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1.ホームページの思想の淵源(えんげん) 2.「ホームページ」を開設にあたっての、別府さんへの手紙
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「ここに人あり」コーナー創設の願い

1.ホームページの思想の淵源(えんげん)
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- 平成16年7月24日 私は、「㈱会社みどりのもり」代表の別府 正さんと福岡県志賀島の美しい海辺に面したレストランにいた。
暑い日差しと真っ青な海と真白い浜辺の砂が心に沁みた。
- 私は、別府さんの言葉を待っていた。
- 脳梗塞を発症後、頼まれて、就任していた当時別府さんの勤めていた企業の2年間に亘る最高顧問の職を辞する日でもあった。
- 脳卒中後遺症に悩みながら、懸命に生きた闘病生活の先の人生をどのように生きていくのか、私は、別府さんの言葉の中から生きるヒントを見出そうとしていた。
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- 【1】「食と農との出会いと願い」
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- 別府さんは、時々に私に語ってくださったご家族と「食と農への限りない思い」をその時も語られた。
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- (1)大陸満鉄で仕事そして敗戦、復員して5人の子供を含む家族9人のために寡黙に大工仕事
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- (2)最後に、遅く生まれてきた別府さんを、大学まで進学させるために仕事ばかりしてきたお父
- 上が、残念ながら晩年は認知症になり、恩返しの旅行も感謝の言葉も、親子の感情も通わな
- いまま他界されたこと。
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- (3)その日は、雪が大地を美しく彩った朝であったこと。
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- (4)祖母さまは大工をするお父上、農業をするお母様に代わり、別府さんをおおらかに温か
- く育ててくれたことなどを別府さんは遠くを見るように、静かに語り続けられた。
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- (5)「幼少の頃から中学時代まで、私はそんな祖母と祖父の間で川の字になってお座敷で寝て
- いました。祖母は、太っ腹で母よりも大きな存在でした。でも私が結婚する年の夏、突然
- 病に倒れ他界しました。
- 私が現在の仕事で多くの高齢者と出逢いますが、若い人を相手にするよりも、お年寄り
- に親しみを感じてしまうのも食と農業への限りない思いもその時の、祖父母とのそうした
- 生活体験があるからかも知れません。」
- (6)そう言って、「みどりのもり」という会社で、本当に消費者
- の身体の健康と自然の環境を大切にした「食と農」を事業
- 化したいと熱く語られた。
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- 【2】ホームページの思想の原風景
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- その時、私の生き方へのヒントを頂いた。
- それは、「長山さんと会えて、お付き合いさせていただく中で、長山さんの思想や経験を待っている多くの人がいる気がします。企業への指導ばかりでなく、世の中には精神対話士という資格があるそうですが、例えば、子育てで苦しんでいるお母さんはもの凄く多い。
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- 悩める多くの方々への指導なども是非して頂いたらと思いますね。」
- 「精神対話士」という言葉を初めて聞いた。
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- その8ヶ月後、私は、「精神対話士養成講座」を受講していた。
- 私は、「私の闘病体験と生活の再建ホームページ制作への道」を辿って行くことになったが、その沿革の源に別府 正氏の存在と言葉があった。悠久の歴史を湛えながらも、物言わぬあの志賀島の真っ青な海がこのホームページを作ることを決意した原風景であった。

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2.「ホームページ」を開設にあたっての、別府さんへの手紙
- 親愛なる
- 長 山 弘
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- 「ホームページ創設」報告と「ここに人あり」のコーナー創設の願い
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- 【1】「ホームページ開設」までの道のり
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- 「脳梗塞」発症以来6月27日で丸6年になります。
- この6年、見栄を張って生きてきた自分を内から見つめ続けてきました。
- 63歳を迎え、発症後7年目を生きることは、自分の人生の過去と未来を総括することだと思い続けてきました。
- 別府さんと巡り合えた、「最高顧問」の使命を終えてからの年月は、一生捧げて行くことのできる生き方を求めて、学び続け、座り続けた4年間でした。
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長い年月を真実の生き方を模索し、その間、色々な思いが浮かんでは消えて行きました。消しても、消しても、何かしら世の中のために・病いや人生で悩める多くの人々と共に生きたいという願いだけは、消えることはありませんでした。
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- 世の中のためにと思いながら、ふとまわりを見渡すと、自分の生きてきた世界の狭さに気付きました。
- 仕事以外の世界へ一歩、ボランティアや別府さんから教えて頂いた精神対話士を含め、思い切って今まで生きなかった世界へ出てみました。
- そこで、「障害者」だけでなく、多くの悩める中高年の姿に出会いました。
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- 私は、私の生きてきた世界の経験や知識や考え方で、「世の中のために」貢献できる道があるのではないかと思い始めました。
- 障害者や高齢化社会で生きる道を求めている人々に、私の学んできた「障害受容」や就業へのいくつかの方向性を提案し、少しでもお役に立つことが出来ないだろうかと考え始めました。
- 「脳卒中」が私の体験です。
- 多くの事業の経験もしてきました。
- でも同時に、年代的にシニア世界に足を突っ込み始めていたのです。
- 思索を続け、思考の果てに「NPO 生活の再建研究会」を創設しました。
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- ① 脳卒中・中途障害者の生活の再建・復活
- ② 中高年・団塊世代・シニア世代の生活の再建・復活・創造の「2大テーマ」に取り組む
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- 自分の決意を深めるために、弱い自分から逃げ出させないために、「ホームページ」を発信することにしました。
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- このことを友人たちに話したところ、全面協力したいという申し出もあり、パソコンの専門家も参加してくれました。
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「脳卒中の障害の部分」を他の病いや障害に変えれば、
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- ①「脳卒中以外」を経験した方々が、ご自分の体験を載せるだけで、ご自分のホームページを制作発信できることができないであろうか。
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- ② その方々へ仕事や社会貢献などの「生活の再建部分」を全面使用出来るように協力できるホームページに作り上げて行きたいと願っています。
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- ③ 闘病体験以外の「生活の再建」の部分は、高齢者にとってもどのような病の障害者にも共通
- する課題であり、共通部分として、更に研究発信して行こうと思っています。
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- ④ 高齢者も様々な病の人も、情報発信の手段に「インターネット」を利用し、そのネットワ
- ークを作り上げれば、真の共生社会の創造に寄与できると考えました。
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- ⑤ その中で、多くの人の「アイディアや経験の結集」と「具体的行動目標を構築するシステ
- ム」を作り上げ、新しい世界を生み出す端緒を切り開きたいと願っています。新しい時代の「社会起業家」などの現状や方向性なども発信できたらと思っています。
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- 【2】「ここに人あり」コーナーの創設について
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- その中で、「ここに人あり」というコーナーを作ることを感じ始めました。
- 「シニア世代の人」や「障害」を受けながらも、真剣に生きている人を、紹介し続けていくという企画です。
- 「超高齢化社会の到来」が今後の世界の重大テーマです。

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- 私も平成14年6月57歳で 脳梗塞で倒れ、「1種2級 左マヒ重度身体障害者」になって6年目を迎えています。平成20年満63歳になりました。
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- 様々な苦悩と体験を得て、中途障害者として「生きる意味」を見つめ続け、崩壊されてしまった「生活の再建の道」を求め続けて来ました。
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- そして、障害者の心身の苦しみは、実は老化に伴い「高齢化世代」「シニア世代」が、いつか辿り着く悲しみに通じていることを見出していました。
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- 今、「中途障害者」も「高齢化世代」の人々も、人類の歴史上初めての「超高齢化社会時代」を迎えて行きます。それにも拘わらず、行政の財政の逼迫が続いていく中で、適切な政策を提示できない日本の現状があります。
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- 頼れなくなった国や自治体の行財政の中で、将来を、どのように生きていくかの指標を、我々中途障害者や高齢化世代自らが作り上げる「時代の要請」を感じ始めています。
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- 私は、「ホームページ」発進時に、「ここに人あり」で、まず紹介したい方は、脳卒中障害者である「片マヒ自立研究会 主宰 森山 志郎氏」です。
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- ① 森山 志郎氏とは、次のような方です。
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旭化成の北海道支社長であった23年前、脳梗塞に倒れ、右半身不随になられました。
- 不屈の信念で「片マヒ自立研究会 主宰」として、100回以上の講演、数多くの著作、多くの論文を残し続けられています。
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- 「障害受容」の独自の理論を作り上げられ、多くの障害者の光になっておられます。
- 利き手交換による「左手での書」は、万人に感動と勇気を与えておられます。
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- テレビ出演・大学での講義・禅の道の求道。凄いものがあります。
- 私が、脳梗塞の精神的後遺症に悩んでいた時に、門を叩いたかたです。
- 現在発症された方や残念にも今後発症されるであろう数知れない「脳梗塞発症者への生きる道しるべ」としての「森山 志郎記念館」の継続と「脳卒中障害者等の生き方・体験記など」を「ここに人あり」コーナーで紹介して行きたいと願いました。
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- ② 次に、別府さんの生き方を是非紹介させて頂きたいのです。
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人々の真の健康と幸せづくりの為の食へのこだわり、農への思い、作り側への限りなき愛情。寸分の隙間もないほどの人への・生産物への愛情。
- 自然への畏敬・文化への尊崇・努力への習慣化・何よりも人を愛するこころの深さを保持し続けられていること。
その別府さんが、中高年から、自分で立ち上げられた現在の事業の概要と未来への夢。食文化への限りない情熱。
- 別府さんをかたどって来た別府さんの半生と現在の事業への動機・苦難・行動を「ここに人あり」で紹介したいのです。
- 多くの中高年に、生きる勇気と努力への勇気を与えられるはずと思うのです。
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- 「ここに人あり」コーナーはきっと、長い年月を経ずに、多くの方々に大きな勇気を与えられるコーナーになると思います。
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- 「ここに人あり」への執筆を、別府さんにも、是非お願いしたいのです。
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- 真の勝者たる地道に生きる偉大な人々をこの「ホームページ」から発信できないでしょうか。

- 私は、どうしても平凡でも真に偉大なる人間そのものを永遠に残したいのです。
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- 人が、人であることのできる世の中に貢献できるために。
- 別府さんに心からの願いを込めて、この手紙を書いています。
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- 【3】別府さんからの返事 :「運命的使命」と「ここに人あり」コーナー
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- 長山さんからの郵送されてきたお手紙と資料を拝見致しました。
- 長山さんのホームページ制作にかける強靭な思いに胸を打たれました。
- 同時に、長山さんと二人で志賀島までドライブした時のことを思い出しました。
- そこには、「弘」という地名もありましたね。
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- 私は、長山さんと会った当初から、長山さんの頭脳と精神が、不運にも肉体的ハンディキャップの重荷を背負った身であるにも拘わらず、健常者をはるかに超越していらっしゃることに驚き、注目していました。
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- 「長山さんをこのまま社会から埋没させてしまうことは決して神の望むところではない。」その思いは共に過ごす限られた時間の中で、ますます強く私を支配するようになりました。
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- 「長山さんの闘病の戦前戦中戦後体験をこの世にあまたいる絶望と失意の人々の救済に生かしてほしい!!」、そう切望していました。
- 長山さんにはその使命を果たさなければならない神の声があり、その先に長山さんを待ち続ける苦悩の人々が沢山いるはずです。

- 長山さんのお手紙と企画内容を読み終えた後、しばらくの間、私のこれまで、そして、これからの人生のことを考えていました。
- さしたる能力もなく惰性で生きていた私にとって、長山さんの「人としての逞しさと温かさの力」は計り知れないエネルギー源でした。
- 長山さんからこんこんと沸き出るその源泉をホームページで発信することは「今日的な全共闘」かも知れません。
- それは、長山さんが少年期に志されていた政治家や新聞記者以上に、多くの人々に生きる希望と知恵を与える確かな力であり、不幸にも不運にも不遇にも、世の片隅で不安と絶望の中で過ごしている人々への希望の光となるはずです。
- 大江健三郎がノーベル賞受賞の記念講演で「世の片隅に光を与えること」が作家としての自分の使命であることを述べました。
- 生まれた時から障害を背負わせてしまった一人息子に「光」と命名したのもその思いからのようです。長山さんの思いが作家としての彼と重なります。
- 崇高で敬謙な長山さんの思いに熱いエールを送ります。
- 長山さんの全人格のなせる事業であると確信します。
- 私の「ここに人あり」は、懺悔の値打ちはありますが、果たしてどれほど価値があるものやら… もし私のささやかな思いが、少しでも世のために活かされるのであれば、長山さんの使命に応えたいとおもいます。少し時間を下さい。
- 私の「食と農」の事業は今年が3年目。ようやく生産者にも消費者にも私の思いが理解され、安定的成長が期待できるまでになりました。
- お客様からも、更なる期待が寄せられています。
- 今年の海。果たしてどんな気分で見れるのでしょうか。
- 奥さまによろしくお伝えください。
【4】「ここに人あり」コーナー創設の願い
- 「ゼロからの挑戦」が、これからの超高齢化時代の日本人に与えられたテーマである。

- 「日本の戦後は、数千数万のプロジェクトのドラマの歴史であり、そこに身を投じた無名の人たちが懸命に困難に立ち向かってきた日々の記録でもある。」と、かつて、NHK「プロジェクトX」の中で語られた。
- 新たな挑戦は、いつの時代も、当初は、資金にも組織にも恵まれず、逆境のなかで夢を追い続けたリーダーの思想と資質が、成功の可否を握って来たと多くの人々に勇気を与え続けてきた。
- 人は、時代の過酷な要請の中で、時として想像を遥かに超えた闘いの中に身を置くこともある。
- いつの時代も、その苦難の時を、多くの協力者と共に生き抜いた人がいた。人類の歴史は、人生のすべての責任と多くの人々の運命をも背負い、生き抜いていった人々を輩出し続けた歴史であるとも言えるのではないかと思う。
- 耐えて、道を切り開いていった方々の生き方が、次の世代を創造する原動力になって行った。現在を、懸命に、生きていられる方々の信念や願いを多くの人々に知っていただきたいと願っている。
- 「森山志郎記念館」に続く「ここに人あり」」コーナーが、現在と未来を切り開く、多くの人々への勇気になって行くことを信じている。

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