何故「やる気が出ない」のか

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16.何故「やる気がでない」のか

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片マヒ自立研究会主宰  森山 志郎
片マヒ自立研究会研究資料 2000年4月5日

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<目 次>

総 論

  • 何故「やる気がでない」のか【 】は大田先生の「芯から支える」の記述、
  • 【リハビリの基本 : リハビリは、障害を自分の中に包み込んで生きて行く、自立していく、自分の生活を自分で組み立てて行く事が本来の目標である。
  • だから、体についても病院のリハビリ訓練を受けるだけでなく、自分の体を自分の意志で動かすことを学ぶことが基本である。】
  • 私たちは、この厳しさがリハビリの根幹にあることを忘れないで取組む必要がある。
  • 1)原因の1【生活感覚の戸惑いを生じた時】

  • ①【他人に組み立てられた入院中生活の影響】
  • 何故「やる気がでない」のか私の入院中の生活には自分の主体性は全くなかった。病院の決めた起床時間に起こされ、決められた食事をし、検査、訓練とスケジュールに従って一日が過ぎ行く。「すべてお任せ」で、贅沢を言わねば本当に気楽な生活だった。

  • 辛い筈の、入院生活に慣れるに従って、リハビリに大事な自立の気持ちが薄れて行く。退院する日は、こんな生活にどっぷりと慣れてしまった頃である。まず、生活を自分で組み立てなければ惰性に流される生活から立ち直れないのである。

  • ②【時間が足りなくなる】

  • 私は退院して、純和風の家に戻るとベッドを始め家の造りにもバリアが多く戸惑った。朝起きて布団から起き上がり、顔を洗い、着替えをして、朝食を済ませ、排泄を済ませて、一応の朝の行事は終わる。しかし、何と長い時間を取られることか。

  • 片手で顔を洗うのにはそれほど苦労もないが、次の着替えは苦労した。
  • 先ず、着替えるべき肌着等を居間の机に運び、その椅子にどっかりと座る。
  • 片手で寝間着を脱ぐが結構、手間がかかる。
  • シャツの前後を確認して膝の上に広げるが、慌てるとシャツの前後を間違える。

  • 悪い手を肘の上にまで袖を通してから良い手を通す。ズボン下も勿論、悪い足から入れるが、悪い足は大地に根を下ろしたようなもので、仲々協力しようとしない。
  • そこに無理をして足を入れるから時々、縫い目に無理な力が加わる。足が無事に通った所で一旦立ち上がって腰まで引き揚げる。また椅子に腰を下ろしてワイシャツを着てボタンを留めるが、このボタンの掛け違いは良くやる失敗だ。それでも、左手一本でボタンが留められるから喜んでいる。
  • ズボンに足を通すと一旦立ち上がって引き上げて、座り直してベルトを締め付ける。これだけの作業に昔の何倍の時間を使ったのか。

  • 食事もそうだ。昔だったら、昔だったら、こんなのろまじゃなかったのに、どうしてこんなにのろ間になったのか。悔しい思いが胸を突き上げる。
  • 一日の時間が健康な人も障害を持った私にも24時間しかない。不公平だよーっと、言った所で割り当て時間が増える訳はない。
  • すると結論は、当分は日常の生活をするだけで精一杯であるということだ。
  • 高速道路に乗った我が家のぽんこつ車でも、のんびりしながらでも目的地に着くが、一日が24時間と制限されていたのでは中味を減らすしかない。

  • 何故「やる気がでない」のかそれでも、次第に旨くやれると時間に余裕も生れる。
  • やらなければならないことから順番にやっていき、どれくらい余裕が生れるか、それも回復の一つの目安にしたものだ。

  • 【生活の中味を省くこと】という大きなテーマがあることに気がついた。でも、何でもかでも、捨てれば良いと言うものでもない。
  • そのためには自分の哲学、人生観といった諸々の規範となるべき考え方を整理することが必要だった。自分なりにこんな勉強をして、しっかりした宗教観、人生観を改めて再確認することが新しい人生に船出する大事な準備だと思った。

  • ③【余殃時間が減ってその中味も変わる】

  • 私の一日の余裕時間が少なくなったが、更に、行動する時には、事前に調査して行動の確認を取る必要があった。私はしゃがみこむことが出来なかったので、和式トイレは使用不能だった。不注意に九州を旅行した時、何処に行っても便座式のトイレがなくて苦しい思いをした。

  • 何故「やる気がでない」のか今でも家族と一緒に出かける時にでも、時間的なゆとりと同時に、諸々の施設のトイレの位置や整備状況が頭に入っている時は安心している。

  • 始めて訪ねる場所では、折角エスカレーターがあっても案内がなく、えんやこらしょっと階段を上ったら反対側にエスカレーターがあったり、「駅ビルの中にあります」とかに出会うと、バリアフリーとは資金の問題もあるが、親切な心遣いといった、普通の人が持つと思われていた精神構造にも問題が大きいと思った。残念なことにこれにも地域差がある。

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  • 2)原因の2【孤立化と孤独感】

  • ① 【生きる力を殺ぐ孤独感】
  • 何故「やる気がでない」のか私が障害者になって暫くは孤独を感じる機会が多かった。
  • それは「私の悔しさを誰も理解してくれない」という「共感を求めたいのに」という水準から、一日中、喋る機会がないという「孤独そのもの」に耐えられない体験まで、さまざまな場合に現れて来た。

  • 家族は自分の状況を一番良く知っている筈なのだが、それでも「こんな事分かってなかったのか」と思うことすらある。
  • 次第に自分の世界に引き篭もるようになるが、これでは人間が駄目になるのである。
  • 新鮮な水流の中でしか生きられないアユのように、私たちは新鮮な人との関係がなければ人間として駄目になることを経験的に知っているからだ。
  • 自分が駄目になっても、更に家族をまで道ずれにすることは耐えられない苦痛であった。
  • 何故「やる気がでない」のか確かに中途障害という突発事件に巻き込まれて、予期しない事態に本人は元より、家族の全体が追い込まれたことは事実である。だが、一寸立ち止まって考えて見た。

  • 私と一緒に入院していた脳血管障害の患者は、どれくらいの人が無事に退院できたか。

  • それを思うと退院できた私は、更に生きて果たすべき仕事がこの世に残されているからこそ、家に戻ったと考えても良いのである。
  • 退院しても私は不格好な姿を人に見られるのは苦痛であったから外に出たくなかった。

  • 他人が私に同情を寄せてくれることはむしろ苦痛だったし、それは私の人生とは無関係に思えた。「私には私の人生が待っている」ので、「障害を持ってどう生きるか」。

  • 「障害のある体でどう生きるべきか」の結論が欲しいのに何も見えてこない不満があった。
  • 私には共に人生を歩いて来た家族に対する責務がある。どうすればその責任が果たせるか。
  • 自分が甘えていてはどうにもならない事だけは明白だった。
  • 私は障害を得ると仕事の関係で付合いのあった方々とは縁が遠くなるので、当然、交友関係が減ってくることが予見された。そこで一生懸命に友達は大事にした。年賀状、季節の挨拶、そして障害者になってからの新しい交友関係を組み立てることに注意を払った。
  • 所がこの交友関係は、会社と違って肩書きやビジネスで付き合う関係ではないから、裸の付き合いが中心である。

  • しかも座標軸が「障害者」という視点になるので、できるだけ巾広く付き合いながらその中に一人でも二人でも「ピアカウンセラー」として「何物かを学ぶ」にふさわしい人を見出すことである。これは学歴とは無関係で「人の生き方」に関係があると思わねばならない。
  • 孤独から解放されるためには、障害者の中に積極的に入り込み、自分から解決の方法を求める姿勢が必要と思う。

  • ②【三つの孤立】 先生は孤立を社会的状況と考えて、援助の方法を工夫されている。

  • 1.【家族・近隣・友人・職場での孤立】
  • 【本人の気持ちが未だ「健常者」であるために、周囲の健康な人の中で一人取り残される機会が増えてくる。健康を配慮して付き合いは減ってくるし、気持ちの上で自分の属する世界を見失い、障害者の世界に気がつかない状況で、次第に疎外された感じを持つ。
  • 寂しさは生きて行く力を殺ぎ元気を無くす。】
  • 私は、これは大事な指摘だと思う。「障害があっても健常者には負けないぞ」と強気になる方を時々見掛ける。これは障害に負けるまいとの思いから、自分の現実の実力と乖離した言動を生み、周囲に誤った判断を与える場合もあるからである。

  • 2.【医療・福祉関係者を知らないという孤立】
  • 【身近に相談できる、保健所とか福祉保健サービスとか何処にあるのか知らない。
  • 不自由な手足を持ってこれからの人生をどう生きていけば良いのか、前向きに生きるにはどうすれば良いのか。障害を負って生きる意味は何か。相談したい疑問がいっぱいである。】
  • 何故「やる気がでない」のか私は退院後、全身の健康管理をお願いした内科の主治医が精神的な助言をしてくれた。
  • そして幸いなことに保健婦さんが訪ねてきてくれたのがありがたいことだった。
  • お陰で保健婦さんや福祉課や障害者とも長く付き合うことになり、孤立することなく在宅リハビリが出来たことは幸いであった。
  • 是非、居住地の福祉関係の行政窓口に相談をされることをお勧めする。

  • 3.【同病者とのふれあいがないという孤立】

  • 【在宅療養のためには同病者とのふれあいが絶対に必要である。
  • 日常の生活で、健常者とばかり付き合っていると、過去の元気な頃のことばかり思い出して「元のようになりさえすれば」と非現実的なことを考える。過去の自分と現在の不自由な自分とを比べるだけでは未来への展望は開けない。
  • 辛くても、現在の自分の置かれた状況を客観的に認識し、未来の姿を思い浮かべなければ、今、何をすべきか、見えてこない】。

  • 【過去の自分と現在の自分とだけ比較して悲嘆に暮れている心理状態を「殻に閉じこもる」とし、外から見れば「やる気がない」「元気がない」人と考えられる。

  • 関心が過去の方にのみ向いているので、この殻を破らないとならない。
  • そのためには、同病の人とふれあうこと、障害という共通の関心事を基軸に、ある一定の時間を共有すること、そして他人と自分を比較する、その中で、過去の自分と今の自分を比べて過去と現在の間を行ったり来たりしていた思考の回路が、「今」という時を共有し、その中で自分と他人を比べるという、現在の自分を他者との関係で捉える回路に切り替わる。
  • 未来に向けて走るために現在というスタートラインの上にたたねばならない、人は未来に関心が持てないと生きて行けない、自分を客観視できれば心にゆとりが出来る。そして今自分は何を為すべきか考えるようになる。障害を得てから獲得する人間関係の広がりは貴重。】

  • 何故「やる気がでない」のか私がこの「同病者とのふれあい」を体験できたのは、保健所の機能訓練教室に参加したことから始まった。そして形は色々と変化したが一貫して今日まで続いている。

  • 始めの一年間は保健所の訓練教室で、将に「優しい保健婦」さんに手を取られるように、一つずつ体験の巾を広げていった。
  • それは丁度、幼子が生れて始めての体験を重ねるのに似て、一つ一つの体験が物珍しく、何がしかの新しい発見につながっていた。
  • 優しい所長からカウンセリングも受けたことが自分を見詰める転機になった。

  • 障害者の皆さんと話しをしたり一緒に音楽、焼き物、習字、体操と苦心して保健婦が作ったプログラムの中で、新鮮な喜びを重ねていった。
  • 私は平行して、卒業した先輩がカラオケ自主グループを作っていたが、そこで会報を作ることになりその制作に参加した。

  • 一年が経って、私も訓練教室を卒業する事になったが、その自主グループの事務局長として仲間のために働いた。限定された小さな社会であるが、一つのシステムとして整備するには色々と工夫が必要だった。特に、計画し決定し統制することを自分たちの手で行った体験は大きく精神的機能の回復を助けた。

  • 5年後には、これを訓練教室の受け皿になれるよう大幅に活動を整備して「高い目標に挑戦」できるように会を拡充した。
  • 更に平行して「片マヒ自立研究会」を作り10年後には、この活動に専念して今日に及んでいる。こんな活動の中では孤立も孤独もなかったが、そのために勿論、失うものが多少あることは当然のこととして覚悟すべきであると思う。

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  • 3)原因の3【獲得された無力感】

  • やってもやっても失敗を重ねると無気力になることを言う。
  • だから、私たちは努力をすれば好ましい変化が体験できる―成功の体験―を重ねることを大事にしたい。そうすると人の気持ちに効力感が生れるからである。
  • 【「努力すれば好ましい変化を達成できるという自信や見通しを持ち意欲的に生き生きと環境に働きかける」。更に「生きることは自己実現のプロセスである」】

  • 何故「やる気がでない」のか【①受動的状態→能動的状態へ
  •  ②他者への依存→自主独立
  •  ③浅薄な関心→より深い関心
  •  ④短期の時間的展望→より長期の時間展望
  •  ⑤単一な行動様式→多様な行動能力
  •  ⑥従属的地位→平等・優越した地位
  •  ⑦低い価値への執着→高い価値の実現
  • (関西大学社会心理学 広田君美先生)

  • そして、このためには自己統制・自己計画・自己決定の三つの働きが必要である。】

  • 私が障害を得て障害者の仲間と一緒に辿った道は、今にして振り返ってみると、この自己実現のための道につながる小道だったことに気がついた。
  • 自己実現の道を模索していたことに自分で意識できたのは随分、後であった。
  • あるいはこれはアイデンティティの修正という概念とも重なる概念かも知れないと思う。

  • 幸いにして定年で退職していた私は、すべてのエネルギーをリハビリの目的に注ぎ込むことが出来た。そして「賢い意志」の大事さを知って「できることをやる」「出来ないことは次にのばす」方針を立てた。「出来ること」の範囲は少しずつ拡大して行った。
  • 健常者であれば、ゴルフにも行きたい、バーも覗きたい、友人とマージャンもしたであろうが、そんな所に向けていた時間とエネルギーとを、狭い目的に集中して注ぎ「出来ること」の拡大に振り向けることが出来たのである。

  • これを思うと「人生って、悪いことばかりじゃありませんよ」と言いたい。注意しなければならない点は、興味の持てるテーマに対して人は関心を高めることが容易であると言う事実である。同時に何をするにも学習能力が温存されていたことに感謝する。

  • 【「啐啄同時」】ここで「啐啄同時」というリハビリにとって極めて大事な言葉が使われている。これは「殻」を破ろうと自分の努力に合わせて周囲がそれを見守りながら、必要な時に干渉して助けることが必要なことを意味している。

  • それは同時に、周囲が幾ら望んでも本人の「心」が動かない限り「殻」は破れないことも示している。「心の殻」を破るためには、本人の努力とそれを支える関係が旨くマッチすることが必要なのだ。そしてこれは、リハビリのすべてのステップで言い得ることである。

  • 何故「やる気がでない」のか私が大田先生の講演会で福沢諭吉の「一生を二生に生きた」という話しを伺った時、大多数の聴衆は、単に「ほー、そうですか」と聞き流したかも知れない。
  • その言葉が心に訴えた人は言葉の中から自分にとって意味のあるメッセージを読み取ったからであろう。

  • 人が言葉や事象から意味を読み取るためには、それなりの準備が必要と思う。
  • なぜなら「意味を受容する能力」を活性化しておかねば、その意味は通り過ぎてしまうからである。準備が出来ていないと折角の話しから大事な意味は読み取れないと思う。しかもその準備は、自分で行うしかない。気の合う仲間と一緒に考える舞台があると事情は変わるかもしれない。今の所、自分で悩んで自問自答をして「何が欲しいのか」を明かにしておくほど、沢山の意味が読み取れると思うとしか言えない。

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  • 4)原因の4【役割の変化と混乱】

  • 【行動役割と存在役割 行動的な役割が担えない人にも存在の意味を持たせる物差しが欲しい。ライフステージに従って役割は変化している。障害を得た当時は「用なしの人間になった、役に立たない人間になって家族にも社会にも迷惑を掛ける、生きていても仕様がない」と思う】

  • 私も真実そう思った。
  • 自分の社会的な役割が消滅すると同時に一家の中心としての役割を果たす自信がぐらついた。
  • 何故「やる気がでない」のか生甲斐も無くなったから幾つかの自殺の方法も考えた。
  • それを救ってくれたのは、嵐の夜が明けた朝日の光と若いナースの笑顔だった。
  • その時初めて「生きる」ということの「意味」を考えた。
  • 太古の昔から私にまで、引き継がれた「命の鎖」が一度も絶えることなく引き継がれてきたことに驚嘆し、自分の命に畏敬の念を持った。

  • 何故「やる気がでない」のか「自分の命」という 言葉には「命は自分の物」という倣岸な考えが含まれている感じがしたのでこの言葉を捨てた。
  • 「命」の持つ本質的性質を考えてみた。
  • 一つには、自分一代の「命」を存分に能力を発揮して働くこと、二つ目は「次の世代に引き継ぐ」ことに思えた。私はその「命」を一時期お預かりしているに過ぎないと思えた。

  • そう考えるとこれは自分の命でないから粗末には出来ないと思った。
  • 力一杯、この「命」を燃焼させないと残念だと思うし、無事に次の世代に引き継がねば両親に申し訳ないと思った。私に至るどの世代の先祖もこの「命」を守り伝えるために戦乱や天災飢饉に際して、凄まじい努力をしてきたことに思いを馳せた。

  • その努力をする当事者としての順番が私に廻ってきただけの話しである。

  • 【二つの役割:何かをして社会的な価値を生むものを行動的役割といい、周りとの関係によって生れる役割を関係役割とか存在役割という。】

  • 私の理解では、大田先生は、この章で障害者を取り巻く環境の果たすべき役割を「かばい手の思想」とか「存在役割」とかの言葉で、独創的な主張を展開されていると思えた。
  • だが私としては、この環境の改善は望ましいことながら、環境に直接働きかけて障害者自らの立場で解決に努力する課題として見て行きたいと思った。

  • 何故「やる気がでない」のか私は先ず影響を受けた、エリクソンの発達心理学に従って、誰にでも固有の発達課題があることを訴えたい。
  • 障害者の中には子育ての時代の若い世代から、社会的活動の時期を終えて人生の総括を行う時期にある高齢者まで、さまざまに発展段階の巾に広がりがあり、子育ての時代の人に、人生を総括すべき課題を持ち込む訳には行かないし、人生を総括すべき課題を持つ人に、子育てに求められる役割は不用である。

  • 全てこの発達課題に応じて「誰にでも必要な役割」があると考える。その「役割」を求めることがリハビリの目標になると考える。障害の程度や年齢によっては「存在役割」を果たす必要もあるが、そこでは本人の意思が役割を効果的にすると思う。
  • 問題なのは、その期待されている「役割」を果たすことが出来なくなった人、その存在が周囲の期待に反するようになった時には、障害を得るまでの「これまでの生き方」がその人に評価を与えてしまう。その結果、障害があっても「今度は私が父ちゃんを支える番だ」と「一家の柱」として守り立てられる人と、これを機会に清算して「離婚」する人とに大きく分かれて、課題の内容を複雑にしていく。中には退院はしたものの自分の「居場所」と決めていた地位を息子に奪われて、悄然として病院に舞い戻った人もいたのである。

  • 障害を負うと一気に行動役割を喪失する。それに替わる役割は仲々か見えない。
  • 私は能力回復の一助として、障害者グループの事務局長を務め、小さな社会での、「限定された役割」を積極的に買って出たので色んな能力が身についた。
  • いきなり社会システムの中に入り込むことは困難が多いので、このような場所で限定的な活動から始める事ができたのはラッキーだったと思う。

  • 【障害者としての役割】

  • これは大事な概念である。不思議に思われるかも知れないが、障害者でなければ気のつかない社会問題がある。これは古来鉱山でガス検知を目的にカナリアを使った事と同じ発想である。障害者の低下した能力では耐えられない障害物の多い社会では、機能が低下した老人にも耐えられない社会なのである。
  • 何故「やる気がでない」のか障害者が自由に行動できる社会は、少子高齢化社会を迎えても、高齢者が生き生きと生活できる社会である。

  • 立体構造の鉄道駅、電車の座席の確保、高いステップのバス車体、斜めに削られたり、段差を無頓着に付けた歩道、渡るのに恐怖を覚える横断歩道等のハード面に加えて、これを支える関係者の意識改善等、枚挙に暇がない。
  • 私はノーマライゼーションの社会を実現するために、バリアフリーを求めて行動し、発言することは、第一に障害者として味わった苦痛を、将来の少子高齢化社会に到達した時点では解決する大きな役割である。
  • 第二には、障害者になっても、社会の一員として行動できている姿を、なるべく大勢の人に見てもらうことである。自分の周囲に障害を持つ人が生活していることを知ってもらうことである。そのことにより障害があるというだけで社会の一部にある偏見を防ぎ、私たちの目指すノーマライゼーション社会での文化の多様性を確認してもらうことである。障害があっても胸を張って堂々と生きることは、変な同情憐憫を吹き消す役目も果たすであろう。

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  • 5)原因の5【目標の変更乃至喪失】

  • 【どんな悲しい目標でもしっかりした目標が必要である。フランクルもアウシュビッツの体験を元に「生き抜くために、生活目標すなわち何故生きるのかという人生の意味を問い続けることが必要であった。そしてその生活に対して、苦悩と死も無意味ではないという究極的な意味さえ付与する努力が必要だった」。これは死を目標にして今が生きられるという思慮である。】

  • 【目標が未来に見えないと生きて行けない。ADLの維持拡大は重要だけれどそれを目標に人生は送れない。訓練で獲得した機能によって何かをする目標が欲しいのである。そのために未来という時間を自分の意志で「構造化する」作業が人間が自立して生きて行くのに欠かせない仕事になる。
  • それは大きな目標があると遠い未来にまで予定が生れるからである。】

  • 【島崎敏樹先生は「生きるとは何か」の中で生き甲斐を論じ、親しい仲間と生活の基盤をもつことで「居甲斐」を感じ、その仲間と一緒に目標を掲げそれにむかって進む時「行く甲斐」すなわち「生甲斐」を感じる。従って生甲斐は未来への関心の中にあると述べている。
  • これは「生甲斐」には「仲間と目標」がキーワードであることを示している。その「仲間」は家族、友人、同僚、趣味仲間とあるが、同病の人たちが仲間にいることが大事である。
  • それは、障害を負って元に戻れないと知った時、共通して「目標喪失」という体験をしているからである。地獄の底を覗いた共通の思いがあるから関心が共有できるのである。「生活の基盤」とは、時間、空間、関心事を共有できることである。】

  • フランクルは絶えず「意味」を追求した心理学者だったと思う。

  • だからアウシュビッツの絶望的な状況でも「生きる意味」を自らに問い続けることが出来たのであろう。私も彼に習って「障害者として生きる意味」を自分に問い続けている。

  • でも、暫くは「人生の目的はリハビリにあり」など思い込んでいた時期があった。
  • リハビリのためのリハビリである。やがて、それでは大事な「私の持ち時間」がどんどん少なくなって行く事に気がついた。
  • 「大変だ!リハビリの間に人生の時間がなくなってしまう!」と反省した。

  • それにしても「私の追求すべき人生の目的は一体、何だったのだろうか」?
  • 元気な時には時代の波に身を任せて漂いながら、それで人生の目的が達せられると錯覚をしていたことに気づいた。障害者になるとそんな錯覚は消えてしまった。
  • 代わりに「お前はこの世に何をしにきたのだ?」そんな問い掛けがずしりと胸に響く。

  • 何故「やる気がでない」のか私は色んな目標を作り、「計画―実施―行動―反省―計画」と昔覚えた管理手法で目標を定めたが、その際注意したことは「少し努力しないと達成できないが、少し努力すれば成功する」近い所にある目標を設定した。
  • いきなり遠くの大きい目標に挑戦することは遠慮した。
  • ただし、遠くの大きい目標に至る中間にあるような目標を探した。それらを通じて私は「成功の連続」を手に入れたかったのである。

  • これは個人レベルでも、仲間グループの場合でも、どちらの場合にも共通に言えることだった。そして仲間にも、この「成功体験」と「成功の連続」を味わってもらった。
  • ただ、ある種の障害には、自己の評価が甘く過大評価になる傾向があったり、ある種の障害では過度に遠慮深かった人もあることを知って行動することは必要な前提であった。
  • 自分で計画し実行し反省することは、自分の能力回復を実感させて「自信の回復」にもつながった。

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  • 6)原因の6【可能性が分からなくなっている】

  • 【患者として過ごしている時は「元のように治る」と思い込んでいる。
  • 退院する頃は自分の可能性が分からない。昔と比べられないくらいの低い水準で退院する。徒に日常の不便な生活と戦う。】

  • 【福沢諭吉は明治維新を駆け抜けて、体制の崩壊、予見できないような価値観の変化の中で
  • 「一身にして二世を経るごとく、一人にして二身を生きるがごとし」と述べたが、障害を負った人は自分が急激に変わったので、これまでの価値観では生きて行けないのである。
  • 人生を「諦めた」後ろ向きの考えでなく、もっと前向きの建設的な考えで生きている人も沢山居る。】

  • 何故「やる気がでない」のか私の「殻」が破れずに、リハビリに行き詰まっていた時、私の「殻」を打ち破ってくれたのが、この福沢諭吉の言葉であった。
  • 障害を持って生きるとは、新しい人生を歩くことであり、それに「ふさわしい」価値観はこれまでの生活を支えていた価値観のみでは不十分であるということである。

  • 私たちは、「お仕着せ」の価値観を後生大事に奉じていたから、自分で価値観を求めるという努力をした経験がなかった。尽忠報国・滅私奉公・一億玉砕・そして経済立国・平和主義・生産性第一・効率優先・利益優先、そんな指導理念の元で障害のある体になることは「役立たず」のレッテルを自分で貼ってしまう状況である。
  • 真面目に人生を歩いて来た人の中には、人生の目的が見えなくなって困惑する人が多い。

  • 私としては、自分の価値観を新たにして、自己実現が出来るような体制を作らねばならなかった。私たちは青年時代に一旦はアイデンティティを確立していても、障害のために心身の状況が大幅に変更しているので、アイデンティティも修正を必要とする状況になったのである。自己実現の内容が異なって来たのである。

  • 残された人生を新しく生きて行くにはバックボーンとなるべきアイデンティティを再構築するという大きな仕事を果たさねばならない。
  • そのためには自分に残された能力と環境、新たに獲得された能力や人間関係にふさわしい価値観を醒めた目で見ることが求められるのであろう。
  • それに必要な期間は、時間がかかるが、モラトリアムと同じ趣旨で本人も周囲も、その確立を見守ることができると良いと思う。

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  • 7)原因の7【障害が悪化と再発の不安】

  • 何故「やる気がでない」のか【体調の少しの変化にも再発の前触れではないかと脅える。調査によると、脳卒中のような命を脅かすような大病をした人は、その再発にいつまでも不安を抱き続ける。その結果、臆病になりだんだん閉じこもるようになる。その不活動が元の障害に加わって廃用症候群が重なる。】

  • 私が脳梗塞で入院する前日の夜、右足の踵の芯に不快な痛みを感じていて、朝になるとそれが酷くなり、歩行が不可能になっていた。

  • 今でも疲れた時に右足の踵に痛みを覚えた時には「?やったか」と不安に陥り、暫くは仕事の手につかない。
  • 左手でキーボード打ち、筆を持つ。
  • 時として左の胸の筋肉痛が発生すると「心筋梗塞か?」と心配して主治医の元に駆けつける。

  • 何故「やる気がでない」のか脳梗塞を体験した私は、あらゆる毛細血管のトラブルに気を配る。
  • その他、網膜、腎臓、指先等、関連のある部位の調子には気を付けている。
  • 障害者の仲間の中には、再発した方も稀でなく、ガンになった方もあるから、再発と余病には酷く気を使う。

  • 私が、脳血管センターのドクターに「再発の防止について」お尋ねしても「脳卒中の平均余命は5年です」と全く関心は示してもらえなかった。
  • そこで、大田先生の「介護予防」という本に「ぴんぴんころり」という言葉があったので、これを借りて「ぴんぴんころりクラブ」を作り、仲間同士でこの平均余命5年説に反抗することにしたいと思っている。

  • どんな統計資料が医学会に流されているか知らないが、退院できなかった高齢者も若い人も一緒にした数字の一人歩きとしか思えない。
  • 働き盛りで無事に退院した人が人生に正面から取組んでいくためにも、管理状態が良ければ希望の持てる人生が約束されるような数字を見つけて、一層の積極的な生活態度で手足が不自由でもより豊かな老後の人生が享受できるように願うものである。

以上
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  • 素朴な疑問

  • ある方から「森山さん、男性の障害者の中には教室に幾ら誘っても、『あんな童謡を歌ったり踊ったりするのは嫌だ』と言って出てこない。女性はみんな出て来て喜んで歌ったり、楽しんでいるのに、なぜと思いますか?」こんな質問をボランティアさんに受けた。

  • 「森山さんが出かけたきっかけは何でしたか?」

  • ◎ 「僕は保健婦さんの魅力に引かれた。丁度外出のきっかけを求めていた時だったのかも知れないと思う。それは啐啄同時という状態だったのかも知れない」。

  • 「男は自分が障害者になると職場から切り離されて役割を失い孤立する。
  • 一方の女性は大部分が主婦としての職場が家庭にあるから役割は保ち孤立は少ない。
  • 男は仕事が生甲斐、仕事中毒といわれ人生を過ごした人が多い。
  • その人が手足の運動障害で職場での労働を不可能にしている。」

  • 「その人は自宅に戻り孤立した状況で、この障害を持って、『どうやって家族を支えれば良いか』考えても思いつかないから気持ちは沈むばかりだ。

  • 『どう生きるべきか』、という回答を一生懸命に求めて得られない時に、どうして童謡を楽しく歌う気分になれるだろうか。

  • 性差ジェンダーと言われるが、日本のこれまでの社会では男女の役割の差が強かったので、役割を奪われるのは男性の比率が高いのではないか。

  • その前提に立って訓練教室のあり方を再検討したらどうでしょうか」。

  • 何故「やる気がでない」のか私たちが訓練教室に出る頃は「いかに生きるべきか」「何処まで回復できるか」「私が取り戻せるか」こんな問題に答えが出せずに、必死になっている時期の方が多い。

  • 私は、たまたまその時期だったので、この教室の行事を通じて、障害のある自分と正面から向き合う機会を通じて、実に多くの発見をした。
  • 即ち、腹式呼吸をすると肋骨の筋肉が酷く痛み、こんな所の筋肉までが影響を受けているのに気づいたり、右手に筆を持たせても左手で旨くサポートできれば、色んな挑戦が可能になるという考え方を得た。無理に一つの方向を主催者がリードするのではなく、一人一人が「何かを発見する」所に観点を移してこの問題を考えると、また違った回復の傾向が見えてくると思う。

  • その人が、心から欲しているものを与えるようにして上げると、きっと楽しい集まりになるのではないか。でも試行錯誤の多い時代だったが、この私にもその訓練教室で楽しくない記憶もあった。

  • 何故「やる気がでない」のかその日は女性のボランティアの方が多くて、保健婦は工夫したのであろうが、一寸したタッチをするお色気遊戯を取り入れていた。
  • きゃあきゃあと喜ぶボランティアさんを眺めながら、私の気持ちは沈む一方だった。

  • 「今はそんな遊ぶ時期じゃないんだぞ!もっと真剣に構えているんだぞ、この俺は!」。

  • 「さあ、みなさん、はい、よく出来まちたね、こんどは一緒に、お歌を歌いまちょうね」幼児言葉が自然に出てくるのは雰囲気のせいか。
  • (子供扱いなんか、すんなよ、みな一人前の社会人なんだぞ)。

  • 童謡は家庭の主婦にとって子育ての時に身近にあった歌であるから抵抗がないと思う。

  • 男性にとって童謡は幼稚園の頃の記憶でしかない。
  • 悲しいことに日本の男性は働き蜂の習性には
  • 「労働」とそれに密着した範囲にしか関心は持てないという障害があるのかも知れない。

  • 何故「やる気がでない」のか「心の棘」が抜けなくて、心楽しまざる日々の悩みである。
  • 「血圧を測るから、腕を出せ」「いや、その腕じゃない、そっちの腕だ」「あのー、こちらの腕は麻痺があるのでいつもこの左の腕で計っているのですが」「なにーっ、お前はおかみに盾をつくのか、そちらの腕を出せと言っとるんだ」
  • (これが横浜市の保健所長なのか、ワイシャツのボタン上三つはだらしなく外れ、少々、昼にビールでも飲んだのか、目元にほんのり赤みがさしている、それにしても保健所とは何という旧態依然たる行政機関だろうか。私は長い社会生活の中でこれほどの「侮蔑の言葉」を受けたことは知らない。)

  • 障害者になるという事は、こんな侮辱にも耐える必要があるということなのかと思った。心は沈む一方だった。
  • しかしその事件の直後、その所長は他所の区に転出し後任に優しい樋口所長が見えたので、私のリハビリ教室は続けることが出来た。
  • そして私の再生につながることが出来たのである。

以 上

  • 参考文献「芯から支える」大田仁史著
  • 発行所・株式会社荘道社(千代田区九段南4―8―30)

何故「やる気がでない」のか

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