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光のみをみつめて生きる 無名患者の詩 このホームページは、「天の時である」。
「光のみを見つめて」生きる TOP
「光のみを見つめて」生きる!
-「脳梗塞が連れてきた生き甲斐」-
光のみをみつめて生きる
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- 脳梗塞という病を得て、過って経験したことのない肉体的・精神的苦悩を体験し、「障害者」と「退職」という人生の大きな課題を背負うことになった。
- 年齢的にも、既に57歳という年齢になっていた。
- あれから満6年を経過した。平成20年63歳を迎えている。
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- 障害を受け止める「障害受容」から新たなる生き方に向かう「精神的変容」に到るまでには、障害者になって現実社会で働き、自分の限界を知り、以前とはかわり果てた自分の現実を見つめつつ、自らの人生を生きるための「切なる願い」を探し求めた。
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- 人生に、無駄なものは決して存在しないはずとの思いの中で、何度も沈み行く自らの精神の弱さに打ち砕かれて行った。
- 真剣に生きざるを得ない状況に陥り、その真っ暗な闇の中に、「生きるための力」「小さな光」が点いては消え、消えては灯されて行った。
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- 私は、このホームページで、私が求めた、学んできた多くの体験者の方々の「光のみを見つめ」「光の中を歩く道」を紹介して行くことを願っている。
- 障害者とシニア世代の人が、再び生きる道のヒントが、私が出合った情報の中に「挑戦できる光」として隠されていないであろうか。
- 私には間違いなく「光」で有った。
- 「その光」こそが、私を支え、励まし、「私の切なる願いへの灯台」であったのである。
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光のみをみつめて生きる 無名患者の詩 このホームページは、「天の時」である。
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「6年の歳月を経て、私の辿り着いた心境と同じ言葉に出合った。」
無名患者の詩
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ーニューヨーク大学の、リハビリテーションセンターの病棟の
壁に
大事をなそうとして力を与えて欲しいと神に求めたのに/
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より偉大なことが出来るように健康を求めたのに/
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幸せになろうと富を求めたのに/
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世の人の賞賛を得ようとして権力を求めたのに/
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人生を享楽(きょうらく)しようとあらゆる物を求めたのに/
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求めたものは一つとして与えられなかったが/
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神の意に添わぬ者であるに関わらず/
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「この無名患者の詩」の順序を追いながら、
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「無名患者の詩」
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ーニューヨーク大学の、リハビリテーションセンターの病棟の
壁に
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大事をなそうとして力を与えて欲しいと神に求めたのに/
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慎み深く従順であるようにと弱さを授かった/
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- 昭和20年に生まれて、様々な体験を得ながら、大学を卒業した。
- 時は、「高度成長期」に入っていた。
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- 学生時代は、サラリーマンになるとは、全く思わず、漠然とした希望は、「政治家」か「新聞記者」であった。大学が、東京であった為、東京で生活することが当たり前に思えていた。
- 時の流れは、スピード違反するかのように速かった。
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- 「力こそ正義なり」という時代を、私も当たり前のように感じていた。
- 挫折と挑戦を繰り返しながら、私はいつか企業のトップになっていた。
- トップになれば、多くの人のために生きることが出来ると考えていたが、企業を取り巻く経済環境は、目まぐるしく変化し、その変化に対処するに精一杯の生活が繰り返された。
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- 「バブルの崩壊」と「国家財政の危機的状況」の到来は、公共事業関連企業であった私の勤めていた企業を直撃していた。
- 「力さえあれば、多くの人のために生きられる」という願いも、「脳梗塞と退職」ということで、全てが失われたと感じた。
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- 「脳梗塞による精神的・肉体的苦難」を受けざるを得ない状況の中で、人ひとり、ひとりはいと小さい存在だけれども、誰の中にも大いなる尊厳なる生命が宿っていることを実感して行った。
- 人間の個人の思想を超えて、いのちの中にある生命の神秘と心と精神の働きの偉大さに気付いて行った。
人生とは、「生老病死」のサイクルの中で、一生を生きる。そのサイクルの峻厳さの中に、言い知れぬ生きる意味を求め、その深遠さを知り、味わいながら、静かな人生の荘厳さに目覚めて行くのが人生なのかも知れない。
- 自分の障害を受け容れ、この障害者のままで生きようとし、それでも諦め切れない自分の使命への切なる願いが、自分の運命に、従順に従うことで、明らかになって来たことに言い知れぬ安らぎを感じている。
より偉大なことが出来るように健康を求めたのに/
- 若き27歳の頃の生活の不摂生が元で結核に罹病(りびょう)したことがある。
- 約1年の療養期間は、私にとっては、精神的転換の時期であった。
- 57歳で「脳梗塞」で倒れるまで、私は人一倍健康に恵まれ、人一倍行動的であった。
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- 「脳梗塞」で倒れる一日前まで、退職後の事業展開にも何の疑問も持っていなかった。
- むしろ、組織を離れ、自分の思い通りに、新しいことに挑戦できるのではないかと期待さえ持っていた。
- 「脳梗塞」という経験のない病に倒れ、全く動かなくなった手と足を見つめながら、精神的後遺症と共に「再起不能」という言葉に翻弄(ほんろう)されて行った。
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- 健康を失って、健康に感謝したことのない自分に気づいた。
- 病に倒れて、病に倒れた人々の悲しみを知った。
- 自分の過去を見つめながら、若きころの私の願いの偉大なことの正体が、
- 自分本位の欲望に根付いているものであったことに、愕然としていた。
- 本当に、偉大なこととは何か。
- それが、何であるのか私は問い続けた。
- そして、本当に偉大なこととは、形の大小や世間的成功などに関係なく、自分の心の中にある「内部理想」-汝が汝らしく、人が人らしく、自らの持てる精一杯を生きることであると思えるようになって行った。

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幸せになろうと富を求めたのに/
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賢明であるようにと貧困を授かった/
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- 幸せな根拠を、究極のところで、私は「富」にあると思っていたのだ。
- 豊かさとは、一方で精神的なものを求めて生きてきた積りであったが、豊かさの根幹を「富」に置いていた自分を知った。
- 不自由になってしまった身体を見つめながら、貧しさへの恐怖を感じている自分に戸惑った。
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- かなりの俸給を手にしていた自分が、ある日突然その道が閉ざされた。
- 脳梗塞の精神的後遺症も知らず、現実を受け止められずに、ただ、自らの無力感に苛(さいな)まされて行った。
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- 時の流れと苦悩の果てに、見栄を張った「無駄遣い」を豊かさと感じていた自分を発見して行った。無意味な見栄やより楽な道に流されて、「富」を求めていた自分を思い返してみた。
- 富を保持していたころの自分が決して幸せを謳歌していなかったことにも初めて気づいた。
- いつも、心の底に流れる不安感が有ったような気がする。
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- このままで良いはずは無いという内部理想のささやきが有ったにも拘わらず、私の生活は華美になって行った。全てを活かす知恵が欠乏していたのである。
- 物もお金も心も全てを生かす道の発見こそ「真の豊かさ」であることに、この病を得て初めて、心から目覚めて行った。
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世の人の賞賛を得ようとして権力を求めたのに/
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神の前に跪(ひざまず)くようにと無力を授かった/
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- 上場企業の代表取締役に就任した時、それが新聞で報道された。
- 兄弟や友人からの賞賛の声に驚いた。
- 何でもないと思いながら、その賞賛の声を聞いていた。
- トップになって、トップの責任を感じながらも、
- 私の中に更なる賞賛の声を求めていたのかも知れない。
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- 悪化していく経済環境の中で、自信満々を演出している自分の嘘を知っていた。
- しかし、周りの状況は、誰もが私を受け入れてくれている感があった。
- それが、組織のトップという地位に対しもたらされた賞賛であったことを、この病によって知らされた。
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バブル崩壊後の業績不振の責任を取るという決断をし、「脳梗塞と退職」の事実の後に「潮が引くように」人々は去って行った。
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- そのような中で、数人の人々が、私のリハビリを手伝い、一緒にこの人生を共に生きて下さっている人たちがいる。
- その人たちのお陰で、私は生きる勇気と生きる誇りを失わずに生きて来ることが出来た。
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- 友と共に、私の6年を支えて下さったものに、多くの真理の書・伝記や体験書・学術書があった。
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- 哲学書や歴史書や日本の歴史そのものが歴然と今の中に生き続けていた。
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- これらのことは、私の力では何度生まれ変わっても、至ることのできない思想や福音であった。
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- 私は、ただただ、真理に跪(ひざまず)いている自分を見出していた。
- その中で、過って、味わったことのない心からの安らぎを感じていた。
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人生を享楽(きょうらく)しようとあらゆる物を求めたのに/
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- ベッドで少しでも左に傾くと、そのまま倒れてしまって起き上がれない。
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- 車いすで初めて病院の外の公園で見た光景は、子供の女の子のお尻が私の目線のレベルの先にあった。
- 大人は、まるでガリバーのような巨人に見えた。
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- 私は、小人の国の住人になったような、一日で虫になってしまったような気持ちになった。
- リハビリ開始後、私は杖を突きながらも、発症後初めて、自分の足で同じ公園に立っていた。
- 子供のお尻も大人のお尻も私の目線の下にあった。
- 立てた!私は、たったそれだけのことで、信じられないほどの強烈な生命の躍動を感じた。
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- 空を見上げた。
- まず飛び込んで来たものは、木々の緑であった。
- 緑が緑に澄み切っているように感じた。
- 木々の命の躍動が、波動になって私の命に飛び込んできた。
- 生き生きと、清らかに、緑の、緑に澄み切った波動に、私は叫び出したい感動に包まれた。
- 何と美しい荘厳(そうごん)さであろうか。私は、声のない奏楽(そうがく)を聞いていた。
- それからの、私は、自然の美しさを求め始めた。
- 空の広さに、海の青さに、渓谷のせせらぎに、春爛漫の桜に、秋の紅葉、冬の静けさに私は生命の流れを感じていた。
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- この世界は、今ここに天国があることを私は次々と感じて行った。
- 多くの富も以前のままの体の完全さも失ってしまったが、時を経て、あらゆることを喜べる人生に目覚めて行った。

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求めたものは一つとして与えられなかったが/
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願いはすべて聞き届けられた/
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- 私の求めていたものは、一体何であったのであろうか。
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- 社会改革家か産業界のトップか。文化を担う芸術家か。それとも多くの病を癒す医療者の道か。または、多くの苦悩を救いうる精神家・宗教家になることであったのか。
- 私が、今までの時々に、願い・憧れた外形は、年齢とともに、時代とともに変化し、あるいは沈澱して行った。
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- いずれの道にも、私の求めていたものは、形の世界では与えられなかった。
- しかし、この病に立ち向かい、多くの学びを経て行くうちに、私の求めていた願いや思想は、今までの長い人類の歴史の中にすべてが埋蔵されていることを発見して行った。
- 今世や来世の一生60年や80年間の年月では、学び切れないほどの珠玉の思想や生き方が厳然と存在していることを知った。
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- 思想が、感情にまで昇華しない限り、夢が現実世界には実現しないことも知ることが出来た。
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- 一生懸けたぐらいでは、大海の一雫位のことしか人間は真実を知ることはできないのであろう。
- しかし、その大海の一滴を知ること・感じること・信じることが出来た時、自分のこころの世界は、瞬間に大変貌することを知った。
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- 失いかけた意欲は出てくるものだということも知った。
- 苦悩や苦しみの果てに新しい意欲が甦って来ることを感じた。
- 落ち込んだ底の底から、厚い壁を少しずつ打ち壊しながら、徐々に上方に動きつつも、再び奈落の底を体験し、繰り返しながら、遂に底の厚さを打ち破って、「新たなる意欲」が現れることを知った。
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人は、苦しむ時は徹底して苦しんだら良いのだと思えてきた。
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- 中途半端に、妥協せず苦しんだらいい。
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- 「生命の意欲」は、自ら現れて出たいという思いで、人それぞれの壁が、その人によって、打ち破られる時をじっと待ってくれていることが解ってきた。
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- その意味で、「この人生を自分らしく精一杯生きたい!」という私の願いはすべて聞き届けられていることを感ずることが出来た。
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神の意に添わぬ者であるに関わらず/
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- 無限の知恵の導きに、己の小我に捉われず、大いなる真実の誠の道を・人類愛の尊き道に生きることを、両親を通し、多くの書を通し、人生の師を通し知らされて来た。
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- その時々に、それらの導きに応えんとし、真剣に生きよと自らに問いかけ続けたこともあった。
- しかし、神の意ということとはまるでかけ離れた我見に依ることが多かったのだと思う。
- その証拠として、私の人生は苦悩との闘いのような思いに満たされていることが多かったからである。
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- そのような私であったのに、現在の私の心境は、安らかさと充実感に満たされている。
- 言葉で言い表せられない私の祈りの方向も、いろいろな苦難に向かった本当の理由も、
- 「心の安らぎ」を求めてのことであったと確信できるようになって行った。
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このホームページは、「天の時」である。
私は、「脳梗塞」を発症しなかったら、パソコンに向かうことは、
恐らく無かっただろうと思う。
機械が余り好きではなく、どちらかというと苦手であり、
自らパソコンを学ぶ意志は全く無かった。
この病を得て、60歳で初めて、パソコンに向かった。
この病を超克する道を数多くの体験記に求め、医学的・学術的根拠を求めパソコンに向かった。
数々の情報を知ることで、
インターネット時代の到来の実感を得た。
身体が不自由になって、行動を制限されたことの代替手段こそ、パソコンであり、インターネットであることを感じた。
パソコンは、これからの高齢化社会の最重要な情報伝達手段として、
また、人生を模る(かたどる)ための手段として、無限の可能性を秘めていることを知った。
- 私のパソコンの先生は、この病の発症以前から私を支え続けてくれた友人であった。
- 以前、私と共に同じ会社で働いていたが、私の退職と共に別の会社へ転職し、その会社では、パソコンスクールも運営していた。
- 若き時から、パソコンそのものに対する強い興味と自分を表現する道具であるとの確信を持ち、一生をパソコンと共に生きたいと願っている人間であった。
- 私が、パソコンに向かうことを喜び、通常のパソコン教室とは別にパソコンの歴史からウエブ革命までを、ひも解いてくれた。その彼がこのホームページの運営に彼の妻と共に参加してくれた。
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このホームページは、「人の和」で作られている。
- 私が、「生活の再建研究会の設立とこのホームページ発信」の考えを友人に伝えた。
- 私のリハビリに参加してくれた人々が全面協力を申し出てくれた。
- 私の苦悩と闘いを目の当たりにした人々が、多くの脳卒中患者の方々や家族の方々、そして、高齢化社会に向かう人々の為にインターネットを媒体として、少しでもお役に立つこと・貢献できる道を作りたいとの願いに賛同する人々と一緒に、このホームページ作りは出発した。
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- 私がこの約6年間に調査した膨大な資料の整理に、パソコンに、友人たちも立ち向かっている。
- 出来る人は、出来る人なりに、初めての人は、初めての人のように、それぞれの人が、キーボードーをたたき始めている。
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- 多くの方々の体験や私の体験が、脳卒中で苦しむ人々の光になることを祈って…
- 脳卒中障害者や中高年・団塊世代やシニアの人々の「生活の再建・復活・創造の力」のきっかけをこのホームページから受けることを祈って…
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- 平成20年6月27日発症6年目の今日、この「ホームページ」を発信します。
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