私のリハビリ

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9.私のリハビリ

私のリハビリ

―片マヒ自立研究会 森山志郎・晏子
平成12年4月12日神奈川看護教育大地域専攻科

私のリハビリ

(目次)

第1部「体験事実」の報告 3.価値観の多様性と転換
1.自己紹介 4.発達課題
2.突然の発病と後遺症 第3部「元気が出なかった私の理由」
3.絶望から立ち上がる過程 1.生活感覚の戸惑い
4.退院してー工夫すれば 2.孤立化と孤独感
5.保健婦さんとリハビリ教室 3.獲得された無力感
6.自主グループと左手の習字 「入門」で自信回復 4.役割の変化と混乱
7.幸運に感謝して 「ぴんぴんころり」の実践 5.目標の変更乃至喪失
8.質疑応答 6.可能性が分からない
第2部 伝えたい「体験の持つ意味」 7.障害の悪化と再発の不安
1.リハビリは文化の再構築 8.質疑応答
2.命の鎖「宇宙的時間」

1部 体験事実の報告

1.自己紹介

  • 皆さん、今日は!森山です。今日は私の生の体験、次にその体験から汲み取った意味、休憩を挟んで最後に「元気がでない」「やる気がない」と言った現象の原因を見て行きたいと思っています。

2.突然の発病と後遺症

  • 私のリハビリ最近、総理大臣が脳梗塞で入院したことで、脳梗塞が大変な病気なのだと云うことが再認識されてきました。本当に普通の状態で生活している人が、突然、調子が悪くなる、その場合に強く感じたことは人間には運・不運があるということです。

  • 突然調子を崩した時に、隣に居てくれる人が通報してくれると良いのですが、そんな人が居ないと、一晩、放り出されることになります。
  • こんな人は、手遅れになって後遺症がとても重くなります。
  • 中には救急車に乗せられて、幾つかの病院をたらい回しされた挙げ句、病院の廊下の隅に放置された方もあります。

  • 病気をするにも、その人の運・不運がありますから、具合が悪くなったら、何処かの病院に、ではなくて、何処そこの、何何病院に行って下さい、と言えるように、何処の病院にはどんな設備があり、技術者が居るかどうか、予め調べておいて下さい。
  • このことが、その人の幸・不幸を決めます。何処でも良いから救急車で連れていって下さいと言うのは危険なことです。

  • 私の場合、非常にラッキーだったのです。
  • 前の晩、寝る時に、足の踵が痛み「可笑しいな」と思いましたが、家内は「それはゴルフの遊び過ぎじゃない?」と言うので「そうかもしれん」と一晩過ごしました。
  • 所が朝になっても痛みは酷くなる一方です。
  • 丁度新しい製品の展示会をやっていて、大勢の方を招待していましたから会場に行き、ご挨拶などしておりました。

  • するとそこに見えた方が、「森山さん、直ぐ病院に行きましょう。」多分、熟練された方の目には異状が見えたのでしょう。「この催しが済んだら来週くらいに病院に行きます」、と申し上げたら「とんでもない、時間の問題で命に関わる問題です。」と叱られました。

  • 直ぐ、会社の嘱託医のところに行くと、「あ、これは私の手に余ります。専門病院に急いで下さい」。そこで、脳外科病院に行き、診断を待つ間に立てなくなり車椅子を貰いました。その頃家内も駆けつけてくれ、私の意識も無くなりました。

  • ベッドの中で鎮静剤を貰ってぐっすり眠っていました。夜中に手や足が縮んでくるのが分かるのです。子供か来たので「心配しなくても良いよ、大丈夫だよ」いった積もりでしたが、子供にしてみれば「何か口の中でぶつぶつ言っていた」そうです。

  • 入院の当初は、全くぼんやりとしております。分かるのは頭の上にある点滴の瓶が、「今日は4本だな」「あれ、今日は8本だ」。入院した当初と言うものは、本人はベッドに寝ており家族が大変なのです。この時期には家族に対するケアと言うものが非常に大事になると思うのです。家族の方に充分な情報を与え、過度に心配し過ぎない様に、また過度に安心し過ぎない様に、適切な対応が必要になって参ります。

3.絶望から立ち上がる過程

  • やがて安定してきますと、リハビリに入ります。「リハビリをやると元どおりに戻るらしいな」。普通の生活をしていた私には、「リハビリ」など全く縁がありません。
  • ただ何かの拍子で「リハビリをしている」とか「リハビリで回復した」という簡単な情報しか知りません。

  • そこで「僕もリハビリをしたらこの右手や右足は元どおりになるかもしれない」と思います。「よし、他の人が一時間するなら三時間やって、早く元どおりになろう」と、無理をする内、肝臓障害を起こしました。「森山さん、大変だよ、肝臓が悲鳴を上げている。当分、絶対安静だ」と主治医に宣告されました。

  • 絶対安静を三週間、それこそ身動きもしないくらいの安静を守りました。「もう、良いですよ」といわれてベッドの下に降りたって見ましたら、何と驚いたことに、右側のお尻が無くなっているのです。右側の胸も無くなっています。筋肉が奇麗に無くなって、余った皮がだらりとぶら下がっています。肝を潰すほどの驚き、後日、廃用症候群という言葉を教わりましたが、使わないという事が、如何に筋肉に損害を与えるか、辛い体験を通じて教えられました。これでいよいよ、右手と右足の回復は絶望的になりました。

  • 私のリハビリこれで社会に戻ることは不可能になったと思い、何もやる気をなくしました。入院当初の焦りというものは、本当に良くないですね。

  • そんな時に、私の付き添いをして下さった方が、「森山さんは訓練に前向きじゃない。そんな人がどうなるか、見せて上げる」と車椅子の私を、当時、植物病棟と呼んでいた、植物状態の重篤な患者さんのいる病棟に連れて行かれました。
  • そして、「訓練をしないと、こうなるんだから良く見なさい」と見せてくれました。
  • そこで初めて、こんな生きた屍に自分が近づいていることを思い知り衝撃を受け、途端に目が覚めました。

  • 私のリハビリ同じ頃、私の会社の、宗茂、たけしの双子の兄弟が、北京マラソンで一緒にゴールのテープをきりました。2時間10分くらいの良い記録でした。3位以下を全く離して一緒にゴールした驚きのレースをテレビで見ました。この二人はロスのオリンピックに出る前に、私のいた札幌に来て熱心に練習していましたから、たまには話しもしました。

  • その時に、「3日訓練を休むと、回復するのに一週間かかる、だから雨が降っても風が吹いても、走ります」。人間の筋肉は使わないと直ぐ衰えることを経験的に知っていたのです。

  • 私はその話しを聞いていたのでリハビリの筋肉回復は毎日やらねば効果が無いと思っていました。更に生ける屍に近づいた所から、もう一度、社会に戻るにはどうしたら良いか。こんな事件がきっかけになって間もなく車椅子を捨てて杖で歩くようにしました。

4.退院してー工夫すれば

  • そんなにして6ヶ月が経ち、春3月に退院して温かい横浜に戻って参りました。
  • 横浜の自宅に戻って、本当に面食らったことは、それまで病院という整備された設備の中で、生活しておりましたから、家の中ではこの程度のことは出来ると思っていたのに、実際に家に帰ってみると全然状況が違います。

  • 私のリハビリすべてのことが病院と家の中では様子が違います。外に出て会うご近所の方に声を掛けられます。所が未だ、構音障害が残っていましたので直ぐには言葉が出てきません。
  • 「どうしましたか」と言われても、答えを考えるだけで時間が経ちます。するとだんだん人に会うのが嫌になってきます。

  • 家の前には石段があり手すりもありません。バリアー一杯の社会です。

  • 道路には激しい勢いで自動車が行き来します。病院の生活に慣れた体にしてみれば、家庭生活に戻ると言うことは非常に問題が多いことを示しています。
  • 普通の住宅には障害者が生活するには障害物が非常に大きいのです。

  • 私は北海道の入院仲間と一緒に患者会を作り、副会長をしていました。
  • 秋に「患者会をするから出てこい」と、連絡があったので札幌に出かけ、続いて支笏湖の温泉に皆で行きました。

  • 朝、起きてみたら、山には新雪が積もり、麓は真っ赤な紅葉です。この風景をカメラに収めたくて、家内に三脚を持ってもらい、私はこの古いカメラを持って旅館を出ました。気がつくと、家内はさっさと行ってしまい、私は取り残されてしまったのです。

  • 私のリハビル「どうやって写真を撮れば良いか?」夢中になって考えました。カメラの右側にシャッターがあるので左手しか使えない私にはどう仕様もありません。その内に「逆さまにしたら」と考えが湧きました。なるほど、逆さまにするとシャッターは左に移りますが、フィルムに逆さまに写ります。「後で写真を逆さまにしたら良いじゃないか」と自問自答を重ねました。

  • 右手が使えないから出来ないことは多いのですが、出来ないことは多くても、何かの工夫をすれば、解決の方法は何か見つかるものがあります。そんな意味で、この写真は私にとって意義深い作品なのです。工夫をすれば何か方法はみつかる、という障害との付き合い方の原則を身につけました。

5.保健婦さんとリハビリ教室

  • その内に保健婦さんが2回3回と尋ねてきてくれました。
  • リハビリ教室に誘ってもらっても、「そんなもの、行きません」と断っていました。でもあんまり断っても保健婦さんに悪いな、と思ってリハビリ教室に行くようになりました。
  • リハビリ教室は私たちの社会復帰のステップとして、非常に重要な位置付けにあります。病院と社会生活との間にあって、必要な社会性を回復させる働きをしていると思います。逆に、保健婦さんが余りにも優しいものだから、いつまでも「よし、よし」という優しさに甘えて、そこから抜け出せなくなる危険性もあるようです。
  • でも、学校に行くようになった子供でも、母親の膝に守られて自立心を育むように、この保護された教室の時期は無くてはならないステップだと思います。
  • 何が良いかというと、先ず仲間が沢山居ることを知ることです。
  • 自分と同じような障害を持つ人が沢山います。そんな方とふれあいながら、あんなにしたら良い、とか、こんなにしたら良い、とか色んなことに「気がつき」ます。

  • ここで、何故「気がつく人」と「気がつかない」人があるのか、その問題は横に置いて、「気がつく人」は様々なことに気がつきます。
  • リハビリ教室で腹式呼吸をすると、脇腹の筋肉まで痛みます。
  • 「こんな所の筋肉も縮んでいるのか」とか、立ち上がって自己紹介をしようとすると、足の指が次第に「わしの爪」になっていくのが分かります。
  • 「まだまだ緊張すると駄目だな」。

  • 最近読み直した本に、精神医学者の神谷美恵子さんの「心の旅路」という本があります。その中で、赤ん坊が生れて人間らしくなるという所で、「何が人間らしいのか」を説明しています。

  • 動物の進化の過程を見ると、先ず2本足で直立して歩くことが取り上げられています。
  • 「ホホウー、そうか」、障害者になって私は歩けなかったことは、3才児までに獲得すべき能力が奪われていたことだったのです。

  • 2番目の人間らしい特徴は、言葉を使ってコミュニケーションをする能力を身につけた事です。ですから、人間らしさとは、2本足で歩く、言葉を話す、この2つなのです。

  • 自分の足で歩けない、言葉が喋れない、これは片マヒの障害を受けた私には、人間らしさの基本的部分に障害が襲った事だったのです。
  • 本当に、酷い病気をしたものだと思います。

  • その言葉の習熟ですが、先ずこの仲間と話しをする機会が増えます。
  • 自分で本を朗読したり、大きな声で歌を歌ったり、とにかく、あらゆる方法を使って言葉を出している内に、次第に滑らかに出るようになりました。
  • 歩くことも、3年位前から、なるべく杖を使わずに悪い足に荷重を掛けて歩きます。
  • 余程のことが無いと杖は使いません。そんなことで皆様と話したり、そんな人間としての基本的な社会性を回復させることがこのステップの大きな目的と思います。
  • 今でも保健婦さんには、リハビリ教室は絶対に必要なシステムで、そこで社会性を回復したら、後はそこから自由に活動の場を広げていけば良い、と申し上げています。

6.自主グループと左手の習字「入門」で自信回復

  • この訓練教室を1年で卒業して、私は仲間と自主グループを作り、そこで事務局長をしました。この事務局長という役割には、小さなグループでも、会の規約を作ったり名簿を作ったりして、一つのシステムを作る仕事がありますから、回復の時期にはとても素晴らしい機能の回復の勉強になりました。

  • 会員の希望はさまざまでしたが、一つ気がついたことは、今日の一日が楽しく過ごせたら良いと考える人と、長い自分の人生を、障害を持ちながら、将来どう生きるかと言う方向に、深い関心を持つ人があることでした。そんな問題については「暇つぶし」ではないようなことをしようと、高い目標を皆で考えました。

  • 私のリハビリ平成2年の正月に、会員が皆で書き初めをしましたが、左手で字を書くと、ずっと力強いことを発見しました。そこで師匠に相談して、左手のお習字を勉強させてもらうことにしました。その時に「入門500時間訓練」というものを実行しました。

  • これは6ヶ月に500時間、1日3時間で、月に90時間、6ヶ月で540時間になります。短期間に集中して訓練をしたのです。その成果は、ここにある額に入れた「弄花香満衣」で、これを秋の区民文化祭に出しました。

  • この作品の前に立って見た時に、「ああ、此れは良い!」と我ながら驚きました。
  • もう、右手が使えないなど、気にする必要はありません。社会的に有用な能力も、左手を訓練していけば、幾らでも手に入れることが出来るだろう。
  • この出来事が左手で生きて行く自信につながったのです。

私のリハビリ

  • そんな自信が出来たら、障害があるということは、そっくりそのまま認めて、「私は障害のために右手が使えませんから、それは出来ません。左手でこんなにします。
  • 右足が不自由なので、こんな階段などはエスカレーターを使わせて下さい」。
  • こんなことが何の遠慮も無く申し上げることが出来ます。

  • 右手と右足は不自由で使い物になりません。でも、左手を訓練して色々と活動して、社会の必要とする「出来ること」をやっていきましょう。
  • そこで、はじめて「障害の受容」といわれる道を通りぬけたと思っています。
  • この時に書いた字は、隷書といい、秦の始皇帝が中国を統一した時に、沢山の通達を各地に出すために簡略に書けるように工夫された文字です。

7.幸運に感謝して「ぴんぴんころり」の実践-

  • 現在、やっています「片マヒ自立研究会」で、「片マヒ」という障害に付きまとう色んな問題を、自分たちの体験を中心にして考えます。
  • 例えば「歩く」という問題を考えても、こんな所に気をつけて歩かねばならない、とか、「元気がでない」という問題も、どうやって取組めば良いか、「職場に復帰」という希望にしても、無理のできる限界と可能を探ります。
  • 片マヒという外部から見たのでは良く分からない障害、それに対して有効な情報を発信しています。例会を隔月に一回、講演会を年間十回程度、これらを資料にしています。

  • 基本的な方向はノーマライゼーションを如何に推進するか、障害のある人も、お年寄りも含めて、少子高齢社会といわれる時代を生き抜くために、こんなことに注意して欲しいと願う方向です。

  • 共生の時代と言われながらも、仲々、共生という感覚は実感されてきません。
  • 人間の体も回虫と共生していなくなって、代わりにアトピーなどの症状が出てきました。人間とは、色んな物とのバランスを取りながら上手に生きてきたのだなと思います。

  • 共生というものが人間生活の根本にある基本なのだと思います。そうしながら、次の世代、更に孫の世代、少しはこの社会も暮らし易い社会になっていて欲しい、そのためには、ここにいる皆さんが21世紀を引っ張っていって欲しいのです。
  • 私もこれで障害者になって15年、生れてから70年、脳血管センターで聞くと、脳卒中の平均余命は5年だそうですが、確かに退院できなくて亡くなる方も沢山おられるので、統計資料ではそうかもしれません。

  • 少なくとも運が良くて退院できた私たちは、せめて平均20年以上は生きていかねばならないとおもいます。ともかく、自分の出来ることを精一杯に「ぴんぴん」やって、命が尽きる時には「ころり」と行く、「ぴんぴんころり」でやって生きたいものです。

8.質疑応答

  • 質問:ご主人が家庭に戻られた時に、奥様が一番問題に思われたことは?
  • 回答:元来、朝は早く出て夜は遅く帰り、休日も出かけて家の中にじっとしている人ではなかった
    • から、家の中は私中心の生活になっていました。
    • そこに一日中、主人がいることは、一寸「うっとうしい」のです。
    • 自分で何でも出来れば良いが、マヒがあるとテンポかあいません。
    • 洋服一つ着るにしても、あっちがはみ出し、こっちがはみ出し、ボタンはずれて掛け違うし、時間がとてもかかります。

    • お手伝いをしてからにすると、折角、温かい食事を準備しても、冷めてから食べなければなりません。テンポが違うのです。夫はしたくても、出来ないのだからと我慢する内に、私にストレスが溜まってきます。
    • どうにかしなければ、と焦るのですが、そのうちに主人を見る目が変わってきたことに気がつきました。
    • 普通だったら「今日は雨が降りそうだから早めに歩いてきたら」、というのに気持ちの中で「何故、今日は歩きに行こうとしないのだろうか」と考え、「行ったらどうなの」と言いたくなったり、知らない内に主人を苛めているのではないかと、辛くなりました。

    • これを解決する切っ掛けを作ってくれたのが、主人がリハビリ教室に出た時、短い時間でしたが「疲れているでしょう。休んでください」と言われ時間を頂いたことでした。

    • その時は、何をして良いやらぽかんとして2時間を過ごしましたが、同じリハビリ教室の家族の方とお話しをする機会がありました。その方のお話を聞きながら、皆様は色んなことを考えているのに気がつきました。

    • 私のリハビリそしてお互いに話しをすることで、自分の気持ちの迷い、不安みたいなものが整理されるのではないかと思いました。その頃は、自分のこと等、考えられない、況して主人の思いなど少しも考えられずに、客観的に物事は見られない、ただただ、毎日に追われている時期でした。何回かお友達とお話をする内に次第に自分が元に戻るのを感じました。

    • この状態が続いたらどうなるか、何が今一番大事なのか、そんなことが自然に見えるようになったのです。

    • やがて二人でこれからの人生、どのように歩いていけるか、生きたいのか、考える糸口が見えてきました。

2部 伝えたい体験の持つ意味

1.リハビリは文化の再構築

  • 私たちは健康な時には様々な文化を持って生きていきますが、障害を持った場合には、そのかなりの部分が自分の手から零れ落ちてしまいます。
  • 私が健康であれば、朝になれば職場に行き多忙な時間を過ごし、日が暮れたら仲間とバーで酒を飲み、深夜に帰宅する、そんなものが人生だと思っていました。
  • しかし病気をして以来、生活を変えなければ、いつでも再発する危険がある、再発しなくても、糖尿病体質という所から、色んな障害が出て来ることに気がつきました。

  • ではこの糖尿病体質に、どう取組めば良いのか。先ず食事を変えねばなりません。
  • 生活習慣を変えないとなりません。それまでの食事は、グルメとか、珍味とか、美味しいと云われるもので、一日に何回でも、それこそ4回でも5回でも、食べる機会がありました。そこに古今東西の色んなお酒がついてきます。色んなお酒と料理を詰め込んで、休息する時間は極端に少なく、という生活から変えていきました。一日に80本吸っていたタバコはその日以来一本も吸いません。

  • 寝ると言うことはとても大事なことなのです。忙しい時には、新幹線に乗って名古屋まで行くのに、時計を見ながら「1時間だけ寝よう」と眠ります。面白いことに1時間すると静岡のあたりを走っています。「まだ30分は大丈夫」と眠ると浜松あたりで目を覚まし「後15分」と豊橋あたりまで眠ります。

  • 飛行機に乗ってシートベルトをしめて眠り込み、気がついたら目的地の飛行場について「がくん」と止まった衝撃で目を覚ますこともありました。
  • 乗り物の中では、自分は寝たつもりでも、これは良くありません。
  • 寝るということは、両方の肩を水平にして手足を伸ばして寝る姿が本当に「寝る」ということと知りました。そうしないと、昼間溜まったストレスが充分に回復しません。

  • 椅子に座ったままでは折角寝ても疲労は取れません。
  • しかも、夜中の十二時前までには寝なければ良くありません。
  • 元気な時には未だ外でお酒を飲んでいた時間でも、健康を考えると寝なければならない時間なのです。この「寝る」という所から生活習慣を改めました。

  • 「食事」は基本的に見直しました。食事とは、美味しいものを食べるのではなくて、自分の健康を保つのに必要な食べ物を取ることなのです。自分の口に美味しいものは、体にとって毒になるものがあるのです。

  • 私は甘いものが大好きです。昔は羊羹を肴にしてお酒を飲んだこともありました。
  • 1本の羊羹を端からかじりながらお酒を飲むのです。
  • ご飯にしても白いお米をふっくらと炊き上げると本当に美味しいですね。
  • 3杯くらいは、何もお惣菜が要りません。

  • 所が最近では家内がテーブルの上で茶碗を計ります。
  • そして「ちょっと多いかな」と言って分量を加減します。
  • そのたった1杯のご飯しか食べられませんから、急いで喉を通す訳には参りません。
  • お箸を置いてしっかりと噛みます。玄米を使いますので、五十回から八十回は噛みます。これくらい噛むと喉を通り易くなります。それだけ噛むと、凄く豊富な唾液が出て参りますが、これがまた、免疫を高めてくれるのに効果があります。
  • 玄米というのは面白い食べ物ですね。玄米には鰯とか鯵とか味噌汁とか、いも、大根、こんにゃくの煮付けなどが合います。白米だとマグロのトロとかビフテキとかが合います。玄米にはマグロもビフテキも合いません。非常に健康に良い食品です。

  • 食事は自分の健康を維持するための、栄養の補給なのです。
  • そして睡眠は自分のストレスを回復させる時間なのです。
  • 入浴は必ず行って疲れた筋肉を労ります。

私のリハビリ

  • 一日の生活時間を分けて、一つはパソコンのワープロ、一つはお習字と読書、一つは歩くこと、大体、この三種類に分けております。
  • その間に孫の守をしたり、家内の手伝いをしたりして生活を組み立てています。

  • 健康な時には出来なかった、「お習字」について知人から「病気にならなくてもお習字をしましたか」と質問を受けます。多分、やっていないと思います。今年の書展に向けて書いているのは、篆書で「崔子玉座右の銘」という一世紀くらいの方の文章です。

  • 障害を持っていない時には、恐らく会社の仕事の延長で、事業の利益が出た、出ないと、神経をすり減らして、充実していると思ったか、寂しい人生だなと思っていたか、分かりません。でも障害者になってこれだけ広い世界があることを知った以上、そんな世界を知らずに人生を送る方は気の毒に思います。
  • 一生懸命にやるのは良いとして、こんな豊かな世界もあることを言って上げたいものです。リハビリというものはその人に適切な文化を創り直すことで、再構築することです。昔と同じ文化で行こうとすると、かなり辛い状態になると思います。

2.命の鎖「宇宙的時間」

  • 私のリハビリこの時間という不思議なものは目に見えません。
  • 朝起きて1日が始まると24時間の周期です。2.命の鎖「宇宙的時間」
  • 地球が太陽を一回りすると1年が経ちます。
  • その中で色んな「生活時間」が流れていきます。今度、3人目の孫が生れましてね。
  • この孫を見ていますと、私たち夫婦は遺伝子という形で情報を伝えています。

  • でも、私が子供や孫に伝えた情報は、私にまで伝えられた長い命の歴史を、私自身が何百世代という、「命の鎖」の中の一部として伝えて行くのです。
  • この孫の中にも、私や私の両親を含めて、遥かなる先祖から伝えられたものが、そっくりそこにあるのです。

  • しかし、同じ兄弟が同じ境遇で育っても、一人として同じ人はいません。皆違います。ですから同じ遺伝子を持って、同じ境遇に育っても、色々と発現される能力に違いがあるようです。色んな個性、特性が個々人の責任で育つ訳です。

  • 何百世代に亙って伝えられた命も、やがて地球が太陽に飲み込まれて、地球そのものが無くなるだろうと、天文学者は予想していますが、それでも宇宙は続くでしょう。

  • 私のリハビリビッグバンと呼ばれる時以来、様々な過程で地球が生れ、そこに生物が誕生し、その発達した姿として人類が生れ、やがてその人類も消える、その無限に思える時間と空間の中で、こうやって皆様と顔を合わせてお話が出来ることは、命としては大変なことと思います。

  • やがて、一つの世代が持つ考えが次の世代にバトンタッチされて人類は精一杯に生きようとします。これは人類人の素晴らしい所だと思います。

3.価値観の多様性と転換

  • 価値観というと、最近少し疑問に思う所もありますが、シュプランガーという学者が、人間は幾つかの価値観のどれかに重きを置いて生活すると定義しております。

  • 所が、日本の社会では、西欧と違った価値観が人を動かしていたのではないかと思います。西欧文化と日本文化の基本的な差かも知れませんが、日本では昔から、価値観といえば「お上」から申し渡された感じのものとして受け取っていました。

  • 個人個人が、色々と自分の価値観を持つというよりも、お代官さまから示された価値観、徳川幕府が示された方針に従わなければ生存が許されない、西欧社会の哲学では、日本社会の姿は少し説明に難しい所があると思いました。

  • そんな疑問が残ることを前提にしながらも、最近の私たちには、美しさを追求したり、宗教的な死後の問題、経済的利益の追求、政治権力を求める、社会福祉の追求等、幾つかの類型があります。

  • 昭和一桁生まれの私たちの世代は、富国強兵、尽忠報国という、国が価値の中心で、そこには個人を中心にした価値観は排斥されていました。
  • 価値観は「お上」が下されるもの、として育っています。その時代に応じて健康なものは皆、軍人になれ、他の人は一生懸命に国のために働いて税金を納めなさい、国のためなら大事な命すら召し上げるよ、そこでは国家の利益が最優先されて個人は消耗品としてしか見ていませんでした。

  • ですからそんな社会では価値観の多様性などと言っても分かりません。イスラム社会に行ってキリスト教の宣伝をするようなもので、あるいは北朝鮮に行って、色んな文化があるよ、と言っても認めようとしない社会、そんなものもあります。

  • 私のリハビリ幸いにして、今の日本では色んな価値観が持てる自由がある社会ですから、色んな価値観の中から好きな価値観を身につけるということ、皆様が「健康」と言う価値を対象にして「医療分野」で働くことを選んだと言う解釈が出来るのです。

  • 経済的な価値観も大事だけれど、人生はそれだけではないよと言うのが、価値観の多様性なのです。この道でしか生きていけないと思っていたが、まだ色んな道があるよ、と言う事です。

  • 人生で行き詰まった時、この価値観の多様性と言う言葉を覚えておいて下さい。
  • 自分を生かすためには、どんな価値観を選べば良いか、手足が動いて活動に支障がなければ、それにふさわしい価値観、手足が使えない障害者になれば、それにふさわしい価値観、その人が生きていけるような価値観を探して欲しいと思います。

4.発達課題

  • 私のリハビリこの発達課題と言う言葉は、それほど一般的な概念ではありませんが、心理学の世界でフロイドあたりから使われ始めましたが、最初はせいぜい、青年になる頃までくらいしか考えていませんでした。

  • エリクソンという心理学者が始めて、人間には一生、死ぬまで発達課題があって、老人には老人として解決すべき課題がある、と発表しました。

  • 発達課題と云うのは、それぞれの年代で取組まなければならない問題を克服した場合にその人に素晴らしい「徳」「性質」が身についていきます。皆様より少し若い時代にアイデンティティと言う問題が出て参ります。

  • 「私は一体、何者か?」「これからの人生をどう生きるか?」そのアイデンティティを確立して自分の長い人生に備える、このアイデンティティを確立できなかった人はどうするかと言うと、ああでもない、こうでもない、とモラトリアム人間と言われる、フリーターと呼ばれアルバイトと言われる人生を送ります。アイデンティティが確立していないと、自分の人生はこうだ、と言う信念のある生き方が出来ません。

  • ここにいる皆さんは、自分の人生の生き方についてしっかりした方針を持っていますから、皆さんはアイデンティティの問題を解決しています。

  • 皆さんには次の人生の段階として「愛情」「世話活動」の問題が出てきます。
  • 異性との間での「愛情」も、自分の持っているものが、何も損なわれる感じがしなくて、相手に与えることが出来る状態です。相手に与えても、少しも損をした気にならない。それが「愛情」の持つ本質です。

  • それに継いで新しい世代に対する「世話」があります。此れは子供の世話です。
  • 「世話」とは新しく子供を産み育てたり、学校の教職を勤めたり、生活に必要な物に関わる社会のシステムに参画することです。そんな時期が過ぎて現役を引退すると、今度は、自分の人生を統合整理して、自分の人生は充実した人生だったと思えるか、自分の人生は失敗だったと残念に思うか、になります。
  • その中で「次の世代とのかかわり」が出て参ります。

  • そんな発達課題は心理学者の手によって研究されていますし、先ほど申し上げた神谷さんも、この発達課題に基づいて「心の旅路」を書かれています。
  • 人には誰にでもそんな問題があるし、同じ障害者でもAと言う人とBと言う人とでは違った課題があるという事になります。
  • 皆さんがこれから接触するであろう一人一人が、どんな課題を持っているか、これを知ることは大きな着眼点になると思います。その個々人の課題は、本人にとっては大きな問題なので、その課題を見失わない様にすると良いのではないでしょうか。

  • 発達課題というのは、まだまだ、理論的にも次々に解明されていくとおもいます。
  • 若い皆さん方は、そちらの方向についても興味を持って欲しいと思います。
  • 「私は看護職だから、保健衛生のことを考えておけば良い」でなくて、「人間の幸せ」「人の命を守る」という立場で、人の研究、人に対する深い関心、これを持ち続けて欲しいと思います。

  • 人という豊かな創造性に満ちたものは他にありませんから、幾ら勉強しても切りがありません。近頃の病院では、コンピューターのデーター解析に忙しくて、人間として接する事は医学教育でも手薄に成っているようです。
  • その部分を皆様方は人間に対する関心を失わずに持ち続けて欲しいと思います。

私のリハビリ

3部「元気が出なかった私の理由」

  • これは、大田仁史先生の〈芯から支える〉というご本を参考にして、私が、元気のでなかった頃を思い浮かべて整理してみました。
  • 大きく7つの項目が大事になるのではないかと思います。

1.生活感覚の戸惑いー自分で生活時間を管理する

  • 私のリハビリ入院生活を考えてみると、入院中の生活は、自分で「時間」を組み立てていません。
  • すべて病院が管理しています。朝、6時になると「起床ですよ」と起こされます。
  • 次ぎは「食事ですよ」、そして「回診ですよ」、「リハビリ室に何時に行って下さい」、「入浴ですよ」。これも慣れてしまえば気楽で良いですね。考える手間が要りません。

  • だから入院生活が長くなると、他人に決めて貰わないと何も出来なくなります。自分で自分の時間を管理する能力がどんどん低下して行きます。

  • それがどん底になった頃、退院して家に帰りますから、全くどんなに時間を扱えば良いか、分かりません。

  • 更に、時間が足りないという問題がありました。朝起きて、洗面して、着替えます。
  • バリアーの多い家の中で、何とか洗面所に辿り着き、何とか顔を洗っても、寝間着を脱いで着替えをしようと思うと、着替えを抱えて椅子のある部屋に行かねばなりません。

  • 椅子に腰掛けて着替えますが、ズボンの足を入れようとしても悪い足は、地面に突き刺さった感じですから、それをズボンに入れると大変な無理な力が加わります。
  • それで足に通すと立ち上がって引き上げます。立ったり、座ったり繰り返しながらズボンをはきます。トレーニングシャツは問題ありませんが、ワイシャツになるとボタンを留めるのが一仕事。一生懸命にボタンを留めたら、かけ違いがあったなど、いつものことです。

  • 食事をするにも左手で箸を使いますが、不器用なのでポトポト食卓の周囲にこぼします。生活に最低限必要な行動をするのに、健康な時代の、何倍もの時間がかかるのです。
  • 家族は、そんな障害を持つ家族のペースに「イライラ」してきます。

  • この様子を「ポンコツ車が高速道路に迷い込む」と比喩されますが、道路を走るといつかは目的地に着きますが、1日は24時間しかないので、私のテンポでは1日に出来ることは限られて参ります。そんなことが退院した当初の感覚の混乱になります。

  • 昔やっていたが今は出来ないという部分を積極的に生活から外していかねばなりません。捨てなければなりません。自分の生活哲学に基づいて、此れは捨てる、これは後回し、でもこれだけはやる、という選択が必要になってきます。

  • 生活の感覚が狂っていますが、自分で自分の生活を組み立て直す必要があるのです。障害を持って生きるためには健常者の時間にあわせては旨く行きません。障害のある体で行動のできる時間を基準にして時間を組み立てることです。

2.孤立化と孤独感―友人・同病の仲間

  • 私のリハビリ病院にいる時は仲間が沢山いましたが、退院して戻ると全く孤独な状態になります。

  • この「孤独」「孤立」という状態は良くありませんから、できるだけ古くからの友達とか同病の仲間とか、絶対に孤立しないようして下さい。

  • 人間は社会的な存在ですから、人とふれあい、話し合う関係がなくてはなりません。もし、孤立している人には、リハビリ教室で同じ病気の仲間と一緒に出会うことを薦めます。
  • そこには心身の痛みを分かり合える仲間になる方々がいるからです。

3.獲得された無力感―気長な工夫と小さな成功の連続

  • 私たちは一生懸命に挑戦しても、何をやっても成功しない、どうしても旨く行かない体験を重ねます。その内だんだん、何をやる気も起きなくなり、挑戦したり努力することが無意味に思えて来ます。

  • 「獲得された無力感」は言葉としては分かりますが、何か、方法論に間違いがあったので成功しなかったのでは無いかと疑問を起こさせます。

  • 例えば、ネクタイを結びたい時、どうしても細い端をつまんでおかないと結べません。だから右手でどうしても「つまむ」という動作が出来ないと成功しません。
  • この「つまむ」力をつけるために二年間の訓練をしました。

  • しかし、腕を肘の高さまで持ち上げないと結べませんので、「駄目かな」と思いました。
  • たまたま腰を屈めた時に腕が胸の高さになることを発見したので成功につながりました。腰を屈めて胸の高さに腕を預けて左手で結びます。
  • 私のリハビリ出来ないことは出来ないかも知れませんが、それでも何か工夫をすれば、出来る範囲は拡大して参ります。お箸は右手で持つと、食べたものの味がしません。

  • 一生懸命に箸を持つことに集中するからでしょう。お習字も左手を使います。
  • 右手を使おうと思うと出来ることはありますが、折角左手が遊んでいたので仕事をしてもらっています。

  • そのお陰で無力感から逃れでたと思っています。始めの内は、本当に無力感に悩みましたが、左手を訓練して小さな目標から、少しずつ大きい目標にして、成功を連続させて行きました。

4.役割の変化と混乱―どんな役割を目指すか

  • 職業を持つ男性にとって一番大きい問題は、この「役割の変化」というテーマではないでしょうか。先日も川崎の友人との話しで、「障害者の人に声を掛けて集まりに誘うと、女の人は出て来て楽しく歌ったり話したりして、見る見る元気になりますが、男の人は仲々か、旨く行きません。何故と思いますか」。と話題が出されました。

  • 私のリハビリ私は「それは、男の人は自分の役割、社会的な役割、家庭内の役割等、が果たせなくなったという問題を、どう解決しようかと模索して悩んでいる時に、一緒に歌ったりして楽しむなど、その気分になれないのではないでしょうか。

  • 女性の場合は家事という仕事が確保されて、自分の持ち場を確保して社会復帰が出来ていますが、男は概ね外に職場があり、『出てこなくて良いよ』と言われて職場に戻れない場合が多い。一家の家計をどうしようか、と悩んでいるのと違いますか」と申し上げました。

  • そんな面もあると思います。
  • 片マヒ自立研究会の会員にも職場に戻りたい方が、その熱意で会社を説得して職場に復帰したケースもあります。
  • その人の長い間の人望で会社の態度に違いもあるようです。中小企業といっても、本人の人柄と熱意で復職を果たしたり、中にはこれを機会に離婚して人生をやり直す人もあります。

  • 病気とは、人生の中間決算に似た所があります。その中間決算の中で、障害を得た今後の自分の役割、残された能力を使って、この家族のために何が出来るか。残された能力で社会のために何が出来るか。こんな問い掛けを自分にして行く、自分に残された能力を中心に自分の人生を再評価して行くことです。

  • 特に仕事中毒と言われた、日本の男性、趣味も何も持たずに職場しか知らない人には非常に辛い問題点になります。人柄と障害の程度によっては「側にいてくれるだけで良い」といってくれる家族がある場合もあります。

5.目標の変更乃至喪失―現実を前提に

  • 私が若くて忙しい頃、家内から「少しも家のことに目を向けない」とクレームがついた時、「将来、運転手付きの外車をプレゼントするから、待ってくれ」と約束しましたが、障害者になってみると、どうもこの約束は不履行になりましたね。今は、国産車で運転手をしてもらっています。色んな人生の変化に対応していかねばなりません。

6.可能性が分からないー手探りで「未知」の能力を

  • 私はこの「弄花香満衣」を書くまでは、私にお習字が出来るとは思いませんでした。
  • 隷書の勉強を始めて10年近くになります。そして、「人間とは恐ろしい能力がある」と思いました。もっと他のことをやったらどうだったか、それは分かりません。

  • 私のリハビリ左手で編み物をする方もありますし、左手で絵を描く方もいます。
  • 要するに、左手という手は、昔から使わなかった、あるいは使わせなかった手なのです。

  • 左手には無限の可能性があるのかも知れないと思います。今までに試したことの無い可能性が残っているのかもしれないという前提で、うんと褒めて、「豚も煽てりゃ木に登る」位にして下さい。何が出来るのか分からないのです。そんな能力はない、という事は決して言えません。

  • これはあらゆる事について言えます。皆さんの周囲で「何も出来なくなった」という人がいたら、何も出来なかった私の事を話して下さい。

  • 今の私は、自分でネクタイも結びます。何故ネクタイを結ぶかというと、やはり色気があるからでしょう。外出する時にはキチンとしていたい。

  • まして看護教育大学に行く時は、身だしなみはしておきたい。
  • ですから一生懸命に整えます。「私には可能性が無い」と嘆く人に、何か動機を見つけて上げたい、後はそれを実行するかしないかの問題ですが、実行する時に手順を間違えない様にしなければなりません。

7.障害の悪化と再発の不安―体質の改善を

  • 退院した頃は一番大きい問題の一つです。私が脳梗塞になった事を横浜に戻って主治医に報告したら、「脳梗塞で良かったね、心筋梗塞だったら、もう葬式も済んでいただろうよ」と言われました。

  • 確かに脳梗塞になったことは、辛い体験でしたが、一面でラッキーだったと思っています。何故なら、この病気になったお陰で、成人病という怖い病気を知ったからです。

  • 脳の検査をしなくて良いか、と尋ねたら、「脳梗塞が新しく出来ていることが分かっても仕方ないよ」といわれ、「なるほど、そうか」。とにかく、再発しない体質を作っていこう、としました。

  • 所が同じ障害者の方にも、「ガン」で亡くなる方が多いですね。再発する人もガンになる人も結構、おられます。最近では、ガンの発病メカニズムも少し分かって、ガンが一人前に成長する前に免疫を増やしていけば予防することも出来ることを知りました。

  • 私のリハビリ健康というものが、すべての人生の幸福の前提にあることを知ったことです。

  • この病気の私に対する大変な功績と思っています。もし、これが無ければ死ぬまで飛んで廻って、家族には寂しい思いをさせたかも知らないと思います。

  • でもそんな成人病になるのじゃないか、その不安は誰にでもありますから、先ず、主治医と相談して、脳卒中の再発防止というよりもむしろ、成人病の体質を改善するという目標で体質改善計画を立てると良いと思います。
  • これらは共通していて、生活習慣や食事の習慣は変えないとなりません。私はもう病気になって15年が経ちましたが、これから発病すると大変です。

  • そこで生活習慣と体質の改善を通じて、3月に生れた孫が成人式を祝ってやれる私の90才を目指します。90才までは元気にしていたいので、そのためには家内が健康で元気にやって貰わないと実現できません。

  • 2005年には私たちの金婚式、次には大きい孫が大学を出て、中の孫が高校に入ります。私たち夫婦も喜寿を迎え、米寿を迎え、卒寿を祝います。毎年のように何かのお祝いをしなければなりません。将来にこんな楽しい目標がありますと、一つの生きがいになり、病気などしておられません。そうやって「ぴんぴんころり」といくことを念じて生きたいと思います。

  • これまで述べた7つの理由を申し上げましたが、どれが、どの人に一番影響しているかは申し上げられませんが、職場から切り離された男性の場合、新しく役割を手に入れる工夫は、恐らく最も解決に困難を伴う課題ではなかろうかと思います。
  • 7つの問題点をチェックしながら、皆さんの患者さんを見て頂くと、色々有効な助言をして上げられるのではないかと思う次第です。

8.質疑応答

  • 質問: 右片マヒの障害を持つ家族と同居しています。40代で倒れましたが言葉に障害が残りました。仲々相手に正しく意志が伝わらず困っています。克服の具体的体験を話して下さい。
  • 回答: 右マヒの方には言語障害が伴う場合があります。完全な失語症では言葉の意味が分かりませんが、この場合は発音に必要な筋肉が旨く動かない構音障害のようですね。
    • 私は大きな声を出して朗読しました。毎晩、布団に入る前に、小説を数ページずつ、語尾が曖昧にならない様に気をつけて読みました。その内に風呂の中で歌が出てきました。なるべく大勢の人と話したことも良い方法でした。
  • 回答: 主人の言葉は人様に通じないのに本人は気がつきませんでした。
    • 気がついてからはメモに書いて確実に伝わるようにしていました。又沢山の方とお話をする機会があったこと、田舎の母に朗読をテープにとって送ったりしたこと、仲間の方とカラオケに行ったのも良かったのではなかったでしょうか。

  • 長時間のご静聴、ありがとうございました。 以上

私のリハビリ

(目次)

第1部「体験事実」の報告 3.価値観の多様性と転換
1.自己紹介 4.発達課題
2.突然の発病と後遺症 第3部「元気が出なかった私の理由」
3.絶望から立ち上がる過程 1.生活感覚の戸惑い
4.退院してー工夫すれば 2.孤立化と孤独感
5.保健婦さんとリハビリ教室 3.獲得された無力感
6.自主グループと左手の習字 「入門」で自信回復 4.役割の変化と混乱
7.幸運に感謝して 「ぴんぴんころり」の実践 5.目標の変更乃至喪失
8.質疑応答 6.可能性が分からない
第2部 伝えたい「体験の持つ意味」 7.障害の悪化と再発の不安
1.リハビリは文化の再構築 8.質疑応答
2.命の鎖「宇宙的時間」

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