障害の受容について

●論文館

8.障害の受容について

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12年度後期看護教育大学 H12.9.13

1) 問題の提起

  • 1. 「現実から逃避したい気持ち」

    • PHM02_0403-1.jpg障害者が回復するまでに辿る道筋は決して一本道ではないが、何処かの局面で自分の赤裸々な能力状態を確認して、これを前提にして生きる方策を考えねばならない。

    • この過程を省略すると、現実の自分を過大評価して、その挙げ句に大きな失敗を起こすか、或いは反対に、自分は無価値の存在であるとして、世捨て人になるかである。
    • しかし、人はこの「現実の認識」から、出来れば逃避したいのである。それは、長年掛けて築き上げた自分という素晴らしいアイデンティティが崩壊して、そこに廃虚しか見えないからである。

  • 2. 「現実に直面して流す涙」

    • 最近の講習会で問題が出された。
    • それは私が初期の段階で―「何糞っ、これしきのこと」リハビリで元どおりにしようとして頑張り、注意を無視して、肝臓の障害で絶対安静を一ヶ月続けたらその間に、マヒ側の胸も下半身も筋肉という筋肉は全部流れてなくなった。

    • それを知って大変なショックを受け、「これで私の体は元に戻らなくなったのか」と、残念で悔しくて熱い涙がボロボロと零れ拭っても拭っても止まらず、ベッドを杖で叩き続けた―こんな状況で看護婦はどんな態度をとるべきかという質問です。

  • 3. 「カタルシス」に留まってはならない。
    • PHM02_0381-1.jpgそんな私を妻は、悲しみを堪えて、黙って見詰めるしかなかった。
    • この場合、涙を流す事は大事な過程だったと思う。
    • 精神医学ではトラウマの治療法として「カタルシス」というが、泣けるだけ泣く事によって、現実への「適応」が進むと思う。そこで「黙って見守る事が大事になると思う」と、答えたものの不十分と思って幾つかの追加をした。

    • この時初めて、この「涙」はロスの言う「悲哀の状況」から来るものと同一ではなかったか、と思った。そう考えれば、「受容」というロス博士の研究した「死の受容」の理論を拝借して、より期間の長い「障害の受容過程」を説明出来るのではないかと考えたのです。

  • 4. 「死の受容と障害の受容」
    • そこで、私の個人的体験論をもとにして、「死の受容」と「障害の受容」と概念的に重なる領域と、独立して扱うべき領域かあるのに気がついた。

    • 即ち、「死の受容」にあっては、幾多の悩みの末に、最後は静かに神の手に委ねれば人生の幕が下りてくる。しかし、障害は受容して静かにしていれば、廃人、寝たきり、厄介者、そんな辛い人生が待っているだけである。

2) リハビリのプロセスの特徴

  • 1. 「四段階のプロセス」

    • ここでリハビリ全体を、「起・承・転・結」の四ステージに分けて考えて、その中で「障害の受容」のプロセスを説明してみたいと思う。

  • 2. 「動かない手足に涙する『起』」は障害の事実を認識する事である。
    • 手足が動かない現実を知り深い悔恨と悲哀に熱い涙を流すのである。
    • この現実に対して、私は何とか「適応」できないのか、いつかこの障害は直してみせたいが、今はこの「逃れがたい現實」に屈服するしかないと思う。

    • この段階では、未だ受容という言葉は使えない。上辺だけ現実は認めても、その現実は一時的と思っているからである。乱暴な運動をした結果、肝臓を傷めてから動くことに慎重にならざるを得なくなった。

  • 3. 「静かに待つ『承』」

    • PHM02_0508-1.jpgそんな障害を自分のものとして静かに過ごす。
    • これからどのように生きて行けるのか、考える時期になる。
    • 夜など「もうそんな人生には自分で決着をつけて自殺したらどうだ!」こんな誘惑の声が聞こえてくる。自殺の方法も幾つか考えて家族に迷惑が行かない様に死にたいと思う。

    • この体はいつになれば良くなるだろうか、と「じっと」その日がくるのを待つ。動かせば痛みが走るからじっとしていた。一寸触れるだけで腕の骨と筋肉の深い所で痛みが走る。その痛みは鋭い刃物で筋肉を切り裂くような痛みである。

    • そのためすっかり生きる意欲を失ってしまった。そのままであれば、多分、私は全く違った障害者になったと思う。皆さんの前にこんな形では表れなかったと思う。

  • 4. 「ショック療法の『転』」

    • PHM02_0605-1.jpgそんな私を、付き添いさんが車椅子に乗せて、立ち入り禁止になっている「植物病棟」に連れて行った。

    • 「森山さん、良く見ろ、動かないとあんたもこんなになるんだよ」と、見せられた。その驚愕、「私は廃人になりかかっている!」と廃人の渕に立っている自分に気がついて心が揺さぶられた。強烈なショック療法であった。

    • たまたま、双子のマラソンランナーが北京大会で胸を並べてゴールインした姿に感動-「私だって、オリンピック選手並みの努力をすれば成功する」と、貴重な指針も得た。何故、私はショック療法に耐えたのだろうか。ある人は、植物人間のようになるといわれて意気消沈して「私はもう駄目」と思い込むだろう。

    • 一つの処方が必ずしも一つの結果を生まない所である。

    • 私はそれを、その人の、困難に耐える能力、土俵際でふんばれる能力、「何糞っ」という反発力、そんな人格特性の中に秘密があると思う。
    • 優等生、劣等生という物差しではなく、全く違った「人格特性」が大事である。

    • ◎ 先ず、「移動能力の確保」以来、リハビリに真剣に取組み、付き添いさんが巨体で私の股関節を押し広げてくれた。余りの痛さに目に涙が浮かんだ。周囲は「森山さんが泣かされている」と面白がっていた。が、「これをしないと歩けないよ」との意見に従って耐えた。そして「歩くこと」を真剣に考えた。付き添いさんは「奥さんは見ない方が良いよ」と云う訳で、日中は自宅に帰ってもらって静養してもらうことが出来た。

    • ◎ 社会性の回復 退院後のリハビリ教室の中で、人と交わり社会性を回復し社会的能力が充実して自分の失われたアイデンティティを模索する。地域社会の一員として行動できるようになると、自分の生き方について、未来に向けて考える視点が生れてくる。

    • 未来の為に、こうしようか、ああしようか、これは保健所のリハビリ教室が受け持つ大きな部分と思う。

    • 社会性を回復して、未来に対する視点が戻ってくれば、後は自分がアイデンティティを回復してマイペースで生きることになる。アイデンティティとは、映し出される鏡に友人がなってくれるので、この段階では、その意味からも、多くの仲間友人と接することが必要である。

    • ◎この頃、一番問題にしたのは、「自分の心」が、手足が動かない「自分の肉体」を仲々「自分自身」として認めたがらないと言うことで、言葉を代えるとアイデンティティが失われていたのである。

    • 「昔からの私」が障害を持つ「新しい私」を「本来の私」として認めたくないのです。「免疫」は外部から侵入したものを「非自己」と判断すれば激しく攻撃して撃退するが「免疫」が「自己」だと判断すれば攻撃しない。その為に臓器移植をする時には、膨大 な免疫抑制剤を使用する。

    • 心の動きもそれに似て、心は異物であると見て、障害を直そうと命令する。
    • その障害が回復から取り残され、後遺症として残る部分であると気がつかない。

    • 右手は使えない、右足も良く歩けない、この現状は「自己」なのか、それとも除くべき「非自己」ではないか。取りあえずは一時的に左手を訓練して日常の生活が出来るようにするが、腹の底では「今に見ておれ、直してやる」と思う。

    • 02.jpg しかし何時までも直らない手足を見て非常に大きく悩む。これはリハビリの中心的な課題になる。
    • 友愛病院の柴田先生からは、ウィルキー師やコーピングスキルの話しも伺い、リハビリとは「やりくり」できる事かなと思った。

    • ◎そこに、語学力と先見性で幕末から維新にかけて活躍した福沢諭吉の話しを平成2年大田先生の講演で伺った。幕末から明治維新を生きた福沢諭吉は「一身を二生に生きた」
    • と感じたという。

    • 「なるほど、そうなのか」と初めて納得した。
    • 人生とは一つではなく、二つの人生があると考えれば良いのである。
    • しかし諭吉が持っていた語学力とか先見性という武器が第二の人生に役立っていたのに、私には何が武器なのか、どう生きたら良いのか、又、新しい問題が生じた。

    • ◎ お習字と障害者の視点を武器に生きること。同じ平成2年の書き初めで左手のお習字を始めて、4月から正式に師事して勉強した。
    • 03.jpg短期集中の500時間の訓練を行ってその作品「弄花香満衣」を区民文化祭に出した。
    • その前に立って、「ああ、これで良いのだ!」感動と満足感が広がった。私に残された左手でも訓練次第では、社会に役立つ活動が出来ることを確信した。

    • そんなに思った途端に右手や右足が障害のために使えなくても、それは個性の内だ、今の森山志郎の手足は動かない。
    • でも左手でこんな仕事が出来る、障害者の不便さという視点で物事を見ることも出来る、これを武器にこれからの人生を作って生きて行けば良いのだ。

    • 福沢諭吉の語学力と先見性に当たるのが私の左手の能力と障害者の視点なのだ、これが私の新しいアイデンティティの基盤になった。「これが障害の受容かな」と思った。
    • こう思ったら、ストーンと肩の荷が軽くなりました。

  • 5.「障害を受容して新しい人生を歩く『結』」

    • これがリハビリの本質なのか、そう思って「リハビリ原論」と言うテーマで原稿を書いて、先生に見て頂き、これまでのさまざま の記録を、できるだけ多くの方に知って頂こうと思って「歩けた!手が動いた」と言う本を出版した。

    • 結論としてリハビリは、失った手足の機能を追いかけるだけでない。
    • 右手が出来なくなったことを、残った左手を訓練して仕事をさせる能力は大切だ。
    • これが「出来ない」と嘆くのでなく、あれが「出来た」と可能性を拡大することである。

    • 人生で何も出来なくなったのではなくて、これまで知らなかった、自分に出来る事が別にあることを学ぶこと。その「出来ること」を基礎に、自分の新しい人生を組み直していくこと、それがリハビリである。

    • ◎そして「ピンピンコロリ」の人生私はもう七十才を越えた、なるべく死ぬまで元気で、ある日、ポックリ行く事が出来れば一番良いですね。どうしたら、「ピンピンコロリ」という生き方ができるか、皆さんも考えて良い方法を私に教えて下さい。

以上

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