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1.「身体障害者手帳の交付と障害受容について」 2.「うつ病状態」に気づかぬまま 3.環境と仕事について 4.「脳の減退と老化について」の気づき(平成17年12月27日) 5.意欲というものの正体
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1.「身体障害者手帳の交付と障害受容について」(平成15年2月4日)
- 脳梗塞発症後6か月。「1種2級の重度身体障害者」の手帳の交付を受けた。
- 不思議な感慨であった。
- 障害者の烙印を押された強烈な侘しさとは別に、心の奥底で、過去に犯してきた様々な罪を償ったような安心感にも似た不思議な気持ちも生じた。
- 最も強く、深く、私を襲ったのは、重度障害者になったことによる強い劣等感であった。

- 私は、発症4か月目に、「経営コンサルタント」として社会復帰した。
- 誰よりも早く社会復帰を果たした評価を、社会にも、私自身にも残したいという見栄のために、世間体だけで、私は働き始めたのかも知れない。
- 障害と退職を同時に経験し、急激に失われて行く過去の実績を見つめていた。
- 過去の実績などは、「過去の遺産」として投げ捨てることの重要さが言われるが、頭で理解出来ていても、いつの間にか、過去に思いを馳せ、病に倒れた原因を作った自らの行動を悔い続けていた。
- この障害を受け入れ、新たな行動を開始できる「障害受容」ということが、求められていたのだが、当時の私は「障害受容」という言葉さえ知らなかった。
- 過去の清算のためには、過去の心の整理が必要だとのアドバイスを受けた。
- 私は、自分の「心の整理」のために、本の出版をするべく原稿用紙に向かった。
- 発症から1年半後「あなたへの応援歌―人生3度の生まれ変わり」が発刊された。
- 自らの、「再起への願い」を込めたものであった。
- しかし、本の出版が、確かに「心の整理」に役立ったが、自分を完全に立ち直してくれるものではなかった。
- 仕事は、困難を極めていたが、精一杯のなすべきことは成し尽すことができた。
- 私は、丸2年を経てこの会社の「コンサルタント」の仕事から解放された。
- 体調は、月ごとに、年ごとに回復のなだらかな登り道を辿って行った。
- しかし、精神的苦悩は、身体の回復基調に比べ、逆に沈み込んでいった。
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2.「うつ病状態」に気づかぬまま

- 発症3年目のころ、私は次のような日記を残し、「何をなすべきか」の自分への問いかけが続いている。
- ・平成17年6月4日 発症満3年を迎える月に記す。
- 今月で丸3年を迎える。
- 1年目から働いて。2年目で本を出版出来た。
- 3年目の7月「コンサルタント」の仕事の終了により1区切りが出来た。
- 精神対話士への挑戦を始めた。
- 自分なりに、良くやってきた、本当に努力してきたと思う。
- 4年目が将来への勝負の年だと思う。自分を生かす道を探す必要を感じる。
- ・3年の月日は、大きく周りを、人を、私を変えた。
- 自信過剰で生きてきた私が、信じられないほど自信を失ってしまっている。
- 過去のこの病に倒れた多くの人たちが、私と同じ挫折の道を歩いたに違いない。
- しかし、現実世界は理想を作る場であるならば、私は行動を開始しなければならないと思いながらも力が出てこない。
- ・世間から隠遁した人の思い。会社の業績不振の全責任を取り退職し、企業トップとしての責任を果たした積りが、厳しい現実から逃げたのではないかという悔恨の思いに苛まされている。
- 自分への叱責と罵倒の思いが、日々募ってくる。
- そんな思いの中でも、もう1人の私は、何かに向かえと叱咤する。
- からだと精神を整えてなすべきことを、探すことを始めなくては!そう叫ぶ私がいる!
- ・しかし、実際の私は、極度の自信喪失に陥っていた。
- 誰とも会いたくない。障害者としての肉体への、抜きがたい劣等感の発生。
- 捨てられない過去と捨てねばと思う心との葛藤。
- 全身が鉛になったような、言葉に表せないほどの疲労感の到来。
- それが、もろもろの「喪失感に伴ううつ病状態」であったことを、その後の学びによって知って行ったが、当時の私自身は、自分が「うつ病に罹病すること」など考えたこともなかった。
人一倍精神力が強いと過信していた自分が、「精神的な病い」などとは無縁だと思っていた。
- だが、私は以前の自分と全く変わってしまった自分に気づき始めていた。
- 強い孤独感を伴う虚しさと寂しさに加え、心身脱落感を伴う無力感と自信喪失感に落ち込んで行く自分の心をどうすることも出来なかった。
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3.環境と仕事について
- ・ 3年間のリハビリの苦しみを乗り越えて来たことが、私の果たすべき仕事だったのであろうか。
- この3年間、家族の存在と友という偉大な魂に守られ続けてきた。
- ・ 私は岐阜県多治見市を、リハビリと再起の場所に選んだ。
- もし東京で、家族と住んでいたら、子供も自立出来ないまま、以前とは変わり果てたリハビリに明け暮れる親の姿を見て、子供たちに苦しみを与えていたのかも知れない。

- 私は、やっと現実を見つめ、見栄の楼閣から降りられるような気がする。
- ・ その意味で、在職中から、倒れたのちも、3年
- 半に亘って、リハビリの為に共に歩み、共に生きてきてくれた友に感謝している。
- 友は、現実の生活の中で、壊れゆく私のプライドを守り続けてくれた。
- このことは、何にも勝る、掛け替えのない私への福音であった。
- ・ 心の力は出てきた。
- 「精神対話士」の学びによって、私に新しい学びへの意欲と「心身身体医学」への端緒を開くことができた。
- 新しい世界への挑戦で、前に進んで行ける自分を今感じている。
- ・ 必ず私の内価値に合う仕事に私は出会えることを信じていきたい。
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4.「脳の減退と老化について」の気づき(平成17年12月27日)
- ① 発症3年目の今年、4月・5月と2か月間だけ、頼まれて働きに出たことがあった。
- 期間限定的に働くことを決め、個人企業の人事・総務関係の相談役として諸規定と組織の整備という目的で入社した。
- そこでは、私の過去の経歴も実績も通用しなかった。
- 理想とか人生とかを考えながら生きることを許されていた、私が勤めていた企業が、如何に有難い企業であったかを感じた。
- 金銭のみが絶対の企業体質に、お金だけの世界で「一生を賭ける」という思いが、私の心から出てくることはないと思った。
- 若くなくなっている私には、そのような世界に「耐えられない自分の存在」と同時にこれからの高齢化していく自分であるからこそ、「価値ある生き方をしたい」という思いを強くした。
- ② そこでは、初めて「脳の減退」の事実に気づかされた。
- 総務関係の社員も少なく、書類伝票類の取扱や実作業を自分でやるしかなかった。
- 実務処理には、若い時から誰にも負けない自負があった。
- 特に、記憶力には、自信があった。メモも取らず多くのことを記憶していた。
- 記憶力や整理力が以前の自分と比べ、比べようもないほど劣ってしまっている自分に気付かされた。
- 自分で作業した普通の書類や伝票に、見直してみると、多くのミスが目立っていた。
- 私は、愕然とした。どのような言い訳も自分自身には通用しない。
- 体験を通して、脳にも「廃用性症候群」があり、適切な脳の活用を怠ると脳も減退する事実に気づいた。この事実にびっくりしたと同時に脳への関心が高まった。
- 私は、短期記憶力と長期記憶力のメカニズムを意識していなかった。

- 脳の機能や働きを全く知らないことに気付いて行った。
- 同時に、脳梗塞発症以来、初めて毎日終日働く、長時間勤務体制を経験した。
- 1週間の勤務が終わると、週末は、過去には経験のない疲れを感じた。
- 信じられないスタミナ不足に陥っている体力の限界も知った。
- 通常勤務によって、「老いて行くということ」を見つめさせられたのである。
- 障害者になって、初めて気づく「肉体と脳のメカニズム」であった。
- ③ 同時に自らの生きる方向の模索の大切さに心底気づいて行った。
- 「精神対話士」への学びと受験は新たなる意欲の源泉になった。
- この養成講座から、脳の働きとメカニズムを学ぶきっかけを掴むことが出来た。
- 私は、身体と脳の活性化に着手した。学んで本当に分かったことは、生活上のなすべきことを「真剣に、意識して脳を働かせて生きてみる」ことであった。
- ④ 体調の維持も大体分かった。健康を保つためには、適度の運動を持続し、食事を含め、不摂生をし
- ないという平凡極まりない結論であった。
- そのことは努力ではなく、この3年半の闘病生活で、身についた思想にまでなっていた。これも、この病のお陰である。

- ⑤・「精神対話士の継続研究論文」の通知が来た。
- 昨年に引き続き、「精神対話学会の発表論文」に推薦された。
- ・「強者から指導する原理」のみ横行している現在、
- 「弱者からみた癒しの原点」を見つめることは大切な視点であると思う。
- 障害者を経験できた私なりに、弱者の視点から書いてみる積りである。
- ・精神対話士の学びによって、今まで学んでこなかっ
- ⑥ 私は、発症3年半を経て、自らに宣言し始めている。
- もう身体の不自由さを嘆き悲しむ世界から離れよと。
- 私は歩くことも、語ることも、日常生活は、やや不自由だけれど行動できる。
- ここまで重度身体障害者が、回復できたのも奇跡だ。
- 身体や脳の回復は、真剣に生き抜く中で改善されて行くものだとわかった。
- ⑦ リハビリばかりの人生は、老いが必ず追いかけてくる。
- 老いとの競争はむなしい。

- ただ、多くの選択肢の中で自分の生きる道は、自分で決めるしかない。
- そのような声がしきりと自分の心の中を木霊(こだま)する。私は、今、「障害者からの卒業」の時であることを感じている。
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5.意欲というものの正体(平成19年6月27日)
- 発症丸5年目の日。

- 意欲は出てくるものだということを知った。
- 苦悩や苦しみの果てに新しい意欲が甦って来ることを感じた。
- 落ち込んだ底の底から、厚い壁を少しずつ打ち壊しながら、徐々に上方に上昇しつつも再び奈落の底を体験し、繰り返しながら、遂に底の厚さを打ち破って、忽念(こつねん)と心に「新たなる意欲」が現れることを知った。
- 人は、苦しむ時は徹底して苦しんだら良いのだと思えてきた。
- 中途半端に、妥協せず苦しんだらいい。
- 生命の意欲は、自ら現れて出たいという思いで、人それぞれの壁が打ち破られる時をじっと待ってくれていることが解ってきた。
- 昨日自信を失う結果となった、調査した仕事のデーターで、多くの方々が苦戦している事実を知って、むしろ、だからこそやってみようという今日の意欲に繋がることを感じている。このような思考ができ始めたことが、有り難いことだと思う。
- 意欲というものは、苦難を超えるほどに強くなることを、今さらながら感じている。
- 多くの体験の涯に、苦しみや苦難の底が打ち破れた時、「意欲」というものが、強い圧力となって、ある日、マグマのように、心の表面に浮かび上がってくるものであることを知った。
- 私には、今まで見たことのない「光」に出合う予感がし始めている。
- 心わくわくする思いで、初めてのシニア時代を生きて行こうと思う。
- 深い藍色に彩られ、キラキラと揺らぐ風の中を、私は歩き始めた……

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