脳梗塞リハビリ体験記

2.リハビリ体験記

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①.「脳梗塞」リハビリ体験記

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 A.「脳梗塞」リハビリ体験記
 B.妻と共に このリハビリの一年間を振り返って
 C.病に倒れて、学び得たもの 「シニア時代」に繋がる不安
 D.「生活再建チーム」と「家族の介護のこころ」
 ↓A.「脳梗塞」リハビリ体験記↓
 【1.突然の「脳梗塞」】  【2.リハビリへの決意を固めた思想】  【3.予兆は有った!】
 【4.入院した都立府立病院】  【5.脳血管障害の後遺症】
 【6.私のリハビリ6年の成果;平成20年4月2日】
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  • A .脳梗塞リハビリ体験記

    1.突然の脳梗塞
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    • 『僕は今、脳梗塞進行中だね。

    • 『誰がですか?』

    • 『僕だよ。』

    • 『脳の病気って大変じゃないですか。病院に行きましょうよ!』

    • 平成14年6月27日午前6時20分。

    • 私が、株主総会出席の為の車の中の社員との会話である。
    • その前日、会社生活最後の夜の食事会で、少しのお酒で酔い、家路に向かうタクシーの中で、吊り革から左手がストンと落ちた。
    • 酔いのせいと思ったが、タクシーを降りると、足が玄関の反対の右の方に向ってしまう。それも酔いのせいと思い、自室でそのまま眠ってしまった。

    • 朝5時に目が覚めた。今日が会社生活最後の日。感慨をもって立ち上がった。
    • ステンと転んだ。<おかしいなぁ>と思い、正座をし、シコを踏んだが痛みはない。
    • しかし、足に力が入らない。
    • 階下の居間で、妻に言った。
    • 『見てくれないか。足がおかしいんだ。』
    • 『何か変ね。病院に行って下さいね。出来たら大きい病院へ行ってくださいね。』
    • 『うん。わかった。株主総会が終わったら、午後行ってくるから。』
    • そのまま車に乗り込んで、会社へ向かった。

    • 『株主総会終わったら病院へ行くから、このまま会社へ行ってくれないか。』
    • 私は、部下に指示した。
    • 『でも、脳の病気だったら大変です。早い方がいいですよ。まだ時間も早いし、応急手当ができるかもしれませんから。』
    • 私は、左半身にジーンと痺れを感じ、左指に持っていた煙火がポロリと落ちた。
    • 部下は、もう私の了解もなく、都立府中病院へ向って、高速道路を下りていた。
    • 自分の足で、病院の中へ歩いて入った。
    • 部下が、事情を説明している間、ソファーで待っていたが、看護師が車椅子を持ってきてくれた。CTを撮るという。長く待たされた。

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    • CTの現像ができた頃、私は医師に呼ばれた。
    • 問診のあとに、医師が言われた。

    • 『CTには、まだ痕跡が出ていません。MRI撮影をしたいと思います。』

    • 『先生、これ脳梗塞じゃないのですか?』

    • 『わかりません。では外で待っていて下さい。』

    • MRIの撮影には、他の先生の了解が必要だという。
    • カーテンの奥から、先生の大きな声が聞こえた。

    • 『脳梗塞の患者がいます。MRIの許可をお願いしたいのですが!』

    • 私は、「脳梗塞の患者」ということばを、遠くに聞いていた。

      長い時間待った。

    • 妻が、真っ青な顔で駆けつけたが、私の座っている姿と話すことばに安心したようであった。
    • しかし、痛みはないが、車椅子の中で痺れて動かなくなって行く左半身に、株主総会への出席の許可が出ないのを感じていた。
    • 幹部一人を残して、株主総会へ出席のため、他の社員は会社へ向うことを指示した。MRIの診断の結果、その映像を基に『右の脳に梗塞が見られ、運動神経を直撃しています。左に麻痺が残るでしょう。』という説明をされた後、明るい言葉で次のように付け加えられた。

    • 『リハビリでどこまで回復するかですが、頑張って下さい!』

    • 医師の明るい言葉に影響されたかも知れないが、何故か全く不安感はなかった。
    • それは、脳梗塞の知識も全く無かったし、リハビリの大変さも知らなかったし痛み等の異常が全く無かったことで、楽観視出来たのかもしれない。

    • ベッドに横になった時、本当に驚いた。左半身が、全く反応をしなくなっていた。
    • 左に倒れたら全く起き上れない。1週間は点滴だけの生活であった。

    • しかし、事の重大さを感ずることもなく、痛みも全く無かったこともあり、1週間や10日間で退院でき、元に戻ると錯覚をしていた。

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  • 2.リハビリへの決意を固めた思想

    • 多くの人達の見舞を受けたが、すぐ治ると思っていた私は、むしろ心配そうな人達を反対に強く励ましていた。

    • 友人の見舞いの品の中には、脳梗塞体験者である
    • 神渡 良平 氏の 「人は何によって輝くのか」  (PHP研究所発行) があった。
    • ―リハビリに励み再起を願う(同著17~18ページ) ―のタイトルで次のように述べられていた。

    • そんなとき、かつての大学教授の話を思い出した。私は大学紛争に巻き込まれ、中途で挫折して医者にはなれなかったのだが、その昔は 医学生として勉強していた。そのころの記憶が甦ったのだ。

    • 「脳溢血、脳梗塞、くも膜下出血などの脳障害は、壊死した部位によって言語障害、記憶喪失、運動麻痺などさまざまな障害が現れる。
    • 内臓疾患の場合は手術して悪い部分を切り取れば回復は可能だが、脳の場合はメスを入れることはできない。そのかわり機能回復には一つだけ方法がある。それがリハビリだ。
    • 悪くなったところをかばうのではなく、そこをいつも動かして脳に刺激を与え続ければ、壊死した脳細胞はどうにもならないけれども、周辺の脳にある程度までは代替機能を得させることができる。
    • リハビリは早ければ早いほどいい。
    • 症状が安定する前に代替機能をつけさせることが大事だ」

    • そこで私はリハビリに励んで、社会復帰まで漕ぎ着けようと決意した。
    • <もう一度歩けるようになって社会復帰を果たし、人生に再度挑戦したい。そして今度は自分や家族を食べさせるだけでなく、人々に「良いことをやってくれた。ありがとう」と少しは喜んでいただけるようなことをしたい>

    • そこで歩行器にすがって立ち上がり、病室から廊下に出て、歩く練習を始めた。
    • 麻痺して動かない右足を左手で持ち上げて前に運び、そこに体重を掛けて移動する。健康な人の足であれば一分もかからない距離なのだが、私は半日かかってももう一方の端まで行き着くことはできなかった。

    • そうこうするうちに、担当の先生が飛んで来た。「やめてほしい」というのだ。
    • 「せっかくここまで良くなっているのだから、もうちょっと待ってほしい。ここで無茶をやってつまずいて倒れ、脳内出血でもおこしたら、一巻の終わりです。
    • リハビリはリハビリ室に行って、インストラクターがいるところでやってほしい」

    • でも私は反論した。必死だった。

    • 「大事にしてくださるのはありがたいのですが、大事にし過ぎたために回復が遅れ、もし車イス止まりになるとしたら、ぼくは死んでも死に切れません。多少のリスクがあっても構いません。社会復帰を果たして、もう一度人生をやりなおしたいのです。どうか見て見ぬ振りをして下さい」こうして何とか許可を取り付け、歩く練習を続けた。‥ 以上「人は何によって輝くのか」より

    • この文章の中で、リハビリによって壞死した脳細胞に代って、周辺の脳に代替機能を得させる事ができるということを知った。

    • リハビリは、早いほど効果があるという。
    • 私は、大変な勇気を得て、リハビリへの決意を深めて行った。

    • その後、何冊かの本を調べてみると、働いている脳細胞は10%程度であり、遊んでいる脳を代替機能として、どう働かせるかがリハビリであることを確認した。
    • 辛いリハビリを通してしか、代替機能を覚えさせることはできない。
    • 脳の代替機能という人間の生命の限りない可能性と共に、人は結局、自らの力でしか、人生を切り開けない峻厳な事実を知った。

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  • 3.予兆は有った!

    • 私は、「糖尿病」で入院したことがあった。
    • 「脳梗塞発症」の7年前、50歳の時に1か月の入院で有った。
    • 当時は、血糖値が高く、疲労困憊の上での入院で有った。
    • 非常に医者にも脅かされ、退院当時は、生活にも気を配っていたが、いつの間にか、日常の多忙に忙殺されていた。
    • 多方面の企業経営の兼務という事実の中で、生きる活力を感じていた気がする。

      • ① 日頃、忙しくて睡眠不足で、血圧が多少高めではあった。

      • ② 講演をしている中で、途中で声が出ないことが何回かあった。

      • ③ 名古屋駅で、特急電車に乗ろうと走った時、何でもない段差に躓いて倒れたことが2回
        • ほどあった。

      • ④ 異常なほどの喉の渇きを感じる時があり、「糖尿病の症状である認識」を持っていた
        • が、医者に行けば即入院ということで、問題山積の仕事から離れられないと考えていた。

      • ⑤ 会社生活最後となった株主総会へ向かう 車の中で、吊り皮から左手がストンと落ち、
        • 左半身の急激な「しびれ」を感じた時、車に同乗していた部下に「脳梗塞進行中だね。僕が…」と言えたのも、以前の「糖尿病入院」で聞かされた合併症のことが記憶に残っていたものと思われる。

        • 医者から妻が説明を受けたところによると、「脳梗塞の中の、脳塞栓か脳血栓のいずれかの可能性が高い。運動神経を直撃しているので、後遺症は残るであろうと 告げられた。

        • 前日は、早めに家で横になっていたことや、朝一番で、病院へ行けたことなどで、救急処置が早くとられ、脳の梗塞の拡大を最小限に抑えることが出来た点は不幸中の幸であった。

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  • 4.入院した都立府中病院

    • 私が入院した都立府中病院は都心にあって、「神経内科」「脳神経外科」があり、リハビリについても長い歴史のある病院であった。

    • この病院が、会社への通勤道路に隣接していたことが、非常にラッキーなことであった。
    • 大きな2階の病棟の上の3階が、これまた広いリハビリ専用になっていた。
    • そこにリハビリ施設が完備している。いわゆる理学療法室、作業療法室、言語療法室、それに筋力トレーニング室があり、ケガをしたスポーツ選手がリハビリに来ていた。
    • 脳卒中患者にとって、どのような病院と医療関係者と出会うかは、その後の人生にとって、計り知れない影響がある。

    • 私は、何よりも、理学療法士や作業療法士の質の高い指導を受けたことで、その後のリハビリに大きな成果を得ることに繋がっていった。


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  • 5.脳血管障害の後遺症

    • 脳血管障害には、壞死した脳神経細胞の部位によって、色々な後遺症が起こる。壞死した部位によって、各人の後遺症の差が生れるが、共通する障害後遺症があり、私の場合、1年後次のような後遺症が残った。

  • 1: 機能障害

    • ① 入院当初は、左手が、ブラリと下がったままで、左足もピクリとも動かず、左に傾れると起
      • き上がれない状態であった。

    • ② 約1年のリハビリを経て、ほぼ歩くことはできるが、足首の力などはまだ不充分である。
      • 左手は硬直しがちで、生活は右手の補助は出来ていない。

  • 2: 体調不良障害

    • ① 一年経過しても左半身が、顔面から舌、手、足の先まで、ジーンと麻痺している。

    • ② 発病後七ヶ月位まで力のない腕が垂れ下がったままで、その重みで左肩が亜脱臼を起こし、
      • 強烈な痛みが一日中続いた。
      • しかし、その痛みの原因は、全くわからず、病院は張り薬を支給してくれるだけであった。今は
      • ほぼ痛みがない。

    • ③ また、目の視野が狭まり、目の乾きによる痛みと視力の低下を起こした。

    • ④ 身体は疲れやすく、疲れの回復が遅い。常に身体は鉛のように重い。これらの一連の後遺症
      • は、1年でかなり改善したものもあり、どうにか不便ながらも通常の生活もできるようになった。

  • 3: 精神後遺症

    • ① 突如としての半身不随状況を受け入れられず、将来への不安、家族への迷惑、自分の過去の
      • 清算をできない心などが入り乱れ、自分という存在の誇りの喪失が、強烈な圧迫感として心に押し寄せてくる。

    • ② この病を得た8割~9割の人達が必ず死を連想しているという。
      • 精神的後遺症と自分の価値喪失感により死への誘惑が押し寄せるというが、本当にふと死を連想していた。

    • ③ 脳の直撃は、感情線を襲う。時としての怒りなど、自分で自分を信じられないような苛立
      • ちを覚えた。
      • 反対に、悲しみや寂しさなどにも異常な反応を示してしまう。

    • ④ 当初は全く動かなかった手足の回復が、発症後三ヶ月位急激に回復する。そのため、そのま
      • ま元に戻る錯覚をしてしまう。
      • しかし、段々と明らかになるリハビリの成果の遅さは、さらに絶望の心に激痛を与える。これらの後遺症が、私を悩ませた。

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  • 6.私のリハビリ6年の成果;平成20年4月2日

  • 1.障害の程度の変遷

    • ① 左片麻痺1種2級(平成16年1月 / 発症1年6ヶ月後の診断書)

    • ② 腕と手の間接運動筋力が、「消失」しており、ぶら下がっている物体であった。

    • ③ 足も杖を常時使用していた。

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  • 2.発症6年目と当初の比較

    • 発症1年6カ月(平成15年12月)と6年目(平成20年3月)との自己比較を試みた。

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  • この比較表を見ると6年間の改善状況がよく判る。
  • 後遺症は強く残っているが、日常動作はほとんど不自由なく出来るようになった。



  • 3.身体的後遺症で6年目の現在の自覚症状は次のようなものである。

    • ① 左手の拘縮に伴う左足のケイレンが、特に冬季の就寝中に起こる。

    • ② 左半身のしびれが、残っている。顔面のしびれが少し気になる。

    • ③ 歩行に慣れてきたが、つま先や足首の関節に力がない。

    • ④ トイレの感覚が短く、やや不自由さを感じている。   

    • ⑤ 左手は右手の補助的機能しか発揮できない。

    • ⑥ 疲れ易い体質になってしまった。



  • 4.パワーリハビリとウォーキングの実施

    • ① 発症1年目から、総合体育館のトレーニング設備の整っている 施設に通い始めて現在も継
      • 続している。週に3~4回30分程度通っている。

    • ② 器具を使って、病気で弱くなっている筋力を強化することに繋がった。
      • パワーリハビリという(筋力トレーニング)の重要性を感じている。

    • ③ 年齢からくる体力の衰えと、脳卒中のため運動不足による筋力の衰えを補うためにも健常者
      • 以上に筋力UPが必要だと実感している。

    • ④ 勿論、毎日1時間半位のウォーキングは、リハビリの基本中の基本であり、6年目を迎えて
      • も、ほとんど毎日欠かしたことはない。

    • ⑤ 現在採り入れられたパワーリハビリテーションは、老化や器質的障害により低下した身体的
      • ・心理的活動性を回復させ、自立性の向上とQOL (クオリティ・オブ・ライフ)の高い生活への復帰を目指す「老化に対するリハビリテーション」の新しい手法である。

    • ⑥ パワーリハビリテーションは、筋力強化を目的としたプログラムではなく、マシントレーニ
      • ングを軽負荷で行い、全身各部の使っていない筋を動かす。それにより、「すたすたと歩けるようになった」というような動作性・体力の改善、「外出するようになった」といった心理的活動性の改善が得られている。私は、発症当時から、友人の勧めもあって、「筋力アップ」も果たしている。

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 【1.リハビリ開始と生命の感動】  【2.後遺症に悩まされて】
 【3.社会復帰への道と真の友情への出会い】
 【4.「身体障害者手帳の発行」と「重度身体障害者の認定」】
 【5.人生観の徹底見直しと、「障害受容」を見つめて】
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  • B .妻と共に、」このリハビリの一年間を振り返って

  • 1.リハビリ開始と生命の感動

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    • 夫:リハビリ開始は、入院6日目の7月2日で君の誕生日だった。
      • リハビリ開始の日、車椅子で訓練場まで行ったはずだけど覚えていない。

    • 妻:入院後6日目だったけど、リハビリ開始までとても長く感じたわ。
      • でも、リハビリの前に、私の車椅子の使い方の説明からの訓練だったのよ。
      • 私がマスターしないと、二人で車椅子移動もリハビリも許可が出ないのね。

    • 夫:最初は、平行棒での訓練だったね。

    • 妻:足が動かないから、身体で反動つけて、丁度足をぶん投げて運ぶっていう状況だったわ。

    • 夫:食事の時間と毎日の血糖値の血液検査以外は、部屋に戻らなかったね。
      • でも、その間色んな検査があった。
      • 最初1週間か10日で治る錯覚をしていたね。1週間しても全く動かない手足を感じて、誰もいない食堂で急に心に切迫感が押し寄せてきてね。
      • 再起不能という思いと君にこんなに迷惑かけていると思ったら、たまらなくなった。 
      • <自分はそんなに悪いことをしてきたのか!> <何故自分が!>
      • 深呼吸ができなくなる息苦しさの中で、病に倒れて初めて咽び泣いた。
      • それが精神的後遺症(*パニック障害)による抑圧感とは、全くわからなかった。君は黙って横にいてくれたね。
      • そして、突然、静かに君は言った。
      • 『あなたは絶対やれるわ。大丈夫!一緒にリハビリやりましょう!』

    • 妻:でも、それから急激に進歩して行ったのね。
      • 支えるバランスがとれるようになって。
      • 何日かしたら先生が杖を貸して下さった。転ばぬ先の杖って良く言ったもので、杖一つで又上手に歩ける様になったわね。10.JPG
      • その杖で、リハビリの訓練だけでなく、他のところも歩きたくなったのね。でも、歩き方は相変わらず身体の反動でぶん投げている感じね。
      • ある日、黙々と歩いていて突然『ああ踵を感じた!』ってあなたが叫んだのね。<神経が通った!>って思ったの。
      • 生命の感動という様なものを一瞬にして感じて、ただ涙があふれて来たわ。

    • 夫:「踵をつけて」「踵から歩いて!」と先生方に言われていたが、それまで踵が感じられなか
      • った。君の泣きじゃくる声を聞きながら、僕も感極まってね。
      • いつの間にか泣きながら歩いていた。
      • 何日頃だったの。今になってみると早いと感じるけど。

    • 妻:7月14日ってメモにあるわね。お盆の日だったのが印象に残っているの。
      • 手の親指が少し動いたのは、7月26日ってメモにあるわ。

    • 夫:指が動いてビックリしたんだ。きっと、元のようにいつか動くという夢を持てた。
      • それから、足が内反で危ないので転ぶ懸念があるので、装具をつけて貰って歩いたね。

    • 妻:先生が、リハビリの指導を30年やっていて、あなたみたいに努力する人は初めてって言って
      • くれたわね。
      • 朝から晩まで毎日、毎日、一日中「歩く、歩く」ですもの。
      • 私も、一緒に良く歩いたわね。

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  • 2.後遺症に悩まされて

    • 夫:神渡先生の「人は何によって輝くのか」(PHP研究所発11.JPG行)の影響は本当に大きかった
      • ね。神渡先生のように、時間を掛ければ、症状が消え元に戻るということしか頭になかった。
      • でも、その保証を、医師を初め、医療関係の方々の誰からも貰うことは出来なかった。

      • 何を学べばいいのか、分からないことばかりで、欲しい書物が、分からない。
      • 脳卒中体験記もどこで求めればいいのか、体験記が在るのかもわからない。
      • 体験記を手にするのは、退院したずーと後のことだった。

      • でも、精神的圧迫感は、徐々に、徐々に、強く押し寄せてきたのもその頃だった。呼吸しても、呼吸しても、酸素不足の感じで、酸素ボンベを吸うように息をした。

      • 今まで経験したことのない圧迫感だった。
      • 死への恐怖感ではなかった。得体のしれない苦しみを超えた強烈な不安感が突然、襲ってきた。(パニック障害)という症状に初めて出合い、パニック障害から解放された後に、知らないままに、脳卒中による「うつ病」状態を体験していくことになった。歩く努力というよりも、その圧迫感や急激に襲ってくる不安感から逃げるためにも、歩き続けた気がするな。

    • 妻:その圧迫感からかしら、夜も『カーテン閉めないで!』って言っていたわ。
      • 二人で、車椅子で、病院の外の公園に良く行ったわ。
      • 雨の日も玄関先へ行って、外を見ていたわ。
      •  『空を見たい』『空を見たい』って言うものだから。

    • 夫:病室に居ると圧迫感で息苦しくなって来るんだ。
      • 自分の存在というもの、<人間というものはもっと大きいものであるはず>、という思いがあるのに、締め付けられるような不安の心の状態を受け止められなかった。
      • たった1日で「虫」に変貌してしまったような惨めさだった。

      • 余りにも小さくなってしまった自分と今まで信じてき12.JPGた人間の偉大さとの狭間で、自分が解らなくなってね。ジーとしていても、動いていても押し寄せる不安と圧迫感に押しつぶされるような気がした。初めて経験する精神的状況だった。
      • 自然に無性に触れていたい。何故か分らない。こんな体験も初めてだった。
      • 心の安らぎというものが、自然の偉大さからしかこないものだということを本当に感じた。

    • 妻:8月9日42日間の入院生活で退院することになって、他の病院捜しに行のね。
    •    病院から紹介された病院を何軒か見に行ったけれど、府中病院より開放感のある広い病院
      • がなかったから、外来で週に4日間通院することにしたのね。

    • 夫:その外来への通院そのものが、リハビリだったね。
      • 病院が、「救急病院専門」にするということで、長期入院の中止が決まり、急遽リハビリする患者が少なくなった過渡期であったことが、週に4日間も通えたし、時間も自由に何時間でもリハビリ室に居られたことは、本当にラッキーだったと思う。

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      • けれど、色々なことを学んでいくうちに、だんだんこの病気のことが解ってゆく。
      • たくさんの同病の方々を冷静に見ていると、本当に元の元気な自分に戻る方は少ない。
      • けれど、ほとんどの人は、元の自分に戻ると信じてリハビリをしている。

      • 僕自身も、同じだった。必ず、元に戻る、戻ってみせると思っていた。
      • でも、脳梗塞のことを学んで分かったことは、1度懐死した脳神経細胞は再生しない。
      • この不自由になった身体は、元にもどることはないということだった。
      • そう思うと辛くてね。
      • 胸の圧迫感は、更に強まって行った。

      • 仕事が出来なくなることへの不安。将来への不安が急に襲ってきてね。
      • 何をやって来たのか。こんな身体になって、何をやれるのかって。
      • そんな時、君はふたつのことばを私に残してくれた。
      • 『あなたは、感動的に人生を生きる人だから、この病気も必ず感動に変えてゆくわ!』
      • 『最後は二人でマンションの管理人でもいいじゃない。私、大工の娘だから何でもやれるわ。生活のことなんて心配してないのよ。』

      • 僕は、心の底からの安らぎを覚えると同時に、君の言葉は、僕に大きな光を投げかけてくれた。言葉というものの力をその時程感じたことはなかった。

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      • 企業価値のみで生きてきた人間にとって、本当の内なる価値を忘れてしまっていて、外の形の価値、お金とか、名誉とか、地位とかに縛られている自分を感じた。長い年月を懸けて作りあがった外価値は、その後ずーと自分を苦しめて行くことになる。

      • でも、その時の君の言葉を聞いて、心の固まりが溶けてゆくような思いと、従来の自分の形を超えた再起をしなければいけないと思った。
      • そして、病に倒れた日から3ヶ月目、9月27日に九州の父母の墓参りの実行と社会復帰をすると君に宣言した。

    • 妻:でも、その間色んなことがあったわ。再起をかけて、住まいを東京から九州へと考えたり、
      • 最終的に岐阜に移ることになったり、その間、色々な方々が来られてあなたに相談する。
      • その都度、苦しんでいるあなたを見るのも辛かったわ。
      • 『会社の業績の責任をとって退職したのだから、仕事の話では来ないで下さい!』って心で思っていた。
      • そして、その都度、精神的に落ち込むあなたを見ていて、『いいかげんに自分のこと考えて!』って言いたかった。
      • あまりにも悩む姿を見て、言えなかったけど・・・。
  • 15.JPG夫:リハビリのこと。将来のこと。過去への責任ということ。どこに住むべきかなど解答のないことを見つめ乍ら、焦燥感の中で「9月27日、3ヶ月で社会復帰」、という自分の決意を実行しようと思った。自信があったわけではなかった。

    • 「急性期」の3カ月に奇蹟が起こって、脳神経のバイパスが繋がると期待はあったが、社会復帰という事がどんなことか理解していた訳でもなかった。
      • ただ、「形からでもいいから」決意しなくてはと思った。

      • 一番辛いと思った時に、ふと、この体験は私という人間に、「何を学ばそうとしているのか」と思った。
      • 「人生に無駄なことが一つもない」としたら、私にとって、この体験はどのような意味があるのかって。多くの回答が、私の心に乱れ飛んだ。

      • でも、確かなことは、1年経っても、まだ見つけられていない。
      • でも、時として、どんなに辛くても、この病と真正面から取り組んで、「必ず勝ってみせる!」っていう思いが募って来る。
      • 何に勝とうとしているのかも、実は何も分かっていなかった。
      • ただ、この焦燥感や苦悩が、仕事を失った中高年の人で、自殺される方の原因の一部に通じているのかもしれないとふと思ったのも事実だった。
      • その時、自分の死を考えていたのかもしれない。

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 【1.リハビリ開始と生命の感動】  【2.後遺症に悩まされて】
 【3.社会復帰への道と真の友情への出会い】
 【4.「身体障害者手帳の発行」と「重度身体障害者の認定」】
 【5.人生観の徹底見直しと、「障害受容」を見つめて】
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  • 3.社会復帰への道と真の友情への出会い

  • 16.JPG妻:そして、9月27日九州へ行ったのよね。
  • 歩けなかった人が、3ヶ月で九州の地に立った時、本当に感動と感謝の気持ちで、一杯だったの。
  • その日にあなたのお友達と会って、仕事を頼まれるとは考えもしなかったわね。

  • 夫:その3ヶ月間、昼はリハビリ、夜は読書と真理のテープに聞き入った。
  • エンドレステープをつけたまま眠った日々が、発症後約8ヶ月続いたね。
      • 人生最後に残るものは、自分という人格だとしたら、この病気をしなければ、人生に大変な間違いをしたのかもしれないと思える時がくるかも知れないと考えて自分を鼓舞していた。

      • 自分というものを、人生というものを見つめ直す必要性が、この病によって、求められているのではないかと思った。そう思うしかなかったのかも知れないけれど、病気になったのは辛いけれど、決して不幸であるはずはないと自分に言い聞かせていた。

      • 九州に着いたその日に、私の仕事が待っていた。私の友人から頼まれた仕事は、経営の相談役として、又幹部の教育も同時にするという仕事だった。
      • でも、半身不随の私が、仕事ができる状況にないと何度も断った。

      • 翌日、もう1度会ってほしいと言われて会うと同じ要請だった。
      • 少なくとも1年間位は、仕事はできないと思っていた。そんな身体の状態だったよね。

      • しかし、私の身体の状況の前で、「三顧の礼」で迎えたいという彼の必死の願いは、私への心からの友情だと思えた。
      • 人生で一番つらいとき、人の本当の優しさに出会えたと思った。
      • 「わかった。手伝わせてよ。」
      • と言ったらすかさず彼が、「では10月からお願いします!」って聞かないんだ。

      • 本当は、最速でも翌年の1月頃からと思っていた。そのことを彼に伝えた。
      • しかし、彼は10月からという強い意志を変えてくれなかった。
      • 私は、「経営改革委員会」結成を依頼した。

      • 他にもある会社の社長から、「幹部教育講座」の講師を頼まれてね。
      • これも私への友情だと感じた。感謝しつつ受けさせて頂いた。

      • 加えて、岐阜で一緒に仕事をしていた友人の何人かが、私のリハビリを手伝わせてほしいと申し出があった。
      • その申し出で、私は、新しく生きる場所を岐阜に決めた。
      • 特に、宮崎綾子さんと桑原典子さんは、1日も欠かさず、私と共に歩いて下さった。この1年その人達の深い愛情によって、リハビリへ向かう心を失わないで来られたのだと思う。
      • 今思うと、私の失いかけた誇りを守り、育てて下さったと心から感謝している。
      • いつか、本格的に仕事をする時が来ると願ってはいたけれど、自分が復帰する日と決めた日に、そのような話があるとは思いもよらなかった。

17.JPG

    • 夫:仕事をするのは、一ヶ月に3~4日位だから大丈夫だろうと軽く考えていたけれど、10月から
      • 後遺症のひとつである肩の 亜脱臼 が発生して、気が狂うほどの痛みに襲われた。18.JPG
      • 眠れないし、身体は重いし、手を少しでも動かせば切り落としたくなるほどの激痛が走る。
      • 3~4日の仕事の中で座っているだけで、足はパンパンに腫れ、左手も同じ様に腫れてしまう。
      • 痛みと辛さの中の闘いが始まった。

      • 仕事が終わって帰ると、体験したことのない疲れと痛みに苦しめられた。疲れを取り戻すには、2週間もの時間を要した。
      • 特に、11月、12月は最悪で、あまりの肩の痛みに、絶叫寸前まで追い込まれた。 頭の中が、痛みで破裂するかと思ったよ。
      • この痛みは、麻痺のために、背筋と腕の筋力が、そげ落ちた結果だという。

      • その指導を、友人が紹介してくれた「延命学」の早川喜芳先生にお願いした。
      • 早川治療院・院長の早川喜芳先生(名古屋市中区金山1丁目2の22)の厳しいけれど、本当に愛情深い指導を受けた。

      • 足圧マッサージで有名な先生であり、筋肉構造、人体の構造、神経学も学ばれている先生で、人間の身体の構造、歩き方、筋肉の鍛え方、呼吸法と徹底した イメージ療法 で脳を働かせるという指導であった。

      • 麻痺していない右足を出すときに「先生!」次に麻痺側の足を出すときに「生徒!」と言いながら歩く指導はイメージ療法の具体的対応であった。

      • 医学の常識よりも、「必ず直る」と言う確信の指導を信じ続けた。
      • どんなに辛くても、痛みの中で、先生の指導をやり続けるしかなかった。
      • でも、引き受けた仕事があったから、苦しいリハビリに立ち向かえたと思う。
      • 「行かなければ」の目標があったからね。
      • 人間には、「目標」が力の源泉であると本当に分かった。

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  • 4.「身体障害者手帳の発行」と「重度身体障害者の認定」

    • 妻:12月27日で丸発症6ヶ月でしょう。この病気は、6ヶ月位で大体急性の回復が終り、安定期
      • に入るというのが常識で、もう目に見える回復は止まるということでしたね。
      • だから、身体障害者手帳の発行があって、「身体障害者第一種二級」の「重度身体障害
      • 者」の認定がなされたのね。

    • 夫:怪我をしたらリハビリができず、リハビリができなくなると、足は「廃用性症候群」になっ
      • て筋肉は急激に弱ると指導されていた。
      • だから怪我しない為、足の装具は離せなかった。
      • でも、1月に、あまりにも、足と手が腫れるから、思い切って装具をはずした。
      • 装具の締め付けがきついと思ってね。
      • それから、不思議と足が動くようになった。

      • 肩の亜脱臼に対しては、どのような痛みの中でも、リハビリを続け、痛い肩に筋肉を付けるように、一日も欠かさず少しずつ動かし続けた結果が、8ヶ月という時間は掛ったけれど、痛みを克服出来たのだと思う。
      • それでも精神的圧迫感は、相変わらず自分を責めてくる。
      • 段々、これは病気の後遺症であって本当の自分じゃない。
      • 必ず解決の道があるはずだし、克服してみせると思い始めていたね。
      • 負けないために、本当の学びが必要だと思った。
      • 君と2人で、来る日も、来る日も、本屋へ出向いて本を探したね。

    • 妻:退院してから、東京ではリハビリ通いと多摩川の土手を歩いてのリハビリ、そして本屋通い
      • が毎日の繰り返しだったわ。岐阜に来てからも、同じ事が繰り返されたわね。
      • 1年前頃は、心の動揺がモロに出てくるし、病気のせいとわかっても、どうしようもなかった。

19.JPG

  • でも不思議と、その時、その時に、必要な本と出会って感動してやってきたのね。見えないけれど、多くの方に救われてきたのですね。
  • それと、本当のお友達って何とありがたいかと感じた1年だったわ。
  • 「たいへんでしたね。」と言われるけれど、私の1年は、先のことを考えるより、その日その日の、その場を生きるしかないと思って、ただ一生懸命だった。

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 【1.リハビリ開始と生命の感動】  【2.後遺症に悩まされて】
 【3.社会復帰への道と真の友情への出会い】
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  • 5.人生観の徹底見直しと、「障害受容」を見つめて

    • 夫:1年前位の発症時の頃の私の心の動揺は、大変だっただろね?

    • 妻:正直言って、理解はできなかった。
      • 会社のこと、変化の情報が入るたび落ち込む姿を見ていて、退職したはずなのに、どうしてそこまで考えなきゃならないのか理解できなかった。
      • でもそういう生き方をしてきたわけだし、止めることはできなかった。
      • でも、倒れてから一生懸命2人でやってきたことに、納得できることたくさんあるし、私も、自分でできる精一杯の事をやっているという今までに無い、幸せ感もあったわ。

    • 夫:将来に対する不安はなかったの?

    • 妻:将来に対しては、正直言って不安はなかったわ。
      • あなたがここまで話せることと、本当に何かやろうと思えばできなくはないし、さし当りの生活から始めても良いと思っていた。不安は全くなかったと思うわ。
      • 不安というよりあなたを「守ろう」という気持ちの強さで頑張っていたから。

    • 夫:男と女の差なのだろうかね。

    • 妻:そうかもしれないわね。
      • 私はいつも受身だったし、いつも待っている生活だったわ。
      • ずっと待ちつづけた状態で、あなたが「どう動くだろう」「どうしたいのだろう」と、あなたの思いの中で、あなた任せで生きて来たから、大丈夫という思いに不安はなかったの。
      • 最終的には、私が働こうと思ったし、2人で1人前でも生きて行けると思っていたのね。

    • 夫:男と女の違いだね。
      • けれど、1年を経過して感ずるのは、私を生かしてくれたのは実はこの不安だった
      • 悩みながら、落ち込みながらも、「こんな不安が本物じゃない!」「必ず克服できないはずはない!」と学ぶ思いは、段々深くなって行った。
      • 不安だったから、学べたのだと思う。
      • それと、このリハビリというのは、「本当にキツイ!」。
      • 力を入れても、全く動かない手足を動かすことの痛みと虚しさは体験した者でなければ分かって貰えないものだと思う。
      • 家族が、よほど協力してくれないとリハビリはできないと思ったね。
      • 1年経って、最近の私の精神状況はどう変化しただろうか?

    • 妻:発症時に比べたら、心が平静になって、冷静さを保っているだけでなく、前のあなたの積極
      • 的な部分が徐々に出てきているわ。それは大変な変化ね。

    • 夫:それが「障害の受容」ということだと思う。でも、まだまだ、充分ではないと思っている。
      • 心の動揺が、急に押し寄せて来る。その波は一定でない。
      • 時には、大きな波であったり、激しい波であったりする。

      • 心の不安を感じながら、「障害受容できる自分」になるために、学び続けてきた結論は、次のような項目を自分なりに整理していくことだということだった。

      • 20.JPG
      • ① この心の不安はどこから来て、どこへ行く
        • のか―私にとって苦しみの根源とは何か。
      • ② リハビリの行動へかりたてるものとは
      • ③ 現実の直視と「障害の受容」
      • ④ 回復と新価値創造への欲求
      • ⑤ 真の価値・内価値の新たなる構築
      • ⑥ 人生観の根本的見直し
      • ⑦ 人間と自分の存在ということ
      • ⑧ 家族・仲間への感謝
      • ⑨ 新しい仲間作り
      • ⑩ 新しい美の発見・新価値の創造
      • ⑪ 社会貢献への願い

      • このようなことを、この1年かけて、何を整理、探求し、自分の心に新しい価値の方向を見出していけば良いのか、これから自分が生きる為の精神的立脚点を確認したと思う。

      • 立脚点は見つけたと思う。
      • これからは、これらの理論や行動の手順を確立し、自分のものにして行かなければならない。
  • 21.JPGこの病気の体験は、過去の実績と経験の上に、新しい体験を加えている「新しい自分の発見」だと実感で思えるようになった時、「障害受容できた」と思えるのではないかと感じている。

    その新しい自分とは、きっと「本当の自分の生命の甦り!」なんだと思う。
    • 本当の自分の発見とは、既に自分の生命の中にある。声は小さいけれど、砕けないより完全な自分の発見ではないかと感じるようになってきた。
      • 身心ともに、まだ元に戻っていないけど、愛とか、決意とか、勇気とか、考えるという生命力をもう一度甦えらせること、それは既に自分の生命の中に埋蔵されている「新たな自分の甦り」なんだと思い始めている。
      • そして、本当の理想を生きるには、このような苦難を越えて初めて、本物に近づいてゆくのではないかと自分に言い聞かせている。

    • 妻:この病気にかかった本人も辛いけれど、家族も、現実を受け止めなければならない時が来る
      • のね。それが、不思議と本人と同じような時を経て来るの。
      • 辛いこともたくさんあるし、私も同じような病いを持たれたご家族に、アドバイスまで出来なくても、気持ちだけでも分かってあげられたらと思う。

    • 夫:この体験は、自分の人生の体験のひとつでしかないと思える時が来てほしいと願っている。

      • 22.JPGどうしても、今の不自由な自分を認めたくない。
      • 走って、力持ちで、何でもできた自分以外認めたくなかった。
      • それが違うのではないかと、1年経過して思い出している。
      • この体験をどう生かすか。もっと重症の方がいらっしゃるので、キレイごとは言えないけれど、新しい生き方、価値観を変えた生き方があるのではないかと思うようになった。

      • 人間には、このような転機を迎えることで、人生の新しい場を作るのではないかと思う。
      • 転機を、不幸ととらえるか、この機会を生かそうとする心が本当に感じられるようになれたら、その時が本当の「障害受容」出来た時だと思う。

      • この病を経て、自分の中に大きな変化が生れ始めている。
      • せっかちで、短気であった性格が、自分でも驚くほど穏やかになってきたし、人生を長いスパンで考えようとし始めている。

      • 今まで幸せとは、豊かさだと思い続けてきた。その豊かさを、経済的なことにしか立脚していなかった。
      • けれど、本当の豊かさとは、現在の経済的状況に関係なく、人間の尊厳さとか真実の愛などに立脚した、真の幸福を作りあげてゆくことなのだと思うようになった。

    • 妻:それが、私達の理想の生き方につながってゆくものではないかと思う。
      • 厳しいといえば、その方が厳しいかもしれない。現実的には、お金をいっぱい貰って生活する方が楽かもしれないけれど、人生の質の高さを生きようということになれば、楽をすることじゃない気がするわ。それは、形をこえてあなたが理想としていた、できる限り多くの人のために生きる生き方じゃないかと思うの。

    • 夫:本当に、人生は素晴らしいね。
      • 僕のこの一年は、「自分の中の生命の甦り」を感じるためにあったのだと思う。そのことを少しだけ、実感できたことを、最高の宝として生きてゆこうと思っている。
      • そして、多くの友人に、一生かけて「恩返し」する人生にしたいと心に誓っているんだ。

    • 妻:本当に、私もそう思います。これからの人生が楽しみですね。

23.JPG

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 A.「脳梗塞」リハビリ体験記
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 C.病に倒れて、学び得たもの 「シニア時代」に繋がる不安
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 ↓C.病に倒れて、学び得たもの 「シニア時代」に繋がる不安↓
 【1.不安の根源と新しい人生の誕生】  【2.リハビリテーションの意味を求めて】
 【3.人間性の尊厳性を守る】  【4.リハビリテーションとは何か】  【 リハビリ体験記 TOP 】
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  • C.病に倒れて、学び得たもの 「シニア時代」に繋がる不安

  • 1. 不安の根源と新しい人生の誕生

  • ① 障害によって奪われた「アイデンティティ(自己認識)」24.JPG
    • 人は、それぞれの生き方の中で、自分の存在価値というものを作り上げてきている。日本国家、地域、企業、職業、家族、友人、趣味等の中で、自分というものを創り上げ、その中で「人本来の幸せを求めて」生きているのが、人生であると思う。
    • 人は、生きている事実を、普段は余り意識しないで、自分の願いを求めて生きようとしている。
    • しかし、ある日突然襲った障害という事実が、過去の自分の能力を奪い、過去の実績も全て奪われ、未来への夢を剥奪されたと感じ、更に生きる術を失い、生活と人生への力を失ったと感じたとき、人は自己の喪失・自信の喪失が急激な形で押し寄せて来る。

    • 人生の幾多の苦難を経験し、立ち直り新しい自分を見つけ出してきた自分という本体が、根本から崩れ去ったと感じた時、人は絶望の深淵に落とされ、死への願いすら持ち始める。

    • 苦しみや不安の根源とは、その苦難や障害が自分の存在価値を否定すると同時に、家族や社会への重荷になってしまうことへの申し訳なさに基因し、自分の再起不能という恐れは、生きる勇気を喪失してゆくのだと思う。

    • 私は自分の不安の根源を見つめ続けながら、人生や運命に、何故「転機」が有るのか考え始めていた。

    • このような状況は、「意味無く訪れるものではない!」という叫びが心の中でこだました。
    • 多くの過去の歴史は、人間の運命の中で「転機」という時を、「絶望の中に生きた人」と「希望と努力に転化した人」の歴史だと思った。

    • 私の不安の根源は、私という人間の価値が、障害によって25.JPG無くなってしまったのか。そのことを、どのように見つめ直すかにかかっていると思った。
    • 一年間私は、多くの書を求めた。そして、思索を続けた。
    • その中で、特に私に影響を与えた書が二冊有った。
    • ひとつは、「心が動く」(荘道社発行・太田仁史監修・森山志郎著)の中で、次のような文章と出会えた。

    • 『突然の障害とは、このように「私が確立したアイデンティティー(自己認識)を持ち続ける」ことを不可能にするほどの、大きな能力の変化なのです。

    • 若いときの「アイデンティティー」(自己認識)を維持するには、自由な移動能力、幅広い情報収集の能力、緻密な分析力と本質を見極める推理力、問題を解決する手順を設定して順序正しく対応する能力、こんなものが必要だと思っていました。

    • しかし障害者になり、そんな能力が薄れている自分を発見して、どう生きるべきか悩んでいる状態が、私のリハビリの出発点だったと思います。

    • 障害者になって、自分の新しい生き方、新しいアイデンティティー(自己認識)を求めなければならないときに、「昔のことは忘れてしまえ」と過去の生き方に訣別することを求める方もあります。なるほど、過去の生き方が足かせになって新しい生き方に戸惑う方がいるのも事実でしょう。でも、これは手順を間違えると解決できない、詰め将棋に似た部分なのです。

    • 人は苦労して作り上げた自分のアイデンティティー(自己認識)をそれほど簡単に捨て去ることはできません。自分の生きてきた歴史に誇りを持っています。
    • 私の個人的な体験では、過去を清算しようとすると、これまでに作り上げた人生の誇りも一緒に捨て去ることが多くて悩みました。

    • でも今になって考えてみると、過去を捨てるのではなく、それを生かしながら新しい能力を開発する方法、それによって自分の誇りを取り戻す方法が大事だったのだと思っています。

    • 人間は誇りさえ取り戻したら、障害の現実を認めることに精神的な抵抗はあまりありません。
    • そのとき認めた障害の現実を前提にして、新しい生き方を手探りできたことは私にとって、迷路から脱出してリハビリの本道に出会えたと感謝しています。』
    • (同書七十四頁~七十五頁)

    • 私は、障害を受け、過去の全ての仕事も失った。
    • 健全な身体と自分の過去の清算を、どのようにしてゆくのか、苦しい日々を送っていた。
    • その中で、森山先生の語られる、過去を生かしながら新しい能力を開発する方法。
    • それによって、自分の誇りを取り戻す方法が大事であり、誇りを取り戻した人間は、
    • 新しい生き方が出来るという言葉に光を見出した。

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  • 2.リハビリテーションの意味を求めて

  • もう一冊は、「回生を生きる」(三輪書房発行・鶴見和子・上田敏・大川弥生共著)の中で、本当のリハビリテーションに出会ってという対話の中で、次のような一節があった。


    • 鶴見:先生、これは昨日できたてのほやほやの歌なんですけれど、
      •  わがうちの埋蔵資源発掘し新しき象(かたち)創りてゆかん

      • 26.JPG


      •  私、リハビリテーションというのはそうゆうものじゃないかと思うんです。

    • 上田:そのとおりです。

    • 鶴見:これは私に限らないんです。誰でも何年か生きてきた人は資源が埋蔵されているんです。
      •  それからその前にDNAがあるんですよ。
      •  自分の祖先のDNAがずっとあるんです、自分の中に。27.JPG
      •  それから自分が生まれて後に学習した智恵、
      •  情報、文化、それから技芸、すべてのものが
      •  埋蔵されて資源としてあるんですね。それを
      •  使わないで死んじゃうことが多いんです。
      •  でもこういう病気になることによって、
      •  それを発掘する。
      •  つまり外からの刺激よりも、自分自身の中に
      •  あるものにとても関心が向くんです。
      •  それでそれをいろいろ発掘して、そしてリハ
      •  ビリテーションを通して新しい象にそれを配置していくんですよ。
      •  そして新しい象を創造する。
      •  それがリハビリテーションなんだなということを昨日思いついて、この歌を作ったんで
      •  す。

    • 上田:本当にそれは本質をついていると思いますね。リハビリテーションとは、そもそもの意味
      •  が「権利の回復」ということです。
      •  障害をもった人は、人間らしく生きる権利が剥奪されそうになってしまうわけで、人間ら
      •  しく生きることが非常に困難になっている。
      •  しかし、人間本来の権利としてそういうものを持っているはずですから、それを回復する
      •  ことがリハビリテーションだ。ということは、後ろ向きではないんですね。
      •  前向きに考えて・・・。

    • 鶴見:これは創造的なんです。私は本当にリハビリテーションというのは「創造」だと思う。

    • 上田:普通の医学の一番悪いところは、マイナスだけを見るということです。
      •  悪いところがあるからそれを治す、いいところは当たり前だから別に研究する必要もない
      •  という考えでずっときているわけですね。
      •  リハビリテーションが今までの医学と一番違うところは、マイナスだけしか見ないという
      •  ことはしないわけです。

    • 鶴見:マイナスをプラスに転化する。

      28.JPG
    • 上田:マイナスをプラスに転化するんだけれども、
      •  実はマイナスを持っている人間がたくさんのプ
      •  ラスを持っている。
      •  それを引き出すことで、マイナスを克服でき
      •  る。 それを「コーピング・スキル」の開発と
      •  いいます。

      •  コーピングというのは、困難な現実を全否定し
      •  たり抹殺したりするのではなく、なんとかうま
      •  く折り合いをつけていこうということです。

      •  具体的な生活技術のうえでもそれがあるし、心
      •  理的な「生き抜く力」としての「サイコロジカ
      •  ル・コーピング・スキル」というものもあるわ
      •  けです。

      •  埋蔵資源というのは、その点で、まさに非常に
      •  うまい表現だと思うんですが、そうした隠れた
      •  潜在的な能力をたくさんもっているわけです。
      •  それは隠れているからすぐには気がつかないん
      •  ですけれども、専門家はいち早くそれを見つけて、早くそれを引き出すということをすれ
      •  ば、ある意味では無限に引き出せる。

    • 鶴見:本当にそう思う。

    • 上田:それが、私たちが言っているリハビリテーション本来の姿なのです。
      •  リハビリテーションというのは、そういう意味では「プラスの医学」なんです。
      •  そのプラスを達成するときに、精神的な面では、さっき出たような、過去の非常に輝かし
      •  い、自分に自信をもたらしてくれたような、そういう経験を思い起こして、今と重ねて、
      •  それと一緒に生きていこうとするような姿勢が非常に大事だと思うんですね。
      •  それを鶴見さんが歌に定着してくださったということは、非常にいいことだと思います。
      •  (同著四十四頁~四十五頁)


    • 人間に転機(回天)というものがない限り、人生の膨らみも面白みもないのかも知れない。
    • 鶴見先生の、「全ての人には埋蔵資源があり、その無限の資源を使わないで死を迎えることが多い。病を得て外にあるものではなく、内にあるものに気付いてゆく。
    • それを、リハビリを通して発掘し、新しい象に創造してゆく。」という考え方に感銘し、心からそのことに納得する自分を発見していた。

    • 森山先生も鶴見先生も結局、「自分自身の中にある無限の可能性を引き出す」ことで、この障害の意義と、人間の誇りを取り戻すことに言及されていた。

    • 人間が障害や苦難に出会った時、立ち直れる根源とは、「自分の新しい価値観を見出す」か、「埋蔵されている無限の可能性から新しい能力を引き出す」ことで、自分の誇りを取り戻し、立ち直れることができると確信するに到った。

    • 私は、多くの書を読みながら「障害の受容」を経て、障害以前よりも素晴らしい自分を見出し、仕事を通して偉大な人生を生きる多くの人々を知った。
    • 上田敏先生の「プラスの医学」という考え方は、全ての病は「プラスの医学」であるべきと感じたと同時に、人生の出来ごと全てが、「その後の人生のプラス要因」であると感じた。

    • そして、この病を得て「不安の人生」は本来存在するものではなく、「全て輝く人生」の為に存在すると思った。
    • そして、輝く人生を生きるとは、「輝くための全ての力が、実は、自らの生命の中に完全に埋蔵されていて、それを発掘することが、本当の自分の甦りであること」を発見して行ったのである。

    • 若干不自由な身体ではあるが、「生まれ変わった新生の私」の姿がおぼろげに、しかし、しっかりとした願いとして、そこに誕生していたのである。

    • 29.JPG

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  • 3.人間の尊厳性を守る

  • ―リハビリの行動へ駆りたてるもの―

    • 障害に会った人々は、多くの方々が身体的機能回復のリハビリに熱中する時期を経験する。30.JPG
    • それは、人間の生命というものと直結している。
    • 生命は、生きることに使命を持ち、生命を、継なぎ続ける願いを持つ厳粛な事実に、障害に合った人々は対面する。
    • その「いのち」の表現とし人は生活し、生活を通し人生を形作ってゆく。

    • 生活の源となるべき元の自らの身体へ戻ろうとする願いは、生命のより完全に生き切りたいとする願いに直結する。
    • 動かない手足を否定し、健全な自らの過去に向かって、激しい願いに駆り立てられてゆく。

    • 生きるとは、立って歩くこと、言葉で心を伝えること、そして目で見て、手で触ってゆくことだと強烈に感じてゆく。

    • そして生まれ乍らにして、人間に与えられた機能回復が「人間の尊厳の復権だ」という思いが、人をリハビリに駆り立ててゆくのだと思う。

    • 私はリハビリへ向かう自分の強烈な思いが、人間の尊厳性を守るためだとわかった時、怠惰や痛みにも負けず、自分の人生で、これほどの努力をした経験はないという思いまで、自分を駆り立てる根源を知ったのである。

    • 本当に生きるとは、人間の尊厳性を守ることだと、心の底から解らせていただいたのである。

    • 人間は身体の機能回復に向かいつつも、同時に、精神的甦り・新たに生まれ変わった自分への希求を知って行く。そして、人間の尊厳性の真の回復の方向性を、身体的機能回復を含めた総合的な目標に繋げたいという新たな願いが湧き上がってくるのである。

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  • 4.リハビリテーションとは何か

    • ① 「リハビリテーション」とは

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      • 病気や外傷で障害が残った場合に、それを克服して再び社会生活に復帰するという意味に用いられることが多い。この言葉は医学で用いられるより以前に、社会学や犯罪学の領域で用いられ、名誉を回復する、一度失った地位を取り戻す等の意味に用いられていた。

      • (「リハビリテーションの理論と実際」 全国社会福祉協議会発行)による

    • ② 「リハビリテーション」の本来の意味

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      • 日本では「機能回復訓練」とか「社会復帰」という意味で理解されているにすぎないが、本来の意味は「人間の権利・資格・名誉の回復」という、全人格にかかわるものであり、……障害をもった人が人間らしく生きる権利の回復、すなわち「全人間的復権」である。
      •  (リハビリテーションー上田敏)(講談社)による

    • ③ 「早期リハビリテーション医療」とは

      • 機能障害(後遺症)を残す恐れのあるものに対して、急性期から内科的、外科的治療と平行して実施する医療であり、障害の予防と軽減、ADL(日常生活動作)の自立を目標としている。

    • ④ 「専門リハビリテーション医療」とは

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      • 原疾患が安定期に入ったもので、かつ、リハビリテーション医療を集中的に行って効果が待できる者に対して理学療法、作業療法、言語療法を集中的に行う医療であり、ADLの家庭職業的復帰、職業訓練への移行を目標としている。





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  • D.「生活再建チーム」と「家庭の介護のこころ」

    1.脳卒中障害者の「生活再建チーム」について

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  • ① リハビリは一人では出来ない

  • ② 脳卒中のリハビリを行っていく上で、さまざまなサポートが必要である。

  • ③ リハビリの成否は多くの人々のチームワークに支えられている。

  • ④ リハビリも患者毎に、医師・看護婦・専門家が医療チームを組んで進める。

  • ⑤ 身体的リハビリには、患者本人・家族・医療チームの三者の連携が最も大事である。

  • ⑥ チーム医療の輪に加え、精神的適応を含めた「障害の受容と変容」には、「家族・友人・仕
    • 事」の支えが必要である。
    • 特に、「友人」の私に齎してくれた恩恵は計り知れないものであった。
    • 家族だけでいると、苦難の波に飲み込まれてしまう恐れがあったかも知れない。
    • 友人の提供してくれた「一緒にリハビリ実施の意思表示」は、私のリハビリと生活の再建への意志の持続力になって行った。

  • ⑦「ピアカウンセリング」としての同病者との出会いや「自主グループ」への参加は、
    • 生活再建の要である。

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  • ⑧ 入院から退院後の患者を支える大きな力は、「良き体験記・
    • 闘病記」に出会えるかにあると言えるほどの影響を持つ。
    • 「体験記」を数々読んでいく中で、大きな勇気を何度も貰い、様々な辛さを超える原動力になった。

  • ⑨ 私は、これら、すべてを総合して「生活再建チーム」と位置
    • 付けた。

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  • 2.「賢い家族になる」家族の心構え

  • 「脳卒中後の生活」-同病の先輩から後輩へ-大田仁史監修(創元社:2005.10.発行)の中に、多方面に亘り、脳卒中経験者の体験が集められている。
  • また、「片マヒ自立研究会」の会員の奥様の「賢い家族になる1:2」が、P100~105にかけて、大変貴重な経験を通した意見として集約されている。

    • 1) 共によりよい人生を生きていくために

    • 脳卒中は突然起こります。
    • 家族の誰かが倒れたら、最初はとにかく命が助かることを祈るばかりです。
    • 命に別条がないとわかったころから、いろいろな問題が出てきます。

    • 家族関係や生き方を見つめ直すチャンスでもあります。
    • 発病をきっかけにして明らかになった家族の関係はなにも悪いことばかりではありません。倒れた本人はいやがうえにも自分白身と向き合うことになります。
    • 実は家族も同じです。
    • 「障害を抱えた人」とどのように暮らしていくか、自分の生き方を考えざるを得ません。

    • このように家族の病気は、家族それぞれが家族関係を見つめ直し、その後の生き方を考え、決める正念場となります。

    • ① 初めはしっかり支える
      • 「患者を甘やかしてはいけない。自分でできることは、できるだけ自分でやってもらうのがリハビリになる」とよくいわれます。
      • が、先輩家族がこれだけは伝えたいというのは、「落ち込んだり、うつ状態になっているつらい時期は、しっかり支えてあげてほしい」ということです。37.JPG

        というのは、発病後、間もない人は、思うようにならないからだを抱えて、自分は厄介者になってしまったと絶望のなかにいます。

      • こんな時期に家族が冷たく突き放したり、無関心な様子で接すれば、生きる意欲を失わせてしまいます。
      • そして「少し自分のことができるようになったら突き放すことも大事」というアドバイスをくれました。

      • また、痛みやしびれ、マヒのつらさは経験のない人にはわかりません。
      • 家族はただ黙ってそばにいて話を聞くことしかできません。これはつらく辛抱のいることで、障害をもつ人を支えるには、やさしさだけでなく、強さも必要です。

    • ② いつまでも過保護にしない
      • 発病後半年や1年は、やさしく接することも必要ですが、ある程度の時間がたったら、自立に向けて、自分のことは自分でやることが大切です。
      • 家族も本人の自立を促すような支援の方法を考えましょう。

    • ③ 意欲を大事にする
      • 自立を促すには、本人の意欲を大事にすることがポイントになります。
      • ゆっくりやればできることをしてあげてしまうのは、時として自尊心を傷つけることにもなります。38.JPG

      • 本人がやろうとしていることに手を貸して、一緒に成功を喜ぶようにするといいでしょう。その場合、自信を失わせないことも大事です。

      • ただ、本人に意欲をもってもらうといっても、対応の仕方は個人で違うので、本人の気づきを大切にすることが大事です。
      • 本人がその気になれば、何事にも積極的になるでしよう。

    • ④ 一番近い人になる
      • 障害をもつ人と暮らす家族から、家族がよかれと思っていうことを、素直に聞いてくれないという声がよく聞かれます。
      • ところが同じことを仲間にいわれると素直に聞くのです。
      • 家族にしてみればカチンときます。
      • 「傷つける癒し人」という言葉がありますが、これは、傷ついた人には傷ついた人を癒す力があるということです。

      • 障害をもった人は、細かいことにも感じる鋭敏な神経をもっているので、ちょっとしたことでも傷つきます。
      • 同じ傷ついた人には、その気持ちがわかり、傷ついた人を癒すことができるのです。

      • では、家族はどうすればいいのでしょうか。家族は無視したり、見捨てたりせず、一番近い人となって、じっと見守ってあげれば、共に暮らす姿勢ができます。

    • ⑤ 介護者は自分の世界も大切にする
      • 退院したてのころは、手を貸さなければできないことがいっぱいあって、お世話に追われます。まじめな人ほど介護に埋没して、犠牲的な人生を送りがちですが、障害者と一緒に、介護や障害者の世界に閉じこもらないようにしたほうがよいと思います。


      • それには介護者も自分の世界をもち、健常者の世界にスタンスを置くことです。
      • そしてお互いが一番近い存在で、共に障害を包み込んで生きると、一般社会のなかで健康な生活をすることができるのではないかと思います。

      • 介護者も自分のことを大事にして、共に生きたという実感がもてるような、生き方をしてほしいものです。


    • 2) 共倒れにならないためのポイント

      • ご夫婦二人暮らし。ご自身が倒れたらどうなるのか……。39.JPG
      • なんとしても共倒れだけは避けたいという思いでいっぱいです。

    • ① 家族も障害に慣れる
      • 家族は今までの生活に介護という仕事が加わったのですから、それだけでも大変です。
      • 今日やること、あとでもいいことを分けて、できることをして1日1日を過ごすつもりで、お互いに障害というものに慣れていくことが大切です。

      • 何をするにも最初は時間がかかりますが、機能は少しずつ回復してきます。障害に慣れてくれば、できることも広がってきますので、時をかせぐつもりであせらないことです。

    • ② 情報収集は家族の役目
      • 何事にも情報は大事。情報を得ると、よけいな心配をせず、マイナス思考に陥らなくてすみます。
      • 情報を得るにはなんといっても仲間が一番。家族も同病者の家族との交流が大事です。
      • 本人が直接、情報を収集できるようになるまでには時間がかかりますから、最初は家族の役目と考えましょう。

    • ③ 周りの手を借りる 40.JPG
      • 障害が重いと外出もままならず、閉じこもりがちになります。
      • 介護保険が使えるならデイケアやデイサービスを利用したり、ヘルパーさんを頼んで自分の時間をつくるなど、1人で介護を背負い込まないようにすることです。

    • ④ お互いに1人になる時間をつくる
      • 介護する人、される人がべったり 一緒にいるとお互いに疲れます。
      • お互いの時間をもち、ほどよい距離をとることが大切といいます。
      • 障害者は、ともすればわがままになり、家族はイライラしたり、あたったりして、自己嫌悪に陥る人もいます。よい関係を築くには、介護者が疲れないようにすることです。

    • ⑤ 相手のペースに合わせると疲れる
      • 介護者の疲れは意外なところにあります。
      • 一緒に出かけるとき、介護者は相手の荷物などを持って歩くことになりますが、荷物を持って相手の歩調に合わせて歩くととっても疲れるといいます。
      • 自分の歩調で少し先まで行き、相手がくるのを待つようにしています。
      • ただし、相手を見守れる場所にいること。
      • 横断歩道などの危ないところはもちろん付き添います。

    • ⑥ 再発させない健康管理を 41.JPG
      • 脳卒中を起こした人は、なんらかの「生活習慣病」を抱えています。
      • 再発は本人の「自己責任」に負うところが 多いのですが、家族も一緒に健康管理、再発予防に十分配慮をしましょう。食事管理など家族の協力も欠かせません。
      • もちろん介護者自身の健康にも気をつけましょう。

    • ⑦ 病人扱いしない
      • ある人が退院したときのことを「病気が治ったとき……」といいました。
      • そう、退院して自宅に戻ったら、病人ではない普通の生活を始めましょう。
      • 朝起きたら着替え、洗面、歯みがき、食事をする……というように、時間がかかっても普通の生活に戻していきましょう。

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