地域で生き生きと活動するには

●論文館

5.地域で生き生きと活動するには

1.失敗の多かった私
2.一人でリハビリに取り組む
3.リハビリの仲間がいた
4.障害の受容ということ
5.ADLとQOL
6.地域社会との関わり
7.心に障害がなければ
8.男性の悩み
9.好きなこと、やって見ましょう
10.細川先生の詩から
11.質疑その他
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―失敗体験のリハビリからー


 ←1.失敗の多かった私→

1.失敗の多かった私

  • 金沢区の皆さんとは、平成8年と平成9年に来ていますので、何人かの方は顔見知りになっています。そこで今日は私の失敗した話しを聞いて頂こうと思っています。地域で生き生きと活動するには
  • 「森山さんは優等生だからできたんだ」、とおっしゃる方がいますが、そんなことはない、こんな失敗を繰り返しているんだと言うことです。

  • まず、病気になって入院していた時に、思っても居なかった麻痺がやってきました。腕が動かなくなる、足が動かない、そして夜中に目が覚めると、こんな体で人生をどうやって生きていったらいいのだろうか、そう思うと生きていることが無意味に思えてきます。

  • 腕を使い、足を使いして活動できないのに、生きている値打ちはないのではないか、そう思うと、自殺するのが一番良い解決法かもしれない、そんな問題に遭遇します。地域で生き生きと活動するには
  • その時は、そんなまどろみを「おはようっ!」と、若い看護婦さんが起こしてくれたので助かりました。
  • 「今、大変な時なんだ、まだまだ死んではいけない」。
  • それから色んな経過があって、少しずつ歩くことを覚え、少しずつ歩きながら6ヶ月後に退院いたしました。

  • 退院して家に帰って、びっくり仰天、何にビックリしたかというと、病院の中では、「こんなに自由に歩ける、随分回復したよ」と思っていたのに退院してみると、先ず自分の家の玄関に入るのに段差があって止まります。
  • 家の中は、何処にも段があります。日本の大工さんは、「段を作るのが好きなのだなぁー」と本当に恨めしく思いました。
  • それでも日課の歩行訓練をしようと靴を履いて外に出ます。
  • すると、ここにも段、段です。そして段に加えて坂が入ってきます。
  • 下り、上り、左右の傾斜、この片マヒという後遺症になると、足の長さが違ってくることがあるのです。

  • そんな感じで傾斜があると真っ直ぐに歩けません。道路面より高く設計された歩道では、歩きながら、転落しそうな感じになり、歩くのが怖いのです。

  • これは今でもそんな感じがあります。どうしても低い方に偏って行きます。歩道を自動車が出入りし易いように斜めに切り下げています。
  • 動力で動く自動車には不必要と思うのに、歩道を歩く私たちには困ったことなのです。

  • 地域で生き生きと活動するには こうした物理的バリアが生活環境の中に沢山あります。
  • 商店の中には、自分の店の荷物を歩道にドンドン詰んで、歩道を倉庫代わりに使っている所もありました。
  • 健康であれば30センチの巾があれば通り抜けられるでしょうが、片マヒでは足が大きく外に振り回しますから、そんな狭い所は歩けません。

  • 一番困ったのは、知った人に会った時でした。「おや、どうしましたか?」と、心配して声をかけてくれますので、「ありがとうございます、実は…」と挨拶が出来れば良いのですが、そうは行きません。
  • お臍がすっかりひん曲がっています。何で私ばっかりが、こんな酷い仕打ちを受けるのか。もう、そんな同情なんかしてもらいたくない。
  • 知った人の顔を見るのも厭だ、と、だんだん人に会うのが嫌になって参ります。

  • そうして、何故、この私だけがこんな辛い目に会うのかと、恨みつらみ、被害者意識が盛んに溢れてきますが、誰に言う相手もありません。自然に側に居る家族、特に連れ合いに不満をぶっつけます。
  • 不機嫌になったり、仏頂面をしたりします。そして順調に行けば、寝たきりになって、2年か3年で南無阿弥陀仏になるのでしょう。


 ←2.1人でリハビリに取り組む→

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2、一人でリハビリに取組む
地域で生き生きと活動するには

  • 所がやはり社会が恋しくて、自分の力で社会復帰をやってみようと、負けず嫌いの性格が表に出て参ります。

  • 何をしたかと言うと、写真集を作ったのでした。私が撮り溜めたフイルムを選別して、それを家内が「これは駄目!」とか、「こっちの方が良いよ」、とか篩にかけ、娘は「私、表紙とレイアウトを見てあげる」、と家族の全員が力を合わせて完成させました。

  • そこで良かったなと思ったのは、家族がバラバラでなく一つの目標をもったことです。家族が一つの方向に向いて一つの仕事に取組んだことでした。
  • これは最高に良いことでした。そんなにして自分だけのリハビリで問題を解決しようとしました。この写真集ができると、昔お世話になったりご心配をかけた方々にお礼のつもりで差し上げましたが、そこには「元気ですよ、忘れないでくださいね」、と思いを込めていました。やはり人から忘れられたくないのです。「今は一眠りしていますが、今に再び起きあがります。」こんな想いもありました。

  • そして、「森山さん。こんな写真があるなら渋谷の電力館を借りてあげるから個展を開きなさい」、といってくださったのです。
  • そこで先輩・友人・知人が会場に沢山やって来て「良くやったね、頑張ったね」と、褒めてくれますが、所詮「良かったね」で終りました。
  • どうしても自分自身がもう一歩突っ込まないと、社会復帰のポイントは掴めない感じでした。


 ←3.リハビリの仲間がいた→

3、リハビリの仲間がいた
地域で生き生きと活動するには

  • たまたま、保健婦さんが家に見えて、「森山さん、区役所でリハビリ教室をやっていますから、いらっしゃいませんか」と、誘ってくれました。
  • きっとおとなしい方だったのでしょう。玄関の扉に身を半分隠して、上半身と顔を出しています。そんな控えめな態度がしおらしくも見えました。
  • でもまだ気持ちがイライラしていた時ですから、「いや、そんなもの、参加する気はありません」と、お断りしました。

  • その保健婦さんは又、一週間ほどしてきてくれました。そんなことが2回か3回あったか、扉の影から半分覗いているのを見ると、ここで断ってはいけない、と思い、「分かりました。行きます」と、応えました。
  • その返事を聞いて家内がビックリしました。「ほーっ、本当に出席するのですか?」と、言うことで、私は訓練教室に出るようになりました。

  • そこで、リハビリ教室はいい所ですから皆さんも是非、いらっしゃいと、言えば可愛い爺さんになるのですが、先ず驚いたのは保健婦さんが「チイチイパッパッ歌いまちょうね」でした。
  • 「これ、何だ?保健婦さんは俺達大人を捕まえて、こんな歌を歌わせるが、どういうことだ?」。
  • どうも私たち障害者を一人前の人間としてみていないらしいな。

  • 次に又行くと、血圧を測ってくれていました。
  • いつも麻痺のない腕で血圧は測ってもらっていたので、左の腕を出すと、「違う、そっちの腕を出せ」と言います。
  • 「こっちは麻痺していて伸ばし難いのですが」というと、「お前はお上に逆らうのか!」と一喝されました。
  • 地域で生き生きと活動するには 「へえーっ、横浜のお役所って、何と怖い所か」。未だかつて、何処に行ってもそんな応対をされた体験がなかっただけに、「障害者になると言うことは、こんな差別を受けることなのか。こんな蔑みを受けなければならないのか」と、つくづく酷いと思いました。

  • 厭だったらそこで止めて良かったのに、何か奇妙に心引かれて次にも行きました。すると、「新しい所長がきましたので挨拶します」というではありませんか。この所長は優しい方だったお陰で、私の訓練は順調に進みました。

  • 保健婦さんは一生懸命にチイチイパッパとやってくれます。
  • ふと見ると、鼻の頭にいっぱい汗をかいているではありませんか。
  • 考えてみると「うちの娘くらいの保健婦が、こうやって汗かいて一生懸命に他所の爺さんのためにやってくれている。
  • 少しこちらも考えないといかんな」。そんな熱心な保健婦の姿に心が動かされて真面目に出席しました。
  • いろいろと気づきに恵まれました。所長のところに行って、不満やら不平やら、他に聞いてくれる人も居ないので所長に悩みをぶっつけました。
  • 所長は笑顔を浮かべて「ふん、ふん」と聞いて何も返事をしてくれません。
  • 仕方なく話しては自分で、「とはいうもののこうだな」とか、「それでは何か可笑しいよ」と自分で答えを出していきます。

    地域で生き生きと活動するには
  • そんなにしてリハビリ教室に通って、一番良かったことは、仲間の皆さんと話しが出来たことでした。どうしても今はこんなに話しが出来ますが、その頃はまだ充分に話しが出来ませんでした。

  • 構音障害ということで発音に必要な筋肉が麻痺していました。滑らかに言葉は出ませんから、普通の人と話しをすると相手が厭になって、直ぐ話しの腰を折ったり、その先を話してしまいます。

  • 好意のあることでも、何か馬鹿にされたみたいな気分になります。
  • それが障害者の中ですと、みんな咎めずに聞いてくれるので、自分のペースで話しが出来ます。その内、いろいろな方が色々な話しをしてくれ、「みんな頑張っているな」と感心しながら、大勢の皆さんと交わることを覚えたのです。
  • このリハビリ教室は1年で終了しましたが、元気な仲間で自主グループ「泉睦会」を作ってカラオケに行ったりして、そこで事務局長をしました。小さくても組織である以上、マネージメントが要ります。
  • 会の規約を作ったり名簿を整理したり、左手でワープロを打つ練習をして、みんなの辛い想いを書いてもらって、みんなの会報を作ろうと、2か月に1回、原稿を集めて全部ワープロで整理し、全員でコピーをとったり製本をしたりして会報を作りました。

  • その時に大勢の方から原稿を頂きますが、ある種の障害になると、文章を書いても句読点がない文章を書くのです。
  • 句読点のない文章は、何処で区切って読めば良いのか、漢字があればまだ分かりますが、漢字がない「かな書き」で句読点がないと、2回や3回、読んだくらいでは意味が通じません。でも何を言いたいのだろうか、と思いつつ、まるで暗号を解くつもりで取組みます。
  • するとそこには、切実な思いが溢れてきて、ああ、こんな苦しい想いをして努力しているのか。それを思うと文句も言えないな、と思うこともありました。


 ←4.障害の受容ということ→

4、障害の受容ということ

  • 自主グループのそんな活動をしながら、写真集を作った時に、友愛病院の方から、「森山さんの障害の受容はどうしましたか」と、問われました。
  • 元気にやっているけど、挫折とか障害受容の問題と四つに取組んでいなかったことを意識させられました。その障害受容とは一体、何だろうと考えても解決がつかないまま、2年経ち3年が経って居ました。
  • 色んな参考書を読み、自主グループの活動を続けていました。

  • そんな時に、大田仁史先生の講演会があり、川崎の溝の口に出かけました。
  • その時に先生から、「努力していれば今に良くなるよ」という話しが聞けるかと思ったら、とんでもない。
  • 地域で生き生きと活動するには 明治維新の後で福沢諭吉が「私の一生は、2回の人生を生きた心地がする」、前半の人生は幕府の家臣として咸臨丸に乗ってアメリカに行き、後半の人生は、慶応義塾を作り、外国の文化を積極的に日本に紹介して、文明の旗手として活躍した人生。その2つが全く違った人の人生に思えるというのです。
  • これを伺って、「あっ、これだ!」と思いました。

  • 実は私が生れた町が諭吉にゆかりの中津という町だったのです。
  • 子供の頃から公園に行くと、そこには諭吉がいました。
  • 「人生は一生というけれども、中味はいろいろとあるんだ。森山志郎の人生だって、決して1本ではない。障害のなかった時の会社員森山志郎の人生とは違うけれども障害を持ってからの人生を新しく作っていけば良いのだ」。

  • なるほど、理屈は分かったが、福沢諭吉は語学の力、新しい文明の知識が、明治の時代を指導する武器になった。では、この森山志郎にはどんな武器があるのか。さぁ、これには困りました。

  • 一つには写真が武器にならないか、写真機を持って、鎌倉と花と富士山と入れた写真集を作り出版して、障害のある写真家として再スタートが出来ないか、一生懸命、鎌倉に通いお寺や花を撮りました。鎌倉の歴史を勉強しました。所が1枚の写真を仕上げるにさえ、大変な金額がかかります。それに気がついて、写真はあくまでも趣味の世界に閉じ込め、写真家になる夢は捨てました。

  • 丁度新年の書き初めをした時に、左手に筆を握らせ右手に支えて書くと、形は整うが、何とも弱々しくて頼りない字になるけれど、左手だと、形は手本通りには行かないが力強い字が書けました。
  • 左手だとどうしても右下がりになります。それをリハビリ教室の師匠に見せたら、「左手だから、隷書を勉強してみるか」、と隷書を教えてもらうことになりました。
  • それからお手本で隷書の勉強を始め、お手本を見て1日に3時間、6ヶ月続けました。これは「入門500時間訓練」といわれる訓練方法を自分にやってみたのです。
  • これは合理化で新しい技能を必要とする社員に新しい技能を修得してもらうのに、500時間の集中訓練をすれば良いという、一つの定説がありましたから、それを自分に応用したものです。500時間となると1日に3時間は筆を持つと1ヶ月90時間ですから6ヶ月やる必要がありました。

  • たまたま秋の区民文化祭があった時に、師匠の手本でこの、「弄花香満衣」を出品しました。地域で生き生きと活動するには そして恐る恐るその作品の前に立って見ました。
  • 作品は堂々と胸を張っていました。その姿を見て私の両方の肩から、ストーンと力みが消えました。

  • 6ヶ月訓練すればある程度の水準になるのです。何も左手で書く障害者ですと、断る必要はない。
  • それまでは、障害があるけれど健常者には負けないぞっ!と、健常者に負けるか、という意識が強かったのです。

  • 地域で生き生きと活動するには でも、この作品を見て、左手を訓練していけば、色んなことが出来る、社会に役に立つ役割を果せることが出来ると信じることが出来たのです。そう思ったら、肩の荷がすーっと軽くなりました。

  • 私の右手や右足は障害があるので旨く使えませんが、左手を使ってこれだけ出来ます、と胸を張ってやっていけることもできます。障害があることは少しも恥ずかしいことではありませんが、障害は自分から切り離すことは出来ないのです。
  • この障害を前提にして、どう生きていくかを考えなければならないのに、障害を直そうと思った時期がありました。
  • この障害を直してみせると全くの心得違いをしていたものです。
  • 切断された手足が生えてこないのと同じで、回復しないのが障害なのです。

  • 回復しないのが障害なのに、障害を直すということは、それ自体が矛盾した言葉の使い方なのです。最初の6ヶ月くらいは良くなりますから、そこで残されたのが障害になるのでしょう。6ヶ月経って残った障害が、10年経っても残るかと言えば、随分と良くなりますが基本的に変わりません。
  • その頃は手の自由も利かなかったし、これだけ長く立って居ることも大変でした。恐らく肩の落ち方も激しかったでしょう。
  • それが10年の生活の中で回復して参ります。良くなっているのですが、治っている訳ではありません。
  • 地域で生き生きと活動するには 障害に慣れて、障害を持って生きる形が出来ているのであって、それは決して障害が治ってきているのではありません。
  • 障害は依然として、障害として残っています。

  • その障害を持ちながら人生を生きる手だてが身について来るのです。自分にある障害を自分のものとして、どうやって邪魔物にしなくて自分と一緒にやって行くか。

  • リハビリというと、リハビリをして良くなる、リハビリをして元どおりになる、そんな言葉が、リハビリの迷路に誘い込みます。

  • これは本当に迷路です。リハビリの迷路は深刻で、もう直ぐ手が届くと思って期待しても、すっと逃げてしまったり、ここまで来たのだからもうすぐだと思っても、そこから路が横にそれて目標に遠ざかる。
  • 6ヶ月経った時に残った障害と、どう言う風に付き合っていくか、これを持ちながら生きていくことを考えることがリハビリの本来の問題と思います。


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5、ADLとQOL

  • 「ADLとかQOL」いう言葉を聞かれた方は多いと思います。
  • Activity=行動、Daily=毎日の、Living=生活、これは普通は、日本語では、「日常の生活動作」と訳されています。
  • 朝起きて着替えをし、食事をしてトイレを使う、そんな一日の生活をするのに必要な能力、これを身につけることを、始めは教えて貰わないと出来ません。

  • 左手で食事をするのに、お茶碗を手前に近づけておかないと箸の先からこぼすから手前に置く、洋服を着替える時に、シャツはこんな風にして着ると、旨く着ることが出来る、一度、要領を知ったら、後は毎日の訓練でなれていくだけのことです。このADLといわれるものは、一度理屈を教えてもらったら、毎日の繰り返し訓練で慣れるのです。

  • 「リハビリだ、リハビリだ」、とおっしゃる方の多くの方々、「今日も病院に行って、先生にリハビリをやって貰って気持ち良くなったよ」、という方は、このADLをリハビリの全てだと勘違いしているようです。
  • この領域は、自分が如何に慣れて生活できるか、私も考えてみれば、退院して1年もすれば、日常の生活の中で実行して心身を慣らしていくことが大事でした。

  • 地域で生き生きと活動するには 次の問題はQOLといわれる領域です。「Quality of Life」の略で、「人生の質」と通常は訳されています。その人その人の、「生きざま」でもあります。障害を持ちながら、どんな人生を送るかと言うことは、誰にでも生じる選択なのです。
  • こんな障害があるけれど、それを前提にして、どう生きようか、これを本来の、リハビリの中心課題として考えていきたいのです。

  • 兎に角、人に会うのが嫌い、だから家の中に閉じこもって、奥さんにばかり文句を言う生活からは、QOLは生れません。
  • 自分の人生には、折角豊かに生きられる可能性があるのに、その芽を摘み取るのです。これは勿体無いことです。
  • そこを一歩踏み出して、豊かな人生を作るための、工夫をしてください。

  • その第一歩は、「孤立」をしないことです。
  • 孤独にならないことです。仲間と話し合うことです。
  • この仲間と話すということは、自分の鏡を見るようなものと思ってください。

  • 私が風呂から上がりますと、姿見の前に立つのです。すると始めの内は、体がこんなに傾いでいるのに気がつかないことを教えられます。そんなに傾いているのに自分では、気がつかないのです。自分では真っ直ぐ立って居る積もりなのです。自分の体の感じが「真っ直ぐだよ」と、いっているのに、それが鏡に映してみると違うのです。

  • 「こんな感じが真っ直ぐなのか」、と体が感じを覚えてくれます。
  • でも最初の間はわかりませんから、鏡が必要なのです。
  • 爪先を揃えて立ったつもりでも、右足が開いてしまいます。ここで鏡を見て、これくらいの感じが真っ直ぐなんだ、ということを知らないと分かりません。

  • この鏡を見ることと同じことが、同病の仲間の方とふれあうことで、相手の姿の中に自分が見られるのです。「あんなに頑張っているが、お手本にしたいな」とか、良い話しが沢山聞くことが出来ます。
  • 特にADLを卒業して、関心がQOLに移った場合には、自分の、どんな特技を生かすか、まさにそこでは、自分に残された技術、自分に残された能力、これをどうやって掘り出すか。

  • 地域で生き生きと活動するには 私の場合、お習字が左手で出来る、何だって、やれば出来る、でも、「お前、何が出来るか」となると、病気をする前に勉強したことや、障害という特徴のある体験をベースにして、それをどう克服したか。もう一度自分に残された能力を使って、生きていけると思った時に、この「歩けた!手が動いた」という本を書きました。
  • 7000部作りましたが、お陰で今は、15冊の在庫になりました。

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10.細川先生の詩から
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 ←6.地域社会との関わり→

6、地域社会との関わり

  • 私たちが地域社会の中で生きていることを話しておきたいと思います。
  • 最初に障害者になって、いろいろと考えた時に、障害者という、共通のもので広い範囲に、多くの連帯を作り、色んな問題を解決していく、そんな横の広がりを中心において考えていました。

  • 所が、阪神の大震災がありました。現場でボランティア活動をした保健婦さんに来てもらって、こんな震災の時に、私たち障害者はどんな援助をしてもらいますか、と質問しました。

  • 障害者の所在地が分かっておるから、救援隊が直ぐ駈けつけてくれるだろうと思っていたからでした。「とてもとても、そんなこと出来る状況ではありません」と、一笑に付されました。そうか、そんな災害の時は、隣の人が声をかけてくれないと、下に埋まっていても、誰も助けてくれないのか、困ったことだな、やはり、自分の生活する地域の中で、「あそこに足の悪い爺さんがいるよ」、と、知って貰わなければいけません。

  • そう思って以来、活動の重点を地域に移しました。その活動の中で、自治会を幾つか集めた連合自治会という組織があります。その連合自治会の単位で、リハビリ教室を作っています。

  • もう、昔みたいに親方日の丸という訳に参りませんから、皆から資金を集めて、活動計画を作って、保健婦さんに知恵を借りながら行事を自主的に決めて実行しています。その中に地域の民生委員さんとか、地区社協とか、そんな地域社会の方々にどんどん入ってもらい、ボランティアさんも地域社会の方です。
  • この地域には、こんな方々がいるんだ、と名乗り上げている最中です。


 ←7.心に障害がなければ→

7.心に障害がなければ 地域で生き生きと活動するには

  • 一方、10年間、事務局長をやった、泉睦会のような組織は、リハビリ教室はとっくに卒業して、リハビリではなく、障害があって、手足が多少不自由な人の集まりになっています。

  • 障害はあるけれど、それをあまり苦にしない人や、障害者だと言う人もありますから、一概には言えませんが、もう障害があっても、心に障害がなければ、多少手足が不自由な一人の人間としてやって行く自信を持って活動しています。その延長線上に社会復帰がありますし、同時平行して社会復帰している方もあります。

  • 病院に入院している間や、退院した頃は、熱心にADLを覚える。
  • それが済んだらQOLに目が向きます。そのQOLの最高の水準は社会復帰、中でも、病気をする前の原職に復帰するテーマがあります。
  • でも、年齢等の制約がありますから、それ以外に社会人として社会に復帰する。
  • 社会人としてですから私のような年寄りは、自治会の仕事、はじめは細々した仕事で、今は交通安全対策部長です。

  • そして区民会議では福祉部会長と、地域社会と一体となった活動を中心に進めています。金沢区の皆様も、そんな連合町内会程度の広さがあると、手ごろな人数も集まりますので、是非こんな自主グループを作って欲しいとおもいます。

  • これは社会復帰の活動の一つとして、直接、職場には戻れないが、こういう社会復帰の状態もあるのだと、お互いの障害を認め合って、無理のない活動をしていく。その中で発見があり、自分の機能が回復していくこともある。自分の能力に目覚めることもある。色んな可能性があります。
  • 地域で生き生きと活動するには そんな時の武器として、今朝も泉区の区役所で社協と相談してきました。
  • それは、「魔法の一本針」という編み物技術の講習会のことです。
  • これを使うと、悪い手に針をもたせて仕事をします。
  • そしてこれを通じて、「私にも、何かが出来る」という自覚、これが自信の回復につながります。

  • 「私は何も出来ない」という所から、「私にだって、これが出来る」このことを大事にして下さい。どんな小さなことでも、この「出来る」と言うことは、無限の可能性を開くのです。麻痺の手にだって、針を持たせて編み物が出来れば、私にだって、マフラーが編めたのだから、今度はあれをやってみよう、と広がって参ります。


 ←8.男性の悩み→

8.男性の悩み

  • 主婦の場合には、家事の世界があります。ここでは、色んな応用問題が出て参ります。洗濯物を干す時にでも、高い所に両手を挙げて物は干せない、じゃぁ、どうするか、低い所で広げて干して、それを高い所に挙げたら良いじゃないか。色んな工夫があります。障害を持って生きるためには、工夫がどうしても必要になります。
  • 女性の場合は、今申したように、家庭の中に工夫のテーマが沢山あるのです。お台所で、片手でお茶碗を洗うにはどうしたら良いか、これも工夫です。片手で生きるためにはどうしたら良いか、色んな工夫が求められます。

  • ところが、男性は家庭の中に仕事がありません。男性は職場に行かないと、することがないのです。これはもう困ったものです。では職場に行けるかというと、仲々行けない。することがない、では「濡れ落ち葉」になってしまう。これは何とかしなければ、と思いました。毎日、靴を履いて家を出る事、出ていった先では障害を理解している人が応対してくれる、何か出来る仕事をする。
  • 地域で生き生きと活動するには この仕事は10個5円の単純作業をすることだけが仕事ではありません。
  • 絵を描くことだって、文章を書くことだって、パソコン使っても、自分の能力を活用することは全部仕事なのです。
  • 私もそんな仕事をしていますが、文章を書いたり、お話をすることを仕事にしております。そんな世界も是非大事にして、これは私の仕事なんだ、と他のことは出来ないが、これなら出来るもの自分で見つけて下さい。

  • 自分の体験した失敗談が参考になる、自分のリハビリは皆さんに話しを聞いて貰うことで役に立つのです。
  • 問題は私が職場に行けないで、家庭に居って「濡れ落ち葉」になるといわれた時。

  • この「濡れ落ち葉論」を展開していた樋口恵子先生は、テレビを見ていても、悔しくて腹立たしくて、切歯扼腕、歯がゆくて歯がゆくて、テレビをぶち壊したい思いでした。

  • 何を今更「濡れ落ち葉」とは何たる物言いか、と憤慨したものの、ほんとうにべったりと嫁さんのスカートの端を掴んで離れない実像を反省すると、「濡れ落ち葉」といわれても仕方ないのかと思いました。「濡れ落ち葉」にならないためには、自立しなければなりません。
  • 自立の道は沢山あると思うけれど、一つは仲間と一緒に何かをやることです。何でも良い。私も数年前、数人の仲間と、東京の有明の国際展示場が借りられたので、何かをしようとなったのです。そして「バリアフリー」について展示することになりました。次の土曜日に集まってパネルを作ろうとなりました。

    地域で生き生きと活動するには
  • バリアフリーならそれは段差だろうと、階段で悩むことをテーマにと考えていたら、色んな人から、「目の悪い人には信号の色が分かり難いバリアだ」とか、手の力が衰えた人には、缶ビールの蓋が開けられないとか、色んなバリアが出てきました。簡単にバリアフリーと考えていたけれど、こんなにあるのかと、驚きました。

  • ですから、この金沢区の障害者の皆さんが、金沢区におけるバリアフリーについて、というテーマで考えたら、一人は、「八景の駅にはエレベーターもエスカレーターもないから利用に困る」、という意見も出るでしょうし、色んな方から、「あの改札口の広さでは車椅子でとおれない」とか、「運賃の表示が小さくて見え難い」とか、「文庫の駅前は車で危険だ」とか、様々な問題点が出てきます。

  • 問題を出すことも一つの効果ですから、皆で作業することが、大きい仕事になります。地域で生き生きと活動するには こういう、障害者が一緒に生きている、子どもも年寄りも一緒に生活している金沢の街、こんなテーマでこの街を見直しても問題は出てきます。きっと、子どもの保育園の問題、高齢者が高齢社会を迎えて、どれだけ孤立しているかという問題等が出てくるでしょう。

  • でもこんな席に出てこられた限り、そんな皆さんは、自分が障害があっても、障害を前提にして生きて行くという意志をお持ちだと思うので、是非皆さん方が中心になって、外に出られない障害者のために、いろいろな力を貸してあげて欲しいのです。

  • 孤立する、孤独であると言うことが、人を殺す一番良い方法なのです。最も早く人を駄目にするには、その人を無視して孤立させることです。そうすると大抵の人は、何ヶ月かで、もう廃人に近くなります。
  • これがお年寄りだと、「ぼけ」が始まります。誰からも反応がない。自分でも仕様ないと思っているのです。

  • 実は、人間の体と精神には「廃用症候群」という現象があります。非常に元気なお婆ちゃんから、家事の仕事、ご飯の仕事を取り上げてご覧なさい。3週間位で「ボケ」が始まります。これは頭を使わなくて済むからです。

  • 親切なお嫁さんというのは、そんなにしておばあちゃんを早く「ボケ」にする。余り親切でなく、いつも喧嘩していると、おばあちゃんも、「この嫁に負けてたまるか」と、ぼけずに済みます。

  • 早くぼけさせるには、上げ膳、据膳で何もさせない、それと同じで、障害者も早く「ボケ」させようと思ったら、「何もしなくて良いよ、全部してあげる」と、なんでも「はい、はい」と優しい奥さんになると良いですね。

  • うんと意地悪のお嫁さんだと一生懸命に自分のことはする、これもどんなお嫁さんが良いのか、優しいお嫁さん、少々意地の悪いお嫁さん、廃用症候群という立場から見ると、余り優しいのは考え物かも知れません。


 ←9.好きなこと、やってみましょう→

9.好きなこと、やって見ましょう

  • とにかく自分で何かをやること、やって大脳を活性化すること、手や足を使うと言うことは、即、大脳に響きますから、手や足を使う事、使えば使うほど、減る物ではありませんから、減らずに活性化します。地域で生き生きと活動するには
  • 活性化すると生き生きしてきます。それが何もしないでいると、段々、知能はなくなるし、筋肉は衰えて歩けなくなるし、歩けなくなると今度は寝たきりになります。

  • ここまで来ると、あの世はもうすぐ、「行ってらっしゃーい」になります。
  • ですから出来るだけ頭を使う仕事をして下さい。そんな仕事がなければみんな集まって、今日はみんなで歌を歌おう、でも良い、何か自分でやりたいと思うことをすること、金沢文庫の歴史を調べたから、みんなで聞いてくれ、これも良い。一山越えて、鎌倉の花回りをしても良い。何でも良いのです。そんなテーマを持ちよって、「ワイワイガヤガヤ」で、「みんな、何か、やろうじゃないか」、ぼけないためにもやりましょう。

  • 奥さん方や連れ合いの方は、ぼけさせないためにも、こんな集まりには、尻を引っぱたいても出してあげて下さい。
  • そこでみんなとワイワイガヤガヤと集まりながら、自分で何を掴むか、自分で何に気がつくか、大勢の仲間の「生きざま」から、何を発見されるか。

  • その方がもっている、感応するものに応じて受け取るとおもいます。
  • これは感受性の強弱、いろんな経験の差、等で違ってきます。
  • でも、どんなにやる気がなくなったって、障害の部位によっては「やる気」が出ないといいますが、人間には可能性があります。


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10.細川先生の詩から

  • 地域で生き生きと活動するには 東大の細川先生とおっしゃる方の 「アンプリファイアー(増幅器)」 という詩を紹介します。

  • これは障害を持ったり、病気をした時には、人の心というものは、非常に傷付き易くなって、感じ易くなっている、ご自分が障害を持っている方は、ああ、私はこんなに傷付き易くなっているのかなぁ、あるいは家族や周囲の方は、「そんなになっているのか」と思って下さい。(朗読) 



  • アンプリファイアー(増幅器)  細川 宏
    • 病気
    • それは心のアンプリファイアーだ
    • 苦痛、寒暖、快不快、悲哀、歓喜、
    • 静寂、騒音、美醜、善悪、真贋 etc
    • もろもろの心理現象図形が
    • プラスの方向にもマイナスの方向にも
    • はっきり増幅され
    • 際立った映像を病者の心に結ぶ

  • 僅かな好意に涙が出るほど、嬉しかったり、一寸した意地悪に悲しくなったりすることがあります。そんなに敏感になっているのだから、こんな所で負けてはいけないよ―と、言うことも同時に読み取って欲しいのです。

  • 社会一般の人は、こんなことは感じないだろうな、だが私はこれを感じる、詩人というものは昔から、他の人が感じないことに鋭く反応していたのでそんな詩人と同じ位に、障害を受けた皆さんは感受性が強くなっているのです。
  • 感受性があまり強くなり過ぎると、生き辛いことになります。これは自分で心して欲しいと思います。

  • 次に「病苦と心」という詩があります。(朗読) 

  • 病苦と心   細川 宏
    • 病苦は
    • 人の心を耕す「すき」である
    • 平板に踏み固まれた心の土壌を
    • 病苦は深く深くほりおこし
    • ゆたかな水分と肥料を加えて みずみずしく肥沃な土壌にかえる
    • 「深く」「肥沃に」をモットーにして 地域で生き生きと活動するには
    • 病苦に耕された人の心は
    • よわよわしく軟らかいが
    • 柔軟にしなう強靭さを持っている
    • そして色々な物を生み出す豊かさと
    • 謙虚にものを見、「美しきもの」を讃嘆し
    • 事の真贋を見ぬき
    • すなおな喜びと悲しみに感動する
    • 深い深い苦痛の中にある
    • 一種清浄なさわやかさ
    • 自然が病苦に与える
    • せめてもの代償なのであろうか

  • 固い心を軟らかく掘り下げていく、こんなに深く掘り下げ軟らかくなった心は、上手に使っていけば、色んな良いものが出てきます。

  • 会社員として仕事をしていた時代には、なるべく感動しないように心を平板に踏み固めていました。ちょっとやそこらでは、心は動かないようにしてきたのです。でも病気をしたお陰で、柔らかくなった代わりに傷付き易くなっています。これは気をつけないとなりません。

  • そこで色々なものを生み出す可能性を生かしていけば、この軟らかい心からは色々な物が生れます。そんな利点もあるのです。
  • 健常者には分からない、豊かな物を生み出せる、心の柔軟さもあるのです。そんなものを一つ生かして、いろいろとやって行けば、自分の新しい可能性が生れてきます。

  • この細川先生は若くて亡くなられたお医者さんですが、ご自分が「ガン」になって、しみじみ思われたのでしょう。
  • 病気をすると確かに本当に気が弱くなるし、でも、そんなに心が軟らかくなって、色んな物が生み出せるだけの、条件が与えられているのです。
  • これは利用しない手はない。そんな柔軟になった心から、色んな能力も生れてくる、金沢区の障害者の皆さんが、何を見つけるか、これはこれからの楽しみです。


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11. 質疑その他

  • 質問) 
    • 自分の意見が述べられない時、なかなか繰り返し発言できないので、すべての問題が表現できないまま終わってしまうことがある。どう処理したら良いか。

  • 回答)
    • 自分の考えが正しく伝えられないことは、はじめの頃は良くあります。腹が立って、悲しくなって、どうしても出てきます。そこで、手振り、身振りででも、何とか伝えたい、言葉が詰まってしまう、これはなれること、言葉のコミュニケーションは、数多く話しをすること。そのためには、仲間と遠慮のない所で、どんどん話すこと。これは努力して話さないと、だんだん、口はねまって開かないくらいになってしまいますから、出来るだけ喋る場所と相手を確保して下さい。

    • 中には、話しが止まらない症候群の人もあります。自己紹介して、趣味を伝え、病歴を伝え、2人3人と仲間の輪を広げて下さい。その仲間の中に何時までも居たのでは駄目ですから、そこでコミュニケーションが出来るようになったら、もう一段、場所を広げて下さい。

    • 所で一方、私たちは年を取って参りますから、じっとしていると、どんどん退化します。退化しないように一生懸命に努力もする、そして、人生を考えて行く、大変といえば大変なのですが、そうこうして、昨年は出来なかったことが、「今年は出来た!」、諦めていたことが「出来た!」、という小さな成功を認めて、仲間と共に喜び合って下さい。この成功は大変な薬になって参ります。

  • 妻の立場から
    • 森山です。主人が「したい」といったことは、なるべく可能にするようにしていました。ですから、「できないんじゃないかな」と思う時も、「どうしたら、可能になるか」と、考えて助けて行きました。
    • でも、そればかりでは私も疲れてしまって、苛めたくなります。その時は、「ここまではするけれど、自分の人生も生きている」と思って、主人のしたいことは、廃用症候群を予防するつもりで、主人に任せ、私は私の活動をします。

      地域で生き生きと活動するには
    • 今丁度、区役所から、介護者の会をつくってくれないか、と頼まれました。主人と同じような方向を向いて生きて行けたら、それも良いなと思って、私は私なりに介護者をサポートする活動を勝手にしています。ですから主人が一人で家に居たり、家事をしたりします。
    • 今は私が忙しいので、主人がお茶碗を洗ったり、色んなことをします。
    • 昔は「男子、厨房に入るべからず」で、お台所に入ることはありませんでしたが、この頃は大いに助けてもらっています。

  • 会場から
    • 今日の研修会の感想は、短時間なのに内容は倍以上のものがありました。又、普段私たちが思っていることを、忌憚なく、要領よく、説明してくれて感動しました。特に私が思ったことは、「心は障害者ではない」ということ、地域社会で活動中ということ、奥様も一生懸命に語られて感動するばかりです。

    • 最後の、樋口先生の「濡れ落ち葉になるな」は、私たち何時も胸の中にしっかり置いて、私たちも地域社会に出来ることをお手伝いしたい気持ちで一杯です。簡単に感想を述べます。

  • リハビリは「愛」ということ地域で生き生きと活動するには
    • リハビリは愛である、リハビリはご自分の人生に対する愛、自己実現をしたい欲求に対する愛、これが根本にあります。
    • 自分を大事に思わない人は、リハビリは難しいかもしれません。

    • 2番目に、パートナーに対する愛があります。日本人は、愛というと、すぐ男女のベタベタした形を考えますが、お互いに自分の人生を賭けた相手に対する、その人生を賭けられた側として、応える責任があります。
    • 人生を賭けてくれた人には、きちんと答える要がこの愛でしょう。

    • 地域で生き生きと活動するには 3番目に、自分が勝手に生んだ子どもがあります。子どもにしてみれば、「誰が生んでくれと頼んだか、親が勝手に産んでおいて」この子どもが一人前に社会に出るまでは親としての愛が必要です。
    • 自分自身の人生に対する愛、自分のパートナーに対する愛、家族に対する愛、そんなことを考えると、「リハビリは愛である」、仲々良い言葉だと思います。

    • 今日は長時間、ありがとうございました。

    • 以上

金沢区福祉保健サービス課主催 講演会

平成13年5月29日 「生き生きセンター金沢」
片マヒ自立研究会主宰  森山 志郎

1.失敗の多かった私
2.一人でリハビリに取り組む
3.リハビリの仲間がいた
4.障害の受容ということ
5.ADLとQOL
6.地域社会との関わり
7.心に障害がなければ
8.男性の悩み
9.好きなこと、やって見ましょう
10.細川先生の詩から
11.質疑その他
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