歩くということ

●論文館

12.歩くということ

平成11年4月例会報告
片マヒ自立研究会 森山志朗

歩くということ

「序」

  • 歩くということ平成11年3月、家内と一緒に区役所から上飯田地域ケアプラザまで歩きました。
  • 30分程度で目的地に着いてみると、若い保健婦さんがいたので色々と話しをした時、私が「今日は抜群に旨く歩けました。」というと、「それはなぜですか?」と単純にして意味深い質問が彼女の口から飛び出しました。

  • 確かに、一旦は、歩けなくなった片麻痺2級障害者である私が、こんなに旨く歩けたのには充分な理由がある事であり、その経過は紹介するだけの値打ちと、それを知らせる社会的な義務があると思いました。

  • 歩くということこれまでの私であれば「ただ、運が良かったのです」と言って、この難しい問題と正面から取り組むのを避けていたのでした。
  • それは障害者の仲間に「歩く」ことの訓練に熱心でない人を傷つけたくないとの思いやりが働いていたからでした。

  • ところが、最近、色々と勉強してみると、人生には「現実の課題の解決に取り組みながら、人生の楽しみを追究」する人や、既に人生の発達課題を成し遂げたり、色んな事情で「現実の課題の解決に取り組むことを避けて目前の人生を楽しく生きる」立場をとる人がある事も知りました。

  • 歩くということ障害者の一部には、この「現実の課題と取り組む努力を放棄して享楽的に生きる」ことを「障害の受容に伴なう、ふさわしい生き方」と誤解している人もありました。

  • 深く考えると、たとえ、障害を受けない人の中にも、そんな消極的な生き方を望んでいる人もあったことに思い当たったのです。

  • でも、中には少数かも知れませんが「現実の課題と取り組み」、家族の柱として生きようと、必死になって努力している方々ともめぐり会いました。そんな方々を仲間として、互いに励ましあいながら「片マヒ自立研究会」と言うボランティアグループを作り行動する様になりました。「努力の出来る人」と高次脳機能障害といわれる「努力が難しい障害を持つ人」が有る事も知ったのです。

  • 効率万能の会社員の生活では、こんな「享楽的な人」も「努力が難しい人」も私達の職場を中心にした狭い社会では見聞する事は出来ませんでした。
  • 障害者になったお陰で、社会には色んな人が生きている事も知ったものでした。
  • 色んな生きかたの中で、みんな銘々が自分の満足できる生き方を選べば良いと思っています。
  • しかし、努力してより高い目標に挑戦し、少しでも前に進み、人生の幸福を手につかみたいと願う人には、困難な道ではあっても、可能性のあることを知ってもらい、希望を持って出来るだけ励ましたいと思うように変わったからです。

1.「歩けないー車椅子を楽しんだ時代」

  • 昭和60年9月11日、脳梗塞で入院しましたが右半身に強い麻痺が残りました。
  • 障害を持つ立場になった私は、意識が戻って、やりたいことの第一は、自由に動きたいということでした。しかし、マヒのために動かない手足、私の命令が通じない手足、それでどうやって肉体を移動させたら良いのか、頭を抱え込む難問でした。

  • 取りあえず、小錦のような体格をした付き添いさんの肩に縋って、一歩二歩と病院の廊下を歩いたが、これは歩くと言うより、肩に担がれて引きずられるようにして動いたのである。

  • 歩くということしかし、ここで過労のために肝臓障害を起こし絶対安静を申し渡されました。焦りによる咎めです。
  • この結果、私の大きな筋肉が完全に消え失せ、私は始めて熱い涙を流したのです。リハビリを焦った結果の失敗でした。

  • やがて車椅子に乗り移る方法を教えられて以来、車椅子で自由に移動できるのがすっかり嬉しくなり、左手一本で車のホイールを操作して「日本一の車椅子操作」と自慢したものでした。
  • 長い廊下を往復したり、リハビリ訓練室の行き帰りにも、車椅子でエレベーターを使って出かけたりしました。

  • 「車椅子で生活できるように横浜の家を改造しよう」と、新しい機器の研究に妻はデパートにある福祉機器を勉強に出かけてもらいました。
  • 歩くということその頃の私は、私の将来の生活には車椅子は不可欠の備品として考えていました。

  • 昭和60年10月13日は、日曜日でした。それは入院患者には退屈な一日なのです。
  • その退屈しのぎに、偶然にスイッチを入れたテレビの画面に、北京の国際マラソン大会で走る宗兄弟の姿がクローズアップされて写ってきました。
  • 「頑張っているな、二人とも」凝視する内、2時間10分23秒の好タイムで同着1.2位と、想像を絶する光景に一瞬、我を忘れて画面を見つめました。
  • 二人がロスのオリンピックの仕上げに厳しい練習をしている姿を知っていたからです。「雨で練習を休むと取り戻すのに数日かかります。」と語っていた姿が浮かぶと同時に「なせばなる」という言葉が浮かんだのでした。
  • その日、私は人とも話さず、ベッドの中で、一人で深く考え込みました。

2.「杖で歩くー失敗と辛い日々」

  • 歩くということそして、一念発起、自分の足で移動することを決心して、廊下の隅から押し車を出して、その車を押しながら歩く練習を始めたのでした。しかし、股関節が充分に広がらず旨く歩けません。

  • 付き添いさんは私の硬くなった股関節を広げるのに手荒い方法で治療をしてくれました。その痛みは涙が浮かび零れ落ちるほどのものでしたが、歯を食いしばって耐えるしか私には選択の余地はありませんでした。

  • そのお陰で股関節を広げられるようになりましたが、既に尖足になった足の先は垂れ下がったままです。そのままでは歩く時に危険なので、足先を包帯で巻いて、膝の上に釣り上げて、垂れ下がらないように結び付けて一歩ずつ前に出しました。

  • 歩くということ少し慣れた所で、「杖を下さい」と申し出て、杖による歩行の練習を始めました。

  • 夕食が終わると、歩行練習のために2階の診察病棟の廊下が入院している人たちの自主訓練の場に変わります。私もその仲間に入れてもらいました。

  • 腰に「命綱」を白く巻き付け、付き添いさんに看取られながら一歩一歩と歩きますが、不甲斐なく直ぐ疲れて廊下を一回りすることも出来ずにベンチで休む始末でした。

  • 神経が通っていない足は、さながら「生きる屍」なのです。神経が通っていない手足は「自分のもの」として大脳は感じることができず、足には何か大きな粗大ゴミが腰の下にぶら下がっている感じで、とても重たく感じました。足に10キロほどの錘を巻き付けている感じで歩くのです。

  • この歩行の訓練が終わると右半身のあらゆる筋肉はひどく痛んだので鎮痛の湿布薬を半身隙間なく貼り巡らせました。

  • しかし、毎日の訓練を通じて次第に神経の回路も通じましたが、回路の通信容量が少なく、一つの命令が届くのにとても長い時間がかかったものです。

  • しかし、毎日の訓練を通じて次第に神経の回路も通じましたが、回路の通信容量が少なく、一つの命令が届くのにとても長い時間がかかったものです。

  • 歩くということ筋肉の力も少しずつ付いてきたのでしょうか。長い回廊を1周2周と歩く事が可能になりました。尤も、歩くと言っても、竹馬で歩くように足を「置いて」行くような歩き方に過ぎませんでした。

  • やがて平坦な廊下のみでなく、階段の昇降に汗を流しましたが、この階段を上り下りする時、訓練を指導してくれた付き添いさんは厳しく「悪い方の足から踏み出せ」と、繰り返し教えてくれました。その理由は、良い方の足は動かし易いが、そうすると悪い足が永遠に「支えられる立場」になって、自分で動かす能力が回復しない、という持論だったからです。

  • 私の病室が14階にあったので2階まで階段を降り、そこで動くエスカレーターに調子を合わせて悪い足から乗り下りしました。その後、今度は階段を14階まで上って病室に戻った時には全身汗でぐっしょりになっていました。

3.「退院してー装具と共に」

  • 6ヶ月の入院を終えて退院した時には、杖をついて、札幌を後にして。横浜の自宅に帰りました。
  • 歩くということ早速、御近所の塩田先生を主治医になっていただき、全身の健康管理をお願いしました。

  • そのご紹介で横浜市大のリハビリ科長の大川先生に診てもらい、装具の設計をして頂きました。

  • しかし出来上がって見ると使い勝手が悪いので先生に無断で、膝の下を止めていたゴムひもを切断してしまいました。

  • これは、歩く時に装具と踵の関係がフリーになり、歩く時に踵の関節が動けるからです。
  • このことを先生に報告したら少し首をかしげていらしたが、「まぁ、本人が良ければ」とご了解を頂きました。
  • この装具をつけて以来、私は安全に歩行が出来るようになりました、と言っても、悪い足に注意をしておかないと、直ぐ緊張が緩んでダラリと足先が垂れてしまうから手放しで行動は出来ません。
  • 歩くということある日、寒川神社に初詣でに出かけました。
  • 車から降りて、歩道を歩いていると、玉砂利を敷き詰めた参道に出ました。

  • 途端に私の足先が足先が砂利の中に突っ込み、一歩も前に進むことが出来なくなりました。。「なぜだろうか? 」突っ立ったまま、考え込みました。何度も、何度も歩こうとしても靴は砂利の中に潜り込んですこしも前に進めないのです。

  • 「今日は諦めようか!」と弱気が持ち上がろうとした瞬間、一つの仮説が頭を掠めました。「やってみよう」と思い切って試みたらようやく、歩くことに成功したのでした。

  • その私の仮設とは、心の中で「平地を歩くのではなく、階段を上っている」と言うイメージを作って足を踏み出すことでした。階段を上る時に足を引き上げるつもりで、足に「前に出る動作」に、「高く引き上げる動作」を加味して指令したのでした。

  • ◎ これは後日反省して考えると、多分、一般には使わない「腹筋」を使ったのではないかと思ってい
    • ます。特に階段を下りるときには必ず「腹筋」は使いますし、平地でも「腹筋」を活用して歩くと「ころぶ」危険性が減少することも体験しています。

4.「子供の歩く姿に感動」

  • 歩くということある日外出しましたが、誕生を過ぎたばかりの小さな子供が、お母さんの後ろを、よちよちと一生懸命に追いかけている、なんでもない平凡な光景に出会ったのです。
  • 歩くことに夢中な私は、瞬きもせずに、その見事な足の運びに見入って感動してしまいました。

  • 「どうして、あんなに旨く足が動くのだろうか」。不思議で仕方がありませんでした。
  • 「キット、お母さんについて行きたい」との思いだけで、自動的に子供の足が動いているに違い無いと、思いました。
  • あの子の大脳は決して、自分の足に向かって、「前に出しなさい」などの命令はしていないだろう。
  • とすると、人間に必要な動作と言うものは、きっと、一つのまとまった形で順序良く発動するような、一つのシステムとして、完備されているに違いないと思ったのです。
  • 今の私には、神経組織が一部破壊されているため、命令が到達しないので、このシステムが作動しない状態なのでしょう。
  • 大脳が、「動け!」と命令しても神経組織がつながらねば命令は届きません。
  • 活動の命令が届かない手足の筋肉には、充分な血液による栄養の補給が受けられません。やがて筋肉はやせ衰えていきますが、半分以下に衰えると関節が動かせなくなり役にたたなくなるそうです。
  • 歩くということ早く基本動作が出来るように重要な関節を動かす筋肉を強化して、更に複雑な高度の「歩行システム」を回復させる必要を感じました。

  • この、破壊された、命令を伝える神経細胞同志をつなぐバイパス回路を作るには、長期の「繰り返し命令」が必要だろうと思いました。
  • 更にそれで動かすべき個々の拘縮している筋肉を、昔のように柔らかに大きくするには、毎日の欠かさないストレッチングで筋肉を柔軟にすることが大切ですが、無理な力を一度に加えると「破断」する危険があります。気長に取り組み、イメージを加味した「歩行」の実習を不断に行なうことが「歩く能力」を再獲得する有力な方法に違いないと思いました。

5.「単位動作の確立」

  • 歩くということ其の頃の私は「歩く」時には、一つ一つの筋肉の動作を命令しなければ不安でした。

  • 「上げて」「前に出して」重たい足は「降ろせ」と命令しなくても直ぐ下に降ります。
  • しかも、障害のある足は体重を保つには弱すぎて、其の足で長く体重を支える事は不可能でした。

  • 更に、良い足を前に出すと、次の動作で障害のある足を前に出そうとしても、悪い足先が充分に引き上げることが出来にくく、足先が地面について動けません。このままでは、良い足の着地点は障害のある足先の前に出せないことになり、歩くといっても半歩ずつしか前に出ないことになります。

  • たまたま保健所に友愛病院の柴田先生がご指導に見えたことがありました。
  • 無遠慮に先生に「歩くとはどんな事ですか」と、質問をしました。

  • 真面目な先生は、この質問に「かかとをつけた体重を、球を転がすように前に移動させ、足先で地面を蹴って足を持ち上げる動作を、左右連続して行うことだ」と教えてくださったのです。

  • 私には「足先で蹴る」ことは難しい動作でした。しかし、これができないと竹馬のような「足を置く」ことにしかなりません。

  • 歩くということ時が立つにつれ、次第に神経回路が「一括処理」できる小さなシステムも出来てきました。

  • 最初は「上げて」「前に出して」と夢中でしたが、今では「股関節をできるだけ広げ歩幅を伸ばせ」とか「アキレス腱をもっと伸ばせ」と、命令しながら、頭の中で足先のイメージを思い浮かべ、皮膚の感覚を頭で感じながら「指先で蹴る」動作を確認します。

  • 「ぶん回し」と言うスタイルも自分で矯正しなければなりません。
  • 注意してみると、内側の太股の筋肉が弱くて、早く引き戻そうとしている感じがしました。そこで歩く時に内側の太股の筋肉に注意してみると、筋肉も協力して伸びてくれるようでした。
  • いずれにしても「歩く姿勢を矯正する」問題は、歩くことが出来てから取り上げてください。

6.「歩行システムの回復」

  • 神経細胞にしっかりした回路が形成され、「歩く」システムが曲がりなりに出来ても実際に体を移動させる足の筋肉が弱ったままでは充分に歩くことは出来ません。そこで平行して脚力の鍛練と言ったことが必要になります。

  • 歩くということ私は子供の頃、体育で相撲に親しんでいたので、テレビの相撲中継で見る力士の四股や、そして立ち会いの蹲踞の姿勢等、足腰を鍛練する運動が多い事に気づき、自分なりに運動に取り入れました。

  • 更に忘れてならない訓練は、マヒして「鷲爪」とも称される、緊張した時の筋肉の萎縮した状態との取り組みがあります。このままでは靴も履けないし、歩くことも出来ません。

  • 歩くということ内側に湾曲した足の指を伸ばす運動は、幸いなことに「生き生きヘルス体操」の中にも取り入れられているので、平素から基本的な体操として「生き生きヘルス体操」を実行することがとても大事なことと痛感しています。

  • 足の指は強く内側に向けて曲がり込むので、これは自分で、一本一本の足指を、強く上に向けて引き延ばす運動を絶えず行わねばなりません。
  • これはテレビを見ながらでも出来ますから是非、実行してください。

  • 電車に乗る時は、危険防止のために極力、座ることにしますが、満員の時は黙って立つことにしています。電車の揺れに対応して、旨く平衡を保つ動作に、弱い足でも参加させる訓練です。このときは「危険と裏腹の訓練」と緊張して行います。

  • 歩く時は、あらかじめ「歩行時間」を決めたり、「目的地」を決めておくと、比較が出来て便利です。計数カウンターを持って歩数のカウントをしたことがありました。その結果、私の悪い足の毎日の訓練は、一日2,000回を下回らないことが確認されました。
  • 歩くということ単純に計算すると1年では73万回、5年で365万回、この程度、神経細胞に繰り返し命令する事が出来れば、大脳の中に新しい神経回路の復活、システムの再編成も可能になるのではと思っています。

  • 時計を持って、一定の場所の間の所用時間を日記に記録し、1年後に再測定して能力の向上を確認すると自分の努力が実ってくることを感じることが出来ます。

  • 筋肉は若い時から運動や労働で鍛えてきた方と、余り使わなかった方とでは、残された筋肉に個人差が出てくると言われます。退院してからも、千代の富士が脱臼を運動で治療できた話はとても大きな励みになりました。

7.「明日につながる歩き方」

  • 私たちは一日一日、老化という潮の流れで、筋肉の弱体化、関節の老朽化という、自立歩行が困難になる方向に向かっています。

  • 歩くということその潮の流れに逆らって、歩行能力を回復しようとしているのだから相当の困難が伴うことは覚悟しなければなりません。

  • 筋肉が萎縮してくるため、関節が内側に引き寄せられますから、踏み出したその足が着地するまでに縮んで、予定していた場所よりも手前に着地せざるを得なくなります。

  • そのためは拘縮している筋肉は平素からストレッチ運動で伸ばして、少しでも正常の長さを保てるように努力する必要があります。

  • 歩く時に指先で地面を蹴る動作は、実はこのストレッチ運動を自分の体重を利用して実行する合理的な方法でもあるのです。足の指で蹴る時に、意識を指先に集めて、十分指先を押し曲げて指の筋肉やアキレス腱なども、ゆっくり引き伸ばすことを自覚するとよいようです。

  • 注意しなければならないのは、関節と周囲の筋肉は、マヒのために弱くなっており、しかも感覚が低下していていますから、無理をすると関節の骨に支障が生れると聞いた事があります。だからマヒの状態によっては「使い過ぎによる破損」を警戒しなければなりません。私は通常の生活では極力、階段は利用せず、エレベーターとか、エスカレーターを使います。一般の筋肉は鍛錬すれば強化できる可能性がありますが、関節の場合は強化する前に破壊の危険を恐れるからです。

  • 歩くということ気がつきにくい問題は、悪い足を訓練するつもりの行動が、良い方の足を痛めることです。

  • 悪い足を踏み出して空中にある時、まだ着地しない時、足の筋肉が収縮して重心の位置が変わるからです。

  • そのため、体を支えていた良い足の裏の中心にあった重心が横にずれて、小指のある外側に移動して、そのままでは倒れてしいますから、杖が有れば杖が体の傾きを助けてくれます。その時にもし杖が無いと、倒れまいとして、良い方の足には体の重心の変化に「耐える」ために頑張って大きな負荷を受けてしまいます。余り大きいと捻挫につながるから無理はしてはなりません。

  • 歩くということ従って、私たちは歩く時にも、ただ漫然と歩くのではなく、こんな「明日に向けた能力の向上」を目標に持って欲しいと思います。

  • 竹馬で歩くように、足をただ「置いて行く」歩き方では、筋肉のストレッチも強化も出来ません。
  • それでは明日の向上は望めないのです。

  • 毎日の実践で、次第に歩行のテンポも改善されてくることがとても嬉しいことになります。
  • でも、注意しても健常者から踵を踏みつけられる危険は多いので用心してください。

  • 「一日働かざれば一日食せず」と言う言葉がありますが、障害者が一日歩かないと、老化の影響は、たちまち機能退化に向けて進みます。

  • これはマヒのない健康な体では想像の出来にくいことです。私たちはそんな「マヒの障害と共に生きている」ことを忘れてはなりません。これは、やはり充分な血液が行き渡っていないからだろうかと思っています。

  • たとえ雨が降っても、何とかして晴れ間を見つけて、一日も歩くことは休まない習慣を身につけたいものです。それでも風が強いときは、外出は控えたり、雨風の影響のない建物の中や地下街の通路を利用しています。
  • 歩くと血液が全身をくまなく流れて気分も良く血圧も安定するのです。
  • 一番顕著な成果は、快便と、粗食が変じて美味珍味になること、更にストレスを拭い去って、熟睡が与えられることです。

  • 歩く時には、ただひたすら歩くことにしています。といっても雑念は沢山入り込みますが、入り込んだ雑念はそれなりに考えることにしています。

  • 自分の内心の奥深い所から浮かぶ考えに驚いた、気楽に「あの雲は面白い」と大空を楽しんだり、路傍の名も知らぬ花を見て「この花は奇麗」と見えざる自然の働きに畏敬の念を持つこともあります。

  • 時には本の中で出会った先人の言葉が思い浮かぶこともあります。
  • 「心身一如」とは?「渓声山色」とは?「人、山を見る。山、人を見る」?
  • 何を考えても構いませんが、私にとって肝心なのは、「只管打座」ならぬ「ひたすら歩く」ことなのです。

歩くということ


8.「危険回避能力の自覚」

  • 私たちは一日も早く、昔のように歩きたいと思う願いに溢れています。
  • その気持ちは痛いほど分かります。
  • そこで、ぜひ手順として、現実の「歩く能力」、つまり、「安全に自力で移動する能力」の水準を冷静に自己評価して、その「現実の評価」を出発点にして改善して欲しいと思います。

  • ① 平坦な道を、杖を使ってゆっくり歩くことが出来る人は、次には多少の障害物のある道を安全に歩
    • くことに挑戦してください。
    • 障害を持って歩くことは、どんな危険にも出会うことを自覚をして行動する必要があります。
    • 危険から身を守るためには、自分の安全移動能力を良く知っておくことです。

    • その第一は「尖足」と一般に呼ばれる「足首」の状態です。足首の後ろにあるアキレス腱が短くなったり、足首を水平に保持する筋肉が消滅しているため、ダラリとした状態になり、そのままでは足先が地面に接触して、転倒やそれによる骨折の事故が憂慮されます。

    • 歩くということ一歩一歩と足元に注意して歩くことと、事前に必ずリハビリ病院で「装具」を作ってもらい、必ず使って、強制的に足首を水平に保てる対策を講じてください。
    • この「装具」をつけずに歩こうとする試みは極めて危険ですから、無理な試みをする方には警告してあげてください。

  • 歩くということ② 次に、歩き始めは筋肉が充分に柔らかになっておりませんから、足
    • の運びもスムーズではありません。
    • 暫く歩くと血液も廻り筋肉も温かくなります。皆さんが歩き始めてからどれくらいで筋肉が温まり活性化するか知っておいてください。

    • 歩いているときに、近くで突然、車のクラクションが鳴らされたり、側を自転車が追い越しでいくとき、精神的な驚きが足の筋肉を硬直させて転びそうになり慌てます。

    • 筋肉のこの突然の硬直にどう立ち向かえば良いか、一つの課題が残ります。
    • 私は立ち止まって一休みして硬直を宥めてから又歩きます。

    • 一旦外出すると、そこには足元には自分で解決したり回避すべき問題が多いことを心得ていてください。
    • 点字ブロックは視力障害者には大事な標識ですが片マヒの足に引っ掛かり易い突起標識ですから、なるべく注意深く足から遠ざけて歩いて下さい。

    • 歩く能力が向上して、雑踏の中を歩くことに挑戦する時は、四方から迫る歩行者の流れを注意して、衝突しない警戒を怠らないようして下さい。

    • 一般の歩行者の中には、前を見ずに歩く「横着者」や、後ろから追い越していきなり直前を横切る「乱暴者」もいるからです。
    • マヒの無い昔なら衝突を回避するには肩を少し動かしたりずらしたりしたものですが、マヒのある体でこの動作は出来ません。それに変わるべき方法を自分で身につける要があります。
    • 私は一歩踏みとどまったり、半歩コースをずらしたりして防いでいます。

  • ③ 健康な目には「危険」と写らない場所があります。

    • それは主としてJRの階段に見られる「滑りとめ」のついた階段です。障害のある体では前傾姿勢を取り、体重を上の段にかけ、体全体を上の段に引き上げるようにします。

    • しかし、この昇段の方法は人によって違います。悪い足を上の段に上げてそれに体重を掛ける人、良い足に体重をかけ悪い足を上から引き上げる人、と二つの方法があり残存している能力に従って分かれるようです。
    • 歩くということしかし昇段に伴う危険は少ないようです。

    • 危険なのは、この階段を降りる時です。階段を下りるときには2種類の危険が待ち受けています。

    • 1つは、交互に足を出す場合は、必ず悪い足一つで全体重を支えねばならないときがあります。それが出来ない時は、一段ずつ足を揃えて降りねばなりません。

    • 2つ目は、交互に足を運ぶので、良い足を降ろしたのに続き、悪い足を下ろそうとする時、悪い足の爪先が、この「滑り止め」に捕まり、降ろそうとするのに足が止められてしまいます。このときは腹筋を意識的に使って悪い足を更に高く上げて下ろさねばなりません。この一旦持ち上げるという動作が必要なことに気がつかないと、一瞬もひやりとして事故の恐怖に晒されました。私たちには「恐怖の滑り止め」なのです。

  • ④ 石段の「踏み板」はその端末から垂直に次の段になっています。所が、この踏み板が垂直部分の端
    • よりも張り出していて突出している時があります。
    • 不自由な足で階段を上る時に、時として爪先をこの突出部分の下にある空間に差し挟む危険があるのです。

  • ⑤ 歩行者が利用することを前提に作られた「歩道」にも波打ち段差の問題を始め、自動車のために歩
    • 道に傾斜をつけて危険を作っている問題があります。
    • この障碍は先ず見てどんな危険があるか認識されて、全身に対応する指示が出されて、危険回避の行動が取れることになります。

    • 工事の施工の手抜きのため、歩道に敷き詰められている骨材が、表面に浮かび上がっている場合、小さな突起物が転倒を誘発する危険物になりますから最新の注意が必要です。

「終わりに」

  • 障害者になって10数年が経ちますが、今も日々に、歩く能力が向上していることを実感しています。
  • 「能力の改善に限りはない」といいますがこの言葉は本当だと確信しています。
  • それと同時に単純な動作である「歩く」能力を回復するにも、複雑な人間の課題が統合されていることを知って焦らないでください。

  • 同時に自分の努力を尽くした時に幸運が訪れて、回復が可能である事も知ってください。自分の努力が尽くされないうちは中々幸運も訪れてくれません。
  • 現実の社会を生きて行こうとする方々に「希望の灯」をなくさずに努力して下さい、と申し上げるのみです。

【きっかけを頂いた大石保健婦さんに感謝する】 以上

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