リハビリエッセー

●論文館

1.リハビリエッセー

1.リハビリの原点は「希望を持つこと」 8.リハビリは「傷つき気づく」過程である
2.リハビリは「三日ぼうずのすすめ」 9.リハビリは先ず「適応」して「安定」する所から
3.リハビリは「大自然に学ぶ」ことが多い 10. リハビリには「新たな自己投資」
4.リハビリとは「アイアム OK!」と言えること 11. リハビリは「限界状況」との戦いである  
5.リハビリでは「家庭」が財産であることが明かにされる 12. リハビリは歩く事から
6.リハビリは人生の見直し 13. リハビリは心に念ずるものである
7.リハビリは、家庭の中の役割から 14. リハビリは生活習慣の見直しである
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リハビリエッセー
森山志郎記念館 脳卒中論文館

 リハビリエッセー



  ←1.リハビリの原点は「希望を持つこと」→

1.リハビリの原点は「希望を持つこと」

  • 運命は、突然の病気と、その後に大きな後遺症を残して行った。両親から貰った人並み以上に恵まれた立派な体、それが無惨にも「木偶の坊」に成り果てていた。

  • 右手は固く握り締めて左の胸に張り付いて、動かしてもらうと切り裂かれるような激痛が襲った。爽やかな弁舌は、たどたどしく語尾も定かでない言葉に代わっていた。大股に歩そんな体で、すべての将来の夢も希望も見失ってしまっていた、病院の十四階にある病室で私が初めて「希望」がある事を感じた日を思い返す。

  • 「この握りこぶしは開かないのか」そう思いながらいた足は、車椅子の世話になり、やがて小さな歩幅で、ゆっくりと進むのが精一杯になった。胸に張り付いた「拳」を見ていた。

  • 「何とか動いてくれよ」心に思いながら見詰めていた時、「ピクリッ」とその親指が動いた。驚喜した私は「動いたぞーっ」と大きな声で叫んだ。

  • 余りの大声に看護婦詰め所にいた教育婦長が飛びだしてきた。
  • 「森山さん、どうしましたか」「この指が動いたのです。本当なんです。動いたのです」興奮した私は指が動いたことを一生懸命に報告した。
  • 「そう、動いたの、良かったわね。その動く所、もう一度やって見せて頂戴」

  • 私は素晴らしい光景を見てもらおうと一生懸命に動かそうと務めた。
  • しかし、私の拳はビクともしない。そして遂に動かす努力を止めた。
  • 「ひょっとしたら動いたと思ったさっきは動いたのでしょう。だったら又動くようになるわよ」
  • と言ってくれたのは錯覚だったかも知れないと思って自信を失った。

  • その時にその婦長さんは「自信を失ってしまいそうだった私にこの婦長の励ましの言葉は強く残った。
  • 「私のこの右手でも将来に希望を持ち得るのかも知れない」と心に刻み付けた事件になった。リハビリエッセーもし、「それは錯覚だったのよ。その拳は動く訳ないのよ」と婦長が言ったとしたら、多分、自信を失った私は将来に対する希望を持ち得ないままで残された人生を送ったかもしれないと思う。

  • 発達心理学者のエ時期にも、この希望は私の大きな支えになった。
  • そして詩人の言葉「念ずれば花ひらく」ことを実感させてもらい、聖書の「求めよ、さらば与えられん」の句に人生の真理を見ることができたのである。

  • リクソンは、人格の根底にある特性として「希望」を第一に上げている。これは凄い卓見であろう。リハビリの全体像が掴めないまま、夢中になって手足の機能回復にのめり込んだ。


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2.リハビリは「三日ぼうずのすすめ」 リハビリエッセー

  • リハビリをするにも、始めの内は何を始めても旨く行かない、旨く行かないから長続きが出来ない。すると自分で自分が嫌になってしまうことが多い。

  • でも人生では最初からなんでも旨く行くことは何もないんだよ。旨く行かないからやらない、と言っていたら何も出来なくなってしまう。

  • 誰だって始めは旨く行かないものなんだ。これは仕方のないことだと思う。
  • だから僕は初めの内は「三日ぼうず」で良いと思っている。

  • 自分の好きなこと、やってみたいと思っていた事、人に勧められたこと、何でも良いから何か一つのことに手を付けて、それを三日やってみて、旨く行かなければ止めたら良い。
  • その代わり次の新しいテーマに手を付ければ良い。そしてそれも三日で飽いたら、それでも良いと思う。

  • 私が未だ入院していた頃、何もすることがなかったが、左手を訓練するために最初に小学生の国語のノートと鉛筆を揃えてもらい、その日の新聞記事から漢字を写し書いた。
  • やってみると漢字も忘れている所はなく、漢字の読み書きは病気をする前と変わりがないことが分かった。しかし、左手で書き取りをすることは難しく字は奇麗に書けなかった。

  • しかし、何時の間にかこの練習は止めてしまった。
  • もっと強い関心である歩くことを試みることが出来るようになり、歩く訓練に多くの時間を割くようになったからである。

  • 杖を使って廊下を往復し、階段を上り下りしては全身に汗を掻いた。とにかく、同じ目標に挑戦している同病の仲間からは有形無形の励ましをもらったのがとても有り難かった。
  • それに疲れると自分の理解力がどんな変化をしたか、その状況か知りたくて、何冊かの本を読んで、理解力に病気の影響が大きく及んでないことを知って喜んだ。

  • 退院してからは、三日坊主から抜け出してかなり焦点を絞ることが出来た。
  • 手始めにカルチャーセンターで俳句の入門講座を勉強もしたが、選句の時に手間取り皆さんに迷惑をかけるので止めた。しかし、数年後、近くに指導者が見つかったので再開した。

  • 長続きしているお習字の場合、「入門五百時間訓練」を実行したが、師匠始め多くの先輩の弟子が温かい人間関係で包み込んでくれた。時に応じて一緒に書展に出かけたり美術館で鑑賞を通じて「書の美」を指導して頂いた。

  • 展覧会と言う適切発表の場が与えられたことも大きな刺激になった。こんな人間関係があることは長続きする秘訣である。今年の夏で九回目の出展になる。良い指導者、良い仲間と言う人間関係に恵まれることはとても大事と思われる。


  ←3.リハビリは「大自然に学ぶ」ことが多い→

3.リハビリは「大自然に学ぶ」ことが多い リハビリエッセー

  • 心身に障害を得た時、私たちは殆ど例外なく「うつ」の状態に追い込まれる。
  • この「うつ」が危険なのは、放置するといつまでもリハビリのスタートラインに付けないことである。

  • この「うつ」から脱出することは、回復に向けての大事な手順であろう。そしてこの「うつ」を癒してくれる最大の治療者は、大自然そのものとのふれあいであるといわれる。

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  • 私はこの考え方に大賛成だ。仲々回復が軌道に乗らなかった時、人影のない浜辺で潮騒のゆったりとしたリズムを聞く時、「これが大自然のもつリズムなのだ」と心が安らいだ。寄せては返す波が生み出す大自然のリズムは素晴らしいからである。

  • 人工の光に溢れる都会から自然の光の中に出ると、星の光が太古さながらに強く煌く。月の光が明るかった戦時中を思い出す。「今見えている星までの距離は?」「この宇宙が生れてどれくらいの時間が経ったか?」この無限の空間の広がりと無限の時間の流れの、一つの交点にいる「今」の「私」を知ることができる。

  • 粗末に出来ない「命」に思い至り、共に生きる家族の掛け替えのないことが身にしみる。この大自然と向き合い、ふれ会うことは、私から「うつ」の状態を拭い去ってくれた。

  • 更に俳句の世界に遊ぶことは最高の治療方法の一つと信じる。
  • 俳句を勉強して気がついたことは、障害を得て生きることは、大きな制約の中で生きることを意味するが、俳句は十七文字と言う短詩形で、散文と異なり詩情と「季語」の制約まで自らに課している芸術である。

  • 舞台芸術にしても、カメラにしてもすべて一定の制約がある。制約のない芸術はないことに気がついたのである。
  • リハビリのつもりで歩きながら、懸命に小さな花を精一杯に咲かせている春の野に、ふと、足を止めて見入る時、言い知れぬ大自然の摂理を思う。
  • そのなかに生かされている自分の姿を見ることが出来る。

  • 俳句の特性として、対象の「物」で表現する約束があるから短歌と違って、心の悩みをそのまま生の形で情熱的に表すことがない。

  • 正岡子規が病床にあって、短歌ではなく、俳句の世界に没頭したことは肯ける。もし短歌の世界で自由に自分の感情を詠んだら、苦しさが更に拍車を掛けて、死に追いやったかも知れないと思う。
  • 俳句では自分の心を客体視して、第三者の冷ややかな目で自分の心の揺れを観照したり、諧謔の眼で笑い飛ばしたりすることが出来るからである。

  • 一日一句を苦心して作りながら一年分の季語を詠んだ。
  • 一日に十句を作りこれを一年続けてみた。物の考え方、とらまえかたがすっかり客観的で俳句的になった。この思想は私のリハビリの精神的な背骨となり私の支えになった。


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4. リハビリとは「アイアム OK!」と言えること

  • 障害者になると、能力が低下してこれまでの知識や経験が生かせる所を見失い、人格が解体されてしまう危険に晒される。

  • これまで自分を支えてくれたアイデンティティでは、この低下した能力の持ち主である私とはとても付き合えない状態に追い込まれる。
  • どうやって再び私のアイデンティティを修正し、一人の人格として再構築することが出来るか。そのためにどんな道筋が考えられるのか。

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  • 私が自分の障害を、私の一つの個性と思うに至って私のリハビリは完了したのではないかと思う。つまりどうすればアイデンティティの修復に成功するかという問題である。

  • そのスタートは「こんな病気は直ぐ良くなる、来週の予定は変えなくてそのままで良いだろう」。と楽天的に始まったが、「あっ」という間に一ヶ月が過ぎた。
  • 「何か変だな、これまでの病気と違う。」 早く立ち直ろうとして焦り、肝臓障害を起こした。

  • 絶対安静中に必要な筋肉が流れて再起は絶望に思えた。
  • 右手足の使えない私に、どんな生き方があるのか、全く分からず、生きる望みを失い、自殺の誘いに眠れぬ一夜が過ぎた。
  • その私を救ってくれたのは、若い看護婦さんが弾んだ声で「おはよう!」と声を賭けてくれたことだった。この一声が私を悪夢から覚めさせてくれた。

  • その後は、双子の宗兄弟の北京マラソンの走りに、「私だってやればできるんだ」と心に刻み付けられた。反対に植物状態で人が生かされている姿に驚き、そこに廃人になろうとする私の姿が見えたからである。

  • やがてカメラを逆転させて撮影に成功して以来、工夫すれば左手の未知の能力を開発することができることに気がつき、やがて新しく習字の能力を獲得するために五百時間の短期集中訓練を行った。
  • コーピングスキルを意識的に活用して代替手段や価値観の見直しを重ねた。

  • 展覧会に出品した作品を見て、新しい能力を獲得した自分に対し、私自身が遂に、「アイアムOK!」と障害を持つ私を是認したのだった。
  • 戦後社会が作り上げたアイデンティティからは否定的態度しか生れなかったが、この新しい自分に肯定的態度が生れたのである。

  • 新しいアイデンティティを作る道が見えてきた。私自身も現実の能力に即して価値基準を修正していた。最近のエゴグラムを見ると、「昔と変わったな」と思う所が極めて多かった。私自身も随分変容したのであろう。

  • それ以降は障害と経験を生かす老人として、新しいアイデンティティに修正し、次世代のために働きながら、人生の発達課題である「人格の統合」を目指す。
  • 許されるなら人生の伴侶であり戦友でもある妻と共に金婚式を祝いたいものである。


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5.リハビリでは「家庭」が財産であることが明かにされる

  • 自分の両親の姿を見て、どうしてお互いがあれだけ相手に対する信頼と思いやりを持てるのか、不思議だと思った。
  • こんな両親の影響を強く受けている。だから長い人生を一組の夫婦が手を携えて戦い抜く姿は、比類のない人間の持つ美しさであると思う。同時にこれは比類のない財産である。

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  • 結婚という社会形態は、全く独立した二人の人格が寄り添って「家庭」を作ることにある。全く異なる個人と個人が、幾多の性格の不一致、趣味嗜好の不一致を乗り越えて、そこで子供を儲けて育て上げるシステムの中核が「家庭」である。

  • 一つの目標に向けて妥協して進む。経済的な生活や、様々な人間関係、成長の途中で道に迷う子供を導き、次の新しい世代である孫の生育、年老いても私たちに残された仕事は多い。

  • だが、様々な災害、危機が家庭を襲い、耐えられずに家庭を放棄する人もある。力を合わせて一緒に乗り切る夫婦もある。
  • お互いを尊重し愛しあうという、求心力がある夫婦は、外部から圧迫を加えられるほど内部の構造は緊密になり、断ちがたい一体感を形成する。
  • しかし、互いに尊敬せず、外部に興味を発散させるあり方では、この圧力に出会うと破壊されることが多い。

  • 私たちは幸いにも前者の道を歩くことが出来た。子供の出産と妻の病気という健康問題、日本の炭坑の閉山という産業界の問題、子供の成長、入学に伴う費用の不如意の問題、先行き希望の見えない不安な環境、こんな人生における最大の難局を乗り切れたのは、妻を柱とする家庭が支えになっていたからであった。

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  • 脳梗塞で入院中に結婚「三十年」を祝った。障害者になった私を再起させるために家族の全員が私の手を引き、私の荷物を肩代わりし、最大の難局に心を合わせて当たってくれた。その涙ぐましい心遣いは私の心を奮い立たせてくれた。やがて、その娘が孫を抱いて来た。
  • 不思議と孫の中に私の両親の面影を見て「命の鎖」を思った。妻の車で海岸や山に出かけて「うつ」から脱出することも出来た。

  • 障害者になったことで、私の関心は家庭に戻った。そして「一病息災」と健康生活に務めながら、娘の子育てに助言しながら、「金婚式」を祝いたいと思う。

  • しかし、それも体力と健康が許してくれる間のことである。やがて私たちの人生にも終わりの日がやってくる。互いに戦い抜いた人生の戦友として、後に残る友に幸多かれと祈りながら旅立ちたいものだ。掛け替えのない「連れ合い」に心から感謝する。

  • 神谷美恵子さんは「夫婦は戦友」と評した。本当に激戦を共に戦い、共に傷つきながら、懸命に子供を守り育てて生きてきた戦友であると思う。


  ←6.リハビリは人生の見直し→

6.リハビリは人生の見直し リハビリエッセー

  • この病気をしても、幸いにして死ななくて済んだ私たちは、運が悪かったと思う人と、運が強いと思った人に分かれる。そしてそれがその後の障害を持って生きるについて大きな立場の差を生んでくる。
  • どちらが良いのかは、良く分からないが、発病した時は「何故こんな不幸に見舞われて」と嘆き悲しんだものだった。
  • その不幸と思った私はこの運命と懸命に戦った。そして今や「病気をしたお陰で」と皮肉を交えずに語ることが出来るようになった。

  • 最初は昔の生活スタイルに戻れるか、それとも生ける屍となって病院や療養所を転々とすることしか考えが及ばなかった。
  • それでも元気が戻ると少しずつ自分の生き方について「自分の意志」を明かにすることが必要になった。

  • ある夏の日、公園の木立の陰に二羽の揚げ羽蝶が高く低くもつれ合って舞い飛んでいた。高い枝の茂みからは夏のセミが生命の賛歌を高らかに合唱していた。リハビリエッセー
  • これらの昆虫が幼虫から幾つかの変身を重ねて、その長い一生の中で、次の世代に命を伝えるという、最後の仕事をしているのだった。

  • その昆虫たちと同じように、私も様々な変身を遂げて、今や障害を得て、新しい生き方を必要とする段階になったのだ。どんな「価値観」を持つにしても、少なくとも、これまでの「私」の信念と矛盾しない内容になるだろう。

  • そしてその価値観を実現するために、具体的に何をすべきだろうか。
  • 考えると、敗戦のショックと焼け野原と飢え、これが私たち世代の原体験である。その中で何よりも先ず、皆が豊かに暮らせる社会を作ることが急がれた。

  • 「志を高く持って」、法を破るよりも死を選んだ先輩もいた。
  • 私たちは「自分の世代に課せられた使命感」として社会の再建・経済再建の道を歩いた。
  • しかし、障害者になって第一線から身を引いて見ると、それまでの馬車馬のように一途に目標に邁進していた生活が、何か違った色合いに見えてきた。

  • それは学生時代に「担板漢」として戒められていた「視野」の狭さと、企業論理の世界でも「金銭至上主義」に毒されていたのではないか、何か申し訳のない人生であったのではないかと内心忸怩たるものを感じる。

  • しかし、狭いながらも自分の家が持てたのも、そのお陰であると思えば、「我が人生に無駄はなし」と思う。今や子育ても終わり、これからの許された時間をどれだけ「志高く」生きて行けるか。「どうせ、こんな体で」、など卑下してはならない。障害を持つ代わりに人生の本質を見詰めてきた私にとって、蓄積された知見を活用して社会に貢献できるのは、これからであろう。


  ←7.リハビリは、家庭の中の役割から→

7.リハビリは、家庭の中の役割から リハビリエッセー



  ←8.リハビリは「傷つき気づく」過程である。→

8.リハビリは「傷つき気づく」過程である。

  • 私たちが何かに気づく場合には、自らが深く傷ついている時であると教えられた。他から見て、何も問題のない言葉に深く傷つけられた体験は多くの人が報告している。そしてその傷ついた事で自己の内部に向けて検討の目が注意深く行き渡る。

  • 日頃、物を思わぬ時や、問題が感じられない時、優越感を覚えている時などの心は浮き立ち、心の深い所にまで目は届かないのである。

  • しかし、劣等感に打ちひしがれた時、心は内部に深く沈潜する。
  • 南国的で活動的な明るい日差しではなく、北国的な曇り空の、いわゆる哲学的な思惟、宗教的な瞑想の世界に心は遊ぶ。リハビリエッセー
  • そして人はその時、「何事か」に気づく。運良く「卒啄同時」という機会に恵まれると「気づき」は促進させられる。
  • この「卒啄同時」は、前もって知識として存在していたものを思い浮かべることによっても成就できる。

  • 例えば子供の頃、無心に読んだ聖書の一節が「ふと」頭の中に蘇り「ああ、そうだ」となることもある。
  • 子供の時に聞かされた母の言葉を思い出して「このことだったのか」と気づくこともある。人は傷付くことにより、神経が鋭敏に働き、感性が敏感になる。傷付いても鈍感であれば難しいかも知れない。

  • 自分が気づくことの、もう一つの大事な側面は、「痛み」「痺れ」と言う、個人的にしか分からない自覚症状の扱いがある。

  • 片マヒの障害の特色の一つに、外見的にはひどい障害もないのに、色々と不便や痛みや痺れに伴う不快感を訴え、「やる気」が出てこない人もある。リハビリエッセー
  • なんでも自由にならないからと落ち込んでいる人もある。
  • 後遺症には個人差があるので、本人が「痛い!」と訴えれば「そうですか」としか応えられない。
  • 元来、痛みは大きな変調の前兆として示される場合が多いので、痛みには慎重に対処しなければならない。でも、単に「ちょっと疲れて痛む」種類の痛みもある。この微妙な区分は本人にしか分からない。

  • 「これまでにも、良くこんなことがあったが大丈夫だった」。「頑張ります」との言葉も個人差が多い言葉だ。
  • 外見から判断して、もう少しは頑張れる筈と思っても、本人にとって限界の場合もある。所詮、主観的なとらまえかたである。

  • 個人的に耐性の許容量に巾があるので、その許容量を拡大することが出来れば少しは、痛みに耐えて頑張ることが出来る。
  • 精神的には頑張ることが出来ても、それが肉体的に無理な場合、肝臓などの他の臓器が悲鳴を上げる事になる。一筋縄では解決の出来ない、個人の能力範囲かも知れない。


  ←9. リハビリは先ず「適応」して「安定」する所から→

9. リハビリは先ず「適応」して「安定」する所から

  • 神谷先生の本を読んでいたら、アメリカ社会に精神分析が流入して以来、アメリカの人々は「適応と安定」を求め、開拓時代に大事にされた、自発性とか自律性、創造性とか独創性、冒険性等が消え去り、これでは将来が不安である、とのアメリカ人学者の意見が紹介されていた。(生きがい65ページ)

  • 確かに、環境と戦いながら戦後社会を作ってきた私たち世代にとっては、環境は打ち破るべき物であり、安定は老後に隠居して暖炉の前で憩う生活を意味して、安定を選ぶことは、積極性に乏しく怠惰な性情と忌避されたものである。リハビリエッセー
  • しかし、突然の障害者という自分の変容に対し、如何に付き合ってよいのか。その余りにも大きい変容への対応に戸惑ったものである。
  • それはあたかも、敵の魚雷攻撃を受けて船腹に大きな孔があき、浸水して船が傾いた状態にも似ている。

  • 救急救命期の治療は、応急の処置であり、浸水した船倉の反対側の船倉に注水して船はようやく復元した状態で退院するのである。
  • 中には被災した場所がボイラーとか舵のような致命的な所の場合は、治療の方法もない時もある。旨く復元はしたものの、破損した個所の孔を塞ぎ、排水をして、水浸しになった器具等を整備して、再び人生という航海に出なければならないのである。リハビリエッセー
  • そのためのリハビリとして、修理不能の部分を障害として温存しながら、その不具合になった船をコントロールするために、新しく装具と称する補助用具を取り付けたり、器具の整備をし、航海の再開に必要な訓練に時間をかける。そこで始めて航海の自信と勇気が生れ、可能性が回復するのである。

  • 私は障害を持つ現在の心身の状況を前提に、取りあえず安定させなければならないと思う。その上でゆっくりと、私の自主性と独創力や自律性を発揮させて、この応急修理の済んだ船にふさわしい航海術を学び取り、安全な航路を選び、最終の人生目標を目指すのである。

  • つまり私は、この障害を得た段階で、傾いた船にも似た私の状態を自分の現実の姿として捉え、私を取り巻く環境に「適応」しながら、取りあえずの「安定」を得て、そこから本格的なリハビリ=新しい生き方の模索、に出発できたと思う。
  • そこで安定していたのでようやく新しい人生という究極の目標に取組むことができたのである。

  • 私が精神的に「障害の受容」が出来た背景には、この「適応と安定」の時期があったからである。
  • この初期段階の心理的様相を「障害が受容できた」と言うのは、言葉の意味を取り違えた解釈であると思う。「適応」は「受容」ではないのである。


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10.リハビリには「新たな自己投資」 リハビリエッセー

  • 脳卒中と言う病気と後遺症との戦い、この体験を通じて被った心の痛手は、外部から窺い知れない程、辛く悲しい。しかし、これを克服して再び立ち直って人生を歩く体験には、是非、子供や孫に伝えたい内容があると思う。

  • 同じ悩みに打ち沈む人々の励ましや、出版、放送、講演会等を通じて、広く同一世代の共有財産に出来ることができれば、何とも素晴らしいことである。

  • そこでは「俺流」の生き方を世に問うもので、借り物の生き方ではなく、自由に「心に従って生き」るけれど「矩を越えず」に、充実した生命感に溢れている生き方である。

  • 何も出来無くなった自分を見詰めて嘆き悲しんでも、そこから「生きる力」は生れてこない。私と言う存在が、何かの「役割」を果す能力を見つける事が大事である。

  • 他のために何かの「役割」を果そうとすれば、何かの能力が必要になり、これを提供しなければ「役割」を果せない。そこで私の能力を一つ一つ確認していく作業と機会が必要になった。それまでの「これが出来ない」「あれが出来ない」と、窒息しそうな状況から、「これが出来た」「あれが出来た」と成功体験が勇気づけ、自信の回復につながる。

  • 更に自分に残されている「今の能力」を模索する試みを重ね、「そんな筈はない」と内心不審に思いながら様々な挑戦を重ねる。
  • やがて、おぼろげに自分の持っていたアイデンティティが維持できなくなっていることに気がつく。

  • このアイデンティティを修正する作業では、大きな個人差があり、高度の訓練と教育の上に築かれた、このアイデンティティ程、修正する作業は簡単でない。
  • 経験的に「あの人はリハビリが難しい」とされた人々に共通している課題であり、どうやって、自分に対する誇りを失わない方法でアイデンティティを修正できるかは大きな課題と思う。

  • 私は、新しく自分に投資をすることを薦めたい。
  • 投資の利益として、手に入るには多少の時間はかかるが、精神生活が豊かになることである。

  • 病気をするまでは、仕事に没頭して仕事に関わることしか興味がなく、古典や趣味に親しむゆとりを持たなかったために関心の広がりも乏しい。

  • これは自己投資を経済的利益に偏らせて来た時代の弊害である。
  • 止む無く観光旅行という「消耗型時間潰し」を選ぶ事が多い。だがこの方法では精神生活を充実させ、心を動かして何ものかに向かうエネルギーは生れにくい。自分の内心が黙して語らないが、何ものをか求める囁き、それに耳を傾けて、自らの求めるものを知るようになれば、人生も一層、豊かになるからである。


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11.リハビリは「限界状況」との戦いである リハビリエッセー

  • さまざまな「限界状況」が私を襲った。現役時代は、物価が上がれば給与の改定がある日本型経営の元で、情緒的な安心感が私たちを支えていた。しかし、年金生活に入ると、この経済的自立とは大きな問題であった。

  • 私は退職一時金で株式を購入し、株屋の口車に乗って、バブル被害にあった。「半値、八掛け、二割引き」を実際に体験した。
  • そして今度は、介護保険法の施行に伴って、年金から一方的に保険金が徴収される。こんな限界状況とも私たちは対応するエネルギーを貯えている。

  • 最近の調査や実体から考えてみると、経済的な豊かさのみでは、決して人間の幸福感を充実させるものではないことがはっきりしたことである。

  • 貧しくなればそれなりの生活をすれば良いのである。貧しくなったからビーフステーキの代わりに「サンマ」や「鰯」が食卓に上がる頻度が高まった。

  • バターやチーズと言う脂肪の多い材料の使用料は減ったのでカロリーバランスが良くなって来た。貧しくなったことが、何時の間にか「成人病を予防する」生活を私に教えてくれた。

  • 障害のある体で、金儲けとは無縁になり、人間関係もあくせくしないから、ストレスの弊害から逃れタバコも一切不用になった。
  • 妻と一緒に夕食の酒は心地よい程度に嗜む。障害が悪くならない様に毎日、汗が流れる程度の歩行運動をするが、これは又、素晴らしい健康管理の礎石になり、益々健康である。
  • これらも、障害者になったこと、経済的に貧しくなったこと、が贈ってくれた素晴らしいプレゼントである。

  • 定年になると、途端に仕事がなくなり、「サンデー毎日」の身を嘆く話題も聞こえる。
  • しかし、障害を持ったお陰で、私は、自分の意志で毎日の生活を組み立てると言う贈り物を得た。驚くべきことに、私は幼稚園以来、小・中・高・大と一日も休むこと無く、学校の授業時間割に従って生活してきた。
  • 更に就職しても、緻密なスケジュールにしたがって勤務が指示され、常に何から何まで、他人に指図された生き方であったことに気がついた。

  • そこで今や、昔は眠る以外に関係のなかった地域社会の活動のお手伝いに、自分の意志で参加する事を学んだ。家族の協力で、日本的マイホームと称する狭い自宅の隅に、障害のある私のための書斎を準備して、古いワープロ、新しいパソコン、会議用の机等を置き、知的生産の場としている。

  • ただ一度の人生である。限界状況の中でも「どうしても生きたい」と、自分で生きることを選択して来た私には、どんな状況でも、生きることが許される限り、それは素晴らしい状況と評価できたのである。


  ←12、リハビリは歩く事から→

12、リハビリは歩く事から

  • リハビリエッセー
  • 私は「寝たきり」になりたくないとの思いで、何とかして歩けるようになりたいと念じた。

  • そのお陰で、少しずつ歩行の能力が改善されてきた事は本当に嬉しい事である。

  • 今でも「旨く歩けない」と言う嘆きの言葉を聞くと、「大変だろうな」と思うと共に何か良いアドバイスはないか、私なりに体験からチェックポイントを整理してみた。



    • 1)1つのシステムとして、「歩く」動作が手順良く、単独の動作を連続的に継続する事が出来
      • ない。子供が上手に歩くのに私には出来なかった。このシステムが壊れて歩かないと、血液の供給を絶たれて筋肉が次第に衰えていく。つまり、動かないから血液の補給が途絶える、血液がこないと「私は無用なのです」と筋肉は水になって流れ去るーそして本当の「歩行不能者」になる。

    • 2)私には尖足があり、そのままでの歩行は危険とされたので、安全の為に必要な「装具」を作
      • ってもらった。装具の必要な場合は是非、つけて欲しい。

    • 3)砂利道を歩くと爪先が砂利に衝突して歩けなかった。そこで「石段を上がるイメージ」で歩く
      • 事を工夫した。平地でも、階段を一段ずつあがるつもりで歩いた。毎日、歩くことが日課になった。そして汗を沢山かくことが体に溜まった重金属を排泄してくれるし、血行も良くなって、全身の健康維持にも効果があるようだった。
      • 何よりも適度な運動のお陰で安眠にも効果があった。更に歩きながら自然を観察したり俳句を作るのも楽しい。

    • 4)筋肉のストレッチングは是非覚えて欲しい体操である。私たちはラジオ体操を通じて誤った筋
      • 肉運動を身に付けている事を自覚して、「生き生きヘルス体操」をマスターして、筋肉を優しく伸ばすことの実践をして欲しい。すると歩く時にも、悪い足に充分な体重をかけ、爪先で「蹴る」こともできるようになる。

    • 5)オリンピックを見て、凄く強く腕を振っている事に感心した。私も思い切って手を振って歩い
      • てみたら、とても旨くバランスがとれて、歩き易くなった。

    • 6)注意すべきは、天候が悪い時で、特に、風が強い時、日差しが強い時、雨の時は歩く事を避け
      • た。又は、地下街、スーパーと、安全な所に出かけて歩いた。

        リハビリエッセー
    • 7)階段を上下する時、筋肉が弱っているので、関節の骨
      • を直接痛めないようになるべく避けた。
      • 関節を痛めると今度は二次災害に発展する。

    • 8)それでは元気に歩いて下さい。くれぐれも、無理をし
      • ないよう、良い方の足を痛めないよう、疲れたら休んで下さい。


  ←13、リハビリは心に念ずるものである→

13.リハビリは心に念ずるものである

  • リハビリの時期には、万人の方が元どおりに直ることを夢見ながら、この障害は直らないと教えられ落胆する。しかし、落胆しても中にはその心に回復を「念ずる」人も多い。

  • 近代の医学では、この「念ずる」という理論的に計算できない部分は触れない様にしている。後遺症として様々の障害が残っている時、「何とかして助けて下さい」と念ずる時、この不便をどうやって乗り越えれば良いか、と真剣に求める時、心はその目的に敏感になり、少しの情報にも反応していく。

  • 成功した人の工夫の数々、新しい治療法の話し、不成功の事例等、膨大な情報が、この意識の有無にしたがって入手できたりできなかったりする。
  • つまりそれは第一に、念じたことは必要な情報を手に入れるアンテナを張り巡らすことであり、第二には、大自然は、例え私が眠った間にも、心に念じている回復を手伝ってくれるからである。

  • それは神経細胞の修復と言う大自然のペースで私たちの修復をしてくれるのである。
  • ここで誤解のない様に申し上げておきたい。私は右マヒなので右手は全く実用に向かない。役に立たないからとの理由で放置しても構わないと思う人があるかも知れない。
  • しかし、放置された麻痺側の筋肉には血液が送られず、完全に融けて流れ去って、さながら枯れ木かミイラの状態になる。
  • 気長に休まずに動かし続けていけば、力はなくても少しは自分で動くことも可能になる。
  • しかし、これを利用して字を書いたり物を盛ったり、積極的な仕事のための中心に据えることは計画しない方が良い。どうなって欲しいのか、心に念じることが必要である。リハビリエッセー
  • 限界状況を生き抜いた私の価値観には、金銭的な状況とか、社会的地位とか、世に言う世俗的な条件の占める地位は二次的、三次的である。

  • 人は、自分の価値観が満たされれば幸福と感じたり、不幸と感じたりするものであるから、この価値観の性質は、幸福に人生を送るには充分、吟味しなければならないものである。「使命感」とは絶えて久しく耳にしたことのなかった言葉である。
  • 齢90になったトインビーとのインタビューでこのことばを聞いた。


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14.リハビリは生活習慣の見直しである。

  • これまでの生活のスタイルを見直す、絶好の機会と思う。
  • 年齢を問わず、自分の生活スタイルを見直す機会にすると、人生の豊かさに目が開かれる。
  • 対人関係のイライラが苦になっていた方は、タバコを吸って紛らわす代わりに、カウンセリングの勉強を加えて、自分を武装すると良い。
  • 付合いの酒が多い方は、「酒を控えています」と堂々と断れば良い。
  • 一緒に酒を飲む付合いが悪くて取り引きが成立しないと嘆く前に、長く付き合える相手でないと、心の中で割り切ることだ。

リハビリエッセー

1.リハビリの原点は「希望を持つこと」 8.リハビリは「傷つき気づく」過程である
2.リハビリは「三日ぼうずのすすめ」 9.リハビリは先ず「適応」して「安定」する所から
3.リハビリは「大自然に学ぶ」ことが多い 10. リハビリには「新たな自己投資」
4.リハビリとは「アイアム OK!」と言えること 11. リハビリは「限界状況」との戦いである  
5.リハビリでは「家庭」が財産であることが明かにされる 12. リハビリは歩く事から
6.リハビリは人生の見直し 13. リハビリは心に念ずるものである
7.リハビリは、家庭の中の役割から 14. リハビリは生活習慣の見直しである
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