障害者の自立

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6.障害者の自立

障害者の自立

  平成13 平成13年4月11日
     神奈川県立看護教育大学九回生   地域専攻科

「障害者の自立」 

片マヒ自立研究会主宰    森山志郎・晏子

1)自己紹介   3.リハビリ教室と自主グループ   4.私の新しい人生
2)回復までの一連の流れと私のリハビリ    ①保健婦さん    ①養 生
  1.突然の発病    ②気づきの場    ②自立心と誠意
   ①発病    ③新しい自分を探す   5.具体的な活動
   ②入院    ④生き方を模索する    ①片マヒ自立研究会主宰
   ③廃用症候群    ⑤障害と向き合うこと    ②地域社会の活動
   ④死の誘い    ⑥曙の光    ③その他
   ⑤敵を知ること    ⑦習字の世界   6.二つの詩
   ⑥移動能力    ⑧「受容」の意味 3)質問と疑問に答える
   ⑦退院
  2.退院して当面するバリアと工夫
   ①バリアに囲まれて
   ②左手の可能性
   ③写真集

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←1)自己紹介→

1)自己紹介

  • 森山です。横浜でも西の端にある泉区に住んでいます。
  • 1929年に生れましたから、今年の誕生で72歳になります。 
  • 私の少年時代は、戦争の時代でした。戦争をすることが国の仕事で国民は武器を持って戦に参加するか、武器を作るために仕事をするか、とにかく大変な時代でした。

  • 障害者の自立日本は明治維新でようやく世界の列強に囲まれていることを知り、外国の植民地になりたくないとの一心で、明治の指導者が必死に舵取りをしました。
  • 昭和になって、それが過ぎて失敗しました。

  • 昭和20年に終戦になると、経済的な復興、国民は豊かさを求めます。今度は、一生懸命に働いて、少しでも豊かにしようと、それこそ昼となく夜となく働き、少ない機械を使い人は12時間交代で夜も昼も働く、こんな調子でした。そんなことをしながら、日本を豊かな国にすることに懸命でした。

  • 私は丁度、北海道の札幌にいましたが、そこで突然入院しました。
  • 脳梗塞と診断されて治療とリハビリで6ヶ月、右片マヒのために右手は胸にくっついたまま、足は辛うじて杖をついて歩ける程度、2級の障害者手帳を頂いて春3月退院して、自宅に帰ってきました。色んなことをして生きてきた過程の中に皆様方の参考になることがあると思うのでそれを聞いてください。

←2)回復までの一連の流れと私のリハビリ→

2)回復までの一連の流れと私のリハビリ

←1.突然の発病→
  • 1.突然の発病
←①発病→
  • ①  発 病障害者の自立
    • 支社長と言う仕事はストレスの多い仕事でした。血圧も少し高めでしたが、暫く前に糖尿病のために減量をして、血糖値を下げていたことを忘れてしまいました。
    • 札幌に赴任した時は、子供もまだ学校なので単身赴任をして妻が時折やってきていました。すると食べ物は美味しいし、糖尿病の警戒心をなくしていました。タバコはストレスを解消するために一日80本吸っていました。

    • 障害者の自立これだけ吸うためには、灰皿に1本置きながら別のタバコに火をつけるという具合でした。電車が着くとプラットフォームで先ず1本吸う。朝、靴を履きながら1本吸ったりしました。仕事の関係で、ビールにはじまりワイン・ウィスキーとあらゆる種類の酒が私の部屋にありました。

    • ある日、これまでに経験したことのないような痛みを足の踵に感じました。北海道で初の新製品の展示会だったのですが、「直ぐ病院に行かないと、命に関わる」と、知人の強い直言で慌てて病院に行ったら、そのまま入院してしまいました。

←②入院→
  • ②  入 院
    • 病気とは風邪くらいしか意識にありませんから、「4,5日も寝ていれば治るさ」と気楽に考えていたのに、寝ていても手や足の筋肉が縮んでくるのが分かるのです。まひが始まったのでしょう。「手が縮んできたよ」。右手に感覚がありませんから寝返りの時に右の腕を肩の下に敷き込んでしまい、「あっ、大変!腕が何処かに行ってなくなった」と大騒ぎしました。

    • 点滴を常時5、6本、それでも順調に回復したのでしょう。
    • 容体が安定すると早速、リハビリを始めました。リハビリをすれば「昔のように戻れる」と信じて、人より沢山やれば人よりも早く回復できるだろう、と思って、「余り過ぎると良くないよ」という看護婦さんの声も聞かず、廊下の隅っこや階段の踊り場などで隠れてリハビリの運動をしていました。

←③廃用症候群→
  • ③  廃用症候群
    • 少し良くなったな、と思う頃、突然、血液検査で肝臓障害を発見しました。
    • 薬の副作用か、無理な運動のためか、絶対安静にしなさいと宣告されました。そこで絶対安静の恐ろしさを話すと、健康な人は絶対安静をしても、結構無意識の内に動かしていますが、麻痺があって絶対安静をすると、本当に手足が動きません。

    • 障害者の自立そんなにして4週間の後、「もう良いよ」といわれて、やれやれとベッドの横に立って手を後ろに回した時の驚きよう、左のお尻に膨らみはあるが右側のお尻には膨らみがありません。更に右の胸がぺしゃんこになって、皮の袋が垂れているのです。「一体、どうしたのだ?」絶対安静の間にあらゆる筋肉が脱落したのです。廃用症候群がこれほど恐ろしいものか知らなかったのです。口惜しい思いが込み上げて来て、熱い涙が溢れ出してどうにも止まりませんでした。

    • こんなばかな、廃用症候群というものは本当に凄い威力があります。
    • 筋肉というものは本当に素直なのです。動けという命令もないし、必要な栄養補給もストップしていますから、「私は不用なのですね」と言って水になってしまうのです。「君は大事なのだ、君は僕に必要なのだ」いつもこういっておれば筋肉は「そうですか」と期待に応えてくれるものです。
    • こんなことで廃用症候群の怖さを知りました。

←④死の誘い→
  • ④  死の誘い
    • 1月になると北海道にも冬の嵐がやってきて、氷の固まりを吹き付けてきます。ひらひらと舞うボタン雪とは事情が違います。ビシッビシッと窓に叩き付ける音で夜中に目が覚めるのです。障害者の自立
    • 外は真っ暗、窓は見る見る雪と氷で白くなる、こんな体になって生きていってどうするのか。役に立たない体になってどうやって生きて行けば良いのか。

    • 自殺を考えても、父親が自殺したのでは後で娘が困るだろうから、自殺が分からないように事故死に見せて死ぬ方法はないものか。カメラを持って川に落ちたり、雪道で酔っ払って寝込んだり、死ぬ方法ばかり考えるのです。

    • 考えると益々、気は滅入ります。そんな時には悪い方悪い方に廻っていくものです。たまたま、朝の巡回に若い看護婦さんがやって来て、「おはよう!」と、屈託のない元気な声で眼が覚めました。その声を聞いて「あっ、いけない、私は死神と直面している」「生きることを考えろ」と自分に言い聞かせたのでした。

←⑤敵を知ること→
  • ⑤  敵を知ること
    • 諺に「敵を知り、己を知って戦う者は、百戦して危うからず」という言葉があります。これは中国の孫子と言う人の言葉です。
    • 敵を知ること、自分を知ることの両方を知らなければ勝てません。脳梗塞の後遺症という障害は、一体どんなものか。それに対している私はどんな力を持っているのだろうか。とにかく、手に入る限りの資料を借りて勉強を始めました。

    • まず敵を知ることです。これまでに出会ったことのない敵はどんな性質を持っているのか。その頃の私は、肩が亜脱臼のために、指2本落ちていました。動かすと痛くて、痛くて、遂に手術しようかといわれました。これは厭だと断りました。

    • 今ではこうやって上にも上がります。
    • 動かすと痛むから動かさない、付き添いさんが、そんな私を見て、「森山さんはやる気がない、やらないとどうなるか見せてあげる」と、車椅子に私を乗せて植物状態の入院患者の病棟に連れていきました。

    • 「森山さんは直ぐああなるんだよ、見ておきなさい」。あんなになるのか!大変なショックでした。たまたまその時、北京マラソンの中継がありました。そこで宗兄弟が同着で優勝したのです。マラソンで優勝することがトテモ難しいことなのに、一緒にゴールしたことは大変な感動でした。

    • 障害者の自立この2人のやった訓練を見習う必要があると思いました。2人がロサンゼルスのオリンピックに行く前に、「3日トレーニングを休むと回復に5日かかります。とにかく毎日やらないと筋肉は駄目なのです。」
    • こんな言葉を思い出しました。

    • 寝たきりになりたくない、そのためには「オリンピック選手並みの訓練をしよう」と心に深く決めたのでした。

    • 植物人間にはなりたくない、そのためには、オリンピック選手並みの訓練メニューを作ろう、私が対面する障害は、これまでに出会った事のない難しい相手でした。そして何よりも大事なのは「こころ」が萎えないように、絶えず「希望」を捨てずに生きる課題が残りました。

←⑥移動能力→
  • ⑥  移動能力
    • 障害者の自立そこでまず、車椅子を捨てて杖を貰い、歩く事に挑戦しました。
    • 所が尖足になり垂れ下がって危険なので足先に包帯を巻き、それを膝のところに引き上げて固定しました。腰に「命綱」を巻いて危険な時に付き添いさんが手を出せるように対策をして歩きました。

    • 10mも歩くと、とても疲れて大変でした。でも、少しづつ伸ばして、20m、50mと長い距離が歩けるようになりました。足は歩けるようになりましたが、少しも動かない右手は胸に固く張り付いて握りこぶしは開きません。

    • ある日、私はその拳を見詰めて、心の中で呟いたのです。
    • 「お前、何故動かぬのか!何とかしろ!」すると拳は私の期待に応えて親指が「ピクリ」と動いた、いや、動いたと感じたのです。
    • 思わず「動いたっ!」と大きな声で叫びました。障害者の自立

    • 婦長さんが驚いて飛び出してきて、私の話しを聞くと、「じゃあ、もう一度やって見せて」。今度はどんなに努力しても指はビクともしません。
    • その時、婦長さんは、「さっきのは思い違いよ」と私を否定しなかったのです。そして、「だったら、きっと又できるようになるよ」と肯定して、「希望」があることを教えてくれました。
    • 私は経験豊富な婦長さんだけにその言葉を信じて、心深く希望の灯火を点すことが出来たのでした。

←⑦退院→
  • ⑦  退 院
    • 退院が近づくことは、患者の心には微妙な問題があります。昔の職場にすんなり戻れる人は別として、職場に戻れない人もあります。退院したら新しい職場に行く人など、表向きは平気に見えても内心では不安がいっぱいなのです。
    • 気分が重たくなりますが表には出さず、看護婦さんに花束を貰って笑顔で退院しました。

←2. 退院して当面するバリアと工夫→
  • 2. 退院して当面するバリアと工夫
←①バリアに囲まれて→
  • ① バリアに囲まれて
    • 退院して自宅に戻って感じたことは、バリアのなかった病院の世界からバリアの一杯ある世俗の世界がどれほど生活し難いかと言う驚きでした。
    • 病院の中は非常に安全に設計され管理されており、弱い患者は守られていますが、一般の社会にはそんな配慮はありませんから、段差は平気、人のための歩道には商品が置かれ、元気な人が無神経に追い越していく、道で顔見知りの方に会って、「おや、どうしましたか」と声をかけられたが答えが声になりません。何と答えれば良いのかと考えるけれどなかなか考えがまとまらないのです。

    • 人間は複雑なシステムを持っているので、退院した頃は、言語能力の回復はまだまだ不完全なのでしょう。次第に人に会う事が厭になってきます。
    • 道路は歩き難いし、人に会っても話しが旨く出来ない、次第に「閉じこもり」の方向に傾きました。そんな私を妻が心配して、一生懸命に車を運転してあちこちに連れ出してくれました。
    • 県内のあちこちを廻り、神社仏閣や海岸の砂浜を歩き、とにかく時間をどうやって処分するかが問題でした。

←②左手の可能性→
  • ② 左手の可能性
    • 秋になって、北海道で患者の会があり、出かけて支笏湖の温泉に一泊してボランティアさんに温泉に入れてもらいました。障害者の自立
    • 朝になると山には初雪が純白に輝き、麓には「七かまど」が紅葉して真っ赤に燃えていました。「こんな光景が撮りたかった」と、用意のカメラと三脚を準備して出かけたのです。

    • 私はこの旧式なカメラを首にかけ、妻には三脚を持って旅館を出ました。
    • 撮影のポイントを探してようやく位置を決めてみると、三脚を持った妻の姿が見えません。急いで写さないと雲が出てきたらお仕舞なのです。

    • 「急いで、何とかしないと!」気が焦りました。と、「カメラを逆さまにしたら」と、頭の中にアイディアが浮かびます。「そんなことしたら逆さまに写って駄目になる」頭の中で、もう一人の私が答えます。「逆さまに写ったフイルムを逆さまに印画紙に写し出したら良いよ」「なるほど!そうだね、分かった!」。カメラを逆さまにしたらシャッターの位置が左手で操作できる位置に移りました。もう夢中で撮りました。これは大変な教訓になりました。

←③写真集→
  • ③ 写真集
    • この1枚をいれた写真集「愛しの大地」を作りましたが、この1枚の写真は私の貴重な記録なのです。工夫をしなければ駄目だよ、という事と、工夫をすれば何かの方法は見つかるものだよというものでした。
    • この社会とは、両手を前提に、しかも右手を主とするシステムが出来上がっています。そこで左手で生きていこうとすれば、それなりの工夫が要るのです。

    • その工夫は自分でするしかありません。これは大きな教訓でした。この1枚の写真を「愛しの大地」という写真集にいれました。こんなことを通じて、自暴自棄にもならずに来られたと思っています。
    • ことにこの写真集を作る時には、家内も娘も一緒にやってくれました。表紙とかレイアウトは娘がしてくれるし、私が選んだ写真の中から家内が選んだ作品が残りました。家族の皆が写真集を作るという共通の目標が持てました。今でもこのことは良かったなと思っています。

←3.リハビリ教室と自主グループ→
  • 3.リハビリ教室と自主グループ
←①保健婦さん→
  • ① 保健婦さん障害者の自立
    • そんな時に保健婦さんが来てくれたのです。保健婦さんは本当に天使だと思います。リハビリ教室があるからいらっしゃい、と誘ってくれても、人に会うのが厭な時なので、決して直ぐ「はい、分かりました」とはなりません。2度3度と誘いに来てくれました。
    • 保健婦さんは非常に控えめに誘ってくれたものですから何となく断ってばかりでは悪いと思ったのです。私が「行きます」と返事したので妻が驚いていました。

←②気づきの場→
  • ② 気づきの場
    • 教室に出ることになってそこで多くの障害者がいるのに驚きました。仲間との出会い、多くを気づく機会がありました。障害者の自立
    • 例えば体操の号令で首を曲げると「痛いっ!」。可笑しいな、普段は何ともないのになぜ痛むのだろうか。
    • 日常の生活では痛い首を回さず痛くない腰を回していたことに気づきました。体操をして筋肉や関節が固まっている事を知って驚いたのです。「これは大変だ!」気づかない内に固くなっていることを知りました。

    • 深呼吸をすると肋骨の間の筋肉が痛い、色んな所に影響が出ていました。
    • 立ち上がって自己紹介の挨拶をしようとすると足の指が鷲の爪のように内側に湾曲してきます。その時に優しい所長を尋ねて色々と相談しました。今考えると、カウンセリングを受けていたようです。
    • 自分で話しながら自問自答している私を、「うん、うん」と所長は肯きながら笑顔で耳を傾けてくれました。そうして、ADLと呼ばれている日常の生活動作をどうやって拡大するか、頭は一杯でした。

←③新しい自分を探す→
  • ③ 新しい自分を探す
    • 今になって、このリハビリの時代、何が一番大事であったかと考えて見ました。リハビリ教室を終わった後、泉睦会という自主グループの事務局長を10年やりましたが、これは障害者になった自分自身を見詰め直した時間だったと思います。
    • 少し難しい言葉で言うと、アイデンティティを改めて確認するという作業であったと思います。障害を持つ私のアイデンティティを、どんなに捉えれば良いか、そんな課題でした。
    • その頃の私は、障害を持つようになった自分と、どう折り合いをつけて行くか、大変難しい課題に悩んでいました。

    • アイデンティティを確立する方法として、先生方の本によれば価値観を同じにする友達と交わり、その友達が自分の鏡であると思うと自分が分かってくると申します。
    • そこから見ると、リハビリをしようとする仲間は、丁度良い鏡になるのです。
    • 「ああやったら良いな」「こんなにすると良くないな」リハビリの時期にこれは必要なステップと思います。

←④生き方を模索する→
  • ④  生き方を模索する
    • この時期が過ぎると、QOLといわれる課題が待っています。これは自分の人生の質をどう高めて行くか。自分に残された能力を使うかという、次の問題になります。
    • そのために余り長くこの日常生活の訓練に止まることは出来ません。
    • 心理学で言う「分離」というステップを経て次の段階に入る必要があります。

    • この障害を私は「治そう」と思いました。「障害は治らない」と耳に聞いても「私は治してみせる」と頑張りました。障害者の自立
    • 最初の間は次第に良くなりますが、やがて変わらなくなったのです。
    • 富士山を目指して毎日歩く内にいつか頂きに着くと思っていたのに、ある日、ふと、この1年の努力の甲斐もなく、全く富士山に近づいていないことに気がついたのです。その時は、愕然としました。

    • これは私自身が変わったからかもしれない。カフカという文学者が「変身」という作品の中で、ある朝、気がついたら小さな虫になっていたと書いていた所を思い出したのです。これでは10年立っても20年立っても、行き着くことは出来ません。

←⑤障害と向き合うこと→
  • ⑤  障害と向き合うこと
    • 私たち障害者にとって障害というものは、免疫にも似て、自分の物でないから排除しようとします。こんな障害は、私本来の物ではない、こんなものは出ていってくれ、一生懸命に排除しようとします。
    • どんなに一生懸命に排除しようと努めるのだけど、どうしても排除は出来ないのだと言うことが実感として分かってきます。すると、どうしたら良いのだろうか。悩みは深くなるばかりでした。
←⑥曙の光→
  • ⑥  曙の光障害者の自立
    • 川崎の古市場という所で、大田仁史先生が見えて講演会がありました。きっと先生の口からは、「君たちは頑張れば元のようになれるのだよ」という話しが聞くことが出来ると期待して行きました。
    • 所が、案に相違して先生の話しは、幕末から明治初期を生きた福沢諭吉が自分の一生を振り返って、「一生を二つの人生を生きた気がする」という話しをされました。

    • 福沢諭吉が育った中津の町は、私の生れた町でもあり、子供の時に、公園で福沢諭吉の記念碑で遊んでいましたから、この話しに強い感動を受けたのでした。諭吉は、幕末には徳川の家臣として仕え、維新の後は文明開化の旗標を押し立てた人でした。「なるほど!新しい人生を作るのが道なんだ。でも、どうやったら作れるか」。何を武器にしたら良いか。諭吉のように一生を二生に生きることが一条の曙光に見えました。でも、具体的にどうしたら良いか。新しい悩みが沸き上がりました。

←⑦習字の世界→
  • ⑦ 習字の世界
    • 丁度その頃、お習字の師匠に出会い、左手でお習字をするなら隷書を勉強しなさい、と指導を受けて入門しました。
    • 入門500時間訓練という訓練方法で6ヶ月、毎日3時間の練習を続けました。そして半年、展覧会で「弄花(ろうか)香(こう)満衣(まんえ)」の小さな作品の前に立つと、肩の力みがなくなってきました。「素晴らしい!良く出来た作品だ!そうだ、左手でも訓練すれば社会に有用で有り得る。

    • 障害者だから出来ない事は多い。でも出来る事をやっていけば良い」。そんなに思うと、それまで健常者に負けないぞーっと肩を怒らせていたのに、「私は障害があるので、これは出来ませんから失礼しますが、こんな方法で社会の一員として皆さんのお役に立てると思います」素直にそんなことが言えるようになりました。

←⑧「受容」の意味→
  • ⑧ 「受容」の意味
    • それと前後して、私のリハビリを強く支えてくださった方が、ガンのために市民病院に入院されました。その病院に看護教育大学の先輩の方がいらしたので、その方を見舞ってくださいとお願いしたのです。
    • その看護婦さんが病床を見舞った時に、彼女は手を握ってさめざめと涙を流され、「何故、若い私が死なねばならないの」と嘆かれたそうです。

    • 障害者の自立その後、気を取り直して、ピースハウスに転院し、息子さんの結婚式には酸素ボンベと一緒に出席され、「きれいに写ったでしょう」と記念写真を見せてくださったのです。
    • その方が亡くなった後、市民病院の看護婦さんから泣いた話しを聞いて、「あ、これがロスの言う死の受容だ、現実を否定し、嘆き、最後は静かに死を迎える、これが死の受容だとすると、障害の受容とは全く違う。

    • 死の受容は静かに待っていれば良いが、障害の受容は、もう一度この世界で戦って生きて行くという姿勢、何かの武器を持って戦うという事が本人に決意されないと成り立たない、同じ受容という言葉を使っても、「はい、そうですか」という段階からどんな道を選んで立ち上がるのか、この問題が残されているのです。
    • 手足を動かすことに関心が集中していた私のリハビリはこれで終わったと思いました。そうして「歩けた!手が動いた」を上梓しました。

    • リハビリとは、QOLといわれる課題、つまり、私の新しい生き方をどうやって組み立てるか、どう世界を広げていけば良いのか、新しい段階に進みました。

1)自己紹介   3.リハビリ教室と自主グループ   4.私の新しい人生
2)回復までの一連の流れと私のリハビリ    ①保健婦さん    ①養 生
  1.突然の発病    ②気づきの場    ②自立心と誠意
   ①発病    ③新しい自分を探す   5.具体的な活動
   ②入院    ④生き方を模索する    ①片マヒ自立研究会主宰
   ③廃用症候群    ⑤障害と向き合うこと    ②地域社会の活動
   ④死の誘い    ⑥曙の光    ③その他
   ⑤敵を知ること    ⑦習字の世界   6.二つの詩
   ⑥移動能力    ⑧「受容」の意味 3)質問と疑問に答える
   ⑦退院
  2.退院して当面するバリアと工夫
   ①バリアに囲まれて
   ②左手の可能性
   ③写真集

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←4. 私の新しい人生→
  • 4. 私の新しい人生
←①養生→
  • ① 養 生
    • 何よりも私が取組んだのは、「再発を防止する」体制づくりでした。
    • 生活習慣病といわれる位ですから、生活習慣を正す必要がありました。
    • とにかくタバコは全廃にしました。余り一般に気のつかないことですが、歯医者さんで入れ歯の噛み合わせを直してもらい、固い玄米が咀嚼できるようにしました。時間をかけて一口、50回でも60回でも噛みます。

    • 玄米を食べると粗食小食になれます。マグロとか牛肉よりも、鰯の塩焼きや味噌汁の方があうのです。面白いと思いました。この歯を直して出直すことはとても大事な所と思います。歯は死ぬまでお世話になる所です。
    • 毎日の運動は欠かすことが出来ません。適度の運動をすることは、廃用症候群を防ぎ、全身の血液の循環を促進します。

    • そうやって生活すると再発の防止に一番良い言葉は「養生」という言葉かな、とおもいました。
    • 貝原益軒の「生を養う」という考え方を私たちが忘れてしまって、「生を失っても命を伸ばしてくれる現代医療」に頼りますが、生を失っては人間は終わりなのです。「生を養う」ことが根本なのです。

←②自立心と誠意→
  • ②  自立心と誠意障害者の自立
    • 肉体的に障害があって生きる以上、自立の精神を守ることが、私の「命」に対しても、私を育てた両親に対しても、これは最低限の態度だと思いました。
    • 更に夫婦というものは、お互いが自分の人生を、相手に賭けてきた関係なので、そのパートナーに対する誠意が必要です。
    • パートナーに対する誠意という言葉は、もっともっと日本人は考えて良いのではと思います。
    • 自分一人で生きる訳ではありませんから、自分を取り巻く地域社会、その地域社会の一員として生きていく誠意は、その地域社会を「ノーマライゼーション」という方向に少しでも誘導して行くことだと思います。

    • 物理的なバリアフリーという問題は、日進月歩で、横浜市のこの3年間の進歩は大変なものです。
    • 交通機関のエレベーター、エスカレーターは急速に設置が進みました。
    • お陰で私など凄く外出が楽になりました。これを見ると、「寝たきりになった日数の累計」を社会的な目安として、「横浜市の寝たきり総日数は3年で20%削減する」とか、「横浜市民は現在、平均Y日の寝たきりにある」いうよう目標ができると、行政も目標に向けて活力のある取組みが出来て、訪問看護ステーションの充実も出来るとおもいます。

←5.具体的な活動→
  • 5.具体的な活動
←①片マヒ自立研究会主宰→
  • ①  片マヒ自立研究会主宰障害者の自立
    • これは、障害者が復職とか社会参加をする場合、社会復帰を妨げる環境の問題点、自分の側にある問題点を検討して、情報として発信しています。
    • 特に復職には多くの問題があります。雇用関係の場を確保することは困難な問題です。既に定年を過ぎた方々は社会的な活動をどうやって実現して行くか。何か社会との関わり合いのある役割を求めていきたい。

    • 女性の場合は家庭の中に主婦という役割がありますから考え易いのですが、男性の場合は困ります。仕事人間でやって来た人は、障害を持ち職場から切り離されると、容易に「濡れ落ち葉」になります。
    • 「リハビリは心の問題」とか、「バリアフリーのまちづくり」とか、「言語障害の問題」とか、色んなテーマがありました。
    • 今年から、ホームページを開く事にして準備を進めています。

←②地域社会の活動→
  • ②  地域社会の活動
    • 私が地域社会の中に、もっと根を張らなければならないと思ったのは阪神大震災の教訓からでした。
    • あそこには片マヒの2級の障害者がいた筈なので、直ぐに救急隊が来るのだろうか。そう思って、ボランティアで救援活動をしてきた保健婦さんの話しを聞いたのです。

    • 「とんでもない、あの騒動の中ではとても手が廻りませんよ」と災害時の様子を聞きました。頼りになるのは隣近所にいる人だけと聞かされました。
    • 隣近所であれば、「あの倒れた家の下に足の悪いおじさんがいるよ」と分かります。なるほど、昔から「遠くの親戚よりも近くの他人」という諺があった事を思い出しました。

    • 「ご近所が大事なんだ」そう思うと、考え方を改めて、障害者グループの中だけで生きる障害者ではなく、地域社会の一員として生きる障害者にならなければ駄目だと、地域社会で生きる工夫に変えました。

    • ⅰ)たまたま、交通対策小委員会が作られ、各班から1名が参加しましたが、その中
      • から数名が幹事になり活動をしたのです。
      • 次に輪番制の班長になってからは、毎月の自治会の集まりに出て行き皆さんに顔を覚えて貰いました。
      • 機会ある毎に地域社会の行事に参加したり、防災訓練など積極的に参加し、左手の片手で消火器を操作しました。
      • 皆さん、びっくりして「障害者でもやるんだ!」。そして「やる気があれば障害者も同じようにできるのだね」と認めてくれました。

    • ⅱ)その内委員会が、交通安全対策部に格上げになり、昨年から部長になりました。
      • 地域内バリアフリー計画を、建設省の持つコミュニティゾーン事業として、それをこの地域に導入する計画が生れました。
      • そこでコミュニティゾーン推進委員になり、8自治会を網羅する、バリアフリーにする計画を市の道路局と一緒に努力しています。

      • 障害がないと仲々この計画を旨く進める事は難しかったかなと思っています。地域としてのバリアフリー、地域としてのノーマライゼーション、お年寄りも障害者も、安全に暮らせる地域を目指します。

        障害者の自立
    • ⅲ)和泉北部連合自治会に、地域リハビリ教室
      • 「ゆうゆうクラブ」という中途障害者リハビリ教室へ参加して、保健婦さんたちと協力して、地域密着型の教室を立ち挙げました。
      • 各地でやっていることですが、自分の地域内のこととして連合町内会長や地区社協の会長に、是非、出て来て関心を持ってもらっています。新年度の計画を持って、民生委員の皆様に協力をお願いしようと思っています。

    • ⅳ)こんなことをやっている内、区民会議に推薦され、福祉分科会のメンバーになっ
      • たら、今度は委員長をやってください、といわれて福祉分科会の委員長になりました。専門家ではありませんから、市民のレベルで考えることにしました。そして新年度の活動方針として「バリアフリー」や「ボランティア活動の充実」を掲げました。

      • もう直ぐ団塊の世代が老人になってきますが、そうなると、「老老介護」が日常化して隣近所の何処を見てもお年寄りが自立して生活する街になります。その時に皆さんが自立して生活の出来る環境を整備しておくことが急がれるのです。そして高齢者でも住み易い街を作りたいと思うのです。
      • そうやって、近所の自治会の活動から始めて、15万人の区民の生活に関わる仕事が出来るようになりました。

        障害者の自立
    • ⅵ)妻も、介護に疲れて悩む介護者を励ます、「介護者
      • を支える会」を作ることになり、介護の体験を生かしてお手伝いをしていましたが、今年から会長として、財政的に独立しようとして、会報を作ったり例会を持ったりがんばっています。

←③その他→
  • ③ その他
    • こんなことで夫婦とも勝手な活動をしています。ここでお習字の続きを見てください。
    • これは「篆書」で「崔子玉座右の銘」といいます。秦の時代で縦長の美しい字です。次の書は、漢の末期に作られた「曹全碑」という石碑の字で「隷書」といいます。元来お習字をしていたかと問われるのですが、全くやっていません。
    • 人間の能力には誰も気がつかないのです。是非、皆さんも挑戦してください。

←6..二つの詩→
  • 6.二つの詩
    • 詩を2つ紹介します。1つは「アンプリファイアー増幅器」という東京大学の教授で、若くしてなくなった細川先生とおっしゃる方の作品です。
    • 細川先生の詩からは様々な事が伝わってきます。
    • みなさんも是非、自分なりに読みとってほしいのです。

    • 「アンプリファイアー」 (増幅器)         「細川宏」

    • 病気 それは心のアンプリファイアーだ。
    • 苦痛、寒暖、快不快、悲哀、歓喜、静寂、騒音、美醜、善悪、真贋、もろもろの心理現象図形がプラスの方向にもマイナスの方向にもはっきり増幅されて際だった映像を病者の心に結ぶ。
    • 障害者の自立心に十字架を負う人が他の人の悲しみに共感して、優しさに溢れる人になります。それは自分の心の「ひだ」が開かれて、悲しみや優しさを受け入れる部分が大きく開くからではないかと思います。

    • 固く踏み固められた心からは「優しさの芽」は生えません。
    • 慈愛が深く心を耕すのです。
    • 皆さんは仕事柄、共感をしなければならない時があります。
    • 皆さんの職場は、病気のために心の「ひだ」が開き、小さな物にも喜んだり悲しんだり出来る人がいっぱいおられるのです。とても難しい事ですが、どうか、それらの喜びや悲しみに「共感」できるようになってあげてください。

    • もう一つは私が自分を励ました散文詩です。負けてはいけないよという応援歌みたいなものです。まだ他人のことを思いやるゆとりはなかった時代なので、これは願望だったかもしれません。

  • 障害と戦う友に 「森山志郎」

    • 私たちの人生で大事なのは 心の持ち方なのです。
    • 長い道を歩いて行く強い足や 重たい荷物を持つ手だけが 大事ではありません。
    • 人間として大事なのは 固い意志 豊かな想像力 生き生きした感情そして 生命の根源から溢れ出す「意欲」が一番大事なのです。
    • 障害を持つ私たちは 安易さの誘惑に打ち勝つ勇気が 必要になります。
    • 人は 障害を身に受けただけで不幸にはならない。
    • 人は 肉体の不自由さだけで 幸福を失うものではありません。
    • 肉体が健全でも 希望を投げ捨てた人は 不幸なのです。


    • 肉体が不自由でも 希望に燃えている人とは 幸福なのです。
    • 障害は私たちに苦痛を与えましたが幸福を願う希望までは奪えません。
    • 私たちは 家族とふれあい 友と付き合い 与える事の喜びが受ける喜びよりも 大きくて楽しい事を知っています。

    • ある詩人が 「人は誰でも 大自然から教えを受ける」と歌いました。

      • 朝の光 風に揺らぐ木の葉 夕焼け空の一番星 野に咲く花
      • こんな物から あなたは
      • 明日への希望・信頼・喜び・思い切った挑戦の勇気
      • こんな物を伝えられる限り あなたはいつも幸福なのです

障害者の自立

  • 然し 再発が怖いから何もしたくない手を動かすと痛いから動かさない
  • 生きていても仕様がない などと思い煩うと 希望も消え去ります
  • そして 大自然からの教えは 最早あなたの手に届きません
  • そして あなたの心の 真ん中深くに 絶望が芽生え
  • 「何をしても駄目だ!」と 投げやり 自暴自棄の思いが広がり
  • 生きようとする力は 次第に無くなっていきます
  • その時には あなたは人間としての終わりを告げねばならないのです
  • 私は障害があっても 死ぬその朝まで 障害と戦うあなたと共に
  • 明日に希望を持ち続けて生きて行く仲間でありたい と願うのです
  • 休憩に入りますが、エコノミークラス症候群が有名になりましたが、長時間、じっと坐り続けることは良くありません。特に片マヒの障害を持つ人の場合、1時間くらいで必ず立ち上がって歩いてもらいます。血の回りが元来良くないからなのです。

    • ―休憩―
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3)質問と疑問に答える。

  • 質問  訪問看護婦をしています。脳出血で倒れ、努力してリハビリをした人が、再発して倒れ、又リハビリを努力して社会復帰をしました。所が3回目の再発を起こしたので、さすがに「心が萎えて」しまいました。
  • 周囲にいる者として、どんなに関わっていけば良いか。家族もどう関われば良いか。

  • 森山晏子  私も主人が落ち込んだ時は、一緒に共倒れする位の感じでした。
  • でも、家の中に閉じこもるよりも外に出て、気分を転換した方が良いことがあります。条件が許せば外に出ること、一番辛い時です。

  • 森山  一番難しい問題の一つです。再発を起こす人があるので何とか食い止めることに気を使います。リハビリを始めた人には、まず再発しないための条件を探してくださいと申し上げています。それがないと、底の抜けた器に水を充たすことになるからです。

  • 長い生活習慣と体質があるでしょう。障害者の自立
  • 体質の持つ欠陥を前提にして生きることを実践していく必要があります。
  • 血管の脆い方はそれを前提に生きる工夫、脳梗塞の人は血をさらさらにして、血管が細くならないようタバコは止めて生きること、血管の強さと血圧とが、どんなバランスを取っているのか。

  • 気持ちが萎えた時は、慰められても腹を立てるし、叱られると膨れるし、自分の人生をどうやって全うするのか、考えが整理されていません。
  • 一つには、脳卒中という病気を甘く見過ぎているのではないからでしょうか。これは死に至る病なので、死ぬ準備をしなさいというメッセージなのです。でも、再発を繰り返す度に障害は重くなりますから周りは辛いですね。

  • 晏子  障害者になって夫婦で話したのは、これからどう生きるか、より良く生きるには、どうするか。どんな状態でも生きていて欲しい、家族の会で、あなたが頼りで生きているのだからといった訴え方をされた方もありました。
  • 夫婦の愛は、長い歳月が生み出す、目に見えない微妙なものがあると思うのです。

  • 森山  人間は持って生れたどうにもならないものがあります。親から受け継いだ体質とか、何処に産まれるかという場所の問題、時代の問題、世の中には私たちの力ではどうにも出来ないことがあるのです。こんな時に昔の人は、神にすがるとか、仏に助けを求めたとおもいます。
  • そこで自分の運命を受け容れる、障害を受容する、死を受容する、静かに迫り来る死を迎える、そんな覚悟が必要になります。

  • 人間には避けて通れない道なのです。酷なようだけれど、その中で自分に残された一日一日にどう光を当てていくか、まさにラスク博士が言われる、「残された時間に光を当てて」いく所に立ちいらざるを得ないのです。こんな厳しい仕事は辛いと思います。出来たら逃げ出したいと思います。
  • そこは現実をあるがままに受け止めてあげるしか仕様がないのです。
  • 一緒に手を取って泣いてあげることも大事なケアの一つです。
  • 人生にはどうにもならないことがあります。

    障害者の自立
  • 質問  奥様の話しで、障害を負った方に、私が必要なのだ、とおっしゃったことに同感しました。四肢麻ひの方に会いましたが、奥様が毎日いらして訓練に参加していましたが、本人の落ち込みが激しかったけども、奥様は、私にとって、あなたが大事なのだ、と言われていました。そのことを改めて思い出しました。ありがとうございました。

  • 質問  反面教師にして良いケースを教えてください。

  • 森山  最近、リハビリは「愛」です、とおっしゃる方に会いました。なるほど、リハビリは「愛」か!、と思って考えました。
  • 先ず、本人が「自己実現」をしたい自分に対する「愛」が少ない人は、多い人よりもリハビリに耐えられません。次に家族への「愛」、パートナーへの「愛」があります。家族やパートナーからの期待に応えようとする「愛」が強い人も何とか脱出しようとして努力が出来ます。

  • 所が、「リハビリは愛」と言うと、人によっては、患者に対するパートナーの愛が足りないとぼやく人もあります。幼児がお母さんに甘えるように、病気になると依存的になる時期があるようです。
  • 回復に従って、それを脱却して次第に自立して独り立ちしていく、それが、急性期から回復期にかけての、障害者の問題ではないかと思います。

  • 病院では、注射が出来ないひどい看護婦さんもいました。
  • 腕が腫れ上がったり、大変でした。意地の悪い婦長さんが、大きいベッドを出してくれません。私など、足がベッドから飛びだしていました。でも、患者と言うものは、そんな不満を口に出して言いませんから、ケアする側が自分で気がつかなければ問題がないことになります。

  • 「だって、患者は何も文句は言ってませーん」。一度、看護婦さんに文句を言ったのは、急性期の頃、気持ち良く眠っているとたたき起こされて、「百から三を引くと幾らですか?お年は幾つですか?」と質問された時に、「うるさい!眠いのにそんなこと聞くな!」と言ったことがあります。急性期の病人と家族は、藁にも縋りたいと思っていますし、看護婦さんの制服は凄く魅力的に映ります。

  • どの方もどの方も、天使が舞い下りてきたように見えるのです。だから退院する頃になると、その看護婦さんの側が離れられなくて退院が出来ない人もありました。看護婦さんは大変ですね。優しく付き合わねばならないし、余り惚れ込まれないようにしてください。病気のことを何も知らない人ばかりですから、色々と教えて上げてください。

    障害者の自立
  • 晏子  札幌の病院で嬉しかったのは、主人に付き添っていた時、夜、良く眠れませんでした。その時に看護婦さんが来て、「今日は帰ってゆっくり、お休みください、私が見ていますから」、と言われました。
  • そこで帰ってゆっくり休ませて貰った。退院する時に、食事の指導があり、こんなことが病気の原因だっただろうと、見解を教えて貰ったがとても参考になっています。タバコのことやお酒のこと、三度の食事の量とか、大変ありがたかったとおもいます。

  • 森山  反省する材料はとても多い。その一つに、スポーツが体に良い、と言う迷信があります。この迷信は取り除かないといけません。
  • 病気になる前の土曜日、雨の中を招待したお客さんと小樽のゴルフ場でラウンドしました。ゴルフの時も、運動の間に水を飲むと良くないと言われていたので、プレー中は水を飲まずに辛抱しました。
  • 日曜日は、家内と二人で、室蘭の地球岬の観光に行きました。今のように自動販売機でお茶を売っていませんから、喉が渇いても辛抱しました。

  • 室蘭でも喉が渇いても辛抱したのです。
  • 月曜日は、午前中は事務所に出て仕事を済ませ、午後は来客と一緒に、輪厚(わっつ)のゴルフ場に行き、火曜日にはグランドホテルの会場を借りて展示会の設営をしました。水曜日には招待客をお呼びして新製品、新素材の展示会をしたのです。

  • その日の帰り道に足がレールに躓き、「おかしいな、どうしたのだろうか?」と思いました。そして木曜日に入院したのです。
  • 問題だったと反省するのは、水を飲まないで、「ビールなら良い」とビールを飲みました。ドンドンおしっこは出ますが、これは実は血液を濃縮させていたことに気づかなかったのです。こうしたら脳梗塞になると言う実験をしたようなものです。

  • アルコールを飲んで血液を濃縮し、タバコを吸って血管を収縮させ、周囲に気を使ってストレスを溜め、遊び過ぎて体を疲れさせる、こんなことを続けると脳梗塞になることを実証したようなものです。

  • 皆さんの大事な御主人には、運動は良いけれど「ほどほどに」勧めてください。やり過ぎは決して良くありません。「中庸」とか「ほどほどに」は、とても難しいのです。でも自分の体力や能力に応じて「ほどほどに」やってください。成績も、80点が取れたら良いのです。

    • 以上

障害者の自立

1)自己紹介   3.リハビリ教室と自主グループ   4.私の新しい人生
2)回復までの一連の流れと私のリハビリ    ①保健婦さん    ①養 生
  1.突然の発病    ②気づきの場    ②自立心と誠意
   ①発病    ③新しい自分を探す   5.具体的な活動
   ②入院    ④生き方を模索する    ①片マヒ自立研究会主宰
   ③廃用症候群    ⑤障害と向き合うこと    ②地域社会の活動
   ④死の誘い    ⑥曙の光    ③その他
   ⑤敵を知ること    ⑦習字の世界   6.二つの詩
   ⑥移動能力    ⑧「受容」の意味 3)質問と疑問に答える
   ⑦退院
  2.退院して当面するバリアと工夫
   ①バリアに囲まれて
   ②左手の可能性
   ③写真集

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