。
- 「新しい自分」
- 他の人に何と思われようと、その人なりに、その人の人生を、自分が主人公になって生きられるようになること、それが、彼らが「笑える日」を迎える条件、再び<生きる>ための条件なのでしょう。
- 脳卒中になった人は、そのようにして、これまで自らも内面化してきた病者や障害者に対する規範を反省的に振り返り、人として生きることの価値を変化させ、新しく生まれ変わるかのように、世界を作り変え、<生きて>いるのです。
16.絶望から希望へ
- ・試行錯誤 ・受け容れる
- 試行錯誤の過程で、彼らは、障害を持つようになったことによって、従来とは異なる身体や生活の可能性を見出していました。

- それは例えば、自分の意志どおりに動かなくなった身体の新しい振舞い方を身に付けたり、身体の新しい可能性を見出したりすること、努力と工夫をしながら復職したり、今までとは異なる新しい生活を作り上げたりすることでした。
- 人々は、自らの新しい可能性を見出し、障害を持ったとしても、それもまた自分なのだと思い返せる、「新しい自分」を発見するようになっていました。
17.「新しい自分」へ
- 「脳卒中になってかえってよかった」
- ‐多様性に開かれる、人としての豊かさ‐
病いを得て、障害を持ちながらも、いいえ、それだからこそ、人としての可能性を広げ、豊かに生きることができるのです。

- 脳卒中になって障害を持ち、痛みや苦しみを抱えて<生>がばらばらになり、「自分とは何か」という問いを発するようになります。
- その状況の回復や受け容れに向けての試行錯誤の体験を繰り返してゆく過程で、自分の弱さを認め、身体の新しい可能性を見出し、他者との新しい「出会い」を果たし、自らが「変容」するという経験を重ね、「新しい自分」を発見しています。
- この「新しい自分」は、病気になる以前の自分よりも、人として向上した存在なのです。
- 弱さを備えた主体から出発する新しい価値観を作り上げ、かつて自明であった失われた世界を新しい世界へと作り変えているのです。
18.医療専門職の方々へ~「障害受容」の落とし穴

- 私の議論は、理論的な展開が未熟であったり、聴き取りも足りないところがあったりすると思いますが、その批判は甘んじて受けることにして、脳卒中という病いを持つ人々の<生>を、ある特定の視点から切り刻むことなく、彼らの具体的な声を聴くことによって、切実な痛みと辛さを伴いつつ多様で豊かな<生>としてお話してきたつもりです。
- 次にすることは、そのことによって出された帰結を元に、具体的な提言をすることであると思います。
- そのひとつとして、医療専門職の方々に、「障害受容」について、もう一度考え直していただきたいと思います。
- 医療専門職の人々は、時に、「障害受容」を促そうとして、「治りません」、「一生車椅子です」などということがあります。
- しかし、このような一方的な物言いは、医療専門職が目論でいるような「障害受容」を促すことなど全くなく、いたずらに人々を傷つけるだけです。
- よって、安易になされるべきではないと思います。「障害受容」は暴力的な強要になりうるのです。
- ただし、適切な時期に適切な言葉で、後遺症としての障害はなかなか元のように戻らないこと、その代わりに新しい身体の動かし方や生活の仕方を見つけ出してゆくことができるということが、医療専門職から人々に伝えられるなら、それは彼らが、障害を持つ自分を受け容れてゆく方向に向かうよう促す契機になりうると思います。

19.医療専門職や行政関係の方々、そして、この場にいる皆さんへ~
- それから、もう一つ言いたいことは、「支えあいの仕組みを創る」ということです。

- ① その一つは、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などの専門職の質・量を共に拡
- 充するように提言することがあります。
- 地域によって、また病院によっては、そうした職種が雇用されていないところも未だ多くあります。
- 言語聴覚士に関しては、1997(平成9)年になって新しく承認されるようになった職種であるために、十分な養成がされていないという経緯もあると思うが、理学療法士や作業療法士は1965(昭和40)年から国家資格として承認されており、そうした職種が必要とされる場所に、適切に配置されていないとしたら、早急に整備されなくてはならないと思います。
- 入院したリハビリ専門病院で、一生懸命に訓練をして、杖歩行ができるようになったり、言葉を言えるようになったりして良くなったとしても、退院後、自宅から通える地域の病院には、リハビリを行う専門職がおらず、歩行訓練や言語訓練を続けることできずに、再び車椅子になってしまったり、言葉が言えなくなってしまったりするのでは困るのです。
- もちろん、病院でリハビリ訓練さえすれば、実生活に役立つ身体の動かし方ができるようになるとは限りません。
- 日々の生活の中で、散歩をしたり、他者と会話したりすることがリハビリ訓練であり、そうした生活の中で新しい身体の動かし方が身に付いてゆくという側面もあるでしょう。
- しかし、リハビリを担当する専門職から、ちょっとしたコツが伝えられたり、リハビリ訓練を続けていこうという動機付けが与えられたりすることも、彼らは必要としている。
- 脳卒中になった人の生活をより良いものにする目的にかなう形で、理学療法士や作業療法士や言語聴覚士の配置を拡充すべきであると言えます。
- ② さらに、復職を希望する人のための職業リハビリを充実させるように提言することも
- できます。
- 退院後の復職や生活に役立たせるために、作業療法士から、コピー機の扱い方や、料理の手順が教えられたりすることもあり、それらは役に立つこともあるが、実際の仕事をするためには全く足りないというのが、人々の偽らざる気持ちでありました。
- また、こうした不十分な訓練でさえ、提供できるリハビリ病院は限られており、多くの病院では全く訓練ができないままに、退院して自宅に帰ることになってしまっていました。
- こうした復職のための訓練は、もしかしたら、リハビリ病院という施設においては、手に余ることなのかもしれません。
- だとすれば、リハビリ病院と職場を繋ぐ、より実践的に復職のための訓練ができる場の創出が求められるでしょう。
- それは、復職リハビリテーション施設を新設することかもしれないし、訓練をしながら実際の仕事を遂行する作業所のような形をとるものかもしれません。
- ③ そして、人々に寄り添う本書の帰結として、何よりも「出会い」の場が創出される機
- 会が、できるだけ多く用意されることが必要なことを提言できるでしょう。
- 脳卒中になって危機に陥った人々が、再び<生きる>ための主体の「変容」には、医療専門職や同病者や家族などといった他者との複数回の「出会い」がモメントになっていましたが、多くの人が、何度もこうした「出会い」を果たすためには、そうした他者と、互いに行為をするような場、例えば患者会のような場が創出される方途が探られるべきです。
20.2年来アメリカに住んでいますが、
そこで知ったちょっといい話を皆さんにご紹介しま
- す。
- アメリカでは脳卒中患者というのは、脳卒中を発症したばかりの人を指します。
- ですから、皆さんのように、脳卒中を得られた後しばらくたった方々は、一般に脳卒中患者とは言いません。そのかわりに、これまで「脳卒中の犠牲者」という言われ方がしていました。でも、ここまでに私がお話させていただいたように、多くの人が、脳卒中になって、かえって人間的に豊かになったと思っているという事実があります。もちろん、この事実はアメリカでも同じように見受けられるものです。

ですから現在、アメリカでは脳卒中になられた方を、「脳卒中の犠牲者」ではなく、「脳卒中のサバイバー」と呼んでいます。
- サバイバーというのは、生き残った人、生還者ということです。
- そこには、脳卒中を発症しても、たくましく生き延びて、そこから自らの人生を新しく、豊かに切り拓いてゆくという意味がこめられています。
- 「脳卒中の犠牲者」から「サバイバー」へ。私がインタビューをさせていただいた皆さんに、まさにこの名はふさわしいのではないかと思っています。
- もしこの会場の皆さんの中に、自分は「犠牲者」だと思っている方がいらっしゃったら、「サバイバー」になっていただけたらと思います。「サバイバー」になって、ご自身の脳卒中のご経験を、周りの人に見せたり、伝えたりして下さるなら、世の中の多くの人が、脳卒中になるということの意味を理解しやすくなるでしょう。
- 犠牲者からジャンプアップしてサバイバーへという願いを込めて、この講演を、締めくくりたいと思います。
- ―以上―
