ナースの皆様に

●論文館

3.ナースの皆様に

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 1部-1.突然の発病
 1部-2.元気が出ない理由 再発の防止と役割の獲得
 2部-1.リハビリ看護の・チーム医療の中での役割
 2部-2.リハビリの言葉の意味
 2部-3.急性期から慢性期の指導
 2部-4.患者やの心理、家族の関わり
 2部-5.地域の支援システム

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森山記念館 論文館

  • 「人間、この未知なるもの」 ― ケアの立場にある皆様に

ナースの皆様に

発病前の概況

  • こんにちは。私は1929年に生れましたから来年の1999年になると70歳になります。丁度55才の定年を延長して1年経った時に脳梗塞になり、右マヒ二級の障害者になり13年が経ちました。
  • そこでどんな体験をしたか、率直に生まのお話をします。

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1部 体験の報告


 ←1部-1.突然の発病→

  • 1、突然の発病
  •  まず突然の脳梗塞発病でした。平素から血圧が高くて注意していたとかそんな事はありません。自分としては全く何も予測していないのです。今思うと当時の私は血糖値も高くて糖尿病の管理をしなければいけなかったのに、放置していた責任があったのですが、それを脳血管障害と関係づける知識が全くありませんでした。知識がないままで全く突然に秋の涼しい風が吹く頃、会社の帰りに足が痛くなり歩けなくなったのです。
  • 病院に飛び込んで手当てを受けますが、いわゆる,救急救命期と云われる時期になります。この時期は患者本人は良い気持ちです。疲労が溜まっているのでゆっくりと布団の中で寝ています。他方家族は「脳梗塞です」と聞かされ、どうなる事やらと将来の不安が沢山あって大変な思いに包まれています。

    • ① 病気だったら治る、だが障害は治らない

      • そんな救急救命期を何とか乗り越えますとぼつぼつリハビリが始まります。その頃になると自分の右手足のマヒを見て「一体、どうすれば良いか?」「まぁ、その内に治るさ」。
      • 所が一週間しても二週間しても三週間しても、全然回復しません。リハビリの訓練を少しづつ始めて「リハビリをすると機能は元どおりに治るらしい」と、今度は朝起きて病棟の廊下の片隅に行って自分で運動する。病院のメニューの他に色んな運動をしましたが、その内とうとう過労からか、強い薬の副作用だったか、肝臓の障害を起こしてしまいました。そこで絶対安静を申し渡されたのです。片マヒで絶対安静をしますと、本当に天井を向いたままびくとも動きません。三週間の絶対安静が解けた時、見るも無残と云う言葉通りに、まず気が付いたのは右のお尻がなくなった事でした。次に右の胸が完全になくなって余分になった皮が袋になって脇腹の所にだぶついている、それはもう大変な有り様でした。新聞紙一枚も持つ事ができません。「これで生涯僕は障害を持っていきるしかない」と物凄く悔しくて熱い涙が溢れて止まりませんでした。それはリハビリをやる元気も失せていました。

    • ② 自己決定の出来る人生、オリンピック選手を見習った努力

      • たまたまその頃、ずっと付き添ってくれた家内も疲れて、付き添いさんにリハビリを見てもらう事にしました。彼女は「森山さんのようにリハビリの意欲がないと、こんなになる事を見せてあげる」と、私を車椅子に乗せて植物人間になった方の病棟に連れていってくれたのです。脳外科病院ですから植物状態の患者さんは沢山いました。その部屋を見た時、自分でもビックリしました。「人間てこんな筈じゃない、人間が生きるとは自分の意志で自分の行動を決める部分がなければ、生きていると言えないのじゃないか」とショックを感じました。
      • そんなショックとあい前後して、テレビで北京のマラソン大会の放送があって、宗茂・たけしの双子の兄弟が胸を並べて一等でテープを切ったではありませんか。物凄く感動しました。と云うのも、その前年ロサンゼルスオリンピックの準備で二人はずっと札幌で練習していましたから、良く練習も見ていました。「スポーツ選手の彼らが、あれだけ自分の競技に取り組んで世界的なランナーになった。

ナースの皆様に

      • 私だってリハビリにもっともっと真剣に取り組めば、彼ら並みの成果が得られない筈はないではないか」この二つの事件が重なってそれ以来私の回復は早まってきたと思います。
      • そこで車椅子を捨てて杖を突いて、足の指の先に包帯を巻いて膝に結び、足首が垂れる危険を防ぎながら初めは10㍍、20㍍と歩いては止まりしながら歩きました。


 ←1部-2.元気が出ない理由 再発の防止と役割の獲得→

  • 2、元気が出ない理由 再発の防止と役割の獲得
  • 退院して家に帰ると、皆さんは病院で元気にリハビリに励んでいた私と別人のように当惑している私をご覧になると思います。実はリハビリの本当の問題は退院して家庭に帰った後に生れてくるのです。

  • 病院の中には段差もなく、危険な車は来ません。全て安全な状態で管理されています。所が家に帰ってきますとそこには何もそんな準備はありません。小さな段差はあちらにもこちらにもあります。一歩外に出れば車は走る、自転車は通る、急ぎ足の人はぶっつかりそうで障害者にとっては恐ろしい世界です。

  • そんな中で「今度再発したらどうしようか」と云う不安が広がって来ます。更にそれまで持っていた会社の中での役割、家庭の柱と言う大きな役割と云った物が一度に消えてなくなった感じがします。そんな役割を見失った不安、そんなものがごちゃ交ぜになって家の中に閉じこもり勝ちになります。そうしながら、再発の防止をする工夫とか、そしてADLと云われる日常動作の回復に挑戦をし始めます。
  • 入院中の問題で皆さんに知っていて欲しい話題をお話します。

  • a) 絶望のドン底
    • 手も動かなければ足も動かない、一生こんな障害者で生きなければならないと知った時、多くの人は「死にたい」と考えます。生きていた値打ちがないと思い込みます。恐らく10人のうち8人くらいはそう考えるのではないでしょうか。最愛の人を失った時、一生かけて築いた財産を無くした時、人はしばしば異常な精神状態を示すことがあります。個人差もあると思いますが、この落胆は大きいものです。

  • b) ナースの笑顔で死と向き合っている「生」に気付く
    • 特に嵐の夜など寝付けないままに考えていると悪い方に悪い方にと回っていきます。そんな妄想を打ち破ってくれたのが若い看護婦さんの屈託のない笑顔でした。

    • 「おはよう!元気?」朝早く見回りに来るのは見習いの若い看護婦さんでした。「キット、森山さんが悩んでいるから声をかけよう」など少しも考えていません。人生の楽しい盛りそのままです。

    • その自然に振る舞う姿に接して「あっ、大変だ!俺は今生きるか死ぬかと云う瀬戸際に立っている、生きる事は死とは隣り合わせなんだ。ここで死んではいけない」その笑顔に助けられてその代わり「生きることの隣には死がある」と肝に銘じました。

  • c) 希望の灯火を否定しなかった婦長さん
    • 色々とやっているうち、私の右手の固く握り締めて開かない拳がある日、ピクリと動いた感じがしたのです。「動いたぞ!」と思わず大きな声で叫びました。余りの大声に驚いた婦長さんが飛び出してきました。「どうしましたか?」と云うので「今、この親指が動いたんです」と答えますと「ほー、じゃぁ、もう一度やって見せて」今度はどんなに一生懸命に頑張っても親指はビクともしません。

    • 今でも感謝していることですが、その婦長さんは私に「でも、さっきは動いたのでしょう。だったら又動くわよ。諦めたら駄目よ」私は経験豊かな婦長さんが「又、動くよ」と云ってくれた事に希望をつないできました。私の細い希望を「さっきのは動いたのでなく、そんな気がしただけよ」とぶち壊していたら多分「そうかなぁ」と又、落ち込んだかも知れません。ほんの些細な言葉だったかも知れませんが、細くても将来に希望をつないでくれたのです。

    • 看護婦さんが自然に振る舞った行動の中から私は「生きる」ことの意味を肝に刻み付けたり、「希望」の糸を切らずに来れたのです。どんな所でそんな影響を与えるのか、ケースバイケースなので分かりませんが、皆様の職業は物凄い影響力がある事だけ申し上げておきます。

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  • d) ADLの工夫 (カメラ・ネクタイ・筆・袋)

    • 退院した後、所要があって北海道の温泉に行きました。一晩明けてみますと外には素晴らしい光景が広がっていました。「撮りたい!」と思って、「どうしよう?」右手の使えない私にはカメラの右端にシャッターのあるカメラは使えませんが、この光景は何としても撮りたい!。

    • 「どうにかしろ!」とっさにひっくり返しました。するとシャッターが左に来ます。「これなら写せるが反対に映る、それは作品を逆にすれば問題はない!」喜び勇んで写真を撮りました。この事件は「工夫すれば色んなことができる」そういうことを教えてくれました。

    • 右手の使えない私がどうやって左手だけで生活の範囲を拡大していけるか。非常に大きい励みになりました。
    • ネクタイは男性ならお分かりになりますが左手だけでは旨く結べないのです。どうしても細い端を固定しなければなりませんから両方の手を使います。特にこの「つまむ」と云う動作は大変大事です。その訓練に1年かけました。肩の筋肉が弱く肘を高く上げる事ができませんが、これは腰をかがめる事で手首を胸に凭せ掛ける事ができます。こうした工夫を合わせてネクタイを一人で扱えるようになりました。

    • この「つまむ」動作のお陰で、ジッパーが楽に扱えます。つまめないと扱えない生活用品が多いのです。更にお習字の筆の持ち方ですが、右手に握らせて左手で支えて字を書く事ができましたが、この「左の手でサポートする」事は大きな意味がありました。それは私に僅かなサポートがあれば色んなことができることを知らせたからです。

  • e) 障害者として生きるには障害の受容が必要とされる

    • ある方から,「障害の受容ができないと障害者として生きていくのに難しいのでは」と話しを聞きました。
    • 「障害の受容」と云うのは調べてみると、国語の問題と違って自分の心の状態を扱う問題として考えると難しいのです。「俺はまだまだもっと良くなる。こんな障害なんかに負けておれない」と思う間は、一時的な不便としか思いません。「もっともっと役に立つ」筈の自分と、それを実現する手段が見えてこない「今の自分」が、同じ自分と思いたくないと言う心が動くのに、一体、どうやったらこの障害の受容ができるのでしょうか。

    • 結論として、私なりに障害の受容ができたと思うには、四年か五年はかかったと思います。そのきっかけになったのはこんな事でした。

  • f) 価値観、物の見方

    ナースの皆様に
    • まず、この写真をご覧になって下さい。ちょっと見ただけでは何か良く分かりません。実は一昨年、高知で会議の後で会場を整理した時、積み重ねたパイプ椅子の光と造形が面白くて撮ったものです。パイプ椅子を積み上げると奇麗に重なります。そんな種明かしをしないと何の写真だか分かりません。
    • これはパイプ椅子の写真でもあり、一つの造形芸術とも言えるのです。物は見方によって色々に解釈できる、一つのものを一つのものとしてみるのではなく、色々な見方があるという事です。

    • 価値観と云うものも沢山あるだろうかと調べてみると、世界の中には非常に多くの価値観が生きているのが分かりました。私が知らなかっただけで「価値観は一つだ」と信じさせられ、非常に狭い世界を生きて来たことに気が付きました。確かにお国のために死ぬのが男の本分だと教育された戦時中の価値観、戦後は、とにかく経済発展のために働くのが男の生きがいだと信じさせられたのでした。最近になって家庭とか家族とか、自分にとってどれだけ大事かと言う事が分かってきます。

    • ある価値観を選ぶと金銭的には恵まれ物質的には豊かになるが、別の価値観を選んで物質的には貧しいけれど、自分らしい生き方をする事もできます。これは大事なことだなぁと思いました。

  • g) 人間の潜在能力、習字を通じて人の誇りを再発見

    • 次に機能訓練教室でお習字の指導を受けました。そして「面白いな」と思って平成二年にお習字の先生に弟子入りしました。そこで入門五百時間訓練と云うものをやったのですが、これは皆さんの参考にもなる方法です。

    • これは技能は最初の六ヶ月に五百時間を短期間に集中して実行すると基本を固める事ができる、と云う訓練の方法です。六ヶ月に五百時間ですから毎日毎日三時間、半年は練習を続けました。よほど魅力を感じたのでしょうね。

    • 秋の区民文化祭に、この「弄花香満衣」と云う隷書の作品を小さな懐紙額に入れて出品しました。この作品が他の作品と並んでいるのを見た時、それまでの「健常者に負けないぞ!」と云う緊張した肩の力がスーっと取れて、「ああ、良いな、左手でこれが書けたのだ!」。

      ナースの皆様に
    • それ以来、「私は、右手右足が不自由ですからこれはできません。でも左手を使いゆっくりだったらこんなこともできます」。と素直に自分の障害を認めることも出来、その上で自分のやり方でやる事を皆さんに話す事ができます。 やはり自分でこれだけ出来るという自信が生れて、それが支えになったのかなぁ、これがひょっとしたら障害の受容かも知れないと思いました。

    • しかし、この左手の中に「お習字をする潜在能力」があったとは知らなかったし、もし右手が使えていたら今でも知らずに過ごしただろうと思います。「未知の能力」だったのです。ここに懸けた、左手で書いた隷書と篆書を見て下さい。

    • 一枚は秦の始皇帝が中国を統一するまで秦で使われていた篆書、これは左右のバランスに気を遣った美しい文字です。一枚は中国を統一してからは通達の文書に書き易い文字を、と云う事で採用された隷書です。私たちの先祖は素晴らしい遺産を残してくれています。

  • h) 定年になり障害を得た私にも発達課題があることに気付く

    • 左手にこんな潜在的な能力があったのかと驚きながら勉強をしてみると、どうも人間には発達課題と云うものがあるらしい、ことが分かってきました。

    • 発達課題という言葉は従来の心理学では、幼児とか青年とか、成人を目指す段階で「発達」という言葉を使っていました。人間が老人になるのも一つの発達課題ではないか、と思うに到ったのです。

    • 老化をすると、目が薄くなる、耳が遠くなる、足が弱くなる、機能が低下してくる、と説明されます。私も次々と出てくる課題を解決しながら、一歩一歩と前に進みますが、どこまで進むことができるか分かりませんが、許される範囲で進んで行きます。
    • そうするとこれまでは障害者だからだ、と思っていた問題が、実はこの手足の不自由さも、一つの老化に伴なう発達課題に過ぎないのではないか、と思えたのです。老化に伴なって生れてくる様々な障害の一つに過ぎないのではないか。だからこの片マヒの障害と折り合いを付けながら自分の人生を充実させて行く事は、自分の人生をどうやって充実させるべきかと言う問題の一部に過ぎないと思えたのです。

    • 目が悪くなったら、めがねをかけることと、足が悪くなったら装具を付けることとは、一緒なのです。そうして自分の人生を充実させるために毎日を工夫してやって行く。私の心の中では、初めは「障害」が大きく圧し掛かっていましたが、段々障害が消えて、人生が老年に入って遭遇する、様々な老化現象の一つに変わってきました。
    • 老化現象には色んな障害を含んでいますから、その一つとして上手に付き合って行けば良い。会社の定年になった人は、これから自由に自己実現を目指して自分のやりたい事をやれば良い。会社の定年を迎えたら人生に用はないなど、飛んでもない話しです。そう思うと人生とは何と素晴らしいかと思えるのです。

  • i) 妻と書いた「歩けた!手が動いた」の書評に「心が動いた」

    • そこで、世の中では大勢の障害者が悩んでいる、無数の家族が不安に戦いている、そんな方に少しでも元気を出してもらえる本を書きたいと思いました。

    • まず、私たち夫婦の遭遇した問題、それをクリアーした方法、家族が当面した問題、乗り越えた課題、そんな物全部を原稿にして出版しました。それが「歩けた!手が動いた」と云う本です。この本を出す時に大田先生に「書評¬を書いて下さい」とお願いして先生から書評を頂きました。所がその書評の題名が「心が動いた」となっていました。

      ナースの皆様に
    • 「手が動いた、足が動いた、と云う前に心が動いたんだよ」と先生に教えて頂きました。この本の特徴は、それぞれの章ごとに「その時妻は」と云う家族の立場で感じた問題を整理してある所が、皆様の参考になると思います。

  • j) 死ぬほど辛い痛みに耐える関節運動

    • 先日、ある所にお邪魔したおり「リハビリは痛いと聞きますがどんな痛さなのですか」と云う質問がありました。

    • これはもう話すのも変ですが、大の男が涙をポロポロ流す痛さです。固くなった股関節を広げる時には悲しくもないのに涙がポロポロと出ます。そんな過程があったから歩けるようになったのでしょうかね。腕の筋肉は少し動かすとナイフで切り裂くような痛みが走りますから少しも動かせませんでした。

    • お習字をした後で筆を洗います。右手は痛いから使えないので、左手だけで水洗いしていました。「右手が使えると左手で筆先がもみ洗いできるのに残念だなぁ」と思っていました。所が、本当にある日、フト気が付くと、痛い筈の右手が筆を握り左手が筆先を洗っているではありませんか。これには今でも不思議で仕方ありません。なぜだろう?右手は痛くて伸ばせなかった筈なのに?その右手に握って前に伸ばしていた、何時も「右手で握って筆が洗えると良いのになぁ」と願望を懐いていました事と関係があるかも知れません。

    • 私は痛む場所は運動の前後に何時も自分でマッサージをして筋肉を宥めることにしています。ちょっとした軽いものは右手が仕事をします。田舎を旅行すると和風のトイレしかないので苦労しました。都会では困りません。でも10年、毎日訓練していると、足腰もおかげでこれくらいに動きます。3年前くらいは中腰でしたが最近では完全に蹲踞の姿勢も仕切りの姿勢もできます。

    • そこで思い出しますのが市大病院で大川先生に教えて頂いた基本です。「痛くない範囲で十五回、少し痛むのを我慢して五回、この運動を1日に朝、昼、晩の3回、毎日実行する事」最初、これを教えて頂いた頃の右手は左手で支えても顎の高さにまでしか上がりませんでした。それが1日2日では目に見えないが、毎日の積み上げた効果で、今では両手を上に万歳もできるのです。

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2部 皆さんの質問に


 ←2部-1.リハビリ看護の・チーム医療の中での役割→

  • 1. リハビリ看護の・チーム医療の中での役割
  • まず、障害の受容ができるのは、3年~4年かかると仮定すると、患者や家族の皆様が期待する感覚と大きいズレがあることを知っていて欲しいのです。

  • 又、若い人は早く回復できるし、病院の専門家がこの辺りが回復の限界だろうと思っても、ずっと早いスピードで回復するケースもあるでしょう。逆に、中高齢の方々には多分に難しい問題があると思います。

  • そこでリハビリが教育的だと言われるゆえんのもので、私自身が入院した後、とても参考になったことが毎日の「生活管理」のあり方でした。特に「食事の管理」は参考になりましたでした。

  • 更に「健康管理」について言うと、一般社会の産業社会で働く人は、自分の健康に溢れんばかりの自信を持つか、持っているかのように振る舞うのです。だから朝早くから夜中まで休む時間も取らずに働き、健康が損なわれてもまだ体が壊れた事に気が付かないのです。企業の中に健康管理はありますが、難しい問題があります。

  • 折角入院したのですから本当のその人の不健康さを良く教えてあげて欲しいのです。多分に慢性的な高血圧、糖尿病という疾患を持っている方が多いので、そのまま退院したのでは又、再発する心配があります。糖尿病や高血圧の管理の厳しさを教えて欲しいのです。

  • 家族の幸福がその健康にある事を教えて欲しいし、日本人は長い間、貧しかったので食べる物があれば食べる。塩か漬物か味噌汁一杯で食事を済ませる。蛋白質が欲しいなど贅沢を言うなとか、日本的な貧しさから生れた日本的な成人病の体質、それが掌を返したように、一挙に飽食の時代になり、高カロリー食を改善しなければならない現実を、できたら教えて欲しいのです。

  • そうして病院にいるのは僅か6ヶ月に過ぎませんがその間に、皆さんの目に見えない所で送らねばならない今後のリハビリの10年の生活指針をしっかりと教えて下さい。

  • 確かに6ヶ月もすると残った障害の機能は中々回復しません。でも回復が遅いといって訓練を止めると今度は邪魔物になってきます。役に立たない所か邪魔物になるのです。
  • 入院する方には、色んな方がいますから、皆さんも心を空にして接して下さい。

ナースの皆様に

  • 「こうだろう」と思って接するのでなく、心を空にして見ると、色々なものが「見えてくる」し「聞こえて」来ます。
  • そうして見えた事がチームの全員の共通情報にすると、それが大きな財産になります。人間は自分の誇りを守るために鎧を着たり着物を着て、余程の事がないと自分の弱い点を他人には見せません。
  • その人間的な弱さが素直に表れるのは、看護婦さんとか訓練士の方が自分の「味方」か「何かを共有」している、と感じた時です。せめて「目線の高さ」だけでも共有して下さると、そこに安心感みたいなものが生れてきます。高い所から見下ろされている限り、人は自分の心を閉じて開きません。


 ←2部-2.リハビリの言葉の意味→

  • 2. リハビリの言葉の意味
  • 良く皆さんと話すのは「昨日は病院に行ってリハビリをして来たよ」こういう言葉を口にする間はまだ駄目だよ、毎日の生活の中にリハビリが組み込まれていないうちは駄目だね、と話しています。
  • 手や足を動かすADLに重点を置いた基本的なトレーニング、初期には必要な基本的なトレーニングであって、これをマスターしてから毎日毎日の生活の中に活かして行く。
  • それから自分の「生き方」を考えるQOLという問題、早くこの問題に気付かせてあげる事ができるか。これは手や足が少々不自由でも「自分の生き方」を大事にしましょうという課題です。

  • 自分の生き方であるQOLにリハビリそのものが結び付けられると良いと思いますが、恐らく三年くらいは難しいかも知れません。


 ←2部-3.急性期から慢性期の指導→

  • 3. 急性期から慢性期の指導
  • 非常に大事な質問だと思います。とにかく「死ぬか生きるか」という救急救命期は、とにかく片手がなくなっても、片足がなくなっても、命だけは助かって欲しいと願います。私も最初は「この脳梗塞は、どこまで進むか分かりません」と言われて、家族は心配をしました。この時期はどこで落ち着くか分からないので、とにかく「命」を救いたいと思います。

  • そのがあった時、脳卒中後遺症を考えるのに全部一緒にしてはピンからきりまであるのでおかしいと考えたのです。障害者も意識が成長して行くのではないか、その意識に応じた対応がケアの側に必要なのではないか、という疑問を投げかけたのでした。

  • 私たちは、最初は病気になり「病人」になります。病人は治療が必です。
  • 次の段階では手足の形が変化した「格好の悪さ」「手足の異常」を訴えます。しびれて辛い、動かすと痛む時期と思います。

  • その次は「歩けない・字が書けない」と機能の不足を問題にしてきます。自分の解決しなければならない問題が「形」ではなく、移動するとか字を書くという「機能」にある事に気が付きます。
  • するとこの「機能」を獲得するために、安全に移動できる車椅子や歩装具を利用したり、左手を訓練して字を書く練習をします。

  • こうして、「移動能力」を手に入れたり「筆記能力」を手に入れることで、障害から生れた不便を克服します。しかし、今度はその克服した能力を持って外に出ますと、そこで思いもしなかった様々な「バリアー」に遭遇して、これと挑戦して行動の範囲を広げるステージで終わります。

  • これはWHOが「障害の分類」として定義したものですが、実は障害者自身の意識の問題ではないかと思いました。「僕は字が書けない」と思っているのが「僕は左手で字を書ける」となる、障害を克服するステップ、慢性期の場合は、こんなステップを追って早く次のステップに行けるように指導して頂けると良いのではないかと思います。

  • いつまでも病院に行って「リハビリをして気持ち良かった」ではなく、機能を何でカバーするのかを見つけ、誘導して上げる事ができると、障害者の方の目が開けて来ると思います。
  • それが障害者の心をQOLの方向に向けるのではないでしょうか。


 ←2部-4.患者やの心理、家族の関わり→

  • 4. 患者の心理、家族の関わり
  • 一番の問題は先が見えないという不安、後に残った障害がどんな影響を与えるか分からない不安、そして障害を抱えて生活の経済的な面をどうするか、こんな不安があります。

  • 私も入院中にじっさい見聞きしましたが、働き手の御主人が倒れて小さい子供を抱えた御家族は生活をどうするか、本当に大変でした。看護婦さんも色んなケースに出会うと思います。大勢の女性が集まってきて枕元で喧嘩する事もあります。

  • この病気をきっかけとして家族が崩壊してしまうこともあります。これは何か機会があれば離婚したいと思っていた家庭だと思います。これを機会に家族が団結を強くする方もありますからなかなか一概には申せません。家族との関わりはそれなりに考えて頂くしかないと思います。

  • ただ、患者の心理としては、「運命から不当にいじめられた」という不安に陥り、側でケアしてくれる皆さんが優しい存在になってくるのです。そこで看護婦さんについつい甘えてしまいたい気持ちが生れてきます。
  • そこで一つ考えて頂きたい事は、「心地よさ」という事と「優しさ」という事の間のどこで、どんな線を引けば良いかという事です。私たち障害者が立ち直っていくためには幾つものステップ、多くの障壁を乗り越えねばなりません。そのステップに挑戦するのが嫌と言った時に、「よしよし」と抱きしめられると確かに心地は良いかも知れません。「よしよし」「良いよ、良いよ」と何時までも心地良い所だったら、その新しい挑戦は何時になっても来ません。結局、その人は落伍者にならざるを得ません。ある時は、尻を引っぱたいても「ここは挑戦しなきゃ駄目っ!」と言う父母の優しさが欲しいのではないかと思います。

  • 障害者は「優しさ」を求め「心地よい」環境は歓迎するが、その代償として「駄目になるよ」と注意を促す「優しさ」も、特にこの病気の場合には必要になるのではないでしょうか。難しい問題と思います。


  • リハビリに成功して社会復帰して活動している方々とお付き合いして、家族の方のサポートが非常にしっかりしている事に気が付きます。そのサポートというのは、ある意味では冷たく突き放す類の厳しさがあります。

  • 今、復職された方のデーターを集めていますが、「仕事をしないなら勝手にしなさい」と奥さんが働きに出たり、夫婦の愛情表現の方法も様々ですが、「さすが!」と思わせる家族の優しさと厳しさが織り交ざっています。家庭のあり方とか、家族以外にも良い意味の豊かな友人を持つ事も大事ですね。

    ナースの皆様に
  • ある所でお話があった時、大学の先生が、「リハビリというのは単に元に戻るだけではなくて、新しい文化を造る事なんですね」と言われ「ええ、そうです」とお答えしました。
  • 最近は場合によって「リハビリとは新しい文化の創造です」と説明する事もあります。まさにこのお習字を見てもらっても分かる通り「リハビリは新しい文化」といえるでしょう。皆さんもリハビリをする方を見て「あなたがたは新しい文化の創造ができますね」と。右手の使える人には左手の文化は理解しにくいものです。中には「面白い」と取り組む人が出てくるかも知れませんね。何かリハビリが新しい文化を創り出すくらい、エネルギーが出てくると良いですね。


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  • 5. 地域の支援システム
  • 大きい都市では、保健所とか健康福祉課等で在宅障害者を受け入れて訓練教室がありますが、地方都市では実施されてない所もあるようです。どうも地域社会で整備に違いがあるようです。この訓練教室には、退院した患者さんは、是非参加するように、皆さんからも勧めて下さい。

  • それは病院の中では歩けたり意欲が出てきた人が一旦家庭に帰ると、バリアに囲まれて外に出れなくなります。その時に外に引っ張り出すきっかけになりますから、是非参加するようにして下さい。できたら退院する前に、管轄の役所に電話して「こんな障害者が自宅に帰るのでフォローを願います」と、言って上げると良いと思います。地域の保健婦さんも張り切って迎えてくれると思うのです。

  • この教室がなぜ大事に思うかと言うと、退院後はリハビリを通じて人間関係の問題が大きいからです。私達の障害のレベルが違いますが仲間から学ぶ事が多いのです。しかもそこには、良い教師もあれば悪い教師もあるります。それを見て「私は、こうしよう」「私は、こんなにはしたくない」と判断します。そこで仲間の中で人と人との関係が作れるようになり、ここまで来ると社会復帰の日が近づきます。


  • 中には障害者が色んな自主グループを作って活躍している所もあり、地域によって違いますから是非調べて教えてあげて下さい。
  • リハビリの基本、自己管理の重要さ、再発予防の知識、筋肉等の訓練方法、こんな基本になる事柄を入院期間中にしっかり学びとり、退院後の長い日常の生活に生かすことが望ましいのではないでしょうか。
  • そしてADLの充実からQOLを目的とする長い人生に向けて、これまでの「価値観」を否定するのではなく、自分の発達課題にふさわしい新しい「価値観」を手に入れることです。

  • それは過去を否定する事はできません。否定するのではなく、新しい自分に対応した新しい価値観を持つ事なのです。過去の自分の歴史に、次の自分の十年を成長させて行くことなのです。

  • そして心配なく退院した後の目標として、高齢者であれば、「寝たきりにならない10ヶ条」とか、「再発しないための10ヶ条」とかを、皆さんで作って教えてあげて下さい。いずれにしても、皆さんの目を離れて、5年、10年と続ける努力の「基礎になる知識・技能」を身に付けて送り出して下さい。
  • 以 上

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