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1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い
- (1)私は、「脳梗塞」を発症して重度障害者になり、「障害受容」という解決しなければなら
- ない課題に出合った。
- その中で、「障害受容」の道を開いて行けたのは、「1冊の著書」とその著者との出会い
- であった。
- 私は、発症以来、自分の精神的葛藤を克服すべく、数多くの書を求め続けた。
- 「心理学」「哲学」「宗教」「病理学」など多くの分野を必死に学び続けた。
- 経験のない深く辛い精神的桎梏を解決すべく、解決された方の体験記を求めて、多くの書
- 店巡りに、私の時間は費やされていった。
- (2)「心が動く」-脳卒中片マヒ者、心とからだ十五年-「森山志郎著」という1冊の書と出合
- った。(森山 志郎(著)太田 仁史(監):「心が動く」荘道社 2001)
- 名古屋の「三省堂書店」で、いつものように「脳卒中体験記」を求めた。
- しかし、私の求めた内容の書にその日も出会えなかった。
- 諦めきれないまま、医学書や解説書の専門コーナーに行った。
- そこで、学術書の中に混じって、表装の色が、場違いな「金色に輝く黄色い書籍」が、
- 目に飛び込んできた。
-
- (3)そこには、障害と共に15年間生きて来られた現実と、越えて来られた多くの課題と努力の
- 道程が、丁寧に、正直に語られ、加えて障害と人生に深い考察がなされていた。
- 私は、障害を受けて、丸1年が経過していたころであった。

- その書との出合いによって、「同じ苦悩を持つ人々との対話」を通じて、同じ病に倒れた者のみに分かり合える「苦しみの共感」ということが、「障害受容への第1歩である」ということを知って行くのであった。
- (4)「同じ苦悩を持つ人々との対話」「多くの方々の体験を知る」ということの大切さ
-
- ① 私は、病気の不安、過去の清算、自分の弱さ、悩み全般のことを誰にも言えず耐えてい
- た。悩みを語ることで、それを弱音と取られ、その結果、弱い人間と思われたくないプライドという言葉で覆われた見栄の悪魔が、私の心を支配していた。
-
- ② 「心が動く」の著者 森山 志郎氏の心身の脳梗塞体験への苦悩の数々は、私の苦悩そ
- のものであり、私の心の苦悩の詳細を聞いて下さって、そのことに丁寧に回答して頂いているような気持ちになった。
-
- ③ “やっと巡り合えた!”
-
- そんな思いが、この書を手にした時に思えた。
-
- 私は、すぐ手紙を書き、感謝と著者が主催する自主グループへの参加を希望した。私は手紙に、正直に、素直に、自分の現状と悩みを訴えることが出来た。
-
- 私への返事の手紙の中には、ご自分の体験を通した私の悩みに対する深い理解の言葉に満ち溢れていた。
-
- 私は、そのことで「深く癒されて行く自分」を見つめていたのである。

1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙
『森山 志郎 先生』
平成15年6月2日
長山 弘
- 拝啓 突然のお便りご迷惑とは思いましたが、長い間考え続け思い切って私の思いを先生に伝えようとペンを取りました。
-
- 先生の「心が動く」のご著書を拝読した者でございます。
-
- 私は昨年6月27日脳梗塞で倒れ、今年の1月に左半身マヒによる「1種2級障害者手帳」をいただきました。私は、昭和20年3月2日生れの58歳です。
-
(1)病に倒れて
-
私は、平成14年6月27日まで上場企業の代表取締役をしておりました。 事業不振の責任を取って、退職を決意し、残務整理の後、昨年6月26日の夜、幹部と会社生活最後の食事会をしました。
- 少しのお酒で酔ってしまって、急に手に力が入らないのもお酒のせいだと思いました。
-
- 翌日6月27日、36年間の会社生活最後の日、株主総会へ向う車の中で左半身が痺れてくるのです。手と足に力が入らなくなって行くのです
- 経験もないのに、これが脳梗塞かと思いました。
- 途中で「僕は今脳梗塞進行中だよ」と言いましたところ、会社の部下が「それは大変じやないですか。すぐ病院へ」と言いましたが、「株主総会終わって行くから会社に行くように」と指示しました。
-
- しかし、少しでも早く応急処置をという部下の言葉に、朝早かった(午前6時半頃)こともあり、病院行きを許可しました。しかし、CTやMRIを待つ間に、手と足は完全に動かなくなり、左半身に全く力が入らなくなって行きました。
-
- これでは、医者が許可しないだろうと思い、株主総会出席の株主の皆様に病状を正直に伝え、欠席をさせていただく旨を伝えてほしいと社員を会社に行かせました。
- 医師の判断は、即入院でした。左半身運動マヒで、やはり脳梗塞でした。
-
- 病に倒れて最初の頃は、1週間もすれば直ってしまうような錯覚をしておりました。見舞いに来る人達を、むしろ励ましていた位でした。
- しかし、日が過ぎていく中で、ピクリともしない自分の左半身に、強烈な挫折感が押し寄せてきて、何度か一人咽び泣いたものです。
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- それでも、リハビリによる再起へ向けて、私もまた立ちあがりました。
- 多くの仲間と同じように、私も再起できると信じ懸命の努力を開始しました。
-
-
-
(2)ADL(日常動作訓練)に重点をおいたトレーニングです。
しかし、最初に出会った現実は「できるだけ早く退院するように」という病院からの指導でした。
-
- 救急期間が終わり、入院が長くなると、病院が保険料の関係で、赤字になるという理由でした。安心できる病院であり、例え保険料以上の多額のお金を払えたとしても、患者が要望する入院期間を延ばせない制度上の問題とのことでした。
- 釈然としない思いと、退院を迫られて不安を訴える仲間の思いに、悲しい現実を知りました。
- 退院し外来で通院しながらの、妻との二人三脚のリハビリが始まりました。
-
- 結果から見ると、その方がリハビリのためには、良かったのですが、当時の私には理解できませんでした。
-
-
(3)思いかけず襲ってきたのは、強烈な精神的苦悩でした。
-
- その心の葛藤を解決することもできず、私もまた出口のない迷路に悩んでいたのです。
- 何冊もの書を求めて書店を廻りました。
- 多くの書から感銘や勇気を頂いたのですが、どうしても心の底にストンと落ちてこない、喉元に何かが引っかかったような思いで過ごしてまいりました。
- それが今年の4月、いつものように書店を廻っておりましたら、学術書ばかりが並ぶコーナーに一冊だけ場違いの黄色い表紙のタイトルに目が行ったのです。
-
(4)それが「心が動く」というタイトルの先生の著書との出会いでした。
-
① 絶望の心境
- ② 障害の受容と死の受容の違い
- ③ 人間の潜在能力
- ④ ライフサイクルから見た発達課題
- ⑤ リハビリの本質
- ⑥ モラトリアム(人生の猶予期間)
- ⑦ 歩くこと
- ⑧ 書くこと一新しい自分との出会い、新しい価値観
- ⑨ 障害の受容と脱皮
- (引用):「森山 志郎(著)太田 仁史(監):「心が動く」荘道社 2001」
-
- 私が、心の底から求めつづけていた事柄が、最初のページの一文字から最後のページの一文字まで光り輝き乍ら、埋めつくされていたのです。
- 何回も繰り返し拝読させて頂き乍ら、感謝の思いがあふれ、大きな勇気が湧きあがってきました。本当に心から感謝申し上げます。
-
(5)「片マヒ自立研究会」への参加願い
-
- ご著書の中で示された「過去の自分を捨てるのではなく、生かしながら新しい生き方を開発していくこと」を私も実行したいと思うようになりました。
- その意味で私は大田先生の言われる教育グループネットワークに興味がありますし、先生が主宰されている「片マヒ自立研究会」の活動の勉強をさせて頂けないかと願っています。
- この1年、私の人生に障害者という新しい体験と心の葛藤を学びました。
-
- 多くの人達が、今でも今からも、不幸にして脳卒中を体験して行かれる人達の手助けになりたいと切に願っています。
- 御多忙のこととは思いますが、お許し頂けるのであれば、一度お目通り頂きたいことと「片マヒ自立研究会」への出席が可能か不可能かをお教え頂きたいと思います。
敬 具
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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3.森山 会長からの返事

横浜市泉区和泉町
片マヒ自立研究会 主宰 森山志郎
- 前略、お手紙、感動しながら拝見しました。
- やむを得ない用件が重なり返事が遅れたことをお詫びします。
- ご心労の果てのご病気は大変な苦痛でしたね。それにしても、その逆境から見事に立ち直ろうとする、長山さんの強固な意志と人生観に敬意を表します。
- お手紙を拝見して感じましたことは、ややもすると陥りやすい病変がいささかも認められないという点です。
- 左マヒなら右手が使えますが、左手を「捨てない」ことです。
- 出来るだけ辛抱強く付き合って、出来るだけ多くの仕事の協力者にしてください。
- そうしておかないと、左手が邪魔者になってしまうからです。
- 長山さんの現状は、論理的にも支障はないし知性の衰えも感じません。
- 体力の回復と平行して、一歩ずつ、新しい生活を組み立ててください。
- しかも、素晴らしい点は、その若さです。
- 私の発病が丁度56歳の時で、サラリーマン生活として一応の満足できる仕事が出来ていました。
- しかも、このまま蟄居するには早すぎる年代だし充分な気力もありました。
- どうか、長山さんも、自分の心身の状況と抵触しない生き方を見つけてください。
- お申し越しの「片マヒ自立研究会」の出席は大歓迎です。
- もしご希望でしたらお出かけください。
- 予定の目時は、6月22日、7月20日、9月21日、10月12日、11月16日になっています。8月は夏休みですが、私の出品する「凌雲書展」が関内の駅前であります。
- 研究会の会場は横浜駅の近くで、三越デパートの裏側にある、「神奈川県県民活動センター」の中の会議室です。午後1時半に始まり午後4時半ころまで続きます。
- テーマは毎回違いますが、6月に創刊を予定している「会報」が話題を集めるでしょう。
若いときに三重県の鈴鹿工場に勤務していたとき、岐阜には観光に行きました。
- 長良川の清流や金華山のたたずまいが眼底に残ります。数年前に岐阜県の保健婦研修会で一度講師としてお邪魔しました。
- それ以上に岐阜県は、私が私淑していた禅の研究で有名な古田詔欣先生の郷里でもあります。そんな岐阜県のかたと知り合いになったのは「ご縁」としか思えません。
- どうぞ、私たちが持っているもの、探し当てたもの、役に立つと思えば遠慮なく持っていってください。そして、長山さんが元気に立ち直ったのを見て岐阜県の皆様が「あんなに元気になったよ」と長山さんを仰ぎ見て欲しいのです。
-
- 人生は充分に長いものです。
-
- その人生に堪える力を養って、出来ることなら愛する人と交流を深めて行きましょう。私たちは間もなく金婚式を祝います。これも障害者になったお陰なのです。
- 仕事ばかりしていたら金婚式など夢想も出来ないことでした。
草 々
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」
-
アメリカではこの制度が定着しているが、日本では自主グループの中で実施されているに過ぎない。
- 「がん患者」「エイズ患者」などの人々の心を癒してあげるのは、同じ病気の体験者であると言われている。
- 日本の医療には、精神的な課題へのピア・カウンセリングの制度は、専門職(ピアカウンセラー)としては、確立していない。
-
- ② 「心が動く」の著者の森山志郎氏の講演会で、人が「傾聴してくれることが癒しになる」ことを
- 次のように述べられている。
-
- 『自主グループで、発見したことは、「自分の痛み」「自分の悩み」「自分の辛さ」を外部の人に分かって貰えないことが、そこでは、自然に分かり合えるということです。そこには大きな「心の平和」が生まれて来ます。
- そこでは、あまり努力しなくても、仲間の中では分かり合えるのです。
- 「みんな苦しんでいる仲間なんだ」「苦しんでいるのは私一人ではない」そんな仲間の中で初めて言葉を使う機会が生まれてきます。
- それまでは恥ずかしくて、自分の話が出来なかったのです。
- 今でこそ、こうやって皆さんの前で講演をしていますが、その頃は構音障害(脳血管障害の後遺症の言語障害の一種)で、ほとんど言葉は出ませんでした。
- でもそんな仲間の中では、恥ずかしがらずに一生懸命に話しますし、相手も最後まで真剣に聞いてくれます。
- なるほど「傷つける癒し人」と言われますが、傷ついたもの同士がお互いに「相手を癒してくれる」そんな立場があるのだろうと思いました。』と傾聴することの意義が語られている。
-
- ③ 立川昭二先生は、次のように「癒しの人間学」 で語られている。
-
- 『「癒しの時代」ということは、病むこと、苦しむこと、悲しむことのない時代というのではない。病いや苦しみや悲しみを自ら引き受ける者こそが癒される時代をいうのである。
- そして、みずから病む者、苦しむもの、悲しむ者こそがまた、病む者、苦しむ者、悲しむ者を癒すことができる時代をいうのである。』と癒しの時代を語られている。
- (引用):「立川 昭二:「メンタルケア論」P151 メンタルケア協会 2003」
- ここに、多くの障害者が癒されていくことへの祈りをこめて、「森山 志郎 記念館」設立を懇願して行った。
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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5.「片マヒ自立研究会」への参加
- ①森山 会長の返事の中で次の2点に新鮮な衝撃を受けた。
- それは
-
『しかも、素晴らしい点は、その若さです。
- 私の発病が丁度56歳の時で、サラリーマン生活として一応の満足できる仕事が出来ていました。
- しかも、このまま蟄居するには早すぎる年代だし充分な気力もありました。どうか、長山さんも、自分の心身の状況と抵触しない生き方を見つけてください。』
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-58歳になって、障害者の私が、還暦を迎えようとする自分の年齢の前で初めて、呆然としていた私に与えられた
『しかも、素晴らしい点は、その若さです。』
という言葉であった
-
-
昭和4年生まれである森山 会長は私と16歳の年齢差があった。
当時、私より16歳若い人は、42歳である。
私もきっとその人に同じ言葉をもって無限の可能性を伝えたであろうと思った。
それからの私は、年齢の前で立ち尽くす戸惑いが消えた。
- ②『
どうぞ、私たちが持っているもの、探し当てたもの、役に立つと思えば遠慮なく持ってい
-
ってください。
そして、長山さんが元気に立ち直ったのを見て岐阜県の皆様が「あんなに元気になったよ」と長山さんを仰ぎ見て欲しいのです。
-
- 人生は充分に長いものです。その人生に堪える力を養って、出来ることなら愛する人々と交流を深めて行きましょう。
-
私たちは間もなく金婚式を祝います。
これも障害者になったお陰なのです。
-
仕事ばかりしていたら金婚式など夢想も出来ないことでした。
』
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- 障害で苦しむ私にとって、「ご自分が探し当てたもの、持っているもの、役に立つと思えば、遠慮なく持って行って下さい」という言葉が、どれほど大きな救いの言葉であったか。深い感動と感謝を込めて、返事の手紙を、何度も、何度も、繰り返し読ませて頂いた。
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金婚式を祝えるのも「障害者になったお陰なのです。」の言葉にも深い、新鮮な感動を受けた。
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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6. 森山 志郎 記念館」創設に対するお願いと提案
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- (1)「森山 志郎記念館」という名称にすることとカリキュラムを次の通りとした。
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① 脳卒中論文館
- ② 人生そぞろ歩き(人生論)
- ③ 書道館(障害受容への道)
- ④ 写真館
- ⑤ 家族館(夫婦で歩いたリハビリの道:
- (奥様のこころ)
- (2)― 森山志郎記念館とは、「脳卒中片マヒ者・人とからだの23年」の
- 「戦うリハビリテーション」の記録です。―というサブタイトルを提案した。
- (3)このような企画で、「森山 志郎 記念館」の開設と論文等のご執筆と100年後も残る
- 「脳卒中患者の生きる道しるべ」作りを依頼した。
- 同時に、「森山 志郎記念館」の表題のご揮毫も同時に依頼した。
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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7. 森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿;中間報告
- ホームページの準備は進んでいます。
- この事業を続けるために、私の後継者として「桑原 直哉君」を指名しました。
- 生活の再建研究会の理事・事務局長です。
- 昔の私の部下で、50歳の健常者です。私を、ずーと支え続けてきてくれました。
- パソコンのプロです。彼が、本格的ホームページを作っています。
- ホームページ作りには、7人が関わっています。
- つきましては、4月中に会長から原稿をもらいますので、5月7日に 横浜で「打ち合わせ」を実施したいと思います。
- 出席者は、「長山 弘・律子」「桑原 直哉 君」です。
- 会長ご夫妻の日程を開けていただきたいのですが。
- 時間は、午後1時ごろと考えています。
出来ましたら、横浜で打ち合わせの場所をお願いしたいのですが。
- 最後に、会長に「本研究会の相談役」になって頂けないでしょうか?
- ホームページのシンボルマークの「四つ葉のクローバーの花言葉」は、
- 「希望」「信仰」「愛情」「幸福」だそうです。
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- 「森山 志郎記念館」を「信仰・祈り」とイメージしました。
1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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8. 森山 志郎 会長の返事は次の通りであった。
- ① 委細、承知しました。
- 会議室は、県民センター「707」号室を予約しましたが、12名用の小さい部屋です。 午後1時~5時で予約しています。
- 当日、家内は先約があり、同席は出来ませんが、諸手をあげて賛成してくれています。 どのような協力もしてくれるとのことです。
- 楽しみにしています。
-
- ② 改めて長山さんの構成力や実行力に敬服します。
- ホームページの分類を見ただけで驚いて感動しました。
- 一人でも多くの人が悩みを断ち切り、自分の障害と共に新しい人生を歩けると良いな、と思っています。
-
- 1. 表題は書きました。
- 2. 書道の作品・写真集も一緒に揃えてお持ちします。
- 3. 一般の論文も整理しておきます。
- 4. 立派なページが出来そうで楽しみです。
-
- そこで既に絶版になった拙著「歩けた!手が動いた」と言う本があります。平成3年に書き下ろした「-あるビジネスマンの脳卒中リハビリ成功記」と副題がついています。
- この本の版権は私が持っていますので、今度の企画の一部として、収録しては如何とその検討をご提案申し上げます。
- 必要あれば本を持参します。

- こうして、「森山 志郎 記念館」は創設されて行きました。
-
- 不幸にして、脳卒中で倒れてしまった過去の:現在:そして未来の多くの人たちの「心の意思杖;生きるための礎」として、「戦うリハビリテーションの精神」が「森山 志郎 記念館」を通して、森山 館長の祈りとなって、皆様に届けられることをうれしく思います。

1.「脳梗塞」発症と名著「心が動く」との出会い 2.森山 志郎 片マヒ自立研究会 会長への手紙 3.森山 会長からの返事 4.「森山志郎記念館」の設立と「ピア・カウンセリング」 5.「片マヒ自立研究会」への参加 6.「森山志郎 記念館」創設に対するお願いと提案 7.森山 志郎 片マヒ自立研究会会長 殿:中間報告 8.森山志郎 会長の返事は次の通りであった
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