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1.人生の壁の出現と人の反応について 2.再び生きるために 3.中途障害者の「生」の分裂について 4.障害者の「変容」を齎す「挑戦」と出会い 5.「障害者」と「変容」について -常識の枠を破ってくれた私の「出会い」- さいごに
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弱者体験者の真の強者(人間の尊厳性を考える)としての根源

社会学者・細田満和子氏「脳卒中を生きる意味」に学ぶ

はじめに
- 有史以来、人類社会はどれだけの進歩をして来たのであろうか。
- ただ一つ、確かに科学のみは発達したと言えるであろう。
- 科学研究に於いては、先人の研究したことを学び、その研究の上に自分の研究をつぎ足して行くという風にして発展させることが出来た為であろう。
- しかし、突然、人に現れる人生の壁や様々な人生の課題に対し、つぎ足しは出来ない。
- 各人は、それぞれ第一歩から始めなくてはならない。
- いくら焦っても、他の人の経験や対処の上に次のものをつぎ足し加えていくということは、不可能である。
- 人は、それぞれの生涯の中で、時期と形を変え、人生の行く手に立ち塞がる壁に出会う。
- かつて、「脳梗塞で倒れた人」のことも、父親という身近にあった事柄であったにも拘わらず、私は、真剣に自分のこととしては受け止めることが出来ていなかった。
- 私は、その壁の威力の凄まじさに打ち砕かれたのである。
- 障害そのものを受け止める「障害受容」の先に、「生きることへの肯定」即ち「新しい自分の再構築―変容」に至るまでには、深い、長い道のりがあることを知った5年間であった。
←1.人生の壁の出現と人の反応について→
- 1.人生の壁の出現と人の反応について
- 社会学者:細田 満和子氏は、著書「脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学」の中で中途障害者の苦悩を次のように表現した。
- 1) 経 験:
- 人は諸体験を反省し知識とした経験を参照しながら、諸状況に対処している。

- 2) 対処不能:
- 自らの置かれた状況が、過去の経験を参照しても、対処できない全く新しい「危機」と思われるような時、人は自己を否定するようになる。そこには「深い絶望」を伴う。
- 3) 人生の途中で重い病気や障害を持った者を
- 含め深い苦難に出会った者は自らの生すら肯定できなくなる。「障害者になった私が生きる価値や方法があるのか。」と問い続け「ある筈は無い。」という答えに苦しみ続ける。
- 4)見えない手探りの暗闇に、なかなか出ない新たな決意を作り出さなければ成らなかっ
- た。決意できるまでの、内へのエネルギーの重圧や歩き出すべき方向の確認に中途障害者は苦悩し続けている。
←2. 「再び生きるために」-「障害受容」と「変容」→
- 2. 「再び生きるために」-「障害受容」と「変容」
- 社会学者:細田満和子氏は、先の著書の中で、「生きる」を成り立たせるものとして次の5つの位相の統合性として捉えた。
- 1) 生命:命を持つものとして存在していること。
- 2) コミュニケーション:言葉を使って考えたり他者とコミュニケ-トすること。
- 3) 身体:身体を認識したり動かしたりすること。
- 4) 家庭生活:家族との関わりを持ちながら暮らすこと。
- 5) 社会生活:職場や親しい人との集まりなどで社会的存在として暮らすこと。
←3. 中途障害者の「生の分裂」について細田満和子氏はさらに説く。→
- 3. 中途障害者の「生の分裂」について細田満和子氏はさらに説く。
- 1) 脳卒中の発症は、まず、「生命の危機」に出合う。
- 2) 更に、障害の後遺症で「コミュニケーションの危機」「身体の危機」に出合う。
- 3) 看護や介護、収入を絶たれた場合など「家庭生活の危機」に出合う。
- 4) 現在の社会は、障害者を受け入れる充分な状況には無い。
- 例え、復帰出来たとしても、身体能力的にも発症前の状況に戻ることは出来ない。
- 5) 多くの発症者は、以前の自分とは全く違ってしまったことに苦悩する。
- 「生」をかたどる一つの位相・複数の位相は危機としか捉えられず、その結果、それまで統合性を保ってきた「生」はバラバラに分裂してしまう。
- この時、人々は、生命体として存在しているのに、人として「生きる」という実感が持てなくなり、痛みと苦しみの中で、時には自らの生命を絶とうとすることさえある。

←4. 障害者の「変容」を齎す「挑戦」と「出会い」→
- 4. 障害者の「変容」を齎す「挑戦」と「出会い」
- 細田 氏は多くの脳卒中障害者とのインタビューや聞き取りを重ねつぎのように「変容」を説いている。
- 1) 障害者は、失った各位相を最初は危機としか認識できないが、個人としての異なる様々
- 2) 数々の試行錯誤の経験を繰り返す過程で、脳卒中になった人々は、自らが受苦的で受動
- 的な存在であることを認め、病気になったことによって「新しい自分」になったという認識を得ている。
- この、新しい経験を手に入れるという認識の部分と、新しく実際の身体や生活を作りかえるといった実践の部分の双方が変わる「変容」を齎す。
- この「新しい自分」を見出した時、ばらばらになった<生>をかたどる位相は再び統合されて行くと。
- 3) 自分が自分で無くなったと思う「絶望」の中から、挑戦しては、失敗し、失敗しては挑
- 戦する心を支え、病を持つ自分を肯定的に捉え直すことが出来るようになるには、「医療関係者」・「家族」・「友人」・「思想」・「仲間」などとの出会いに大きな影響があった。
- 「変容」を齎す挑戦への勇気を奮い立たせる「出会い」が「自立への要」になったのである。

- 4) 真の「出会いの意義」について
- ① その「出会い」は、単に人と人が会うことや同じ場所で行為することとは異な
- ②「出会い」とは、「生」をかたどる各位相が、危機に陥ってバラバラになるという
- 状況に直面した人と、支える他者が、互いを必要としつつ支え合うという関係性が築かれることである。
←5.「障害者」と「変容」について -常識の枠を破ってくれた私の「出会い」-→
- 5.「障害者」と「変容」について -常識の枠を破ってくれた私の「出会い」-
- ① 「障害受容」が、私の最大の関心事であったが、本論文を得て、「障害受容」の先にある
- ② 「変容」を自分が確認できたとき、「新しい人」が生まれるのであり、「障害受容」だけを
- 求める限り、いつまでも限りなく小さく成って行っても、「障害受容の残骸」は残り続けるものであったろうと思う。
- 私にとって真の「障害受容」は出来なかったのかも知れない。このことにはっきりとした論理を知りえたことはこの上もない喜びであった。
- ③ 発症以来6年目―「1種2級 重度身体障害者」という私の身体状況が、若干の障害は残りつ
- つも、通常の生活に戻れた事実に加え、「生まれ変わった新しい自分」と遭遇していた。
- ④ 健常者であったときと全く違ってしまった「心の開放感」と「澄み切った生命なるものへ
- の畏敬と感動」が甦っていた。
- 「新鮮に生まれ変わった新しい自分」ということを「甦りとしか言い表せないこの感覚」を不思議に思う。
- ⑤ 「新しい自分」は既に自分の中に埋蔵されていたものであったのである。
- ⑥ それを、齎せてくれたものが、「数々の真の出会い」であった。
- 1) 医療関係者との「出会い」
- 2) 理学療法士・作業療法士との「出会い」
- 3) 家族との新たな「出会い」
- 4) 友人との新たなる「出会い」
- 5) 同病者との「出会い」ー自主グループ「片マヒ自立研究会」
- 6) 共感する他の種類の障害者との新たなる「出会い」
- 7) 新たなる仕事との「出会い」
- 8) 新しい自分との「出会い」―5年間の体験の意義
- ① 肉体とリハビリ:
- ・障害を克服できても、いつか滅びる自分の肉体だけが、私の全てであるはずは
- ・しかも、たとえ、肉体が元のように戻ったとしても、肉体は、死を以って、滅
- びて行くものであり、何人も老化という事実を回避できない。
- ・人間の現象的常識の間違いや矛盾点を見つめて行った。
- 人間は、死を恐れ、片方で死を求める。
- 老化することは、若さというものがいいという常識、老化は醜いと言う考え方があるのである。
- 現象思考の、感覚的・表面的美しさ重視の考え方が若さを求める。
- 私にも若い時代があった。
- 私は、その若さに、どれほどの感動をもって生きていたのか?
- 若き時代は、若さに満足せず、色々な迷いで自分を苦しめて来た。
- ② お金も同じであった。お金がある時には、無駄な贅沢を豊かさだと錯覚してい
- た。この病を得て、小さいお金にも、感謝できる自分に会えて、真の豊かさを感じられる自分を獲得したのである。
- ③ 何故、人生の最後に老人の時代を神は持ってきたのか。
- 若さだけでは出来ない、それぞれの年代でしか出来ない・やるべき仕事をする為に、これからの時期があると思えるようになった。
- 人生すべての世代に「発達過程がある」というエリクソン心理学に賛同を覚える。
- 高齢化していく年代を生きることは、私にとって「未知の世界」に初めて入って行くことである。どのように、新しい眼でこの世界を見、感じ、どのような体験を重ねていくことになるのか。
- 発症6年目を迎え、ワクワクしている自分と遭遇している。
- 9)「変容」した「新しい自分」を細田氏は論文の中で次のように定義した。
- ① 従来のように健康で効率良く働ける能動性を備えた「強い主体」ではなく、身体
- に限界付けられ、否応なしに外界からの働きかけを受け、受動的にならざるを得ない「弱い主体」である。
- しかし、この「弱い主体」は自らが傷つきやすく、弱い存在であることを経験として知ることによって多様性に開かれるという、人間としての豊かさを兼ね備えた肯定的存在である。
- ② 弱さを肯定できる「新しい自分」は健康で働ける強い者だけに高い価値が置か
- れ、そうした強い者が、病や障害を持つ者や働けない弱いものを支配するような構図に疑義を呈し、弱い者こそ、困難の多い生を懸命に生きる強さと誇りを持っていると考える。
- ③ E.フロムは《何ものにも執着されず、束縛されず、生きることそのものを肯定す
- ることを「持つこと」ではなく「あること」》と提議した。
- 脳卒中になることによって見出された「新しい自分」とはE.フロムが構想した、社会変革の可能性を併せ持つ主体とほぼ重なるといっても良いだろうとも主張した。
- ④ 障害者になって初めて分かる、弱い者を経験した者が持つことの出来る「誇り」
- への感動を細田氏の論文から受け取ることができた。
- 「この誇りは、高齢者が同時に持つことのできる、多様性に開かれた真の強さにつながらないであろうか。」
- 10)私という人間の心底からの願いとの「出会い」
- ①「お金を稼いで、心配のない生活をする。」という現象的な楽な生き方が私の真の
- 願いではないことを、脳梗塞を生きる過程で感じてきた。
- ②「私の個性を生かす道に徹すること。そして小さくてもいいから、一人でも多くの
- 人に価値ある生活をして貰う道を創る仕事を私のこれからの一生の仕事にしたい。」という思いが募って行った。
- ③「自己発展の生活」「利己主義の生活」の自分が他より高く上がることによって喜
- ぶ生活ではなく、「自分本位な我を捨てて行く生活」によって、自分が持てる働きを大にしろ小にしろ、周囲に捧げて、周囲とともに生長して、周囲の喜びを自己の心の鏡に反映させ、周囲と共に生長して喜ぶ生活が出来ないだろうかと考え続けた。
-
- このような生活が「私の真の願い」であることを確認して行った。
←さいごに→
さいごに
- 1)発症以来5年を経過した。
- あれほど苦しんだ「障害受容の課題」も解決でき、「変容した新しい自分」を発見できた。今は次のように感じている。

- ① 人の「心の組み替えの体験」は、「深い苦悩と深刻な探求の果て」に初めて起ることで
- ② しかし、「新しく生まれた自分」というものは、以前から自分の人格の中に既に埋蔵さ
- ③ 現象的な外界・他者との表面的比較、自分の中にある理想と自分の現状との比較が「苦
- ④ 新しい「出会い」というものは、他者から与えられるものと自分の納得できる真理の探
- 求から見つけ出すものとがある。それは、個人の意志と努力、個人の思想、性格、環境などによって千差万別である。
- ⑤ 人は自分の決断と価値観によって生きている。
- 心を開いて行かない限り、真の対話は実現しない。
- 人が人を救うことは出来ないが、細田氏が説いたように人間は「生の5つの位相」の統合性を保ちながら生きるものである限り、その「生の5つの位相」は全ての人にも当てはまるものである。
- 自分も他者も別々に生きているのではなく、この世界の中で、相互に影響しあい、支えあっているのであることを信じることが「共生社会を生きる」「共生社会を創造する」ことに繋がると思う。
- ⑥ 環境は、自分の心の展開であるとも言われているが、現実の世界は、環境が「社会と人
- 間」に「変革」を求めて来たのである。「時代の変革」に応じられなかった人々は、落伍者として、敗れ去ったように見える。
- 実は、決して落伍者など存在してなかったのではないであろうか。
- 人は、自分の価値を求めて生き続けている。
- 「苦しみや悩み」は変遷して止まない環境の中で、自分独自の本当の価値を見出すまでの道程であると考える。
- ⑦ 人は、独自性の自分の価値ある人生の創造を求め続けている。
- その為に、家族を含め、より多くの人々の幸福な未来を願い、そこに自分を役立てたいという思いが多くの人の「生と死」を支えて来たのだと思う。
- ⑧ 「思想との出会い」と「自己変革」
- 私の体験で、「脳梗塞障害者」の「障害受容」の先に存在した「変容」が出来たのは、「多くの人との出会い」「深い思想と学問との出会い」そして、「自主グループの存在」であった。
- そこには、いつも深い人間観に基づいた指導者の存在があった。
- 最終的には、どの様な思想と「出会い」、既に自らの中に存在する「新しい自分」と出会うことが出来るかが、「変容」即ち「自己変革」であると思うに至った。

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1.人生の壁の出現と人の反応について 2.再び生きるために 3.中途障害者の「生」の分裂について 4.障害者の「変容」を齎す「挑戦」と出会い 5.「障害者」と「変容」について -常識の枠を破ってくれた私の「出会い」- さいごに
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